第25話 もう、逃がさないから
「ありがと、クレオ。ここでいいよ」
そう言いながら、チルは馬車から降りる。初夏らしい若草色のドレスがふわりと広がった。
「屋敷の中までエスコートさせてよ。僕は帰ったら傷心のルイスを慰めなきゃいけないんだから。少しこっちで時間を潰すよ」
にっこりと微笑むクレオはそう言いながら、チルを先に導く。『あー』と声を出しながら、チルはその後に従った。
「それについては、すいません。まさかあんなにショックを受けると思わなかった」
「あれで本気でチルに惚れていたみたいだからなー。と言っても僕も、正直言えば、ルイスとチルが一緒になってくれれば、嬉しかったなぁという気持ちはある」
チルは苦笑した。
「そんな血筋って大切かなぁ」
「そりゃ、ぼくらは双獅子の末裔だからね」
クレオは楽しそうに言う。
「琥珀の姫に忠誠を誓いたいし、仕えたい。僕もチルについてワルドに行こうかな、という計画を立てているほどには。本当に帰っちゃうの?」
「ああ」
チルはにいっと笑って答えた。
迎えでたノルデンの使用人と談笑しながら、二人は階段を登る。アルヴェルトが子供部屋から飛び出してきて、チルのドレスにくっついた。
「おかえり!」
「おーう! だがな、アル、俺は今日からツェツィーリアじゃなくて平民のチルだからなー! これからはお前のことアルヴェルトお坊ちゃんって呼ぶぞぉ!」
そう言いながらチルはアルヴェルトを抱っこし、くるくる回す。きゃきゃと喜ぶアルヴェルトだったが、チルはすぐに『重っ……おっきくなったなぁ』と音をあげた。
「本当にベルンシュタインの相続権放棄してきたの?」
子供部屋からひょっこりルークが顔を出した。チルはにかっと笑いながら答える。
「おう、ちゃんとヴェルザー卿と話してきたぜ」
「それは……卿もショック受けてるだろうなぁ……」
ルークも苦笑した。
「いいんだよ。俺には貴族社会なんて向いてねぇし。イーアがいないんだから、ここにいる必要もないしなー」
そう言いながら、アルヴェルトの頭を撫でる。気遣わしげなクルトの視線には、気がつかないふりをした。
イーアが姿を消したのは、『碧月』の半ば過ぎ、冬のさなかだった。今は『金月』の終わりなので、あと十日ほどで半年になる。
ちゃんと皇城や家族には説明をしていたらしいので、大きな混乱は起きていない。第一皇子ことシュヴァルツエーデ公爵は休学中という形だ。
おそらく、ある程度は戻って来られないことも想定していたのだろう。その用意周到さが腹立たしい。
……チルには、本当にちょっと近くに遊びに行くというふうに、とても軽い挨拶しかしなかったのに。
たとえ身分が平民であっても、ここに居て良いとクリスティーナは言ってくれた。リンが殆ど動けなくなってしまったこともあるので、すぐにワルドに帰るのも難しい。
それでも帰りたいというのは、チルの我儘だ。
「じゃ、俺はリンの顔見に行くから」
遊び足りないアルヴェルトと、何か言いたげなクレオたちに軽く手を振って、チルは歩き出す。新しいピアスの穴も馴染んできた。さっさとドレスを脱いで、いつもの気楽な男装に戻りたい。
与えられている部屋のドアを開け、鏡台に向かおうと思った時、ふと窓の外に視線が行った。
数が減ったものの、相変わらず、死者の世界はチルの日常だ。
こうしてふいに、死者と目が合う瞬間がある。そういう時はできるだけ、すぐに『見えないふり』をするのだが。
今は庭に立つ人影から目が離せない。淡く向こう側の風景が透けて見える。それは、死者の特徴だ。
背の高い男だった。
不思議な服を着ていて、フードを頭からかぶっている。スラックスというよりだいぶ汚れた作業ズボンの様な服に、無骨なブーツ。手に持っているのは鋼色の鉄の塊。物物しい雰囲気の物なので、何かの武器なのかもしれない。違和感しかないその姿に、チルは思わず目を凝らす。
「イーア?」
そして、見慣れたはずのその顔。だが彼はイーアよりだいぶ年上のようだ。イーアが十年ほど歳を重ねれば、あの姿になるかもしれない。
窓から身を乗り出し、その姿をよく見ようとするが、目を凝らしても霞んでいるように、ぼやけて焦点が合わない。ここから外には出れないので、チルはドレス姿のまま玄関まで走った。途中驚いた顔のクレオとすれ違ったが、説明する時間も惜しい。
階段を駆け下り、玄関から飛び出す。すでに幽霊の姿は無かったが、残された気配を辿る。薔薇が咲き誇る庭を抜けて、小さなガゼボにたどり着いた。そこに揺れる金の髪を見て、チルは息を呑む。
「イーア!」
ガセボに座る、名前を呼ばれた方は悠然とこちらを振り返り、そして駆け寄ってくるチルを見て驚いたように目を見開く。
「……チル!?」
その彼に、チルは迷わず体当たりした。そして苦しそうに呻くその体をぎゅうぎゅうと抱きしめながら、何度も何度も名前を呼ぶ。
「チル、今日もかわいいね」
イーアは寝ぼけたような口調でそんなことを言う。その頭をチルは軽く引っ叩いた。
「ばかやろう!」
いろいろな罵倒が心に浮かんだが、そのどれもが言葉にならず、かわりに涙になってぼろぼろと溢れる。言葉にならない声を出しながら泣くチルを、イーアは愛おしげに見つめていた。
「ただいま、チル」
「おっ、おかえり、イーア」
◾️ ◾️ ◾️
寝室でぐったりとしていたリンが顔を上げ、イーアの顔を見ると、嬉しそうににゃあと鳴いた。人型で寄り添うレヴィンも、イーアの顔を見て一つ頷く。
「ただいま、リン。君が導いてくれたね」
「私は何もしてないけど……でも確かに、私の魔力を感じるわ。不思議ね」
夢見るような口調で、ふふっと嬉しそうにリンが笑う。
「どうだったの?」
リンの問いかけに、イーアは曖昧な微笑みを浮かべた。
「十年、好きにして良いよと言われたよ。その後は僕は女神の元に行くことになる。正確には、この体だけ、明け渡すことになったよ」
ぐっと、チルは上げそうになった声を飲み込む。イーアの姿を見ただけで、全てが解決したのだと思ったのだ。震えそうになる手を、強くドレスの裾を掴んで隠した。
「そう……じゃあ、その間に何か手を考えないとね。あなたも頼むわよ、メメ。チルのために頑張ってちょうだい」
リンがくすくすと笑う。姿は見えないが、おそらくメメと白亜は近くにいるのだろう。
チルもそっとリンのそばに行く。すっかり痩せてしまったその体を優しく撫でた。
「ありがと、リン。イーアを連れ戻してくれて」
「えへへ、よくわからないけど。お礼を言われちゃうと嬉しくなっちゃうわね。……最後にあなたに会えてよかったわ。イーア」
リンは横たわったまま、にぃっと笑う。
「わたしをチルに会わせてくれてありがとう。チルも、ありがとう。わたしね、人間の時にいっぱい失敗したの。たくさんの人を傷つけたし、苦しめた。……だからこんなに可愛い子供たちに囲まれて死ねるなんて、すごい幸せだわぁ」
「リン……」
死ぬなんて、言わないでほしい。震えそうなチルの背中にイーアが手を回す。
「大丈夫よ、二人とも。そしてレヴィンも。わたしはちゃーんと戻ってくるから。今度はきっと……すぐだわ。だから安心してね」
リンは愛おしさをいっぱい込めた、温かいまなざしをレヴィンにおくる。みつめ返すレヴィンの瞳には、隠しきれない不安があった。途方もない時間を生きてきた存在と思えないほど、心許なげな姿にチルは悲しくなる。それは彼が、何度も何度もリンとの死別を経験しているからだ。
「愛してるわ、レヴィ。あなたがだいすきよ。だからどうか……チルをよろしくね。……レヴィ」
◾️ ◾️ ◾️
歌が聞こえる。死者を弔う歌だ。
チルはゆっくりと目を開けて、それからもう一度瞬く。涙が溢れて落ちた。溢れた涙が頭の下に敷いてある黒い布にしみる。
歌を歌っているイーアが、そのチルの頭を撫でた。温かく大きな手のひらに、彼の帰還を実感する。
だが、涙でぼやけた視界、痩せた小さな黒猫が寝ていた大きな寝台には、もう誰もいない。チルの大切な家族も、彼女に付き添っていた青年も。
「……リン?」
思ったより掠れた声が出た。
上体を起こし、室内を見渡す。窓の外はすっかり暗くなっていた。
「リンはレヴィンと行ったよ。ふたりだけのお墓があるそうだ」
優しいイーアの声が頭上から落ちて、チルは彼を見上げる。二人とも昼間の服のまま。イーアは帰ったばかりだったというのに。
「そう……」
チルはのろのろと体を起こした。どうやらソファに座るイーアの太腿を枕にしていたらしい。泣き過ぎて引き攣る自分の頬と、しみができたイーアのスラックス。
「……ごめん……」
「大丈夫だよ。チル」
そう言いながらイーアの手がチルの背中をさする。促されるようにまた新しい涙が溢れ、チルは声を殺して泣く。イーアがそっと抱きしめてくれた。その背中に、チルは手を伸ばす。
「リンがいなくなって、寂しいね。僕もとても寂しい」
チルは泣きじゃくりながら、何度も何度も頷く。
あの小さくて温かい命は、もうチルの手から離れていってしまった。そして、やっと帰ってきたイーアも、いつかはまたいなくなってしまうのだ。
その喪失が悲しくて、体が裂かれるように辛い。せめてイーアだけでも手元に繋ぎ止めて置きたくて、チルは彼を抱く腕に力を込める。それ以上に強い力で、抱きしめられた。苦しいほどに。
言葉にしてはいけない、困らせるだけだ。
わかっている。けれど、どうしてもそばにいて欲しい。
「イーア……どこにも行くな、……ここにいて」
いつか女神にその体を開け渡さなきゃいけないなんて、意味がわからない。イーアはこの魂と体でイーアなのに。
「俺の、そばにいて。ずっと離れないで……」
嗚咽混じりの小さな声が、イーアにどれほど届いたかわからない。
だがイーアはそっと体を離して、チルの顔をまっすぐに見る。その柔らかく温かい瞳に、涙でぐしゃぐしゃになったチルを写して。
「僕は、すごく面倒な男だよ? 女神に付き纏われてるし、十年後にどうなっているかわからない」
苦笑混じりに言いながら、イーアはチルの頬を撫でる。
「こんな時に言うべきじゃないけど、どうしても、帰ったらチルに言いたかった。チル、僕と結婚して」
飾りのない、素っ気ないほど率直な言葉だった。
チルはぽかんと彼を見返す。
「すごく無責任な求婚だと思う。だって十年しか一緒にいられない。その後は君を未亡人にするかもしれないし、具現化した女神の悪意に晒すかもしれない。でも、やっぱり君と離れたくないんだ」
十年、という言葉がチルの胸を締め付ける。
「でも、諦めきれない。チルは、僕がこの魂にかけて、守ると誓う。寂しい思いをさせてしまうかもしれないけど……一生、苦労はさせない。だから……」
必死に言い募るイーアを、チルはじっと見つめる。思い出されるのはリンの、レヴィンを見つめる温かい眼差し。きっと、今の自分も同じだ。目の前のこの強そうでかよわい存在が、愛おしくてたまらない。
「ばかだなぁ、イーア」
チルは笑う。涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃの笑顔だ。
「だいすきだから、だけで良いんだよ?」
イーアの目が大きく開く。
「俺も、イーアがだいすきだよ?」
「うん、チル。君が愛おしくてたまらない。大好きだよ」
そう言いながらゆっくりと、イーアがチルを抱きしめる。もう一度くぐもった声で『結婚して』と言ったので、チルは素直に『おう』と答えた。
抱きしめる腕に力がこもり、イーアが静かに息を吐く。チルも甘い幸福感に満たされて、体の内側からじんわりと温かくなった。
(リン、俺、家族ができたよ……)
それを一番に報告したい人は、もう彼女の夫と共にチルのそばから去ってしまったけれど。
体を離すと、イーアが目を伏せる。その眦に光るものを見つけて、チルはそれをまじまじと見る。
「イーアの涙、初めて見た」
「僕は結構泣き虫だよ? チルほどじゃないけど」
恥ずかしいのか、顔を伏せてイーアが涙を拭う。それをにやにや笑いながら、わざとらしく覗き込んだチルの両頬を、イーアががっしりと抑える。イーアの纏う雰囲気が、甘いものから一転して、なにか凶暴なものになった。チルは『あう!?』っと情けない声を上げる。
「もう逃がさないからね。チル」
「はぁ!?」
初めてのキスは触れるだけ。でも涙が出るほど甘くて温かい口付けだった。
お読みいただきありがとうございます。
本編は残り一話です…!
最後までよろしくお願いいたします。




