嵐の死闘1
「怖いよ……あの人」
まただ。
そう言われるのは何度目なのか、数えるのも面倒になった。
それは年を重ねても同じだった。
「君は、まさしく武道の天才だ」
あたしに言わせてみれば、天才である事に何の意味があるのかと思ってた。
ただ、楽しくてしょうがなかった。
勝つ事?
違う。
おっさんと爺には毎日負けてた。
負ける事無しに強くなれるって事を知らないんだろう。
この世には人間しかいないのに。
いつからかは分からないけど、急激に自分の中から熱が冷めてくのを感じた。
だからやりたくも無い料理を仕事に選んだ。
フロアスタッフとして、迷惑な客を追い出すのは勿論役割だったけど、厨房もある程度任せて貰えるようになった。
でも、仕事だからやってるだけだ。
面白いとは思わない。
けど、たった一人の女に負けるなんて経験は無かった。
鈍ってたかもしれないけど、それでも。
この状況を、あたしはもしかしたら……。
目を覚ます。
楓はミラー越しにあたしを見てすぐ視線を逸らし、翔太は色々何かやってるけど放置する。
出来る範囲のストレッチをし、準備する。
次は本気で殺しに来るってあいつは言ってた。
殺されるつもりは毛頭無いけど、負けたら死ぬ事は分かる。
勿論そんな戦いは初めてだけど、不安は無かった。
多分それは、対等以上の相手だってあたし自身が認めてるのと、ワクワクの方が勝ってるから。
『翔太! 見つけたわ! 不審車!』
由佳ちゃんからのVCだろう。
「早くて助かる! 位置は?」
『そのまま進んで! まだ移動中みたい……あ、止まった!』
もうすぐその時は来るだろう事を確信し、あたしは目を閉じる。
集中力を高める為に。
周りの音を、意識的に遮断する。
自分の中のリズムに耳を傾ける。
無音の中にだって、ちゃんと音は存在する。
意識して深呼吸する。
あたしの目的は、あいつを捕まえる事。
けど、多分それだけじゃ勝てない。
相手はあたしを殺すつもりで来る。
あたしがあたしを保ったまま、それでも皆の為に出来る事は。
あいつが積み上げてきたものを、壊す。
そして車は止まる。
目的地なんだろう。
静かに目を開ける。
視界は少しだけ白い靄がかかってる。
霧じゃない。
あたし自身の集中力が極限まで来た証拠。
車を出ると同時にぽつぽつと雨が降り始める。
皇桜花は正面に見える車に向かって拳銃を構えてた。
後ろには女が1人。
あたしに視線を向ける皇は、後ろの女に男を任せ、別荘らしき建物へ入って行く。
翔太と楓はあたしを一度見て、女を追いかける。
「死なないで」
強風によって遮られたけど、確かに届いたその言葉は、あたしが苛つく奴からだった。
「まさかこんなに早く来るなんてね、思ってなかったよ。吉野優子」
雨足は急激に強くなり、やがて東南アジア圏のスコールを思わせる豪雨が降り注ぐ。
皇は、ただ天に向かって大声で嗤う。
「まさか雨に濡れた位で動きが落ちる事は無いよね? 吉野優子」
「だったらさっさとあんたを建物に誘導するんじゃないの?」
「あはははは! それもそうだね! 愚問だったよ!」
「あんた相手だったら、殺す位で行った方が丁度良いわよね」
「へー? じゃあ今度は本気が見れるんだね? 吉野優子」
「やってみれば分かるんじゃない?」
お互いの言葉が止み、豪雨の音だけが響く。
嬉々とした表情で繰り出された蹴りを受け流し、クロスカウンターの要領で顔面に蹴りを見舞う。
勝負に於いて一番必要なのは集中力。
避けるしか出来なかった蹴りを見切る余裕まで出来る。
けど、それが通用するようなレベルの相手じゃない。
軸足でそのまま回し蹴りを仕掛けられる。
ここでこの蹴りを受け止めたら、そのまま懐に連続で攻撃を食らう事を本能で察したからだろうか。
受け流して距離を取る。
「私に対して本気を隠しても戦える相手だとはな」
油断じゃないと悟る。
こいつも対等の相手と戦った事が無いのかもしれない。
「それなら殺すだけだ」
突きを躱し、反撃をするタイミングで膝蹴りを食らうけど、同時にボディに一撃を見舞う。
追撃をしようとする両手をお互いに掴み合い、力勝負に持ち込まれる。
分かってはいたけど、力も相当強い。
膝蹴りを膝で受け止め、均衡状態に陥る。
けど、おかしい。
こいつは今まであたしの攻撃を食らう事はあっても、相打ちしか無い攻撃はしなかった筈。
明らかに攻撃のスタイルを変えて来てる。
反射的に距離を取る。
「へー? 距離を取ったんだ」
考えるより先に、何かあると体が感じる。
そして今度はこっちから攻撃を仕掛ける。
ガードの上から攻撃を繰り返し、ガードが崩れる瞬間を狙う。
崩れた瞬間を狙って放った決めの突きを当たり前に躱され、手を使って側頭部に蹴りが飛んで来る。
手でガードすると同時に、逆足の蹴りを突き飛ばして何とか掠るに留める。
掠っても出血は免れない威力の蹴りを、この天候の中で出来るのはこいつ位しか知らない。
「ガードだけは大したものだな」
分かってて言ってるんだろう。
ガードなんて元々やる必要さえ無かった。
それなのに、だ。
血を拭っても、目に入っても負けは確定。だから顔を下げる事は出来ない。
雨で体力を想像以上に削られてるけど、まだまだ動ける。
繰り出される蹴りを今度は避け、足を払う。
体勢を崩した所に背中への蹴りを見舞うけど、器用に反転してガードされ、足を踏み台に距離を取られる。
「お前も私と同類みたいだな」
は?
油断しないようにしながらも、気が抜けざるを得ない発言。
一応聞き返す。
何言ってんの?
同類だなんて有り得ない。
「なら何故笑っている?」
ああ、そう言う事。
「こんな状況で笑っている人間はお前以外に知らん」
「そうなれば良いなって、思ってたから」
「何の話だ?」
「あんたみたいな強い奴があたしの周りにいたら、止めなかったって事よ」
「天才の苦悩と言う奴か? 下らん」
「あたしが天才だろうがどうでも良いのよ。要はお互いを高め合える存在がいれば良かった。そう言う存在が必要だった」
「何が言いたい?」
あたしは拳を握る。
何で犯罪なんて下らない事をした!