海賊の唄
海が燃えている。
「うらあ」
剣を手にうろたえる船員の首をかっさばき、蹴り飛ばして海に捨てた。返り血の金臭さに頬が緩む。
戦だ。闘争だ。略奪だ。
人間がデッキの上から身を乗り出す。総毛だった。銃を構えている。
手近な敵の腕を斬って剣をむしり、銃を構える軟弱者に投擲する。銃を断ち切って胸を貫いた。
「根性なしが」
鼻を鳴らし、未だ火の回らない船室への扉を踏み破る。
貨物船の船室は仕切られておらず、家畜の糞尿と臓物の臭いが充満している。横腹に穴を開けて着けた小舟に、家畜はあらかた移し終えていた。部下が麦束を担いで横切っていく。己の首領に気づく様子もない。
好いことだ、と頷く。収奪は他の何よりも優先される。海に沈んでしまってからでは遅い。
貨物室にいる意味はなさそうだ。船長室へ向かう。臭いを避けるためか、入口が違うが、知ったことではない。壁を蹴破る。
「ゃあっ」
悲鳴。
女がいた。
瓦礫と木片にまみれ、部屋の隅で身をすくませている。
「……あー」
まず、足を下ろした。木片を踏み潰すだけで女がびくりと震える。
「お前、怪我はないか? いや、俺の言葉はわかるか」
女はコクコクと頷いた。怪我がないのか、言葉が分かるという意味か。どちらであれ気にしない。
ぼろきれのような服をつかみ、
「っきゃ」
一気にまくり上げた。素肌が露わになる。
海賊にとって、女も略奪品だ。団員確保の種としても、性の搾取としても。そして最悪、食料としても。
もちろん、見目麗しいならば宝飾品と同等の価値はあろう。あいにく、その趣味がないため近隣村との取引材料にしかならない。
略奪品ならば、どのように使うかは船に戻ってから考えるもの。
それゆえ、傷をつけて価値がなくなるようでは、略奪の長たる首領失格だ。
女は怯えて噓をついたわけでも、言葉も分からずただ従ったわけでもなさそうだった。
肌は荒れていたが、体つきは驚くほど豊満で栄養状態がさほど悪いわけでない。
しかし古傷が多く、生成りがいいとは言えなかった。貴族の娘ではなさそうだ。貴族の箔が付かなければ取引材料としては格が落ちる。
おまけに、脇腹からへその近くまでざっくり引き攣れた傷痕がある。目立つ古傷があると、値打ちはますます下がる。この女の価値は胎しかなかった。
ため息をつき、細かな擦り傷に火酒をかけて汚れをぬぐう。服を戻すと、きつく目をつむっていた女は唖然として目を瞬かせた。
視線の意味に気づいて、眉間にしわを寄せる。
「船が燃えてるんだ。盛ってる暇なんかあるか」
女から離れ、急に振り返る。
逃げようと手を突いていた女は肩をすくませた。
湧き上がった笑みを頬に刻み、女を脅しつける。
「逃がすと思ったか? お前も俺の獲物だ、馬鹿が」
びくびくと震える女が、ボロ服の後ろに手を回した。じゃらり、と音が鳴る。
「お願い……見逃してください……」
宝石、装飾品、そのほか金目のものが細い指から溢れている。
黙って女の前に屈み込んだ。小さい手からむしり取り、女をど突いて座らせる。鼻先に指を突きつけた。
「逃げるなよ」
女は絶望したような顔をした。
女のことはさておいて、船長室を荒らしていく。金目のものを探すが、ろくなものが残っていない。宝石があったと思しき鍵付きの引き出しには荒々しく持ち去られた跡があった。ここの船長は自分の船を見捨てて逃げようとしたらしい。
(まあ、今ごろ海の藻屑だろうが)
差配は周到だ。素早く船を座礁させた後に、小回りの利く小舟で船を包囲する。一人も見逃さないだけでなく、ギリギリまで略奪を続けるためだ。宝石を服に詰めた男など見落とすはずもない。
足に感じる船の傾きもいよいよ大きくなってきた。貨物室から荷を奪うために開けた大穴の浸水が始まれば、沈没はすぐだ。諦めて女を振り返ると、
女が小刀を振りかざしていた。
「な……馬鹿野郎ッ!」
白刃が閃く。
宝飾品としての剣だけはあり、刃渡りも拵えも大変に美しい。売ればそこそこの価値になっただろう。
「このクソ女」
だが折れてしまっては、数打ちの蛮刀より値打ちがない。
女の首に割り込ませた野太い腕を、小刀が深々と刺し貫いていた。刀はばっきりと二つに折れて、刀身だけが腕にある。
「な、なんで……?」
うろたえる女を、デコピンで弾く。
「ぎっ」
「宝剣ってのは美術品だが、航海中には値打ちが薄い。陸に上がって交換しなきゃ、なんの役にも立たないからだ。金目のものはついでもついで。俺たちが狙うのは水と食料、武器、船材、そして人間だ」
まだ分かっていない女に、首領はポケットから宝飾品を取り出して見せる。彼女から渡されたものだ。
投げ捨てた。
「こんな飾りもんより、俺はお前の方が欲しい」
宝飾品の奥に突っ込んでいた包帯を取り出して腕に巻く。片腕での作業に苦心していると、
「やります」
女が包帯を手に取った。
「ほう。殊勝な心掛けだな。あまり時間はないぞ」
船の傾きははっきりと感じ取れる。すぐにも女を担いで、船から逃げ出さなければならない。
そんな思案をしているときに、女は言った。
「その代わり、条件があります」
「あ?」
唖然とした。船の傾きは女も感じているはずだ。実際よろめいている。
そんな状態で、悠長に交渉だと?
迂闊な顔色を読み取って、女は薄く魅力的な笑みを見せた。
「私が死んで惜しいのは、貴方だけのようですから」
「は」
湧き上がる笑みを抑えるような無粋はしない。はっきりと、頬を笑みに吊り上げる。
こういう気骨のある女が好みだった。巨船を支える竜骨にも似た、芯の通った気丈な女が。
「私を道具にしないでください。雑用でも料理でも何でもやります。でも、女を使われるのは、もううんざり」
そう言うが、この細腕で雑用など勤まるはずがない。料理番だって屈強な大男が大鉈のような包丁と樽のような鍋を扱うのだ。
それも表情に読み取って、女は告げる。
「どうしても女としてしか使い道がないのなら、貴方一人にしてください」
表情だけじゃ収まらない。
湧き上がる愉悦に笑声で応じた。沈む船に似合わない大笑が船室に響く。
要するに、首領に取り入っているのだ。愛妾として、あるいは妻として。この状況で。この偉丈夫を相手にして。
「いい度胸だクソ女」
手当をする時間はない。女を担ぎ、坂道となった床にのっしと立つ。
船に戻ればこっちのものだ。約束を守る意味などない。
だが、わざわざ意識して違える気にもなれなかった。
「お前は俺のものだ。戻ったら、お前に手当をさせる」
「もちろんですわ。貴方が約束を守ってくれる限りは」
くく、と喉を震わせる。この口約束が馬鹿馬鹿しいのはお互いに分かっている。悪い気がしないからタチが悪い。
船長室の入口を蹴り破ると、炎が甲板を覆っていた。ここは使えない。身を翻して壁の穴から部屋を出る。
絶対に女を連れて、生きて帰らなければならない。
それで初めて、略奪したと言えるのだ。
船の壁にサーベルを突き立てる。蹴りをくれて根元まで突き刺し、その裂け目を基点に蹴破った。砕けた丸太がぼろぼろと海に落ちていく。
海原に仲間の小舟が見える。船員が目を丸くして手を振っていた。もう沈む、急げ、と。
船の傾きは大きい。もはや壁に立っていた。
海に落ちると、この巨体を小舟に引き上げる前に船が沈む。押し出されていく空気の泡で巨大な穴を掘り広げながら。沈没船のそばにいては巻き込まれるのだ。
あの小舟は逃げなければならない。そのうえで、飛び移らなければならない。船が海をごぼりと呑み込む。
迷わなかった。
跳躍する。
海が輝き、女が啼いて、高らかに唄った。
海賊の唄を。