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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【三】
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【異想譚】 不撓のひと(終)

 そこからクリスティーナはとことんフェリクスを構いまくった。


 大公が用意した教師の授業はほぼ一日中だったが、昼休憩はその分長い。食事が終わった後は中庭で、クリスティーナとフェリクスは毎日いろいろな会話で盛り上がっていた。

 今も桜桃女史の話題で盛り上がっている。


「分かるわ! エイダすごく腹が立つわよね!」

「やっぱりそうですよね。実のお姉さんを嵌めるなんて、絶対許せません!」


 今日の話題は『北の空の下で』らしい。

 中庭のガゼボに用意された椅子には並んでクリスティーナとフェリクスが座っている。

 なんとなくその向かいに座るエリアスとアレクシスだが、アレクシスはもうすでに興味を失っているらしく、中庭で取っ組み合いをしているザシャとヤンを観察していた。……あの二人、仲良く話をしていると思うと突然喧嘩が始まる。仲がいいんだか悪いのだかよくわからないが、まぁ血の気の多い北峰の民らしい。


 なんとなく興味のある話題なので、エリアスは二人の会話に耳を傾けていた。

「お金のために祖国を売るなんて……考えられないですよね」

 フェリクスは今も目をきらきらと輝かせながら、ちょっとだけほおを膨らませている。どうしよう、すごく可愛い。


「まぁ、あれは実際の話をモデルに作っているからな。確かリア公女は実際に皇帝の妃になってるから、案外祖国を売ろうとした話も真実だったりしてな」


 クリスティーナが楽しそうにいうと、今度はフェリクスが目を丸くする。

「え? そうなのですか?」


「『北の空の下で』はベルンシュタインのジークリンデ様がモデルなんだよ。な、エリアス」

 突然話題を振られて、エリアスは慌てて記憶を巡らす。

「そ、そうだね。ジークリンデ公とカール皇帝がモデルらしいけど……桜桃女史の物語はみんなモデルがいるから……」


「そうなの!? じゃあ『砂漠を巡る月』にもモデルがいるの!?」


『砂漠を巡る月』は放浪の民である主人公カルラが、恋人と引き離されてとある王国に貢物として献上される悲劇の物語だ。


「えっと……確かカール皇帝の祖父のアウグスト皇帝とスーデン人の娘がモデルじゃなかったかな。でも史実では娘は十年後に国に帰還しているはずだから、あのお話の絶望しながら病で亡くなった、というのは創作だと思うよ」


 エリアスの話を一心に聞いていたフェリクスが、えっと声を上げた。

「じゃあ、カルラは最後幸せになれたのかな?」


「どうだろうね」

 エリアスは思わず微笑む。一生懸命なフェリクスが自分をまっすぐに見て話してくれるのは嬉しい。彼女はいつも、自信なさげに俯いて喋ることが多いのだ。

「五百年近く昔の話だから、歴史書に残されていることが少ないんだ。でも、きっと幸せになったんじゃないかな? そうであってほしいよね」


「そうだね。幸せな終わりだといいなぁ」

 蕩けそうな笑顔でそう言った後、フェリクスはそっと周囲に目を配る。そしてエリアスにしか聞こえないほど小さな声で言った。


「やっぱり、エアはぼくと趣味が合うね」

 フェリクスは嬉しそうに目を細め、頬を少しだけ朱く染めてそう言った。

「えっ……気が、ついてたの!?」

「うん。だって優しい目がおんなじなんだもん」


 嬉しそうに笑うフェリクスの顔をぽかんと見つめる真っ赤になったエリアスと、おやおやと目を見開くクリスティーナ。

 アレクシスは興味なさそうにしていたが、口元が楽しそうに緩んでいた。


 そうして秋の豊穣祭の頃には、エリアスとフェリクスは一番の親友になっていた。



 ✖︎ ✖︎ ✖︎



「ちょっと、どうして止めなかったんだ!」

 公城の廊下を全速力で走りながら、エリアスは数歩前を走るヤンに声を荒げる。ヤンは振り返りながら、

「フェリクス様はあー見えて頑固なんだよ! やるって言い出したら止まらないんだ!」


 子供たちの中で一番成績の良いエリアスは、今日は帝国から招かれた特別教師の授業を受けていた。ところが、アレクシスとフェリクスが決闘を始めたとヤンがそこに飛び込んできて、慌てて教室を飛び出したところだ。後で教師とベルンシュタイン大公に大目玉を喰らうかもしれない。


 その王子のお目付役はお前たちだろうが、という文句をエリアスは飲み込む。というか、元々体力のないエリアスは走りながら喋るのは苦手だ。絡れる足を叱咤しながら階段を駆け降りると、すでに中庭には公城の使用人やら役人やらが集まって人垣が出来ていた。


「フェリクス!」

 名前を呼びながら、人垣をかき分ける。

 だがすでにフェリクスは模擬専用の槍を手にして、アレクシスと向かい合って立っていた。


「ちょっ、クリス! なんで止めないんだよ!」

 腕を組んで悠然と観戦体制を決め込んでいるクリスティーナは、意外そうな顔でエリアスを見返した。

「何故って、フェリクスは獅子の双槍を引き継ぐシュテレの王族だぞ? アレクシスはノルデンの半分王族で、あいつも同じくだ。立場的には問題ない」

「問題ないって!」


 大いに問題があるだろう。

 すでに同世代の子供よりしっかり体が出来上がっているアレクシスと、細身で小柄なフェリクス。その体格差は歴然としている。

 慌ててエリアスがその間に飛び込もうとしたその時、フェリクスが地面を蹴った。真っ直ぐに突き出したその槍を、アレクシスは難なく躱す。だがその次の瞬間には、フェリクスは次の攻撃を仕掛けていた。激しい撃ち合いの音が響く。


「……あれ?」

「だから言ったろう。問題はないと」

 思いの外、対等な打ち合いが続いている。アレクシスは剣技も槍技もすでに抜きんでたものがあり、大人相手でも余裕で戦える。少なくとも同世代の子供では、今まで相手にならなかったはずだ。


「そもそもシュテレが持つ『獅子の爪』は女槍だ。体格が小さく力が弱いもの向きの槍技だな。体力問題でそのうちアレクシスの方が勝つだろうが……あまりフェリクスを舐めん方がいい」

 ふん、と鼻息荒く言ったのは、いつの間にかエリアスの背後に立っていたザシャだった。


 エリアスはむっとして、その面長の顔を見返す。

 どうやらザシャは女の子として、フェリクスを好きらしい。だがそのフェリクスが最近はエリアスやクリスティーナにべったりなので、時々こんなふうに牽制をする。だがエリアスが言い返すより早く、クリスティーナが啖呵を切った。


「舐めてんのはお前たちだろうが。お前たち、あの子の可能性を片っ端から潰して」

 そしてぐっと低く、小さな声でザシャを睨む。

「どうするんだ。学園入学までもう時間はないぞ」

 ザシャが眉間を険しくし、何か言い返そうとした、その時。


 鈍い音がして、フェリクスの持つ模擬戦用の槍が真っ二つに折れた。エリアスの位置からはしまったという顔のアレクシスしか見えない。


「フェア!」

 真っ先にエリアスが駆け寄る。

 フェリクスは折れた槍を持って茫然としていた。その額にすっと赤い線が走り、そこにふつりと血の玉が浮かび上がる。慌ててエリアスはそこに自分のハンカチを当てた。


「すまん……力を、入れ過ぎた」

 アレクシスが本心から申し訳なさそうに言うと、フェリクスは水色の瞳をきらきらと光らせながら、エリアスとアレクシスを交互に見る。


「もしかして、ぼくアレクシスを本気にさせたのかな!? ね、アレクシス、ぼくは強かったかい?」

 あまりにも嬉しそうにいうので、アレクシスは驚いたように目を見開いている。

 訓練用の指抜き手袋をはめていても、フェリクスの手は真っ赤になっていた。痛くないはずが無いのに、それよりもアレクシスと戦えたことの方がずっと嬉しそうだ。


「ああ、すごかったよ。フェリクス」


「やった! エア、聞いた? 聞いたよね!?」

 跳ね踊らんばかりに喜ぶフェリクスを見て、エリアスは思わず苦笑する。


「聞いたよ。もう、すごく心配した」

「えっ! エアはぼくを信じてなかったの!?」

「そうじゃなくって! ああ、もう!」


 いつもは守ってあげなきゃいけないような、弱々しい女の子のように思うけど、実際のフェリクスはいつも前向きに、まっすぐ前を向いて戦う子だ。


 この二ヶ月、何度もそれを思い知ってきたのに、またもやエリアスはそれを実感することになった。

「君は本当にすごいやつだよ。フェア」


 エリアスの言葉に、フェリクスはにいっと笑った。とにかく医務室にと、はしゃぐその手を掴んで歩き出す。ふと、中庭を見下ろす窓際に佇む人物と目が合う。


(ヴェルザー卿……)


 彼はこうして、時折フェリクスを観察している。その目にある仄暗い感情が、エリアスは少し怖い。ヴェルザー卿の関心を買おうとしている養子のロルフの事は全く視界に入れようともせず、物言いたげなその視線には一瞥もしないというのに。


 繋いだ手が離れないように、エリアスはしっかり力を込める。隣を歩くフェリクスは何も気が付いていないのだ。



 だが、この時のエリアスは無力で。

 本当に何も出来ないまま、フェリクスを失った。


 あの中庭での出来事の僅か数日後、フェリクスは公城から姿を消した。国に帰ったと説明されたが、何度手紙を出しても返事が帰ってくることはなかった。

 ザシャもヤンも何も知らない、知らされていないという。そしてシュテレ王の自害とフェリクスの病死が公表された。すでに皇都の学園にいた自分たちにはその真偽を調べるすべもなく、ただ出所不明の情報に右往左往するだけだった。


 そしてその次の年の冬、ベルンシュタイン公城内に潜ませていたノルデンの民から、クリスティーナに連絡が届く。ヴェルザー卿が迎え入れた養女がフェリクスその人ではないかという。


 さらにその次の年の夏、ヴェルザー卿の不在の隙をついて公城に忍び込み、その娘と面会した。

 そしてそれが、フェリクスと会った最後だった。



 ✖︎ ✖︎ ✖︎



「ツェツィーリア、顔はフェリクスに似てなかっただろう」

 ぼんやりとノルデン別邸の中庭で立ち尽くしていたエリアスは、ニ階の窓から顔を出すクリスティーナの顔を見て苦笑する。

「お行儀が悪いですよ? 我が王」


「ここにはお前と私しかおらん。気にするな」

 くつくつと笑うノルデン国王は、しばらく前からあの娘をこの屋敷に滞在させていたという。


「ご存知だったのですか? あの子がフェアの娘だと」

「そうかな、とは思っていた。だがそうだとすると、フェリクスは私たちに最後に会ったあの日、すでにあの子を身ごもっていたことになるな」

 そう言うと、ノルデン国王は窓からすぐそばの木に飛び移った。そしてするすると降りてきて、エリアスの隣に並ぶ。


「……そう言うことになりますね」

 エリアスの声は重い。


 ただ、最後に会った時のフェリクスの姿だけが、激しい痛みと共に脳裏に蘇る。


 ちょうどそのひと月ほど前にノルデンの養子ロルフが急遽死亡し、その件で帝国に状況報告か、若しくは醜聞の揉み消しのためか、ヴェルザー卿は不在だった。その隙を狙い、クリスティーナとエリアスは公城に忍び込んだ。


 たったニ年で、フェリクスは変わっていた。

 男装していた頃と違って、髪を結え化粧をしており、いっそう娘らしく、愛らしくなっていた。フェリクスは満面の笑顔で二人を抱きしめて、そして泣いた。会いたかったと言いながら。


「後から思えば、あの時のあの子の化粧は濃かった。抱きしめた体もとても細かったな……何かを隠していたんだろう。私は全く、気が付かなかったが」

 歯噛みするように、クリスティーナが言う。


「私もです。……それどころか、場違いな事を言っていましたね」


 必ず、自分はベルンシュタインに仕えると。

 フェリクスのために、誰よりも頼れる人間になるから、どうか待っていてほしいと。

 それは幼い自分にできた精一杯の告白で、そして正直な感情の吐露だった。


「フェアの事が好きでした。だから、どうしても彼女の将来を共に築きたかった」


 たとえそれが、シュテレの王でもベルンシュタインの大公でも……。


 嬉しい、と言いながら微笑んだ顔をどうしても忘れることができない。フェリクスは、『エアの笑顔がすごく好き。だから、ぼくは頑張れたんだよ?』と小首をかしげてみせた。


「フェアは、我々にも助けを求めなかった」

「恐れたんだろうさ。ヴェルザー卿はロルフの内縁の妻、とうか愛人というか……、その女も子供も秘密裏に処刑している」


 クリスティーナが懐から葉巻を取り出す。魔導具で火をつけ、その煙を味わうように吸った。

 あたり一面に芳しい香りが立ち込める。


「あの子にしてみたら、実の父親より、わたしたちより、何より自分の子供を守りたかったんだろう。だがな、お前のことは本気で好きだったと思うよ、あの子は」


 クリスティーナは苦笑する。

「最後にお前のクラヴァテを欲しがっただろう。覚えていないか?」

「……忘れるわけがありませんが」


 フェリクスははにかんだ顔で嬉しそうに、大切そうにエリアスの手からそれを受け取っていた。


「本気だったと思うよ? 今となっては、もうわからないけどね」


 十四年ほど前、ノルデン、シュテレ両国で魔物の大氾濫が起こった。『災禍』と呼ばれたり、『魔嘯』と呼ばれるそれは、数十年に一度の割合で起こる。備えを厚くしている影響で、年々被害は軽くなってはいるが、それでも多くの民が犠牲になった。


 その災いの最前線、シュテレの開拓村でフェリアと名乗っていたフェリクスは戦い、そして死んだと、アーダム・ランゲが個人的にクリスティーナに告げたのは、今から十年ほど前だ。

 娘の存在を知ったのもこの頃。ただし、年齢や名前などは知るすべもなかった。


「あの頃からだな……お前があちこちの孤児院から、子供を保護し始めたのは。しかもノルデンもベルンシュタインも捨てて、カーナリーエの復興に着手した」


 来年にはカーナリーエはヴォルフと名前を変え、エリアスを王として新たな道を進むのだ。


「フェアのために、生きたかったのですよ」

 エリアスは差し出されるまま、クリスティーナの葉巻を咥える。

「あの子はいつもどうすれば良い君主たるか、どう行動するのが君主として相応しいかを考えていた。だからわたしも、一国を豊かにする道を選びました。ただそれだけです」


「一途だなぁ……」


「ただ単に機会を逃しただけです。今更他の道なんて選べませんからね」


 ふう、と煙を吐き出しながら、エリアスは遠い目をする。


「似ていましたよ。フェアとあの子、ツェツィーリアは。一瞬驚いて、呼吸するのを忘れるほどに」

「ほう」

「あと男の趣味も同じです。……あの殿下に本当に惚れてるのかな」


 えふ、とクリスティーナが咽せた。


「お前……」

「何もしていませんよ? する気もありません。ただ、そうですね」


 自分の顔はどうなっているだろう。

 フェリクスが好きだと言ってくれた、笑顔のままだろうか。それとも、この二十年で醜くなったこの心と同じように、笑顔も醜いものになっただろうか。


「もしフェアに会えたら、絶対に惚れさせてみせます。……何度でも。もう絶対に、手放しません。……愛していますから」


 たとえそれが黄泉の地であっても。


 エリアスはすうっと目を細めたまま、もう一度静かに葉巻を咥えた。




お読みいただきありがとうございます。

文字数多くてすいません…。


頑張り屋のフェリクスはとても強いです。

娘も自我のない(魔導具を使用した状態)であれば強いのですが、人を傷つけることを極端に嫌うので、戦いは苦手です。


フェリクスの【異想譚】をお読みいただきありがとうございました。

最後の【異想譚】はいつもの4人です。

すごくお気に入りのお話なので、お読みいただけると嬉しいです。

その後、ファントム・ミラーの【エピローグ】です。

もう少々、お付き合いくださいませ!

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