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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【三】
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【終】 悠久の時の中で

「行くのか」


 穏やかな声で問われ、ナディはゆっくりと振り向く。そして長い年月、そこから座して動かない銀の女神を見つめ、そしてゆっくりと頷いた。


「そうか……寂しくなるな」


 ひっそりとした声でそう言われ、切なくなったナディは目を伏せた。現世は苦しいこと、辛いことがたくさんある。本当はずっとここで、この穏やかな女神のそばに居たいと思う。

 だが、そうはいかないのだということを、ナディは知っていた。


「おいで、ナディ」


 銀の女神が優しく呼ぶ。

 ナディは美しい銀の髪を踏んでしまわないように、慎重に歩く。女神の座る石に辿り着くと、その顔を見上げる。蛋白石(オパール)のような美しくも穏やかな瞳が彼女を見つめていた。


「ナディ、私の愛子……」

 これ以上ないほどの愛おしさを込めて、女神が囁く。そしてナディのすこし丸みがかった額にキスをした。そこからじんわりと、強い魔力が全身をめぐる。

「また、辛くなったらいつでもおいで……。次代が何人いても、今はお前が私の最愛の子だ」


 慈しみに富んだその声に、ナディは強く頷く。と、そこで背後から『あら』という可愛い声がした。

 振り向くと、蜂蜜色の波打つ髪の小さな女の子が、拗ねたように水色の瞳でナディをじっとりと見ている。


「ナディア、もうどこにも行かないでちょうだい。みんな寂しくて大変なんだから」

 ナディは慌てて、その女の子の手を取る。子供らしいふくふくとした手から伝わる温度。自分が必死に子育てをしていた頃を思い出して、ナディはなんだか胸がいっぱいになる。


 その子育てを完遂することができないまま、自分はこの場所にいたのだ。

 残された子供たちは、どれほど寂しい思いをしただろう。そして、夫は。


 ナディの心と同調している女神が即座に声を荒げた。


「あんな男にナディは勿体無い。まったく、どこが良いんだか」

「あんなって、ユリウスもあなたの眷属でしょう。もうちょっと大切にして!」


 ぷかぷかと怒る女神に、呆れたように女の子が言う。その女の子を、仕方ないなと言わんばかりに女神は見つめた。


「……お前の男も大概だが……まぁいい。もうそこまで成長したのか? 人の成長は早いな」


「残念ながら、まだよ。今回の私の器には、銀の血がたんまり入っているから、ちょっとだけ時を操ることが出来るの。未来の私の力を使って、緋虎の鏡に潜ったのよ? すごいでしょうナディア!」

 女の子があまりにも嬉しそうに言うので、ナディも楽しくなって手を叩く。それから、そっと女の子のほおに触れた。


「あえて、うれしい」

 ナディの掠れた声を聞いて、女の子が瞳を大きく見開いた。

「あなたの、おかげ。近い血で、少しだけ喋れるの、戻ったよ」

 まだ喉は引き攣るので、単語を弾き出すことくらいしかできないが。


「嬉しい! ナディ!」

 女の子が全身で抱きつく。ぎゅうぎゅうしがみついて甘える様は愛おしくて、ナディはそっとその体に手を回す。


「ナディ、あなたは銀の加護が強いから、たぶん現世に戻っても、ここでの記憶があると思うのよ」

 女の子が見た目に反して流暢に話すので、ナディはこくこくと頷く。

「だから、私は実はけっこうしっかり自我がある赤ちゃんだってことは、秘密にしていてね。ママはわたしが手がかからない良い子だって思ってる。……たぶん父親の方はだいぶ気がついてるみたいなんだけど……」

 恥ずかしそうに、父親のくだりでは少し悔しそうに女の子は言う。きょとんとするナディの背後で、銀の女神がくすくす笑う。


「琥珀の女神の魂を持つものだ。普通の赤子とは違うであろうな」


「女神の魂を持つものや、器はみんなそうなんだけど…… たぶん、ユーリアもよ。でも、私はまだママに甘えていたい……ママが大好きなんですもの……」


 ちょっとだけ唇を尖らせて言うその顔のあまりの可愛らしさに、ナディはきゅんとして女の子を抱きしめる。一刻も早く、この子と現世で会いたい。


「わかった。約束、するね」

「あの娘ならお前の正体に関わらずお前を溺愛しそうだがな」

 真剣な顔で頷くナディの後ろで、銀の女神が白けたように言う。


「まぁいい。そろそろ帰りなさい。わたしは永遠にこの時の狭間にいる。お前たちは私の眷属だ。何かあったら、私を頼るがいい」


 銀の女神が晴れやかな声で言う。

 ナディと女の子は共に、その姿を見た。


「ありがとう……ジル」


 銀の女神はゆるゆると首を振る。

「私はもう……人の世を見捨てたのだ。礼を言うべきではない」


「でも、ナディをここに留めておいてくれたわ。もし、晄界に行っちゃってたら、もう二度と戻ってこれなかったのに……。ありがとう、銀の女神」

 女の子の言葉に、女神は困ったように笑った。そしてゆっくりと目を瞑る。

 次に誰かがここを訪れるまで、彼女は穏やかな眠りにつくのだ。


「……さようなら。私の愛子たち。幸せにおなり……」


 その砂が溢れるような美しい声に、ナディはしっかりと頷いた。

 そうしてしっかりと前を向き、悠久の女神の時間からそっと静かに立ち去った。



お読みいただきありがとうございました。

本日は同時公開で【登場人物紹介】もあります。

よろしくお願いいたします。

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