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ケンの物語

作者: 空き箱

「A子さん、まさか 不倫旅行?」

「やだ、なに言ってるのそんなんじゃないってば。女子会旅行よ。なんなのよいきなり」

A子は思わず辺りをうかがう。

とうにランチタイムの終わったレストランには他に人影はない。

「もちろんA子さんが誰とどこへ行こうが僕にとってはどうでもいいことですよ。でも絶対にサトシには知られてはいけません。いいですね」

「だから違うったら。なによケン。おかしいわよなにそんなマジな顔して」。


ケンはA子の経営する翻訳関係の個人事務所の近くで洋食屋を営む若者だ。若者といっても妻と娘がいる30代前半の男性で、A子にとっては年の離れた弟のような存在である。ナポリタンから本格タンシチューまで懐かしい昭和の味が手軽に楽しめる洋食屋としてここ東京下町ではちょっとした人気店である。30席ほどのこじんまりした店だが「町で見つけた本物の味」と言う美食雑誌に取り上げられてからたちまち名が知られるようになり、客足が途切れることがない。A子はいつも時間をはずして行くようにしている。


いつものように遅めのランチを取った後で、「そういえば」と言う感じで来週いっぱい事務所を休むことを告げたのだった。


「来週私ちょっといなくなる。サトシが野球の合宿だからその間を利用して友達と旅行に行くの。今年は忙しくて夏休みも取れなかったし東北に紅葉でも見に行こうかと思って」

さりげなく言ったつもりだったが、カウンター越しにA子の顔をじっと見てケンが放ったのが冒頭の言葉だった。


サトシというのは小学校5年生になるA子の息子である。 

40歳を越してから授かった1人息子だった。

夫は随分前から海外で事業をしていて、会うのは半年に一度。連絡も月に一度程度しかない。生活費の送金も滞りがちでおおかた向こうに女性がいるのだろう。昔から女遊びが絶えない男だったからA子ももうあきらめている。幸い1人息子を食べさせていけるだけの経済力がA子にはあるし、最近ではもはや離婚しない理由がシングルマザーということがサトシの将来にマイナスの影響を与えなければいいがということくらいしか見つからないのだった。


ケンはA子の顔から視線を外さない。

「なに?」

「A子さんわかりやす過ぎです。気をつけてください」

「なにがよ」

「最近ヘアスタイル変えましたよね。化粧や服の好みも変わったし、なんか雰囲気変わったなあって思ってたんです。男ができたんですね」

「だから違うったら! それにそんな言い方やめてよ。そんなんじゃない私たちは」

ケンを鋭く睨みつけたA子だったが自分の言葉にはっと気づき、うろたえ、そしてケンの静かな視線に思わず目を伏せる。

「あなたには敵わないわ。参ったわね。でも大丈夫よ。サトシには気づかれてないと思うし、これからも絶対に気づかれないようにするから」

「やっぱり思ったとおりだ。いいんですよ。よかったですね。A子さんがずっと一人で頑張ってサトシ育てて来たの僕、見てましたから、A子さんには絶対に幸せになってもらいたいって思ってました。今のA子さんには離婚もひとつの選択だと思います。でも恋人のことは絶対にサトシには隠してください。知られないでください。せめて大学生になるまでは。頼みます」

「ケン、どうしたの。サトシのことをそんなに心配してくれるのはうれしいけど。いつも冷静なあなたがおかしいわ」

「すみません。ちょっと母のことを思い出してしまって」

「お母様?」


ケンとの付き合いは10数年に及ぶからケンの家庭のおおよその事情は知っていた。ケンが大学を卒業して間もなく母親が癌で亡くなったこと、父親がその後別の女性と大阪に住んでいること、ケンがことあるごとに母親の墓参りに行っていること、父親とは疎遠になっていること、年の離れた弟がひとりいて遠方に住んでいることなどだ。


「お母様ってたしか早くに亡くなられたのよね?」

「ええそうです。でももし僕が母のことをもっとちゃんと考えてあげてたら母はきっと死ななくて済んだ」

「でもお病気だったんでしょう?」

その日、A子は図らずもケンの母親の話を聞くことになったのだった。


ケンの父親は東京下町の町工場の息子で若いころは外国車を乗り回し、繁華街で飲み歩くドラ息子だったらしいが父親の急死により図らずも会社を受け継ぐことになってしまった。

一方厳格な父親の元で育てられたケンの母親はひょんなことから知り合ったそんなプレイボーイの2代目社長に夢中になってしまい、父親の反対を押し切って家出をするような形で結婚してしまったのだそうだ。

「男に免疫がなかったんですよ。甘い言葉とバラの花に、世間知らずだった母はイチコロだったんだと思います。父親は調子のいい男で、見てくれだけはよかったですからね」

鼻筋の通った端正な顔立ちのケンを見ているとなるほどと思わされる。この店にはケンの料理だけではなく、イケメンシェフの顔を見に来るのが目的と言うような女性客も多いのだ。それなのに当のケンは女にまったく興味を示さず、A子はひそかにゲイを疑っていたほどだったので、ケンに婚約者を紹介された時は内心安堵したものだ。ケンの妻は短大を卒業してすぐに近くの信用金庫に勤めていた控えめな可愛い女性で、二人の結婚を祝う会にはA子も出席して姉のような立場で祝辞を述べたのだった。結婚してからのケンはますます仕事に励み、間もなく生まれた一人娘を目に入れても痛くないほど可愛がっている。いい料理人であるばかりでなく、誠実ないい家庭人なのだった。


さて、そのケンの父親だが、結婚してからも女遊びはやまず、会社の経営はどんどん悪くなりついに会社は不渡りを出して倒産、ケンの父親は妻子を置き去りにして1人海外へ逃亡してしまった。


債権者から逃れるためケンの母親は子供たちを連れて実家に身を隠す。

ケンの祖母に当たる人は亡くなっていて厳格な祖父が東京郊外の実家の敷地内にある離れにケンたち親子3人を住まわせてくれたそうだ。ケンが10歳、弟のヒロシが5歳のときだった。


「母は朝から晩まで色んな仕事を掛け持ちしてました。祖父からはお金をもらってなかったと思います。ここに置いてもらえるだけありがたいって言ってました。祖父は僕たちには優しかったけど、母と祖父との関係は修復したとは言えず、実家といっても居心地は悪そうでした。

母は休みになると僕たちを外へ遊びに連れて行ってくれました。デパートの食堂でオムライスを食べさせてもらうのがすごく楽しみだった。母が苦労してるのがわかってたから僕はクリームソーダもねだらなかったしおもちゃも買ってもらわなかった。弟にも僕からそういって我慢させてました。

でもあるときから母が1人のおじさんを連れてくるようになったんです。昔の同級生だとか言っていました。おじさんは僕たちにおもちゃを買ってくれて遊園地で遊ばせてくれて食堂でハンバーグを食べさせてくれてクリームソーダも注文してくれました。弟はすごく喜んでいたけど、僕はなんだか嫌だった。母がおしゃれしてるのが嫌だった。おじさんといるときに嬉しそうなのが嫌だった。おじさんが母をちゃん付けで呼ぶのが嫌だった。背広をちゃんと着て、明らかに自分の父より人間的に信頼できそうな人だというのが嫌だった。



そしてそれからです。「ケンちゃん、お母さん今日仕事で遅くなるからヒロシのことお願いね。先に寝ててね」そういって母が夜遅く帰ってくることが多くなってきたのです。

最終バスがうちの近くのバス停に着く時間は決まっています。

弟が寝ているのを確かめると僕は布団から抜け出しバス停まで走っていきました。最終バスが向こうからやってくるのを見るとバス停の陰に身を隠して母の姿を探します。母の姿を見つけると、すぐに全速力で家へ走って帰り布団に飛び込みました。走って帰るときは涙が出てきました。母が帰ってきた安堵感と母があのおじさんと会っていたんだということを知る哀しさと。最終バスの中の母はとても綺麗だったからです。

母は帰るとすぐ僕たちの様子をそっと見に来ました。寝たふりをしている僕の布団を直してくれる母の手は冷たく、優しかった。

僕はおじさんが大嫌いになりました。

そしておじさんに何も買ってもらわない、一緒にいても絶対に楽しそうにしないと決めました。

おじさんがどんなに勧めてくれても、おもちゃもクリームソーダも靴も服も全部要らないといって首を振りました。


母があるとき僕に聞いたんです。ケンちゃん、おじさんのこと嫌いなの?って

僕は歯を食いしばって答えなかった。下を向いてました。お母さんはあのおじさんが好きなんだと思うとなんか涙がこぼれそうだったから。母もそれ以上何も聞かなかった。

でももう休みの日におじさんが現れることはなくなりました。


それから間もなくです。

母が神妙な顔をして祖父のいる母屋に僕たちを連れて行きました。そして祖父の前で頭を下げて言ったのです。

僕たちの父親の居場所がわかったこと、自分もそっちへ行くこと、

ひいては子供たちをよろしく頼むと言うこと、生活費は向こうから送るということを。


僕はびっくりして、お母さん行っちゃうの?行かないでいい子にしてるから行かないでと泣きました。弟も泣いて、母も泣いて本当にその夜は世界が終わるかと思うくらい泣きました。僕は母がそばにさえいてくれるならおじさんと会ってもいいからと言いたかったけど、どうしても言えませんでした。母の決意は固く、祖父も夫婦なのだからそれがいいだろうと言い、僕たち兄弟は祖父に引き取られることになったのです。


祖父は責任感のある昔気質の人間だったので僕たちをきちんを育ててくれました。学校の連絡帳にも目を通してくれたし保護者会にも来てくれました。習字を教えてくれ、休みの日にはデパートの食堂にも連れて行ってくれました。ハンバーグ定食を食べるように言われたけど僕はいつも母と食べたオムライスを注文しました。

約束どおり母からは祖父にお金が、僕たちには手紙が送られてきました。

手紙には父親と一緒にレストランの皿洗いをして一生懸命働いていること、もうすぐ借金の返済が終わるからそうしたら帰れること、それまでおじいさんの言うことを聞いてしっかり勉強するようにということが書かれていました。

父親からは一度も手紙が来ることはありませんでした。

 

それから4年後、本当に母は帰ってきました。父も一緒でした。僕は中学2年生になっていました。元の離れで4人で暮らすようになりましたが祖父が間もなく亡くなり、僕たちは母屋で暮らすようになりました。でも母の苦労は相変わらずでした。父親は定職につくことはなく、生活費を母が稼ぐことに変わりはなかったのです。

僕は祖父といた頃から料理を担当していたので家事をやり、母の負担を少なくするようにしていましたが、父は1人でパリッとした格好をして趣味の社交ダンスに興じていました。

僕は父親が大嫌いでした。顔だけはよかったようですが、今でも父に似ていると言われるのが嫌でたまりません。母を苦しめた男の顔に自分が似ていると言うのは皮肉なものです。

僕は母に笑顔でいてもらいたかったので一生懸命勉強していい成績を取りました。料理を母に褒められたので、母にずっとおいしいものを作ってあげられるように料理人になりたいといったら、思いがけず母が猛反対し、大学を出て堅いお勤めをして欲しいと泣かれました。祖父が残してくれたいくばくかの遺産を母は僕たちの教育資金として手を付けずに取っておいてくれていたのです。母の涙を見ることは一番堪えたので、仕方なく料理人になることはあきらめ、大学の工学部に入ってエンジニアになりました。母はとても喜んでくれました。そして僕が一般企業に就職が決まり、弟が大学に入り寮生活を始めた頃、母がこう言い出しました。

あなたたちも大きくなったことだし、お父さんと離婚しようと思っている。

私は家を出て行って1人で暮らす。住み込みの家政婦でも何でもしてこれからも働き続けるつもりだから家もお金も何も要らない。1人で出て行く。あなたたち大丈夫ね?

僕はびっくりしたけど母がそうしたいならそうしてもいいと思ったし、弟もまあいいんじゃないの?と言うクールな反応でした。

でもそれから間もなく父親から電話がかかってきたのです。

大変だ。お母さんが離婚してこの家を出て行くと言っている。お母さんの一時の気の迷いに違いない。俺はお母さんがいなければ困る。お前たちで何とか説得してくれ。万が一お母さんが戻らないならお前たちがちゃんと俺の世話をしろ。


そのときの僕の脳裏に浮かんだのはこの父親の世話を押し付けられるのはごめんだと言うことでした。

父はこうも言いました。

夫婦はどんなときも一緒にいるのが当たり前だろ。外国にだって一緒に来てくれた。そういう女なんだあいつは。お前たちが説得すればきっと離婚も思い直すさ。それにここに生まれ育った家があるのにいまさら住み込みの賄い婦だの掃除婦だのって体裁が悪いじゃないか。


そして最初で最後の家族会議が開かれました。

父親は哀れっぽく嘆願したり脅したりして母親に思いとどまるように訴え、僕たちも、50になろうかと言う女が1人で生きていけるほど世の中は甘くないと思う。おじいさんの残した家にこのまま住み続けるのが一番いいのではないか。お父さんも反省していることだしお母さんここはひとつなどと説得の方向に向かったのです。

ケン、あなたまでそういうのね・・

そのときの母親の何もかも諦めたような目の表情を僕は生涯忘れることはできません。  


父親は離婚が回避されるとたちまち元の自堕落な生活に戻りました。相変わらず全てを母に押し付けて自分だけ外で派手に遊びまわり、新しい女も出来たようでした。

家族会議から一年余り。母に癌が見つかりました。しかし母は病気と闘うことを一切しませんでした。

病気がわかってからの母は、手術はもちろん、僕がどんなに薬や治療を勧めても黙って首を振るばかりでした。

母はもう生きる気力を失っていたのです。この世にもう母にとっての救いはなく、病気になって死ぬことだけが母が苦しみから逃れられる唯一の方法だったのでしょう。病気がわかってから僅か一年足らずであっと言う間に逝ってしまいました。僕はどんなに後悔したことか。子供のとき、母親に好きな男を諦めさせたこと、そして離婚のチャンスを奪ったこと。全部僕のせいなんです。

僕が母を自由にしてあげてさえいれば母はもっと自分の人生を生きられた。

母の名前は幸せの幸子なのに母の人生は幸せではなかったんです。その邪魔をしたのが僕だった。僕は母に謝りたかった。でももう母はいない。

僕は会社を辞めて料理人になりました。母が好きだった洋食の料理人になって、どの料理も母にささげるつもりで作ることを決心したのです。


A子は溢れる涙を抑えることができない。

ケン。あなたの作るオムライスはお母様にささげるオムライスだったのね。だからあなたの作るオムライスはあんなに優しい温かい味がするのね。ケンがまるで自分の顔を恥じてでもいるように、自分目当ての女性客に目もくれず、ひたすら仕事に励み、妻と娘をなにより大事にしている理由が初めてわかった気がした。

何かを言いたかったのに言葉にならずハンカチを握り締めて涙を拭き、チーンと鼻をかむ。

ケンははっと我に返ったように咳払いをすると言った。

「まあそういうわけでね、僕のことはどうでもいいんですけど。

男の子って言うのは勝手なものでいつまでも母親には自分だけの母親でいてもらいたいものなんですよ。A子さんが最近生き生きしてるのはすごくいいことだと思ってました。だけどサトシには絶対知られないようにしてくださいね。最近そわそわしすぎて端から見たらバレバレですよ」


「わかった。心するわ。でも私は恋も仕事も子供も全部あきらめたくない。

きっと自分の手で幸せをつかむ。お母様が生きられなかった女の人生を私が全うします。暴走しそうになったらケンの言葉をきっと思い出す。サトシを傷つけるようなことだけは絶対にしないって約束するわ」


A子の脳裏には暗い夜道を一人ぼっちで走る少年の姿が浮かんでいる。少年は幼き日のケンでありサトシでもあった。この子をきっと泣かせたりはしない。

そして幸子さん、とこの世では会うことが出来なかった1人の女性に向かって語りかける。あなたが大切に育てた息子さんは素晴らしい男性に成長しました。あんないい子をよくお育てになりましたね。母親としての責任を全うしたあなたを心から尊敬します。私はあなたの無念を晴らします。悔いのないように女の人生を精一杯生きて行きます。


まずはこの不毛な結婚生活にけりをつけることから始めようと離婚の決意を固めたA子だったが、夫が海外で交通事故に遭い、女にも捨てられ、何もかも失って車椅子姿で帰国してくる日が遠くないことをこのときのA子はまったく知らないのであった。

身体障害者になった夫とまだ小学生の息子と自分の仕事、そしてやっと見つけた自分の恋をどう貫くのか、A子の物語はまだ終わらない。


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