零の対面
扉を開ける。
「また来てくれたんだね。沙耶」
あたしを自分の妻と勘違いした男が、不気味な笑顔で出迎える。
何かがきっかけで沙耶さんが死んでしまい、覚めない悪夢の中をずっと生きて。
辿り着いた先がこんな結末になって。
何が救われたんだろう。
見るのも辛い現実が残るだけ。
憎しみなんて。
犯罪なんて。
「今日はどうしたんだい?」
あたしは黙って座る。
簡潔に用件を伝える。
黒の御使いの居場所。
「すまない。居場所は分からないんだ。エージェントが死亡した時点で、僕らは何も意味を為さないんだ」
嘘の可能性を考えるけど、組織の在り方を理由として挙げないだろう。
ここに来た意味が無くなってしまう事に焦りを感じない訳が無い。
どこにいると思うかの宛ても無いのだろうか。
「捕まえるのかい? 沙耶」
勿論と答える。
これ以上犠牲者を出すのを翔太が望んでない。
それは言わないで、想うに留める。
「国外逃亡は迅速に警察が指示を出している。であれば基本的には地下を移動する筈。どこから移動していたのかを教えておこう」
なるほど……。
翔太がどう言う考えに至るかは分かんないけど、逃亡拠点が固定されてて、尚且つあたし達が知らない場所なら。
「まだ僕を、怒っているかい?」
声に不安が滲んでる。
あたしがもし。
雷鳥館で翔太を失ってたら。
どうしてただろう。
世界が憎いって思ったかもしれない。
だけど。
翔太が生きてるだけじゃない。
想いも全部あたしの中で生きてるから。
思い留まる事が出来たと思う。
多分。
華音ちゃんが今度はあたしを引っ叩いて。
そんな姿が容易に想像できる。
あたしは立ち上がる。
もし翔太が死んでたら。
翔太を一生愛する。
それだけは共通よ。
松本の表情は見なかった。
警官と一緒にマンホールから地下道へ入る。
俺も防刃防弾仕様のベストを着用するよう言われた。
推測に確信は持てないけど。
予感がしてる。
華音ちゃんは心配だけど、拓さんらを信じる。
それに、館華星が華音ちゃんの所に行ってるなら、簡単に連絡を取る事は出来ないだろう。
だから捕まえるなら今だ。
『見つけたらすぐに報告してくれ!』
現場を仕切ってるらしい人物がしきりに指示を飛ばしてるのは、イヤホンマイクで俺も把握出来る。
複数のルートに分かれ、捜索が行われる。
迅速かつ統率された様子を見て、この状況から久遠らが毎回逃げてるのが信じられない。
だけど今回は久遠の動きを予測して動いてる。
条件をやっとフラットにする事が出来た。
スマホが鳴る。
由佳からだ。
『奴らが利用してた逃走拠点を転送するわよ』
松本から聞き出してくれたんだろうか。
ここからそれほど遠くない。
『実際に使われてるかどうかは分かんないけど、調べてみる価値はあると思う。後は翔太に任せるわ』
それだけで切れる通話。
今のPCPの状況を誰よりも把握してくれてる事に感謝する。
行くか行かないか。
こうして俺が警察についてくだけだったら来た意味が無い。
それに華音ちゃんは今、明らかに危険と分かってて決断を下した。
俺だけが安全な所で動くのは躊躇われた。
現場の責任者の人に一言告げ、俺は教えて貰った地点を目指す。
黒の御使いが実際に使ってたルートだから偶然に遭遇する可能性はあるかもしれないけど、人の気配すら無い。
曲がり角を何度も曲がり、目的の場所へ只管歩を進める。
勿論、人の気配は常に気を付けながら慎重に。
警官らの報告も、誰もいないが続く中、曲がり角を曲がると、明らかな違和感があった。
整備されたコンクリートをずっと歩いて来た。
曲がり先の道もコンクリートで整備はされてる。
だけど一目見て壁や天井、床の作りが、何て言うか荒い。
良く見てみると、細かく砕けた跡がそのまま残ってる。
まるで元々無かった道が爆破されたような。
……もしかして新たに地下道を作った?
そんな事をして気付かれないのかって疑問はあるけど、実際に荒く作られたような場所があるのは事実。
土木作業員にでも扮したなら出来ない事は無いかもしれない。
いずれにせよ、由佳が教えてくれた場所がこの道の先にある。
緊張しない訳が無い。
汗だくなのは暑さだけじゃない。
通路の脇に水路が無い。
ただ誰かが通る為だけに作られた地下道。
進んで行くごとにこの道が正規に作られたものじゃないって確信を抱く。
曲がり角を曲がると、突き当りに見える梯子。
突き当りまで行き、天井を見上げるとマンホールが開いてた。
見えるのはトタン仕様の天井。
何かの建物内部なのは間違いない。
尚且つ、最近誰かが通ったのは確実。
だから俺達PCPが見つける事が出来なかった。
音を立てないよう、慎重に梯子を登って行く。
地上に出て、生きてる人が誰もいない事を確認する。
2人分の死体。
頭からの出血の状況から見て、拳銃によって殺害されたんだろう。
殺害された人物は黒の御使いなんだろう。
大きな犯罪がこれだけ立て続けに起こってる現状、一般人がこんな所にいる訳が無い。
だから、殺害したのは久遠唯一人しかいない。
だけど、血がまだ乾いてなく、腐臭もまだしては無い。
まさか……。
「ここに、来るとはな。吉野翔太」
振り向くと同時に腹部に銃弾を受ける。
……ベストを着用しといて良かった。
「無鉄砲では、無くなったようだな」
以前と何ら変わらない、犯罪者の顔。
何故と自分に問いかける。
何で秀介に似てるんだと。