14話 ゾクヤケシャ様登場
千田界の東方、煮え立つ溶岩の湖を越えた場所に、それはそびえ立っている。
赤銅色の石でできた塔、てっぺんには炎がゆらめき、空さえも赤く染まるその場所を、人々はこう呼んだ。
「炎の塔」火の守護者が棲む場所。
その最上階に姿を見せぬまま、長らく人々に伝説として語られてきた者こそ。
ゾクヤケシャ様。
グルメ選手権三連覇を果たした伝説の料理人にして、千田界最高峰の火の使い手。燃える髪、火山石のような瞳、そして背には赤く翻る法衣をまとう神秘的な存在として知られていた。
その日、塔の頂きに雷鳴がとどろき、炎の鳥が空を裂いた。
火の粉をまとった赤き長衣をまとい、塔からふわりと舞い降りてきたのは——
「やっほ〜。お久しぶりじゃな、皆の者。ゾクヤケシャ様、参上じゃ!」
ふわりと揺れる癖っ毛に、炎を思わせる鋭いアイライン。
その下には、豊かな曲線美を惜しげもなく主張する体つきが続く。
法衣の布地は彼女のボリュームある胸元やくびれを際立たせ、動くたびに柔らかなラインが強調される。
まるで法衣そのものが彼女の体を飾るために織られたかのようで、視線をどこに置けばよいのか困ってしまうほどだった。
だがその正体は、かつて小豆農家のうめちゃんと呼ばれていた、気さくで元気なちょっと歳のいったお姉さんだった。
「しーっ!うめちゃんって呼ばないでって言ってるじゃろ!」
塔の周囲の溶岩がピキピキと固まるたびに、ゾクヤケシャ様は機嫌を直しながら咳払いをした。
「最近の若い子たちは、ワシの過去を軽々しく口にするんじゃから時代について行くのも大変じゃわ」
ゾクヤケシャ様は炎の鮭拳法・開祖である。
素手で鮭を焼き、拳の軌道が火となり、最終奥義「炎翔・鮭舞い投げ」で敵も魚も天へと舞い上がるという幻の拳法である。
「炎とエロこそものの上手なれじゃ!」
これが彼女の口癖で、なぜかすぐにエロい話に持っていこうとする困った性格でもあった。
「あ、ゾクヤケシャ様、今日は温泉の話はナシでお願いします」
荻野さんが先手を打って釘を刺すが、ゾクヤケシャ様はにやりと笑った。
「つまらんのう。まあよい、今日は継承の話じゃからな」
その技を受け継ぐ者たちがいた。
五番弟子・荻野さん:都会的でオシャレ、だが拳に宿す炎は師譲り。口癖は「今日のネイル、燃えないといいな〜」
一番弟子の弟子・千田さん:八木節と融合した独自の鮭スタイルを生み出し、踊るたびに周囲の気温が5度上がる。
ゾクヤケシャ様は、弟子たちを見渡してニンマリ笑った。
「荻野よ、おしゃれしながら戦ってるようじゃが、ちゃんと拳の鮭、燃えとるか?千田は踊りすぎてサンマまで焼いてるらしいじゃないか!」
「サンマは偶然です!」千田さんが慌てて弁解する。
「まあよい。今日はもっと大事な話があるんじゃ」
ゾクヤケシャ様は、「炎を与える者」の称号も持つ。
炎の魔法は、拳と心が真っ直ぐでなければ受け取れない。そして何より、エロさが必要だと本人は主張している。
「さあ、立ちなさい、荻野よ!」
荻野さんはネイルを一瞬見つめ、スッと立つと、両手を前に出す。
ゾクヤケシャ様が、両の掌を荻野さんの拳に添える。
「汝の手、汝の心に、燃える炎あれ!そして少しエロく!!」
「エロくは要りません!」
荻野さんのツッコミと共に、ごぉぉ、と空気が震え、荻野さんの拳がほんのり桜色に光った。
「それ、燃え方ちょっと控えめじゃな。上品!でももう少しセクシーに——」
「ゾクヤケシャ様!」
荻野さんは嬉しそうにニッコリ。
「これならネイルも剥がれません!」
ゾクヤケシャ様は、塔の向こうを見つめながらこう言った。
「いずれ、『炎と踊りと植木と犬』を極めし者が現れるじゃろう。その者こそ、ワシの全技を継ぐ最後の継承者となるじゃろうとお告げがあった。」
皆がはっとして振り返ると、そこには、
とーちゃんが、器用に盆栽を手入れしていた。そして足元には、いつも通りしっぽを振るオヤジさん…じゃなくて、とーちゃん本人だった。
「ま、まさか……とーちゃん!?」
千田さんが驚きの声を上げる。
「おい待て、植木はわかるが、犬って何じゃ?」ゾクヤケシャ様が困惑した。
「実は…」千田さんが事情を説明し始めた。
空が茜色に染まり、塔の周囲に火の鳥たちが円を描いて飛び交う。
炎の継承儀式が始まるとき、塔の温度は上昇し、魔力は空間を震わせる。
ゾクヤケシャ様は、堂々と祭壇の中央に立っていた。
「ほほう、犬から人間に戻ったと。面白い経歴じゃな。これは前代未聞じゃ」
その前に並ぶ二人。
一人は、踊れば風が起き、叫べば味噌汁が沸く八木節魔法の使い手・千田さん。
もう一人は、つい先日まで犬だったが、魔法の解呪で本来の姿を取り戻した夫・とーちゃん(オヤジさん)である。
「千田界、開祖以来初の夫婦同時継承者じゃな面白いじゃないか。しかも片方は元犬。これはエロい…いや、エキサイティングじゃ」
ゾクヤケシャ様は、ぐるりと円を描くように空に浮かび、手に鮭柄の杖を取り出した。
「まずは、八木節、踊ってもらおうかのう。普通じゃない方のやつじゃよ?」
千田さんととーちゃんは、目を合わせてニヤリと笑った。
「いっくよ〜、とーちゃん!」
「おうよ!十年ぶりの夫婦共演じゃな!」
そして、足拍子一発。
舞いは八木節、だがその衣装は燃えるような紅蓮の羽織。頭上には提灯、背には炎をあしらった団扇が浮かび、舞うたびに周囲の空気が振動した。
千田さんの太鼓が空に響き、魔法陣が地面から浮かび上がる。
とーちゃんは、植木ばさみを空にかざし、それを軌跡に火を描いた。剪定の技術が、炎の軌跡となって美しい模様を空に刻む。
「そうかい そうかいなぁー夫婦!ヤンチキどっこいしょー愛情!」
その瞬間、二人の足元から炎と花が交じるような魔力が噴き上がる——
八木節魔法eccentric、覚醒。
太鼓を打てば空が鳴り、団扇を振れば炎の蝶が舞う。踊るたびに笑い声がこだまし、魔力が観客の心を踊らせる。
「すごいじゃ!これが、eccentric……!」
「とーちゃんの腰つき、キレッキレじゃな!」
ゾクヤケシャ様は宙を舞いながら、満足げにうなずいた。
「八木節、炎、愛、そして少しのエロさ。これぞeccentricの真髄じゃ。よろしい、認めよう。あなたたちが第六代・炎の継承者夫婦じゃ」
とーちゃんと千田さんに、二本の炎の箸が授けられた。
「この箸で焼く鮭は、ただの焼き魚じゃないぞ。心を踊らせ、魂を震わせる、炎の舞い焼きになるじゃろう」
塔の火がゆっくりと静まっていく中、とーちゃんがふとつぶやいた。
「しかし、十年間犬だったせいで、人間の体がなんだかむずがゆいな」
「あら、とーちゃん。それってもしかして…」
千田さんが意味深な視線を送ると、ゾクヤケシャ様の目が輝いた。
「おお!それじゃそれじゃ!やはり炎とエロこそものの上手なれじゃな!新婚さん気分じゃろう?」
「そーなんですよ、あつあつですよゾクヤケシャ様!」
千田さんは自慢げにしている中、とーちゃんは苦笑いを浮かべた。
「まあ、確かに人間の体に戻れて嬉しいのは事実だが」
「よしよし!若い二人は…いや、もう若くないか。まあよい、熟年の二人は今夜温泉でも」
「ゾクヤケシャ様!」
みんなで声を合わせてツッコミを入れた。
炎の塔の頂上で、千田さんととーちゃんの肩に、火の鳥がそっと舞い降りた。
「まあ、冗談はともかく」
ゾクヤケシャ様は急に真面目な表情になった。
「二人とも、おめでとうじゃ。千田界に平和をもたらしてくれい」
夕日が塔を赤く染める中、新たな炎の継承者たちは、温かい光に包まれていた。
そして遠くから、瑠散の「今日の鮭、うまく焼けました!」という声が聞こえてくる。
「あ、あの子もなかなかの使い手になったのう」
ゾクヤケシャ様は満足そうに微笑んだ。
千田界の平和は、今日もまた一つ、強固なものとなったのだった。
そして、ゾクヤケシャ様はこっそりと温泉の準備を始めるのであった。