表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【三】
70/78

第25話 もう、逃がさないから

「ありがと、クレオ。ここでいいよ」


 そう言いながら、チルは馬車から降りる。初夏らしい若草色のドレスがふわりと広がった。


「屋敷の中までエスコートさせてよ。僕は帰ったら傷心のルイスを慰めなきゃいけないんだから。少しこっちで時間を潰すよ」

 にっこりと微笑むクレオはそう言いながら、チルを先に導く。『あー』と声を出しながら、チルはその後に従った。


「それについては、すいません。まさかあんなにショックを受けると思わなかった」

「あれで本気でチルに惚れていたみたいだからなー。と言っても僕も、正直言えば、ルイスとチルが一緒になってくれれば、嬉しかったなぁという気持ちはある」


 チルは苦笑した。

「そんな血筋って大切かなぁ」

「そりゃ、ぼくらは双獅子の末裔だからね」

 クレオは楽しそうに言う。

「琥珀の姫に忠誠を誓いたいし、仕えたい。僕もチルについてワルドに行こうかな、という計画を立てているほどには。本当に帰っちゃうの?」

「ああ」

 チルはにいっと笑って答えた。


 迎えでたノルデンの使用人と談笑しながら、二人は階段を登る。アルヴェルトが子供部屋から飛び出してきて、チルのドレスにくっついた。


「おかえり!」

「おーう! だがな、アル、俺は今日からツェツィーリアじゃなくて平民のチルだからなー! これからはお前のことアルヴェルトお坊ちゃんって呼ぶぞぉ!」


 そう言いながらチルはアルヴェルトを抱っこし、くるくる回す。きゃきゃと喜ぶアルヴェルトだったが、チルはすぐに『重っ……おっきくなったなぁ』と音をあげた。


「本当にベルンシュタインの相続権放棄してきたの?」

 子供部屋からひょっこりルークが顔を出した。チルはにかっと笑いながら答える。

「おう、ちゃんとヴェルザー卿と話してきたぜ」

「それは……卿もショック受けてるだろうなぁ……」

 ルークも苦笑した。


「いいんだよ。俺には貴族社会なんて向いてねぇし。イーアがいないんだから、ここにいる必要もないしなー」

 そう言いながら、アルヴェルトの頭を撫でる。気遣わしげなクルトの視線には、気がつかないふりをした。



 イーアが姿を消したのは、『碧月(グリューン)』の半ば過ぎ、冬のさなかだった。今は『金月(ゴルデン)』の終わりなので、あと十日ほどで半年になる。

 ちゃんと皇城や家族には説明をしていたらしいので、大きな混乱は起きていない。第一皇子ことシュヴァルツエーデ公爵は休学中という形だ。

 おそらく、ある程度は戻って来られないことも想定していたのだろう。その用意周到さが腹立たしい。

 ……チルには、本当にちょっと近くに遊びに行くというふうに、とても軽い挨拶しかしなかったのに。


 たとえ身分が平民であっても、ここに居て良いとクリスティーナは言ってくれた。リンが殆ど動けなくなってしまったこともあるので、すぐにワルドに帰るのも難しい。


 それでも帰りたいというのは、チルの我儘だ。


「じゃ、俺はリンの顔見に行くから」

 遊び足りないアルヴェルトと、何か言いたげなクレオたちに軽く手を振って、チルは歩き出す。新しいピアスの穴も馴染んできた。さっさとドレスを脱いで、いつもの気楽な男装に戻りたい。

 与えられている部屋のドアを開け、鏡台に向かおうと思った時、ふと窓の外に視線が行った。


 数が減ったものの、相変わらず、死者の世界はチルの日常だ。

 こうしてふいに、死者と目が合う瞬間がある。そういう時はできるだけ、すぐに『見えないふり』をするのだが。


 今は庭に立つ人影から目が離せない。淡く向こう側の風景が透けて見える。それは、死者の特徴だ。


 背の高い男だった。

 不思議な服を着ていて、フードを頭からかぶっている。スラックスというよりだいぶ汚れた作業ズボンの様な服に、無骨なブーツ。手に持っているのは鋼色の鉄の塊。物物しい雰囲気の物なので、何かの武器なのかもしれない。違和感しかないその姿に、チルは思わず目を凝らす。


「イーア?」


 そして、見慣れたはずのその顔。だが彼はイーアよりだいぶ年上のようだ。イーアが十年ほど歳を重ねれば、あの姿になるかもしれない。


 窓から身を乗り出し、その姿をよく見ようとするが、目を凝らしても霞んでいるように、ぼやけて焦点が合わない。ここから外には出れないので、チルはドレス姿のまま玄関まで走った。途中驚いた顔のクレオとすれ違ったが、説明する時間も惜しい。


 階段を駆け下り、玄関から飛び出す。すでに幽霊の姿は無かったが、残された気配を辿る。薔薇が咲き誇る庭を抜けて、小さなガゼボにたどり着いた。そこに揺れる金の髪を見て、チルは息を呑む。


「イーア!」


 ガセボに座る、名前を呼ばれた方は悠然とこちらを振り返り、そして駆け寄ってくるチルを見て驚いたように目を見開く。


「……チル!?」


 その彼に、チルは迷わず体当たりした。そして苦しそうに呻くその体をぎゅうぎゅうと抱きしめながら、何度も何度も名前を呼ぶ。


「チル、今日もかわいいね」

 イーアは寝ぼけたような口調でそんなことを言う。その頭をチルは軽く引っ叩いた。

「ばかやろう!」


 いろいろな罵倒が心に浮かんだが、そのどれもが言葉にならず、かわりに涙になってぼろぼろと溢れる。言葉にならない声を出しながら泣くチルを、イーアは愛おしげに見つめていた。


「ただいま、チル」

「おっ、おかえり、イーア」



 ◾️ ◾️ ◾️



 寝室でぐったりとしていたリンが顔を上げ、イーアの顔を見ると、嬉しそうににゃあと鳴いた。人型で寄り添うレヴィンも、イーアの顔を見て一つ頷く。


「ただいま、リン。君が導いてくれたね」

「私は何もしてないけど……でも確かに、私の魔力を感じるわ。不思議ね」

 夢見るような口調で、ふふっと嬉しそうにリンが笑う。


「どうだったの?」

 リンの問いかけに、イーアは曖昧な微笑みを浮かべた。

「十年、好きにして良いよと言われたよ。その後は僕は女神の元に行くことになる。正確には、この体だけ、明け渡すことになったよ」


 ぐっと、チルは上げそうになった声を飲み込む。イーアの姿を見ただけで、全てが解決したのだと思ったのだ。震えそうになる手を、強くドレスの裾を掴んで隠した。


「そう……じゃあ、その間に何か手を考えないとね。あなたも頼むわよ、メメ。チルのために頑張ってちょうだい」

 リンがくすくすと笑う。姿は見えないが、おそらくメメと白亜は近くにいるのだろう。


 チルもそっとリンのそばに行く。すっかり痩せてしまったその体を優しく撫でた。


「ありがと、リン。イーアを連れ戻してくれて」

「えへへ、よくわからないけど。お礼を言われちゃうと嬉しくなっちゃうわね。……最後にあなたに会えてよかったわ。イーア」

 リンは横たわったまま、にぃっと笑う。


「わたしをチルに会わせてくれてありがとう。チルも、ありがとう。わたしね、人間の時にいっぱい失敗したの。たくさんの人を傷つけたし、苦しめた。……だからこんなに可愛い子供たちに囲まれて死ねるなんて、すごい幸せだわぁ」

「リン……」


 死ぬなんて、言わないでほしい。震えそうなチルの背中にイーアが手を回す。


「大丈夫よ、二人とも。そしてレヴィンも。わたしはちゃーんと戻ってくるから。今度はきっと……すぐだわ。だから安心してね」


 リンは愛おしさをいっぱい込めた、温かいまなざしをレヴィンにおくる。みつめ返すレヴィンの瞳には、隠しきれない不安があった。途方もない時間を生きてきた存在と思えないほど、心許なげな姿にチルは悲しくなる。それは彼が、何度も何度もリンとの死別を経験しているからだ。


「愛してるわ、レヴィ。あなたがだいすきよ。だからどうか……チルをよろしくね。……レヴィ」



 ◾️ ◾️ ◾️



 歌が聞こえる。死者を弔う歌だ。


 チルはゆっくりと目を開けて、それからもう一度瞬く。涙が溢れて落ちた。溢れた涙が頭の下に敷いてある黒い布にしみる。

 歌を歌っているイーアが、そのチルの頭を撫でた。温かく大きな手のひらに、彼の帰還を実感する。


 だが、涙でぼやけた視界、痩せた小さな黒猫が寝ていた大きな寝台には、もう誰もいない。チルの大切な家族も、彼女に付き添っていた青年も。


「……リン?」

 思ったより掠れた声が出た。

 上体を起こし、室内を見渡す。窓の外はすっかり暗くなっていた。

「リンはレヴィンと行ったよ。ふたりだけのお墓があるそうだ」

 優しいイーアの声が頭上から落ちて、チルは彼を見上げる。二人とも昼間の服のまま。イーアは帰ったばかりだったというのに。


「そう……」

 チルはのろのろと体を起こした。どうやらソファに座るイーアの太腿を枕にしていたらしい。泣き過ぎて引き攣る自分の頬と、しみができたイーアのスラックス。

「……ごめん……」


「大丈夫だよ。チル」

 そう言いながらイーアの手がチルの背中をさする。促されるようにまた新しい涙が溢れ、チルは声を殺して泣く。イーアがそっと抱きしめてくれた。その背中に、チルは手を伸ばす。

「リンがいなくなって、寂しいね。僕もとても寂しい」


 チルは泣きじゃくりながら、何度も何度も頷く。


 あの小さくて温かい命は、もうチルの手から離れていってしまった。そして、やっと帰ってきたイーアも、いつかはまたいなくなってしまうのだ。


 その喪失が悲しくて、体が裂かれるように辛い。せめてイーアだけでも手元に繋ぎ止めて置きたくて、チルは彼を抱く腕に力を込める。それ以上に強い力で、抱きしめられた。苦しいほどに。


 言葉にしてはいけない、困らせるだけだ。

 わかっている。けれど、どうしてもそばにいて欲しい。


「イーア……どこにも行くな、……ここにいて」

 いつか女神にその体を開け渡さなきゃいけないなんて、意味がわからない。イーアはこの魂と体でイーアなのに。

「俺の、そばにいて。ずっと離れないで……」


 嗚咽混じりの小さな声が、イーアにどれほど届いたかわからない。

 だがイーアはそっと体を離して、チルの顔をまっすぐに見る。その柔らかく温かい瞳に、涙でぐしゃぐしゃになったチルを写して。


「僕は、すごく面倒な男だよ? 女神に付き纏われてるし、十年後にどうなっているかわからない」

 苦笑混じりに言いながら、イーアはチルの頬を撫でる。

「こんな時に言うべきじゃないけど、どうしても、帰ったらチルに言いたかった。チル、僕と結婚して」


 飾りのない、素っ気ないほど率直な言葉だった。

 チルはぽかんと彼を見返す。


「すごく無責任な求婚だと思う。だって十年しか一緒にいられない。その後は君を未亡人にするかもしれないし、具現化した女神の悪意に晒すかもしれない。でも、やっぱり君と離れたくないんだ」


 十年、という言葉がチルの胸を締め付ける。


「でも、諦めきれない。チルは、僕がこの魂にかけて、守ると誓う。寂しい思いをさせてしまうかもしれないけど……一生、苦労はさせない。だから……」


 必死に言い募るイーアを、チルはじっと見つめる。思い出されるのはリンの、レヴィンを見つめる温かい眼差し。きっと、今の自分も同じだ。目の前のこの強そうでかよわい存在が、愛おしくてたまらない。


「ばかだなぁ、イーア」

 チルは笑う。涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃの笑顔だ。

「だいすきだから、だけで良いんだよ?」


 イーアの目が大きく開く。


「俺も、イーアがだいすきだよ?」


「うん、チル。君が愛おしくてたまらない。大好きだよ」


 そう言いながらゆっくりと、イーアがチルを抱きしめる。もう一度くぐもった声で『結婚して』と言ったので、チルは素直に『おう』と答えた。

 抱きしめる腕に力がこもり、イーアが静かに息を吐く。チルも甘い幸福感に満たされて、体の内側からじんわりと温かくなった。


(リン、俺、家族ができたよ……)

 それを一番に報告したい人は、もう彼女の夫と共にチルのそばから去ってしまったけれど。


 体を離すと、イーアが目を伏せる。その眦に光るものを見つけて、チルはそれをまじまじと見る。


「イーアの涙、初めて見た」

「僕は結構泣き虫だよ? チルほどじゃないけど」

 恥ずかしいのか、顔を伏せてイーアが涙を拭う。それをにやにや笑いながら、わざとらしく覗き込んだチルの両頬を、イーアががっしりと抑える。イーアの纏う雰囲気が、甘いものから一転して、なにか凶暴なものになった。チルは『あう!?』っと情けない声を上げる。


「もう逃がさないからね。チル」

「はぁ!?」


 初めてのキスは触れるだけ。でも涙が出るほど甘くて温かい口付けだった。



お読みいただきありがとうございます。

本編は残り一話です…!

最後までよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ