停留所
停留所で、私はバスを待つ。
このバスは、誰でも自由に乗れるわけではない。誰がどういう基準で決定を下すのかは決して明かされないが、どうやら抽選で乗車ができるという仕組みらしい。いつ乗車できるのか、本人にさえ事前に知らされることはない。だからバスの時間が近づくと皆、今日こそは乗れるかもしれないという少しの期待を胸にして、停留所に集まってくる。
今日は乗車できるかもしれないし、また空振りに終わるかもしれない。ここに集まり待っている誰にも、この先の運命はわからない。この停留所にやけに老人が多いのは、今が平日の昼間だからであろう。たいがいの若者は、学校や会社に出かけている時間だ。
「あなたは、足腰が丈夫そうで、いいですねえ。この歳になると、丈夫なことは、一財産ですよ」
ここで顔見知りになった初老の男性が、声をかけてくる。確かに、足を引きずり杖をついている彼がここに日参するのは、大変だろう。
「昔、仕事で膝を怪我しましてね。年々自由が利かなくなります。古傷というものは、厄介ですねえ」
左足をさすりながら、言う。
「病気も、同じく厄介ですよ。症状が進んで体がどんどんおかしくなっていくのを分かっていながら、自分じゃ、何も手を打てないんですから。人間て結局、歳をとったら、健康でないと無力ですね」
停留所の待合の長椅子の端にちんまりと腰かけた老女も、話に加わる。見たところ、歳は90に近いのではないだろうか。もともと小柄な彼女は、腕も首筋も鶴のように痩せて細く、そこに経年の皺が刻まれていて、枯れ枝のようだ。見ていてなんだか痛々しくさえある。
私は昔から体が丈夫で、怪我も病気もしたことはない。自由な時間があり余って退屈だから、旅行でもどうかと思っているのだ。定年後に自由な時間ができたら必ず全国を旅行して回るんだ、とずっと夢見ながら仕事に励んできた。思えば私の仕事人生は、体力的にも精神的にも、激務だった。健康が取り柄の私だから耐えてこられた、という自負はある。途中で体や心を病んで戦線離脱していった仲間も、少なくはなかった。
× × ×
今日も停留所で、バスを待つ。この停留所には一日に数回、バスがやってくる。
幸運にもそのバスに乗る権利を獲得した人は、白手袋の乗務員から名前を呼ばれる。私はいつも、乗車名簿をチェックする彼の手元にばかり注目しているものだから、恥ずかしながら彼の容姿の特徴に関しては、きっちりと制服を着込んでいること以外、何一つ印象に残っていない。名前を呼ばれるやいなや、振り返りもせずさっさと車内に乗り込んでいってしまう人もいれば、「お先にどうも、失礼します」と、停留所の皆に向かって丁寧に頭を下げていく人もいる。
そのバスに乗れさえすれば誰でも、「いいところ」に連れていってもらえるという噂だ。そこはすごくいいところらしい。だから誰も帰ってきた人はいないと言う。少なくともこの停留所に、再び戻って来る者はいない。戻って来た者がいないのだから真相も聞けず、バスの行先に関する詳しい話は、誰にもわからない。
けれどみんな、ただひたすらそこに行くのに憧れて、ここに集まる。選ばれて、乗車名簿の中に自分の名が読み上げられるその日が来るのを、心待ちにしながら。
ところで、いずれ名簿に記載される予定の、肝心の私の名前は、何と言ったっけ?思い出そうとすると、頭がもやもやする。と…と…、徹?いや、俊朗だったかな?ひょっとすると、藤堂か?「トーさん」と呼ばれるから、きっとそんなところだろう。まあいい、名前など、おそらくたいした問題ではないだろう。
わたしのことを「トーさん」と呼ぶ人間は、二人いる。一人は男で、もう一人は女。女が男のことを「兄さん」と呼んでいるからには二人は兄妹なんだろうが、中年となった今、容姿を比べてもはっきりとしない。
兄は、短気な性格みたいだ。せかせかといかにも忙しそうにしていて、些細なことですぐにプンプン怒り出す。対して妹は、歯がゆいほどに気弱だ。怒りっぽい兄に気を遣いすぎて疲れ、気がおかしくなっているのではないだろうか。すぐめそめそと泣き出しては、「トーさんは、今までの人生でずっと背負ってきた重い鎧を脱いだだけ」とか「責任も重圧も苦労もみんな全部を返納して、トーさんは自由になったから」とか、ちんぷんかんぷんなことを言いながら、兄の怒りを削ごうとする。だけど私は最初から鎧なんか着てはいないし、大層な名前のその何かを返納した憶えもない。
案の定、そんな的外れなとりなしでは、短気な兄の不機嫌が収まるわけがない。水道代金の領収証がどこにあるか分からないとか、電話の請求書が何年分も封を切られていないこととか、本当に細かいことにこだわって、彼はいちいちに腹を立てている。
怒ってはなだめることを繰り返すこのおかしな兄妹は、何のためか最近頻繁に、私のところに訪れる。
「トーさん、壁なんか見つめて、またぼんやりして。他人事みたいな顔をして、いったい何を眺めているんだい?」
兄の言葉は、今日も険を含んで容赦ない。妹は私に優しい。持参してきた饅頭を出し、いそいそと茶を淹れて勧めてくれる。不機嫌な兄は「菓子なんかいらない」と、先ほど妹に言い放った。じゃあ、余ったその饅頭は、どうなる?いらないというのなら、私がもらってもいいのだろうか。これ、けっこううまいぞ。
二人は、私を入院させるとか引っ越しさせるとか言って、何やら相談をしている。馬鹿言っちゃあいけない。私の体にはどこも悪いところはない。引っ越さなきゃならん理由もない。だいたいそんなことをしたら、誰がこの家を守り、毎日の仏壇の火入れをするというんだ?妻は律儀できちんとした性格だったから、一日でも線香を欠かしたらきっと、その日ずっと、心が落ち着かずに過ごすに違いない。そんなかわいそうなことはできないだ…ろ、、、。
ろ??…おや?「ろ」とは何のことだ?えーと、私はいったい、何の話をしていたのだったかな?
おお、間もなく3時になる!兄妹の来訪に気を取られて、うっかりしていた。バスの乗車時間が迫っている。停留所に行きそびれて、せっかく名前を呼ばれたのに聞き逃しては、大事だ。
私は停留所でバスを待つ。遠くで声が聞こえる。
「…さん、トーさん!聞いているのかい?おい、トーさ…」
こんな場所で騒ぎたてる、非常識なやつもいるもんだな。聞き逃したら、困るだろう。聞き逃したら…。
ん?何を聞き逃すというんだ?そもそも「キキノガス」という言葉、そんな単語は今初めて聞いたのだが、それは英語か?どういう意味なのだ?
長く生きるって、どういうことなのか。認知症って、どんなものか。
まだ身近な経験がほぼない私の、これは想像でしか、ありません。
辛い人生修行を勤め上げた後に一息つくための、ほっこりのんびりできる休息の時間であってほしいなあと思います。
あんまり長く休息されるときっと、傍でまだ働く者にとっては腹立たしくもなるから、程よい頃合いで乗車できるといいのですけれど。