王妃の髪
「いいなぁ。二人とも。別にこれからすることないんでしょ?」
正美が口を尖らせる。
「あんた、レギュラー選手になったんでしょ? 部活がんばんなよ」
ちょっと、意地悪く和美が言う。
今日は終業式。午前中で式は終り、和美と裕美は帰るだけだった。
「それにしても、バッサリいったよね」
後ろの話し声に、裕美がちょっと振り返った。
「そう?」
長身の少女がくるっと回って見せる。肩の辺りで切りそろえられた綺麗に真っすぐな黒髪が揺れる。
「なんか、自慢げ」
くすくすと周りの子が笑う。
くるっと回って見せた子は、水野瑠璃佳という、先週までは、腰の辺りまで長く伸びた長い髪が印象的な子だった。
「ねえ、どうして切ったの?」
「ん、秘密」
唇に人差し指をあてて、くすっと笑う。
「えぇ~、教えてよ」
そう言う、長身の瑠璃佳の周りの三人は、取り巻きという感じ。あまり、瑠璃佳とは裕美は話をしたことはない。
瑠璃佳は、この辺りでは名家として知られた家の娘で、言葉遣いもちょっと上品なところがあった。それが鼻につく、という生徒もいたが、瑠璃佳自身はそんなに高慢ということもなかった。常に取り巻きのような生徒がいるので、そう見られているようなところもあるのかもしれない。
瑠璃佳は、もう話は終りとばかりに教室を出て行く。その後を三人が追いかけた。
「水野さんのことでも気になるの?」
裕美の様子に、和美が言う。
「え、いやあ、ずいぶん思いきったなぁ、と思って」
裕美が言いつつ、教室を出て行く四人を見送る。
「あ、お呼びが来ちゃった」
教室を出て行った四人の後から、瑠璃佳よりも長身の少女が顔を覗かせた。
「じゃあね」
別のクラスのバスケット部員が呼びに来たようだ。正美が二人に手を振って離れた。
「頑張ってー、部活」
笑いながら手を振る二人に、振り返った正美はしかめっ面をして見せた。
※ ※ ※
三月末。平日の午後、裕美はのんびりと公園を歩いていた。黄色いカーディガンに白いシャツ、生成のデニムパンツという恰好。カーディガンは母のおさがり。ファッションにそう拘りも無いし、自分で似合ってると思ったらそれでいいので、流行りの服とにはあまり興味は無い、というと、和美には、そういうのがファッションに拘りがあるっていうのよ、と言われた。
午前中、プラネタリウムでゆっくり過ごして、落ち着いた気分でいた。前に同級生と出くわしたことがあったが、今日はそんなこともなく、春休みで小学生くらいの子供を連れた多くの親子連れに混じってプラネタリウムを鑑賞したところだった。
プラネタリウムは街外れの公園内にあったので、帰りは公園内を通って帰るのが裕美は好きだった。春になって、まだ葉の落ちた木々に緑は少なかったが、桜はほぼ満開。モクレンやこぶしは大きな花を開いていた。歩道の両側の植え込みには、菜の花が黄色い列を作っている。
そんな花々にスマートフォンを向けて写真を撮っている人もいる。うららかな春。平日とは言え、学生は春休み。公園に人は多かった。
午後に、正美の叔母の喫茶店に行くことにしていたので、スマートフォンを取り出して連絡しようとしたが、ちょっと座りたくて近くに東屋があったはず、とそちらへ向かった。
東屋の近くに来て、うつむいて背を向けて座っている女性がいることに気が付いた。躊躇して立ち止まった裕美だったが、その女性の方は、裕美の足音に気が付いたのか、顔を上げてこちらを見た。
「城崎さん?」
背筋を伸ばして立ち上がったのは、水野瑠璃佳だった。ブルーグレーのワンピースに黒のブーツ。手を前に組んで、すっと立つ立ち姿は品よく大人びて見えた。
「これからどこか、お出かけ?」
「ううん。プラネタリウムを見てきたとこ」
笑顔で話す瑠璃佳だったが、終業式の日よりも、ちょっと元気が無さそうに見えた。偶然の出会いに、戸惑いながらも東屋に入った裕美だったが、よくよく瑠璃佳の顔を見ると、目の縁が赤いし、うっすらと隈も出ていた。
「なあに?」
思わずまじまじと見つめる裕美に、瑠璃佳が小首を傾げた。
「え、ああ、水野さんは、こんなところで、どうしたのかな、って……」
あまり話をしたことのない相手なので、上手く言葉が出ない。
「わたしは。……約束をすっぽかしちゃった」
そう言って、ふふっと笑う。
「この公園のプラネタリウムって、小学校の社会見学とかで見たったきりね。今日はどんなものやってたのかしら?」
戸惑う裕美に屈託なく話しかける。約束をすっぽかしたとは、ちょっと穏やかじゃない。裕美はそちらの方が気になってしまう。
「えっと。今日は、春の星座についてだったんだけど……」
話始めた裕美に、瑠璃佳は、座りましょうか、と、ベンチに腰を下ろした。しかたなく裕美も並んで座る。
「春の星座の中でも、かみのけ座について詳しく取り上げてたかな」
「かみのけ座なんて星座があるの?」
ちょっと、驚いたような表情。
「そうね。ちょっと変わってるけど……」
かみのけ座は、神々や実在したかどうか分からない人物たちのギリシャ神話の星座とはちょっと異なっていて、アレキサンダー大王の死後にエジプトに打ち立てられたプトレマイオス朝の王、プトレマイオス三世の王妃、ベレニケにまつわる物語が由来となっている。
ベレニケは、遠征に向かった夫プトレマイオス三世が無事に戻ったら、美しいことで評判の自分の髪を女神アフロディーテに捧げると誓った。
夫は無事に帰還し、ベレニケは誓い通りに髪を切って女神の神殿に捧げた。すると、翌日には髪の毛は消えていた。
王と王妃は天文学者コノンを召して、神殿から消えた髪について尋ねた。コノンは、
「神は王妃の髪の美しさと行いとを喜び、空に上げて星座にしたのです」
と、王と王妃に告げた。それが、かみのけ座であるという。
大まかなかみのけ座についての伝説を、裕美は先ほど見たプラネタリウムでの内容と、本などで得た知識を、記憶を頼りに話した。
――なんでこんなことになってるんだろう。
ちょっと、変な成り行きだった。
ふんふんと笑顔で聞いていた瑠璃佳の表情から笑顔が消えて、どうしたのだろうと見つめた裕美の目に、つうっと涙を流す瑠璃佳の顔が映った。その顔がゆがみ、両手を顔に当てると、瑠璃佳は突っ伏して嗚咽しだした。
「ええっ、どうしたの?」
突然のことに、訳も分からず、裕美はおろおろと戸惑うばかりだった。
「間に合わなかったの……」
「え、何が?」
思わず問い返したが、背中を丸めた瑠璃佳から返事は無い。その背中に手を当てたものか、裕美の左手は宙に浮いていたが、震える背中にゆっくりと手を下ろすと、ゆっくりと撫でた。しゃくりあげていた瑠璃佳がゆっくりと体を起こした。
「ごめんなさい……」
無理に笑おうとしている顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
――ハンカチ、よりはティッシュがいいか。
ポケットからティッシュを取り出して、瑠璃佳に渡した。
「えっと、何か、心配事でも?」
恐る恐るという感じで、裕美が聞いた。貰ったティッシュで鼻をかんだ瑠璃佳は、泣きはらした赤い目と赤くなった鼻の横顔を見せていたが、大きく息を吐き出して、裕美の方に向き直った。
「ありがとうございます。私の話を聞いていただけますでしょうか……」
馬鹿丁寧な言葉遣い。教室で見る瑠璃佳の表情が戻っていた。
「あ、はい……」
瑠璃佳が終業式の前に、髪の毛をバッサリと切ったのは、その髪の毛を使って、カツラを作って貰うためだった。
瑠璃佳の母方の祖母は、瑠璃佳のことを小さい頃から可愛がっていて、瑠璃佳もとても懐いていた。その祖母が病気になり、入院して治療をうけていたのだが、治療に使われた薬の副作用で、髪の毛が抜けてしまった。
もともと年で薄くなってたし、平気、という祖母だったが、瑠璃佳はその姿に心を痛めて、自分の髪で祖母のためにカツラを作って貰うことを考えた。両親には反対されたが、切ってもまた伸びて来るし、と押し切って、長く伸ばした黒髪を切ったのだった。
その翌日が終業式の日。その夜に、祖母は病状が急変して、翌日には亡くなってしまった。急なことに動転した瑠璃佳だったが、周囲はそんな事態でも恙無く物事は進められていく。
葬儀の場では、落ち着いた素振りをして見せていたが、まだこのことが現実だとは思えなかっただけだった。
「今日は、外でお食事をすることになってたの」
ちょっと買い物に行くから、と言って家を出て、そのままふらふらと街を歩き回っていたのだという。約束をすっぽかしたというのは、このことだった。
「私の髪の毛は、おばあ様の棺に入れてもらったの。おばあ様にはとどいたかしら?」
そう尋ねられて、裕美は何と言っていいか、返答に困った。こんなタイミングでかみのけ座の話なんて。
「そう、ね。水野さんの気持ちも、髪もちゃんと届いたと思う」
そう言う以外に言葉は無いし、裕美もそう思ってもいた。
「ベレニケの髪の毛みたいに?」
赤い目の泣き顔で、ちょっと笑顔をみせて瑠璃佳が言う。
「うん」
「……ありがとう」
瑠璃佳が裕美の手を取って、そう言った。
公園をでても、二人は並んで歩いた。裕美が帰る方向とは違っていたが、瑠璃佳と一緒に暫く歩くことにした。
「城崎さんとは、前からお話してみたかったの。星の事に詳しいって女の子って、周りにいなかったし」
落ち着いたのか、瑠璃佳の方からあれこれと話しかけてくる。
「うん。まあ、ちょっと変わり者って言われる」
少々自虐的に言っていると、並んで歩道を歩く二人の隣に、キキィっと車が止まった。
「瑠璃佳ちゃん?」
黒い高級車のウインドウが開いて、女性の顔が覗いた。瑠璃佳によく似た顔。
「どこに行ってたの?」
「ごめんなさい」
言葉を交わす親子を、裕美は少し離れて眺めていた。
「城崎さん、今日はありがとう」
車に乗り込む前に、瑠璃佳が深々と頭を下げた。
「いえ、どういたしまして」
つられて裕美も頭を下げた。瑠璃佳が乗り込んだ車が動き出して遠ざかるのを、裕美は小さく手を振って見送った。
「うわあ、疲れた~」
歩道脇の一段高くなった植え込みの囲いに腰を下ろすと、裕美は空を見上げた。
ちょっと予想もしなかった人に出会い、想像もしない重い話を聞かされるとは。それが、プラネタリウムで見た話と絡んでもいる。
――おばあ様、か。
裕美は、今は施設に入っている、自分の祖母のことを思った。母に言って、春休みの内に会いに行こう。
そう思う裕美だった。




