【異想譚】 不撓のひと(一)
エリアス・ヴィレの子供の頃のお話です。
三話続きます。
エリアス・ヴィレはその巨大な建物の前で一度、大きく深呼吸をする。
ここはベルンシュタイン大公国の首都ブリツェンにある公立の図書館。
この国は大陸のほとんどすべての国と同じく識字率が高いが、本は庶民が持つには高価な代物だ。なので、どの国でも図書館は大きく、そして庶民にとっても敷居が低い。
平日の昼間だというのに、思ったより多くの人がいる。それが一層、エリアスを緊張させた。
エリアスは隣国、ノルデンの貴族だ。
本来ならば本が読みたいと思えば、貴族専用の王城の図書室を使えばいい。
だが、今のエリアスの読みたい本はそこに無い。
その為、この国の国主であるベルンシュタイン大公に呼び出されたこの夏、思い切ってこの図書館に行く計画を立てたのだ。
(とうとう、桜桃女史の本に会えるんだ!)
桜桃女史はこの二十年ほどの間、帝国中の婦女子を夢中にさせている小説家だ。
このゴルデン帝国に実在した過去の人々の物語を、当時の歴史的事実をうまく混ぜつつ大胆な解釈で物語を紡ぎだす天才なのである。
そしてその物語は男女の恋愛の話がメインだ。
敵対する国同士の王子と姫の悲恋や、戦に旅立つ騎士とそれを待つ恋人同士のお話、政略結婚に身を投じる貴族の令嬢の物語など……。
(今日こそ、『北の空の下で』を読む!!)
それはこのベルンシュタイン大公国に実在した公主をモデルにした、悲恋の物語だ。エリアスはその物語をずっと読みたいと思っていたので、今は緊張で手が震えている。
だがしかし。
決意を込めて拳を握るその手は、見慣れない白いレースの手袋をしている。
勢いよく一歩踏み出すと、淡いピンクのスカートがふわりと揺れた。……慣れない。
そこでつくづく、なぜ今自分がこんな、女の子の服を着ているのだろう……と改めて思い、げんなりとする。
名前がいかにも女性のようなので勘違いされがちだが、エリアスは今年十三歳の男だ。もちろん女装癖があるわけでも、女として生きたい少年でもない。
だが今、彼は従姉妹に借りたピンクのワンピース、精巧に作られた美しい日傘をさしている。
日頃から伸ばしていた真っ直ぐな焦茶の髪は、これも従姉妹の協力で見事に編まれたハーフアップだ。黄色の可愛いリボンまでつけられて、おそらくどこからどうみても普通の女の子にしか見えない事だろう。まだ性差の出にくい年齢ではあるが、それ以上にエリアスの顔のつくりのせいもある。
正直に言えば、とても恥ずかしい。
昔から男の子にしては可愛いわね、と言われるたびに腹立たしい気持ちになっていたのに、その自分の容姿を利用する日が来るなんて……!
それもすべて、桜桃女史の本が女性の間では熱狂的な支持を得ているものの、男性の間にはひどく軽視されているからだ。
自分の部屋で、従姉妹が貸してくれた本を読んでいるだけで、城内の兵士たちに大笑いされてしまった。最近では小馬鹿にした『桜桃女子』などという言葉もあるらしい。
(世の中の人全てがそうだとは限らないけど……)
もし男の自分が図書館で桜桃女史の本を読んでいたら、きっと同世代の男子には笑われてしまうだろう。
『じゃあ、女の服を着ればいいじゃないか!』
幼馴染で従姉妹のクリスティーナはあっさりそう宣言し、今朝方エリアスの部屋に突入してしっかり準備を整えてくれた。
北峰の子供たちが集められている離宮から出る時も、不自然にならないように付き添ってくれたのには感謝しかない。そしてエリアスにとっては、桜桃女史の物語について語り合える非常に貴重な友人であるのだが。
実のところ、年齢が近く家族ぐるみで仲が良いため、クリスティーナにはお気に入りを奪われたりと、エリアスは泣かされることが多い。まさか感謝する日が来ようとは。
✖︎ ✖︎ ✖︎
やっぱり流石に恥ずかしいかな……、と思ったのも最初の数分だけ。
中に入ってお目当ての本を見つけ、時間も忘れて読み耽っているうちに、その羞恥心はさっさとどこかに行ってしまった。現金なものである。
(やっぱり、桜桃女史、さいこう……!!)
胸いっぱいに満ちた切なさと、感動の余韻のまま、エリアスは本の表紙を見直す。心の底から喝采を叫びたい気分だった。
主人公の王女エダは、北の大国の若き女王だ。
彼女はある日、お忍びで街の様子を視察している途中に一人の青年に出会い、恋に落ちる。
彼は金髪に紫水晶の瞳を持つ青年で、街で暴漢に絡まれた彼女を颯爽と救い、名も告げずに去っていく。
彼に恋したものの、王女という立場である以上その恋を忘れるしかない。その悲しみにくれながら、彼女は王としての責務を果たそうと務めるのだ。
現代のゴルドメア帝国をモデルにしているであろう、ゲルダン帝国が大陸を支配しようとしている波乱の時代。この北限でも各国間の小競り合いが絶えず、混迷を極めていた。
女王の王国を支配下に収めんと、帝国の使者が王宮へとやってくる。なんと、その使者こと帝国の皇太子が、いつぞやエダが恋をした青年であったのだ。
彼もエダのことを忘れられなかったのだろう。
二人は再会を喜び合い、愛を誓う。そして束の間の蜜月を過ごす。
が、実はその全てが策謀のうちに進められた物事だった。
エダの妹、ゲルダは帝国にこの国を売るため、例の暴漢事件も含めて皇太子と綿密に計画をめぐらし、エダを罠に嵌めたのだ。
真実を知ったエダの、国を守るべき王女としての誇りと、愛する男に裏切られた苦悩……。この流れが最高に身悶える。文字を目で追いつつ、何度奇声をあげそうになったことか。
(桜桃女史、神……!! ありがとうございます!!)
思わずエリアスは本を天に掲げて涙目で感謝の言葉を告げる。それはただ、周囲の人々に怪しげな目で見られただけだったが。
「……あのう」
そういうわけなので、自分に話しかけたそうにしているその存在に、エリアスは全く気が付かなかった。おそるおそる、というふうに声をかけらえて、驚いて振り向くと、ひとりの少年が申し訳なさそうに立っていた。
「良ければその本を、ぼくにも貸していただけませんか?」
その姿に、エリアスは驚く。
窓からの光を受けて、輝くような淡いクリーム色の髪を一つに結び、上品な水色の瞳がきらきらと光る少年だった。健康そうな頬の色に、ぽってりとした愛らしい唇。まだ少し夏の暑さが残るなか、暑そうな上着を着ている。その洋服も一級品で、一目で見てその子が貴族の子供だとエリアスは思った。
そしてこれは直感だ。
自分が女装しているから気がついたのかもしれない。
この子は女の子だ。
なぜこんな貴族令息の姿でここにいるかわからないが。
「ごめんなさい。きみが読み終わるまで待っていたのだけど、なかなか手放してくれないので、本当にごめんね」
彼、というか彼女はそう言って、エリアスが拝んでいる本を指差す。申し訳なさそうに傾けた首は、折れそうなほど細い。
「ああ、いいよ。どうぞ」
反射的にそう答えてしまい、エリアスはハッとする。自分は今女の子なのだ。女言葉を使わなければ。
ところが彼女はそれには気にした様子もなく、本を受け取ってそっと微笑んだ。まるで密やかに咲く小さな花のような、そんな上品で美しい笑顔に、一瞬でエリアスの心は捕らえられた。
「ありがとう。ぼく、ずっとこれが読みたくて」
「そうだったのね。独占していて申し訳なかったわね。……よかったらここに座らないかしら」
意識したあまり、とてもわざとらしい言葉になってしまったことは認めよう。
それでも少女が嬉しそうに目元を緩ませて、隣に座ってくれたものだから、エリアスは一瞬気を失いそうになった。進めた席が窓際だったものだから、さわやかな風に乗ってとてつもなく良い匂いがする。
女装していても、エリアスは十三歳の少年。
しかも、こんなに近くに、同じ年頃の少女が座る機会など滅多にない。
しかも、ものすごい可愛い子である。
この時のエリアスは、のちに北方一の美人と謳われるクリスティーナのことは綺麗さっぱり忘れていた。かの従姉妹殿はいまや完全に家族で、異性だという認識は一切無い。
にこりとエリアスに微笑むと、彼女は本を開いて真剣な顔で読み始める。俯いた横顔の、驚くほど長いまつげが視界に入ると、もう何も考えられなくなった。体が熱い。
少女はそんなエリアスの視線に全く気がついた様子はない。ただたすら、夢中に文字を追っている。
よっぽど、本を読むのが好きなのだろう。
「君、名前はなんていうの?」
思わずそう聞いてしまい、その直後にエリアスはしまったと思う。自分もそうだが、本好きは読書中に話しかけられるのをひどく嫌うものだ。
なのに、つい声をかけてしまった。もちろん図書館なのでとても小さな声だが。
少女は驚いたように顔をあげ、それからにっこり微笑む。突然の質問にも、嫌な顔をしない。エリアスの心臓がまたもや激しく暴れだす。
「名乗るのが遅くなったね。すまない。ぼくの名前はフェリクス・シュテレ。本を貸してくれてありがとう」
その可愛らしい顔に見惚れつつ、エリアスは内心激しく動揺する。
シュテレはただの氏では無い。この名を名乗るということは、この北峰五国の一角、シュテレ王国の王族だ。シュテレ王国はノルデン王国と並ぶ、北の防衛線でも強い役割を持つ国だ。
現在シュテレ国の王族は、現国王とその息子の王子のみ。そしてその王子の名前が、フェリクスだったはずだ。
つまりはこの子は、自分のように一時的に変装して遊びに来ているわけでは無い。日常から、男子として生きている女の子なのだ。
確かにすぐ側の書架前には、護衛と思われる兵士もいる。その中には年齢が近そうな少年もいるが……遊び相手だろうか。だが、その少年は本には興味なさそうに窓の外を見ていた。
出来るだけ動揺が表に現れないように、エリアスは笑顔を作る。
「いえ、わたしこそ本を独占していて申し訳なかったわ。
わたしの名前は……エア・ヴィレよ」
少し悩んで、名前は少し変え、苗字はそのままにした。もし追及されたら、エリアスの妹ということにしてしまえばいい。
「……えっと、ノルデン王国のヴィレ伯爵家の方かな?」
少し戸惑いながら、フェリックスが問うた。
エリアスは頷く。
「こんなところで会うなんて不思議だね。きみもやっぱり大公殿に呼ばれて来たの?」
フェリクスは男の子としてはとても柔らかい言葉を紡ぐ。それがとても心地よい。
「我が家は兄が呼ばれたの。わたしはこの図書館に来たくて、着いてきたのよ」
「そうなんだね。ぼくもずっと来たかったんだ。おんなじだね」
そう言ってにっこりと微笑む顔の、愛らしいこと。
世の中にはクリスティーナのように、男の子に負けず劣らず強い女の子もいるが、この子は少し違うように感じる。少なくとも、男装して男社会を渡っていけそうなタイプでは無い。
「わたしはお家で本を読んでいると父が怒るの。だから、ここに来たのよ」
「女の子でもそうなんだね。ぼくも伯父に男なのにこんな女々しい本を読んで! って言われるよ」
どうやらフェリクスもエリアスと同じような状況らしい。
というか、元々女の子なのだ。桜桃女史の甘い世界に憧れるのは、当たり前だろうに。
「おんなじだね」
そんなことを言いながら、くすくすと笑い合う子供たちをそばにいた大人達は叱りつけることもなく、あたたかい目で見守ってくれている。
それが途方もなく嬉しかった。
その日、夢中になって本を読むフェリクスを飽きることなく見守ったのち、二人は陽が傾いた頃に図書館を離れた。
出口で待つ従者の前でも熱く女王の悲恋について語り合い、そしてかならず次の女神の祝日にここで会おうと言って別れた。
最後までフェリクスは笑顔だったし、エリアスもいつもより笑った。とても楽しい時間を過ごせたので、浮ついた気分でいっぱいだった。
女装を解いて離宮に戻り、ことの次第を一緒に滞在しているクリスティーナに報告するまで。
お読みいただきありがとうございます。
エリアスといいイーアといい、好きな女の子を前にすると『かわいい』以外の感想が出てこないみたいです。
明日もよろしくお願い致します。




