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4話 焼き鮭試練

「炎の塔」の最上階。そこには静かな緋色の広間が広がっていた。


 空気は静まりかえり、ただひとつ、真紅の火が中央で揺らめいている。壁には「火の心得」という巻物が飾られているが、よく見ると千田さんの字で「八木節の心の炎は消えることはない!」と書いてある。相変わらずである。


 そこにいるはずのゾクヤケシャ様の姿はどこにもなかった。伝説の火の守護者はいったいどこに。


「……試練って、どう始まるんだ?」


 瑠散がそう呟いたその瞬間、火がぱっと花火のように弾け、代わりにそこに立っていたのは——


「待ってましたー!お疲れさまでした!」


 軽快な声と共に、火の中から現れたのは、おしゃれなワイドパンツにフリルブラウスを着こなした若い女性だった。片耳に揺れる炎のピアス、ヘアスタイルは完璧な外ハネ。まるで表参道のカフェから転送されてきたようなオーラを放っている。手にはなぜかタピオカドリンクまで持っていた。


「はじめまして、荻野香凜(おぎの かりん)です!ゾクヤケシャ様の代理でーす。今日のコーデのテーマは『燃える恋と焼き魚』。よろしくね!」


 20代前半といったところか。とてもフレンドリーで現代的な女性だった。ファッションセンスも抜群で、炎の精霊たちすら彼女のスタイリングに見とれている様子だ。


「代理!?ゾクヤケシャ様は!?」

「今、温泉行ってるの。火山の。神様でも疲れるんだって。『最近の若い召喚者は個性的すぎてワシには理解できん』って言いながら出かけちゃった」


 ゾクヤケシャ様、意外と現代についていけない系の神様だった。時代の変化についていくのも大変らしい。


「でも私の方が火とファッションの融合って意味では上だから、たぶん問題ないかなって」


 荻野さんはその自信に満ちた笑顔で、なぜか説得力があった。確かに彼女の周りには炎が美しく踊っており、まるでアクセサリーのように炎を身に纏っている。


 問題がありすぎる気もするが、千田界ではもはや常識など通用しない。


 だが、瑠散が口を開くより早く、荻野さんはパチンと指を鳴らした。


「じゃ、完全なる鮭焼き試練をはじめまーす!インスタ映えも意識してね!」


 周囲の空間がぐにゃりとゆがみ、気がつけば瑠散は巨大な溶岩プレートの上に立っていた。足元から伝わる熱がじんわりと温かい。周囲には火の精霊たちが円を描き、うねうねと踊りながら熱を送ってくる。火の精霊たちも、なぜかおしゃれな帽子を被っていた。


「まずはこれ、鮭の切り身。千田界特産のクリムゾン・サーモン。脂が多いから、油断するとすーぐ焦げるよ。でも上手に焼けたら、めちゃくちゃ美味しいの」


 荻野さんが差し出した鮭は、確かに普通の鮭とは違っていた。ほんのり赤みがかった美しい色をしており、脂の乗り方も申し分ない。これは確実に高級品だ。


「どうやって焼くんですか!?」

「心で」

「……は?」


 瑠散は困惑した。心で焼くって何だ。念力か何かか。


「あなた、火を『使おう』としてるでしょ?違うの。『火にお願いする』の。あなたの鮭が『食べごろ』になるように、『一緒に焼いて』もらうの」

「火に!?お願い!?」

「そう、お願い。火って、実はすごく気分屋なの。でも、きちんと向き合って、気持ちを伝えたら、協力してくれるんだよ?」


 荻野さんはまるでヘアセットのコツを教えるように優しく言った。その話し方に、なぜか説得力があった。


「例えばね、『火さん、今日もお疲れさま』って挨拶してみて。それから、『美味しい鮭を作りたいんです、手伝ってください』ってお願いするの」

「挨拶から!?」

「コミュニケーションの基本でしょ?火だって生き物なの。感情があるの」


 瑠散は半信半疑ながらも、火の精霊たちに向かって小さく頭を下げた。


「えーと……火さん、お疲れさまです。美味しい鮭を作りたいので、手伝ってください」


 すると、火の精霊たちがくるくると嬉しそうに舞い始めた。


「いいじゃん!火の精霊たち、喜んでる!」

「本当だ……なんか温かい感じがする」

「そう、それが大事。火との信頼関係を築くの。まず、自分の中の焦り、迷い、恥ずかしさ——全部、炎に預けてみて。鮭に集中して。鮭と会話して」


 瑠散は目を閉じた。


 荻野さんから教わった通り、まず心を落ち着ける。そして、火の精霊たちに感謝の気持ちを込める。


 彼の周囲を火の精霊が舞う。


 ジュウ……という音が静かに響き、空気に鮭の香ばしい匂いが立ちのぼった。


 心の中で、瑠散は自分の本音と向き合った。


『焦げるのが怖い』


『うまくいかなったら、誰かに笑われる気がする』


『料理が下手な自分が恥ずかしい』


『だけど、本当はただ、誰かに美味しいって言ってもらいたい』


『家族に、美味しい料理を作ってあげたい』


 瑠散の心の声に、火の精霊たちがふわりと集まった。赤く、やさしい光に包まれながら、鮭の表面がカリッと色づいていく。焦げない。丁寧に、愛情を込めて焼かれていく。


 火の精霊たちが、まるで「大丈夫だよ」と言っているかのように、優しく鮭を包んでいた。


「……できた」


 瑠散がゆっくりと目を開けると、そこには完璧に焼かれた鮭があった。表面はパリッと香ばしく、中はふっくらとジューシー。まさに理想の焼き鮭だった。


 荻野さんが拍手をしながら微笑んだ。


「うん、いい火加減!香りもばっちり!真の焼き手の鮭だね!これは確実にインスタ映えするよ!」


 試練の広間が、光と香りで満たされた。火の精霊たちも嬉しそうにくるくると舞っている。


 その瞬間、荻野さんの背中からふわりと炎の翼が広がった。美しく、幻想的な光景だった。まるで天使のような姿に変身する。


「おめでとー!お魚クラスから『火と和(サーモン)解した者(ハーモナイザー)』に昇格だよ!」

「なんか称号がじわじわ来る!でも嬉しい!」


 千田界の階級制度は相変わらず謎だが、確実に成長している実感があった。


「これで君も立派な火の友達!火の精霊たちとコミュニケーションが取れるようになったよ。あ、でも調子に乗りすぎちゃダメだからね。火は気分屋だから」


 瑠散は改めて火の精霊たちを見回した。彼らはくるくると舞いながら、まるで「おめでとう」と言っているようだった。


「ありがとう、火の精霊さんたち。そして荻野さんも」

「どういたしまして!」


 荻野さんは満足そうに頷いた。


「じゃあ、お疲れさまでした!また何か困ったことがあったら、いつでも来てね。私、けっこうヒマだから」

「本当にありがとうございました!」


 荻野さんは最後にパチンと指を鳴らすと、瑠散を元の広間に戻してくれた。


「あ、それと」


 荻野さんが振り返って言った。


「今度、千田界でファッションショーやるから、よかったら見に来てね。テーマは『炎と料理のマリアージュ』よ」

「ファッションショー!?」

「千田さんも参加予定。八木節衣装で」


 想像するだけで楽しそうだった。千田界の日常は、本当に予測がつかない。


 こうして、瑠散の炎の塔での修行は終了した。火と和(サーモン)解した者(ハーモナイザー)という謎の称号を得て、火の精霊たちとの友情も築いた彼は、もう焼き鮭を恐れることはないだろう。


 ただし、称号名のセンスについては、千田界の謎は深まるばかりであった。


 そして火の精霊たちは、瑠散が去った後も嬉しそうにくるくると舞い続けていた。新しい友達ができて、とても満足そうだった。

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