6話 精進料理作る団
グルメ選手権の終幕から、まだ幾日も経っていないというのに、千田界ではまるで年に一度の大祭のような騒ぎが続いていた。
「焼き鮭弁当、うちでも出そうかしら」
「香草ミルフィーユ鮭?あれ再現できるの?」
「五十嵐様のまな板と瑠散くんのフライパン、展示中です!」
「千田さんが八木節レシピ本を出版するって本当?」
街角では香ばしい匂いが漂い、子どもたちは鮭パペットを振り回しながら遊び、各家庭では「我が家の鮭アレンジ」選手権が自然発生するほどの盛り上がりを見せていた。街の料理屋では瑠散と五十嵐さんの料理を真似したメニューが次々と登場し、千田界はちょっとしたグルメブームに沸いていた。
精霊たちも便乗して、「火の精霊風焼き鮭」「風の精霊のふわふわ鮭フライ」なる謎料理を開発している始末だった。
だがその裏で、密かに蠢く影があった。
「な、なんだこの気配……やばい、精進だ!地脈が!」
最初に気づいたのは、千田家の裏庭にいつの間にか住み着いた犬のオヤジさんだった。植木の手入れをしてくれるので千田さんに重宝されている、茶色い毛玉の番犬である。
鼻先をぴくりと動かし、鋭く森の奥を睨んだ。その表情は、まるで「これはただ事じゃないぞ」と言っているかのようだった。
「ワンワン!(みんな、危険だワン!)」
そして、木々を揺らして現れたのは、
袈裟を纏い、つるりとした頭に、静かな笑みを浮かべる修行僧たち。しかし、どこか普通の僧侶とは違う。
その背には巨大な数珠、腰には封印された炊飯釜、手には光る魔力式フライ返し。明らかに料理関連の装備で武装している。
一見平和な精進僧だが、その実態は、
料理泥棒団『精進料理作る団(S.C.O.:Shojin Cuisine Organization)』
彼らは、「強すぎる味」に取り憑かれたこの世界を正すため、あらゆるレシピと素材を封印しにやってきた、味覚の禁欲戦士たちだった。頭を丸めているのに、なぜか全員筋肉質で、明らかに格闘能力が高そうだった。
「ありがたや……素材も味も、煩悩である」
「この地の料理、過ぎた旨味。拝借いたす」
「美味しいものは人を堕落させる」
目標はただ一つ——
金のレシピ巻物。それは、グルメ選手権の決勝で使われた幻のレシピ、焼き鮭の真髄を記した秘伝書であった。あの巻物があれば、世界中の強すぎる味を封印できると信じている。
瑠散のもとへ向かう彼らを迎え撃つのは、もちろん千田界の料理戦士たち。
次に気がついた五十嵐さんが一歩前へ出る。包丁を構えながら、クールに問いかけた。
「あなたたち、何が目的なの?」
「我らは、味に踊らされた愚者を戒めに来たのだ。肉、油、砂糖、塩分、旨味それらは食欲という名の魔獣である」
慈無味導師の弟子の一人が、湯豆腐の術式を構えながら説法を始めた。
「でも、鮭は魚ですよ……?」瑠散が困惑しながら言う。
「……ギリ、セーフだが……美味すぎるのはアウト!脂が多すぎる!」
「そんな理不尽な!」
絶妙な線引きに全員が一瞬黙る。料理泥棒団の基準が謎すぎた。
そこへ荻野さんが手元から炎の竜を召喚!
「じゃあ、こっちも本気でいかせてもらうね。食欲という名の魔獣に乗りこなされろ!」
召喚された竜が吐いた火で、脂の乗った甘味噌バター鮭が瞬時に焼き上がる。芳醇な香りがあたりに広がるや否や——
「煩悩の塊ィィィッ!!」
泥棒僧の一人が匂いの衝撃波を受け、口から湯葉を吐いて倒れた。あまりの美味しそうな匂いに修行が台無しになったのだ。
「南無三!こんな誘惑に負けるとは!」
「湯葉を作ってダウンした……すごいな……」と瑠散が感心している場合ではない。
折茂さんは魔導しゃもじを高速回転させながら突進!
「こんにゃくステーキ、百連発!」
質素だが心のこもった料理攻撃が飛び交う。
周東さんは、三人の娘たちを背に子ども用エプロン結界を展開。調理魔法を発動する準備だ。
「母は、食事で戦えるのよ」
「ママの愛情、火炎放射!」
彼女の言葉に、相手側の僧兵たちが妙に納得した顔になる。
「母は強し……これは真理である」
「なんで納得してるんだよ」瑠散がツッコミを入れる。
五十嵐さんも参戦。静の炎を纏った包丁で、精緻な料理攻撃を繰り出す。
「香草の舞、静寂なる刃!」
そんな中、泥棒団の頭領「慈無味導師」がゆっくりと進み出る。
光り輝く頭部、豪華な袈裟を纏った初老だが、その目には強い意志の光が宿っていた。
「待て。戦いは無意味である」
慈無味導師が手を上げると、戦闘が一時停止した。
「最後に問う。なぜ、そこまで味にこだわる?なぜ、料理に心を宿す?」
その問いに、瑠散はしばし黙し、ゆっくりと答えた。
「美味しいって、気持ちを伝える手段なんだと思います。言葉より前に、『ごはん』で誰かを励ませるんだ。だから僕は、味に、心をこめたいんです」
その言葉とともに、彼は一枚の鮭を取り出し、丁寧に焼き始めた。
炭火でじっくり火を通し、皮目を香ばしく、脂がじゅわりと音を立てる。
仕上げにほんの少し、山椒と味噌を添える。完璧な火加減で、愛情がたっぷりと込められた一品だった。
慈無味導師がそれをひとくち口にした、その瞬間。
「うっ……うま……いや、これはただのタンパク源……だが……この脂の香りと……出汁の深み……や、やめられな……ありがたやーーーーー!!!」
慈無味、諸行無常、堕落完了、チ〜ン。
倒れ込んだ彼の袈裟からは、隠し持っていた出汁昆布エキスと隠し味ノートが落ちた。結局、料理好きだったのである。
「導師!しっかりしてください!」
「だ、だめだ……この鮭、美味しすぎる……修行が……修行がァァァ!」
「みんな!瑠散君の鮭を食べるのよ!」
結局、料理泥棒団は全員瑠散の鮭に陥落。千田さんが
「みんなでお茶でもしましょ」
と仲裁に入り、事件は平和的に解決した。
「質素でも心がこもっていれば美味しいのね……私たち、間違っていたのかも」
慈無味導師は涙を流しながら、瑠散の鮭をおかわりしていた。
千田さん家の裏庭では、新たな料理教室が開かれることになった。
講師は五十嵐さんと荻野さん。時折、周東さんの子どもたちも小さな手で野菜を切っていた。生徒は元料理泥棒団の面々。
「今日は精進料理の美味しい作り方を教えてもらいます」
五十嵐さんが優しく説明する。
「精進料理も愛があれば美味しくなるのね」荻野さんも手を叩いた。
そしてオヤジさんは、ちゃっかりエプロンを着けて助手に昇格。しっぽをふりふりしながら、参加者たちの味見役を務めていた。
「ワンワン!(これは美味しいワン!)」
慈無味導師は「精進料理も愛があれば美味しくなる」ことを学び、質素だが心のこもった料理を作るようになった。弟子たちも、「煩悩を断つより、感謝して食べる方が大事」ということを理解した。
「やっぱり、心がこもってると、味も変わるんだよなぁ……」
そう呟きながら、一枚の鮭を焼きながら微笑むオヤジさんの背には、ほんのりと炎の紋章が灯っていた。
千田さんは満足そうに料理教室を見守りながら言った。
「やっぱり、みんなで仲良くご飯を食べるのが一番よね」
「そうですね、千田さん」瑠散が笑顔で答えた。
千田界は今日も平和である。そして、相変わらず鮭が中心の世界だった。
料理泥棒団も今では立派な千田界の住人として、毎日精進料理教室を開いている。ただし、たまに瑠散の焼き鮭を食べて「ありがたやー!」と叫んでいるのは内緒である。