生い立ち
彬子が今の彬子となるまでの間、何があったのか知るものはいない。
彬子は孤児だった。しかし、引き取り手が現れた。彬子が二歳の時だ。柔和な青年だった。青年は子供を探していた。自分の跡継ぎにするためだ。養護施設などを回り、子供を探した。ある養護施設で出会ったのが彬子だった。
もちろん独身男性には子供を引き取ることは出来ない。しかし、抜け道はあるものだ。男は金を用意し、夫婦として彬子を引き取る書類を作成した。
二歳といえば、可愛いさかりだ。しかし、男は彬子におもちゃとしてナイフを与えた。手や体を傷つけ泣く彬子。それでも彬子のおもちゃはナイフだった。
三歳になった時、彬子はナイフ投げの練習に取り組んだ。上手くできると、養い親である男が誉めてくれる。それが嬉しくて、彬子は熱心に取り組んだ。
そして四歳、体術を男から教わった。勉強もこの頃から始まった。あらゆる語学はもちろん、小学生から大学生までの知識を詰め込まれた。
彬子が五歳の時、男はふらりといなくなった。しかし彬子は男から教えられたことを繰り返し練習し、忘れないよう鍛練に励んだ。
彬子たちが暮らしていたのは、日本のとある山のなか。人が入るにはいり組んでいて危険なため、山に入る人はいなかった。彬子たちは、自給自足の生活だった。畑を耕し、遠くの水場まで毎日水を汲みに行く。崖を登り降りし、いつの間にか運動神経は研ぎ澄まされ、体力も並みではなくなっていた。しかし、五歳の彬子は知るよしもない。何故なら、他の人間に会ったことがないのだから。
一月ほどして、男は帰ってきた。たくさんの武器を携えて。そして、帰って来るなり、特訓が始まった。今度は棒術、拳銃の扱い方など様々な武器での戦いを仕込まれた。特に体術は、武器が無くなった時には身一つで戦わなければいけないからと、念入りに指導された。その他にも応急術は看護師に匹敵するものだった。自分の怪我は自分で手当てするのだ。
そして、剣。これが彬子にとっても男にとっても最も重要なものだった。
男は「黒龍剣」の使い手だったのである。