嵐は過ぎる
飲食店で働いてて別にきついって思わなかったけど、楽しいとも思ってなかった。
生きる為の行為、それだけだった。
もし仮に、あのまま武道を続けてたら楽しかったかって聞かれれば。
多分そうじゃなかっただろう。
……。
気絶してたみたいだ。
起き上がろうとしたけど、今の状況がどうなってるのかが分からないから、聞き耳を立てる。
部屋に入ろうとしたら、背後から攻撃が飛んで来たって事は。
皇桜花が室内にいる事だけは間違い無いから。
もし、翔太達が殺されてたら?
ノイズ的な考えをかき消す。
生きてる事に望みを賭ける。
「それ以上喋るなら、遠慮無く打つわよ?」
女の声が聞こえて来る。
それと、多分老人の震えるような声も。
だけど肝心の翔太達の声が聞こえない。
「何故俺達をすぐに殺さない」
……ホッとする。
気絶してた時間はそんなに長くなかったみたいだ。
「勘違いしないで? 殺す必要の無い人間は殺さないわ」
「それはおかしいわね。翔太君は皇桜花に殺されかけたわ。そのような人物が目の前にいる。放っておくメリットがあるのかしら?」
銃声が響き、老人の悲鳴が聞こえる。
「早く蘇らせろ」
蘇らせる?
誰を?
……何を言ってるのかさっぱり分からない。
だけど音だけで状況を整理すれば、女が翔太達に拳銃を向けて、皇桜花が老人を脅迫してるだろう状況を思い浮かべる。
「あんまり時間はかけてられないわよ。エージェント」
「黙れ」
「そうね。時間が経てば、優子が目覚める可能性だってある。それに警察が来る可能性も高まるわ」
……信じてくれたっぽいけど、無性に腹が立つ。
「ここで要求を呑まないのであれば、貴様を連れ帰るだけだ」
「で、出来ないものは出来ない! 死人を蘇らせるなんて、そんな事出来る訳が無いだろ!」
……。
そんな事の為に、犯罪に手を染めたのか。
この上なく愚かだ。
音を立てないように起き上がり、部屋の位置を確認する。
部屋の隅まで吹っ飛ばされたらしい。
とんでもない力だ。
僅かな隙間から覗いてみる。
幸いな事に、全員の視界に入らない位置にあたしはいるみたいだ。
反撃の隙を伺える。
「心肺停止した人間を蘇生する延長だ。出来る筈だ」
「や、奴が死んでから何年経ったと思ってる! お伽噺はもう止めろ!」
「社会的に殺害したのが貴様だと、まだ理解をしていないようだな」
皇桜花の握る銃口が、ゆっくりと老人のこめかみに移動する。
「流石に殺したくなって来た」
「止めろ撃つな!」
翔太達に拳銃を向けてる女。
あいつから拳銃を奪ってしまいさえすれば。
天井に向かって発砲される。
木の破片が乾いた音を立て、落ちた。
「簡単に死ねると思うな?」
「連れ帰った方が良いんじゃないかしら?」
「どうしたら要求を呑む? ここまで譲歩してるんだ。答えろ」
「む、無理なものは無理だ!」
「要求を呑む事が前提での話だ。分かるな?」
銃口が出血した手に向けられる。
その間、女は片時も翔太から目を背けない。
どうする?
楓がこっちを見る。
目が一瞬だけ合う。
向こうに見えるように、隙間越しに手を振ってみる。
けど、楓は気付かなかったみたいで、直ぐに視線を戻してしまう。
そっちからのアクションで女の視線が一瞬だけ逸れれば。
形勢は逆転する。
あたしは体勢を整える。
きっと気付く。
楓の表情が変わったのを、あたしは見逃さなかった。
「今よ!」
扉を蹴飛ばし、女に突進する。
阿武隈川が視線を向けた時には、姉ちゃんは既に阿武隈川の拳銃に触れてた。
「な……!」
「お喋りが過ぎるのよ。あんた」
素早く手刀を加えるのと、発砲は同時だった。
足に激痛が走る。
手から離れた拳銃を回収しようとしても、俺は足を抑えて蹲る。
辛くも楓が拳銃を回収してくれる。
「今止血するわ!」
楓が惜しげもなく自分の服を千切り、俺の足にきつく巻く。
「形勢逆転よ」
姉ちゃんが俺に視線を向けるけど、今はこの有利な状況を崩しちゃいけない。
手を抑える阿武隈川が、後退る。
表情に焦りが無いのは俺を負傷させたからだろうか。
「本当にそう思ってるのかしら?」
「あんたがそれを言っても説得力が無いわ」
皇が、心の底から溜息を漏らす。
「何してるのかな? 阿武隈川愛子」
何を思ったのか、皇は阿武隈川に拳銃を突きつける。
「油断はしてないわよ」
「まあ、結果的には良いけどね」
皇は阿武隈川に拳銃を渡し、こっちに向き直る。
台風が通り過ぎ、眩し過ぎる程の光が差し込む。
「拳銃であたし達を打てば良いんじゃないの?」
「少なくとも貴様に当たると思っていない」
姉ちゃんと皇が再び対峙する。
台風はもう過ぎ去った。
後は警察が来るまでの足止め。
それで黒の御使いに勝った事になる。
後は姉ちゃんに死なないで欲しいと。
全力で願うだけ。
「時間も惜しい。貴様を殺して終わりだ」
「あんたを倒すわ」
2人が構える。
殺気が手に取るように伝わって来る。
その時だった。
それは起こったのだ。