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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

メグミ

作者: 湖畔

 以前に所属していた部活動で書いた作品の改稿版になります。『沙漠』という部誌に掲載されました。


 ジャンルとしては、ホラー系。モンスターが出てくるので、パニックホラーの部類かと思います。その手の映画に詳しくはないので、断言できませんが。

 R-15指定ですが、具体的な肉体の損壊描写はございません。


 別件になりますが、もし『トーフさん』を読まれていた方がいらっしゃったら、すみませんが、しばらく続きはありません。


 二月二十六日、その子は日本の大きな病院で生まれた。その子の母親にとって、初めての出産だったが、つつがなくことは済んだ。体重が3㎏を超えるごく健康的な新生児で、産声はかなり大きい元気あるものだった。その子の両親は、初めての我が子の生誕に他の多くの親たち同様喜び、また、夫婦仲もよく、経済状況も良好で、その子の将来は明るかった。

 その赤ん坊が生まれた後、母親が出産時に着ていた服を片づけた看護師は、肌触りにやや違和感を感じた――実際緑色の破片がわずかに付着していた――が、本当に少しだけだったのでそのまま処理した。


 ***


「それじゃ行ってくるけど、メグミをお願い。メグミも、お父さんの言うことを聞いてね」

 メグミの母親は玄関でそう言った。今日は、本来は休日で、母親だけが仕事がある。メグミの父親は答えた。

「大丈夫だ。ゴミも、買い出しも、町内会も特にないんだろう? 普通のことならやれるさ。ほら、メグミもお母さんに『いってらっしゃい』って」

「……いってらっしゃい」

 父親がうながすと、玄関に連れてこられたメグミは母親に声をかけた。彼女の言葉はそれだけだった。

「本当に大丈夫? 薬の場所は覚えてる? もしものときは――」

「大丈夫だ。薬は居間のテレビの下の棚に。いつもメグミを診てもらってる病院の電話番号は、わたしの携帯にも、冷蔵庫のメモにも残っている。大丈夫だ」

 父親は三回『大丈夫』と言った。母親は気がかりなようだが、心を決め玄関のドアを引いた。彼らの家では、ドアは手前に引かなければ開かない。祖母から受けついだ古い家だからだ。しかし、彼らはそのおかげで一軒家に住んでいる。

「いってきます」

「ああ、いってらっしゃい」

 メグミはなにも言わず、母親が出て行くのを見ていた。


 ***


 実際、父親はそつなく家事をこなし、メグミもおとなしかった。彼女はテレビを見ることもゲームをすることも外で遊ぶこともなかった。午後四時ごろ、居間で父親は訊いた。

「メグミ、退屈じゃないのか?」「ううん」

 このやりとりは今日二回目で、以前から何回も繰り返されてきたやりとりだった。しかし、父親はあきらめていなかった。

「わたしのパソコンでも見てみないか? 仕事のデータは別のところにあるから遊んでいいぞ。それとも、外に行ってみるか? そろそろ涼しくなってきたから――」「いい」

「……なにか欲しいものはないか? 友達が持っているものとか」「いない」

 父親は小さくため息をついた。たしかにメグミに友達がいるはずはない。保育園にも幼稚園にも通っていない。外で遊ぶこともない。もしそんなことをしては、倒れてしまうだろう。

「いまどきの子供にはなにがはやっているんだろう……」

 父親は聞こえない程度にぼやいて、娘が友人と遊んでいるところを考えようとした。

 彼はその夢想から離れないままメグミのとなりに座ると、テレビをつけた。最初に自然のドキュメンタリーが映った。彼がチャンネルを変えていくと、釣り番組、サイレント映画、ニュース、旅行番組、バラエティ番組となり、メグミの容態が急変した。

「メグミ⁉」

 彼女は横に倒れ、大量の汗をかき、途切れ途切れに大きな息をして、顔が真っ赤になった。父親はすぐに彼女を楽な体勢にし、棚から出した薬をぬるい水で飲ませた。そして、彼女の様子を見つつ、病院に電話しようとして、ふとテレビの電源を切った。

「……おとう、さん」

「大丈夫だ、メグミ。静かに、ゆっくり息をしなさい」

「びょう、いん?」

「……ああ、だけど心配しなくていい。タケダ先生はやさしいだろう?」

 メグミはその後なにも言わず、父親は彼女を病院に連れて行った。途中、彼女の調子は少しよくなったが、病院につくころにはまた悪化して気を失ってしまった。


 病院で父親はメグミに誰かを関わらせたか訊かれた。誰も関わっていないことが分かると、人の多い番組は彼女の前で見ないよう指示された。


 ***


 メグミが気づくと、もう外は真っ暗だった。そこは個人用の病室で、窓から大きな柿の木が見えた。

「おとう……さん」

「メグミ。大丈夫。心配しないで。今はわたしがここにいるよ。お父さんも飲み物を買いに行っているだけだから」

 母親の温かい手が横になっているメグミのひたいに触れた。メグミが母親から目をはなすと、窓のへりに動いているものがあった。

「あれ……?」

 メグミの呟きに母親は答えた。

「え? ああ、イモムシ? 家の中だと見ないよね。チョウは窓から見るだろうけど」

「チョウ……?」

「うん。でも、わたしも見たことのないイモムシかな」


 ***


 メグミはかなり早く回復した。そして、家に帰るとき、窓のへりにいたイモムシを飼いたいと言った。彼女が何かを要求することは久しぶりだったので、両親は喜んで認めた。それは病室の窓の下、たくさんのカーネーションの花の上に――その葉を食べてはいなかったが――いた。

 イモムシは、緑色で赤い目玉のような模様がついていて、柿の葉を食べた。世話は簡単で、メグミにもできることはあった。

「春になったら、チョウかガになって、飛べるんだよね?」

 メグミは前よりもはきはきと話すようになっていた。父親は答えた。そして、頭の中でつけ加えた。

「うん。そして、その前にサナギになる」

(それでメグミが学校に通えるようになったらいいんだが)

 その後メグミは庭でもう二匹ほど同じイモムシを見つけて飼い出した。


 ***


 少し涼しくなった夏のある日、母親はイモムシに使っている水槽の中で、それらが四匹になっていることに気づいた。そのときは、またメグミが見つけてきたのかと見逃していた。しかし、翌日五匹になっていることに気づき、メグミに言った。

「ねえ、メグミ。イモムシを飼うのは構わないけど、拾ってきたら教えて。飼いきれなくなるかもしれないから」

 メグミは、不思議そうな顔をして答えた。

「わたし、拾ってきてないよ?」

「え? でも増えているでしょ?」

「うん。昨日五匹になった」

 母親は少しだけ迷ってから、六日前からメグミが外に出ていないことを思い出した。

「じゃあ、四匹になったのはいつ?」

「昨日だよ? お母さんだって、毎日見てるでしょ?」

 やはりメグミは、不思議そうな顔で答えた。

「……そうだけど。どういうこと?」

「増えたんじゃないの?」

「そういうことに、なるのかなあ……?」

「減っていることも、あったじゃない。変なお母さん」

 イモムシは葉の陰に隠れてしまうことがあるから、減ることについてはそうだった。母親は、夫にイモムシが増えたことを話したが、彼にも理由は分からなかった。


 ***


 秋のある日、父親はイモムシが増えた理由を知ることになった。彼が本棚から一冊抜き出すと、水槽から抜け出したのか、その裏にサナギがあった。彼は少し眉をひそめたが、とりあえず取ってメグミに見せようかと考えた。

 しかし、そんな暇はなかった。彼が手をのばそうとすると急にサナギの背中にひびが入ったからだ。彼は慌ててその本を机の上に置いて、メグミを呼びに行こうとした。だが、サナギの背中が(うごめ)くのを見て、ふと、羽化はこんなに急なものだったかと考えた。羽化ではなかった。サナギの背中からは、元よりも大きいイモムシが二匹出てきた。

「な……」

 父親が絶句するのをよそに、イモムシは自分たちが出てきたサナギをかじりだした。


 ***


 父親がイモムシを飼っている水槽を見に行くと、サナギが一つあった。彼がそっと一枚のキャベツを裏返すと、そこにはもう一つサナギがあった。そして、別の一枚の裏から二匹のイモムシが出てきた。

「なんなんだ、こいつらは? 寄生虫にしたっておかしいだろう。……いや、そもそも昆虫じゃないのか?」

 水槽の中の一匹は今まさにサナギを作りだした。

「お父さん、どうしたの?」

 彼の後ろからメグミが声をかけた。彼は水槽のふたを固く閉め、メグミに訊いた。

「メグミ、このイモムシたちは……サナギからどうなるか知っているかな?」

「また、イモムシが、出てくるんだよね?」

「えっと、そうじゃなくて、チョウとかガとか、そう、羽根の生えたものは出てこなかったか?」

「それは、春になったらって、お父さんが言ってたよ」

「あー……。今日の世話はお父さんがやっておくから、母さんを呼んできてくれないか?」

「え? うん。分かっ――」

 そのとき、絹を裂くような声が家に響いた。

「母さん?」


 ***


 二人が声のした部屋にたどり着くと、メグミの母親が困惑した目で天井に作られたサナギと床を這っている二匹のイモムシを見つめていた。

「大丈夫か?」

 父親が妻に声をかけた。

「上からイモムシが降ってきて、いや、それよりも、サナギからイモムシが出て……」

「そうだよ?」

「あー、うん。らしいね。さっきわたしも見た」

「でも、サナギからは」

「うん。とりあえず落ち着こう。場所を変えて話をしよう」

 父親はそう言って、妻に手を貸した。彼女が立ち上がると、彼は財布を取りにその部屋のドアに手をかけた。すると、その手に大振りのイモムシが落ちてきた。彼はとっさにイモムシが落ちてきた方を見て、メグミに問いただした。

「――メグミ、サナギを初めて見たのはいつだい?」

 その視線の先、ドアのへりには穴が開いており、そこで何匹ものイモムシがその体で穴を押し広げていた。先ほどの一匹は、初めて穴を開けた個体だったらしい。メグミは答えた。

「ずっと前」

「ひょっとして、抜け出すのを見たか?」

 答えが返ってくる前に、穴の向こうにたまっていたイモムシたちが、はじけるように飛び出してきた。


 ***


 メグミたちは、ぎりぎりで山のようなイモムシにつぶされずにすんだ。それらは部屋の床を占領し、下になったイモムシを押しつぶし、うすい色の体液をこぼしながら部屋の外、別のドアから逃げだしたメグミたちの目の前まで流れてきた。そして、それらは増えつづけていた。

「な、な」

「と、とにかく、外に出よう! メグミ、おとなしくしていなさい!」

 父親はそう言うと、メグミを抱えて玄関に向かうことにした。母親もそれにつづいた。メグミは顔色をなくし、なにも言わなかった。

 彼らがいる場所から玄関までには二部屋あった。しかし、手前の一部屋からは数匹のイモムシが出てきた。それを見た父親の足は一瞬止まったが、妻に急かされ、その部屋の前を通りすぎた。父親とメグミがその部屋をすぎると、すぐにその部屋から鉄砲水のようにイモムシたちが飛び出し、父親の足先に何匹か付着した。

 父親はそれらをふり払い、そのまま母親とともに玄関に向かおうとして、ふと、偶然とびらの開いていた次の部屋の中を見た。

 その部屋は全くおかしなところはなく、いつも通りイモムシはいなかった。

「ちょっと、止まって!」

 妻の言葉で父親は反射的に足を止めたが、メグミを抱えていたせいか、体勢をくずし転んでしまった。

『メグミ⁉』

「大丈夫……」

 両親の声に、メグミは白い顔でか細く返事をした。父親が下になったおかげで、彼女は特にケガをしなかった。

 そのとき、玄関のそばの階段から大量のイモムシが流れてきて、まるまる玄関を腰の高さまでうめた。そのドアは手前に開くが、イモムシの重量で開かないことは明白だった。階段からのイモムシを警告した母親は、それらが降ってきた方を見やった。

「ど、どうしよう……? 上に行くのは、無理だよね」

 上への階段にも、いまだ何十匹ものイモムシがはいまわっていた。大半は階段の段の上ではなく、別のイモムシの欠片や体液の上だった。一方、後ろからは二部屋から流れ出ていた以上のイモムシが迫っていた。

 父親はあわてて先ほどのいつも通りの部屋をのぞいた。家の奥からその部屋の入り口にイモムシが迫ってはいたが、やはりその部屋自体になんら異変はない。

「こっちだ」

 彼は母親に手ぶりで示してその部屋にメグミを抱えたまま入った。その部屋はきれいなようだった。さらに、外に出られる大きな窓があった。母親も急いでその部屋に入り、ドアをしっかり閉めた。

「とりあえず、これで入ってこない。父さん、どうしたの? 窓から出れば……」

 母親はそこで言葉に詰まった。父親は言った。彼は庭をじっと見ていた。

「なあ、なんでこんなことになったのかな」

 すでに庭はイモムシで満ちていた。それらは互いに勝手な方向に動いていたが、一定の流れを持った海のようでもあった。ぼたぼた、と窓の上から何匹かイモムシが庭に落ち、海に加わった。

「ちょっと! そんなことを言っている場合じゃないから。今すぐにでも出ないと――」

「いや、そうじゃないかもしれない。ここにとどまった方がいいかもしれない。この家はまず間違いなく騒ぎになっている」

「――助けを待つってこと?」

 妻の問いに、夫はうなずいた。

「ああ、時間はかからないはずだ。あれがなんにせよ、増えること以外はイモムシだ。さっき階段でイモムシは下のイモムシをつぶしていた。増えるにも限度がある、はずだ」

 声には不安が混じっていたが、彼は言いきった。

「そう、そうだよね。あれはイモムシだもの」

 妻も同じ声音ではあったが、そう言って固く閉めたドアを見ると安堵の息をついた。彼らの見る限り、イモムシがドアや窓を破ることはなさそうだった。

 メグミが口を開いた。

「外に、出ないの?」

「う、うん。そうなの。メグミ。少しすれば、きっと外の人が助けにきてくれるの」

「嫌だよ。わたし、ここ、嫌だよ」

 その声ははっきりと震えていた。両親は顔を見合わせた。

「メグミ、今、外は危ないから――」

「わたし、嫌!」

 彼女は泣いていた。父親は抱きかかえているメグミをなでて安心させてやろうとしながら、困った顔で母親を見た。だが、母親にも待つしかできることはなかった。

 彼女は弱り、上を向いた。そこにはドーム状のカバーで覆われた蛍光灯があった。今、明かりはついていなかったが、それにしても黒ずんでいた。彼女は一瞬目を閉じた後、もう一度見た。そのカバーはいつもよりふくらんでいた。その下には、夫と娘がいた。

「ねえ、父さん、こっちにきて。慌てないでいいから」

 彼が妻の言葉に訊き返そうとすると、目の前にイモムシが一匹だけ落ちた。それは蛍光灯から漏れたイモムシだった。

「なるほど」

 彼がそう言った数瞬後、カバーが耐えきれなくなりイモムシと共に落ちてきた。父親はすでに娘を抱えたまま跳びのいていた。

 父親は、庭を見ながら前言を撤回した。

「……スカートであの中を歩けるか?」

「迷ってられない」

 母親がそう言うと、言葉を裏づけるかのように天井がきしんだ。

「最悪、塀まで行ければメグミだけは外に出せる」

 両親はうなずき合い、メグミに言った。

「メグミ、ごめん。ちょっとこらえて」

「出る、の? お母さん、たちは?」

 かすれた声ではあったが、メグミはしゃべった。

「大丈夫だよ。お父さんたちも外に出るから。でも、メグミが一番先に出るんだ」

 メグミもうなずいた。


***


 幸い、彼らが庭に出たタイミングで上からイモムシが降ってくることはなかった。

 まず、父親が一人でイモムシの中に右足を突き入れた。

 彼は昔カラーボールのプールで遊んだことを思い出した。例えるならば、そのときの感覚に近かった。イモムシは生きていて、やわらかく、身をよじらせ、つぶれ、中身を出したが、それを無視すれば我慢できた。

 彼が足を沈めるたびに、その上からイモムシが流れ込み足をとろうとしてきたが、それでもどうにか地面を踏んだ。

 次に左足を入れ、膝の上までイモムシに浸かりながらも、彼は立つことに成功した。母親はメグミを父親に抱えてもらってから同じようにイモムシの海の中に立った。彼女は腰近くまでイモムシに浸かることとなった。

 両親は二人でメグミを抱えながら、まず塀に向かって慎重に進んだ。着いたら、塀に沿って出口まで行くつもりだった。

 イモムシたちの流れはおおむね一定の方向だったが、それぞれの個体は勝手に動いていた。両親が歩を進めるたびに大きくうねり、二人はそのたびに重心を取りなおした。何匹かは彼らの足についてはい登ってきた。それでも彼らはメグミを落とすわけにはいかないので、服の上で身をよじるそれらをふり落とせなかった。

 三人とも無言だった。家の二階のふちには、彼らの下半身をうめているものよりずっと太いイモムシがうじゃうじゃしていて、いつでも彼らを飲み込んでしまいそうだった。

 幸運なことに、明らかに異常な事態が外にも伝わっているらしく、塀の向こうでは騒ぎが起きていた。そして、聞こえてくる言葉によると、外にはイモムシがいないようだった。

 一歩ごとに足を取られそうになりながら、両親はメグミを抱いたまま塀のそばにくることに成功した。彼らにはい登るイモムシたちは速く、こぼれながらも肩のあたりまできていた。両親は外に声をはり上げた。

「聞こえますか⁉」

 すぐに返事がきた。

「おい、どうしたんだ! 大丈夫か!」

「今から娘をここから逃がします! 受け取って下さい!」

「え? わ、分かった!」

 その答えのあと、すぐに大きな手が塀の向こうから見えた。両親はその手に向かって、メグミを持ち上げ、塀を越えさせようとした。おかげで、二人の肩からイモムシたちがこぼれ落ちた。

 だが、のどについていたイモムシたちは関係なく登りつづけていた。メグミをその大きな手に触れさせる頃には、イモムシたちは母親の口の辺りに到達して、さらに彼女の鼻や目を目指していた。父親の方が、メグミを強く持ち上げ、かろうじて大きな手にわたすことに成功した。

 メグミは無事に外に出ることができた。

 二人はすぐさま体をふるい、顔に手をやり、登ってきたイモムシを払いおとした。イモムシたちはいつの間にか増え、かさを増していたので、夫は腰の下が、妻は腹の辺りまでそれらの群れにうまっていた。

「くそっ。こんなすぐに増えないだろう! なんなんだ、こいつら!」

「そんなことより、早く出ないと」

 その言葉を裏づけるかのように、イモムシの群れはかさを増す速度を大きくしていた。イモムシたちはいまだに増えつづけ、またサナギから出るたびに大きくなっているようだった。

 二人は先ほどと同じ要領で一歩ずつ慎重に進んだ。イモムシのうねりは先ほどよりも大きくなっていたが、メグミをかばわなくてよくなったので最初の頃はどうにかなった。だが、イモムシたちをかき分けて、五歩目には進むことが難しくなり、六歩目で一度止まらなければならなかった。

 どうにかもう二、三歩進んだとき、妻が足をとられかけ、転びそうになった。転べば、群れに飲まれ立ち上がることはできないだろう。あやうく夫は彼女を両手でささえ、はげました。

「もうちょっとだ。ほら、入り口が見えるぞ」

「ええ。でも、なんで入り口から外にはイモムシがいないの?」

「どうだっていいさ。早く行こう」

 彼らには入り口が見えていた。妻の言葉通り外にはイモムシがおらず、玄関に透明な壁があるかのようだった。そして、外には人だかりができていて、メグミも無事にそこにいた。

 メグミは、笑った。

「え?」

 両親がその笑顔にあっけにとられると、群れはうねりを大きくし、二人の体勢をくずすことに成功した。二人は体勢を戻そうとしたが、イモムシの流れは数を増しており、そのまま二人を飲みにきた。

「母さん、手を!」

 父親は妻の手を取ってお互いのバランスを保つことに賭けた。しかし、彼女はイモムシの群れにうまる寸前で、まるで手がとどかなかった。そして、屋根の上からイモムシたちの群れがなだれを打って落ちてきた。二人はなすすべなくイモムシたちがうごめく中に沈んだ。

 父親は目を閉じ、地面に手をついて立ち上がろうとした。耳や鼻に入ってこようとするものは無視した。しかし、いくら手をのばしても、イモムシのやわらかく奇妙に肌ざわりのよい感覚がするだけで、かたい地面の手ごたえはしなかった。足も地面についていなかった。我慢できなくなり、手をふりまわしてイモムシたちを払いのけようとしたが、もう重くてほとんど手が動かなかった。上下左右がイモムシでうめ尽くされていて、体の自由は一切なく、なにも見えず、なにも聞こえず、まるで世界がどこまでもやわらかなイモムシでできているようだった。


 ***


 その後、両親の死体はどうにか発見されたが、イモムシは増えつづけた。しかし、メグミが公共の施設に預けられることが決まり、それが彼女に伝えられるとそのイモムシの山は唐突に消えた。

 その施設に預けられるまでメグミはよく笑っていたが、施設に預けられてしばらくするとまた笑わなくなり、一月も経たない内に前と同じ症状を見せた。そして、もう一月経つとまたあのイモムシが現れ、施設を飲み込んだ。

 以降、メグミが生きていく上で、何度となく関わろうとした人々がそのイモムシの下敷きになった。彼女の現在は知られていない。しかし、最近、国はそのイモムシが最後に発生した場所を封鎖することを決定している。


 読了されましたら、ありがとうございました。

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