第8話:燕尾服の騎士と、光り輝く処刑台(シーズン1最終回)
第8話:燕尾服の騎士と、光り輝く処刑台
国内最大級の競技ダンス大会『ジャパン・オープン・マジェスティ』。
豪華絢爛なシャンデリアが輝く日本武道館のフロアは、熱気と緊張感に包まれていた。
「……結衣さん。最後に、ひとつだけお願いがあります」
控室の鏡の前で、漆黒の燕尾服に身を包んだ零が、消え入りそうな声で呟いた。
ベージュに染められた、ゆるふわ縦ロールの髪は、結衣の手によって完璧にセットされ、その顔立ちは「絶対零度」と呼ぶにふさわしい、冷徹なまでの神々しさを放っている。
「なによ、弱気なこと言ったら承知しないわよ」
「僕がフロアで力尽き、観客の皆さんの不快指数が限界を突破して暴動が起きたら……僕のことは放っておいて、あなただけは裏口から逃げてください。この燕尾服は、僕が汚した床の清掃代として置いていきますから……」
「……あんたね。いいから黙って、私の手だけ握ってなさい」
結衣は自分の震える手を隠すように、零の冷え切った手を力強く握った。
借金返済、教室の存続、そして何より――この「100億点のゴミ」を、世界の中心で輝かせたいというエゴ。彼女の脳内計算機は、すでに勝利の期待値でオーバーヒートしていた。
そして、ついにその時が来た。
『エントリーナンバー44番。氷室零、佐倉結衣ペア!』
フロアに一歩踏み出した瞬間。
会場を埋め尽くした数千人の観客から、地鳴りのような悲鳴が上がった。
「キャァァァァァーーーッ!!」
「嘘でしょ、CG!? 生身の人間なの!?」
零の耳には、その歓喜の絶叫が「史上最大級のブーイング」として届いていた。
(ああ……やはりそうだ。僕のような者が、こんな聖域に足を踏み入れた報いだ。皆さんが怒っている……『早く消えろ』と、地獄の底から叫んでいるんだ……!)
恐怖で顔面が完全に凝固する。だが、それが周囲には「王者の風格」にしか見えない。
音楽が鳴り響く。種目はタンゴ。
「結衣さん……もう、逃げ場はありません。せめて、皆さんの視線を汚す時間を1秒でも短くするために……最速で終わらせますッ!」
零のホールドが、結衣を力強く引き寄せた。
あまりの力強さに、結衣の心臓が跳ねる。
「(なっ……零!? 動きが練習の倍以上速い!?)」
零にとって、このステップはもはやダンスではない。
観客の視線という名の「銃弾」から逃れ、一刻も早く闇の中に隠れるための、必死の逃走ルートだった。
鋭い首の返し。
床を切り裂くような高速のプロムナード・リンク。
あまりの恐怖に身を隠そうと屈む姿勢は、シャルルさえ唸らせる深い「オーバースウェイ」へと姿を変える。
「ブラボー! 見ろ、あの『この世の全てを拒絶するような瞳』を! あれこそが私の求めた死のワルツ……いや、タンゴだ!」
貴賓席でシャルル・ボナパルトが立ち上がり、モノクルを落として叫ぶ。
ママさん軍団も、漆原も、琴音も、そして借金取りの鮫島までもが、涙を流してその姿を凝視していた。
「見て、結衣さん……。審査員席のバロン・佐藤様が、顔を覆って震えています……。僕のステップが、ご老人の三半規管に深刻なダメージを与えてしまった……。申し訳ない、申し訳ありません!」
零はさらに加速した。
実際には、バロン・佐藤は「失われた中世の哀しみ」に魂を揺さぶられ、嗚咽を堪えていただけなのだが。
フィニッシュ。
零が結衣を抱きかかえるようにしてフロアに膝をつく。
会場は一瞬、静寂に包まれ――直後、割れんばかりの拍手の嵐が巻き起こった。
「……終わった。ようやく、僕の公開処刑が……」
零は、拍手という名の「石投げ」を覚悟して目を閉じた。
しかし、頬に触れたのは冷たい石ではなく、結衣の温かく、少し無骨な手のひらだった。
「零。……顔を上げなさい。誰も、あんたを笑ってなんていないわよ」
零が恐る恐る目を開けると、そこにはスタンディングオベーションを送る数千人の観客と、満面の笑みを浮かべる結衣がいた。
「……え? 皆さん、怒って……ない? 僕を、ゴミ収集車に詰め込もうとしているわけでは……?」
「バカ。……優勝よ、零。あんたが、私の……このスタジオの、本物の『騎士』になったのよ」
電光掲示板には、全ての審査員から満点を叩き出した「44」の数字。
結衣の目から、初めて計算外の涙が零れ落ちる。
零は呆然としながらも、初めて自分を「資源」としてではなく「パートナー」として見つめる結衣の瞳に、吸い込まれるような感覚を覚えた。
(僕のような汚れた者が……誰かを、笑顔にできた……?)
それは、彼の28年の人生で初めて訪れた、小さな、しかし劇的な「バグ」だった。
数日後。
佐倉ダンススタジオの借金は完済され、入会希望者の列は隣のフラダンス教室まで伸びていた。
零は相変わらず、「僕が通った後の空気を清浄化しなくては」とスタジオの床を涙ながらに磨き上げていたが、その表情には以前のような「狂気」ではなく、どこか穏やかな色が混じっていた。
「零! 次の世界大会の申し込み用紙が来たわよ! 今度はパリよ、パリ! 100億点どころか、1000億ユーロ稼いでもらうんだから!」
「……パリ。……そうですか、ついに僕をギロチンの本場へ。結衣さんの期待に応えるためなら、僕、首の角度を鍛えておきますね……」
「だから、処刑じゃないって言ってるでしょ! もう、このわからず屋!」
二人の賑やかな、しかし噛み合わないやり取りを、大型犬のポチがのんびりと眺めている。
氷の貴公子の物語は、ここから新たなステップへと踏み出す――はずだった。
「……見つけたわ。私の、最高の商品」
スタジオの影から、その様子を冷ややかに見つめる一人の女。
かつて零に「美貌は呪いだ」と刻み込み、彼を捨てた実の母親――氷室雅。
彼女が手に持ったスマホの画面には、スポットライトを浴びて輝く零の姿が映し出されていた。
光が強まれば強まるほど、その影もまた、色濃く深く。
(シーズン1・完)




