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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【三】
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第23話 しあませになって!(誤字魔の暗号)

「……確かにそうだな」


 静かにドアを閉めた後、イーアはそう呟く。

 皇太子の地位を退いた時、母親の捜索を諦めた時、確かに自分が投げ出した。今回も、チルと離れることも簡単に決めた。

「ヒルデの言う通りだったかもしれないな」


 そんな、しっかり者の妹の顔を見たいと思う。


 彼女に頼まれた辰砂の魔女の捜索は、実のところあまり上手くいっていない。まずはメメこと『白翼の魔女』製魔法薬の横流しを調べて、そこから辰砂の魔女へと繋がる場所を探す。魔法薬は神殿に流れていたようなので、自分の魔力を辿れるメメの協力が必要だ。


 意外なことにメメが協力的なので、後のことは公国に残るウドに任せるしかない。ウドの事なので、おそらく独自に魔女に繋がるルートを探してくれてはいるだろうが。


「やはりこれも投げ出しているじゃないか……」


 自嘲するように笑いながら顔を上げて、そこでイーアはぎょっとした。

 誰もいないはずの執務室、将来の軍務総帥のためのに用意された自分の机の上で、見覚えのあるクリーム色の髪の男が蹲っていたのだ。カーナリーエの屋敷で会った、鏡の幽霊、名前は……とイーアは記憶を巡らす。


「オイゲン殿?」


 暖かい冬の日差しが窓から降り注ぐ真昼、その幽霊はまるで普通の人のように、はっきりとした輪郭を保っていた。が、何故か全身をぷるぷると震わせて怯え切った目でイーアを見る。そしてイーアと目が合うと、滂沱の如く涙をこぼし始めた。


 大の大人が泣いている顔なんてそうそう拝めるものではないが、時に見たいものではない。


「こ、黒曜石の君〜! お待ちしていりました〜。なかなかこちらにいらっしゃらないので、わたくしついに見捨てられたのかと〜」


「すまない、立て込んでいてね。しかしどうして君がそこに?」

「今の私は鏡から離れられません〜。あなた様がこの机の引き出しに入れたので〜酷いです〜狭かったんです〜。ようやく抜けだせましたあ〜」


 どうやら、彼は引き出しの中で具現化したらしい。その状況がどんなものだったのか想像もつかないが、きっと愉快な状況だったのだろうな。とイーアは思う。


「あ〜! お笑いになっておりますね〜!本当に本当に大変でしたのに〜……」

 オイゲンは拗ねたように言う。

「本当にすまない。君に報告するのをすっかり忘れていたよ。まさかこんな昼間に、会えると思っていなかったから」

「……黒曜石の君の力が増しています〜……。おかげさまでわたくしはとても元気です〜」

 イーアはただ首を傾けるだけにした。


「君のことにだいぶわかったよ? オイゲン・カーナリーエ。カーナリーエ最後の王だ。思い出せるかい?」

 オイゲンは静かに首を振る。

「……なにも〜。私が思い出せたのは、愛しい方の面影だけです〜」

 イーアは本棚から一冊の本を取り出してから、自分の執務机の上に腰掛けた。鷲鼻に三白眼のオイゲンの顔をまじまじと見る。……本当に、生きている人間と何一つ変わらない。


「君が急逝した後、アーダルベルト・ベルンシュタイ……おそらく彼が君の恋人だったと思うのだけど」

 イーアは本のページをめくる。目当ての肖像画にたどり着くと、それをそっとオイゲンの前に差し出した。


「この顔に見覚えがある?」

 肖像画の大公は、無骨な戦士のような男だ。その姿を見て、オイゲンは瞳を輝かせた。


「彼は君が死亡した後、カーナリーエの主要貴族二家を断絶し、君の側近だった国の中枢を全員処刑している。

 察するしかできないけど、もしかして君の死に関して何かがあったのかもしれないね」

 オイゲンは驚いた目でイーアを見返す。

「その後カーナリーエは長く統治者不在になっている。ベルンシュタインでも最低限のこと以外はしなかった。よほど大公の怒りに触れることがあったのだろうね」


「そうなのですか〜……」

 オイゲンは力無く答える。

「彼らはわたくしとアドの仲をよく思っていなかったのです……きっとわたくしは、あの者たちに殺されたのですね〜……」


 イーアは微苦笑する。愛称で呼ぶその名前に、隠しきれない思慕が篭っていた。

「その後、アーダルベルト大公は生涯独身で、遠縁のスヴェン伯爵を養子に迎えいれている。墓はヴァイシェーン城の近くに陵墓があるらしい。そこに行きたいよね?」


 オイゲンは困惑したような顔で顔を上げ、イーアを見る。


「ですとベルンシュタインの北部です〜……だいぶ遠いですね……」

「だから今すぐは無理かな。僕が無事に帰ってきたら、夏季の長期休みの時とか。チルの故郷にも、連れていってあげたいし」


 無事に帰ってきたら。チルを連れて。

 イーアはすでにそんな未来を諦めている。そう思っていたのに、ふいにそんなことを言ってしまった。


「もしもの時のために、君のことはノルデン王弟に託そうと思う。それでいいかい?」

 イーアの問いかけに、オイゲンが驚いたように目を見開いたあと、ゆるゆると首を振った。

「もしも許されるなら、黒曜石の君、貴方様の手で彼の方の元に行きたいです〜。もし叶わないなら、わたしの道はそこまでだったと言うことでしょう〜」


 イーアは少し眉を顰める。


「わたくしを掬い上げてくださったのは、貴方様黒曜石の君と藍玉の君でございます〜。お二人の手で、わたくしはこの望みを叶えられたらと思うのですよ〜」


 必死にこの幽霊のために何かできないかと言っていたチルの姿を思い出す。


「意外とわがままだね」

「それはお許しください〜。なんせ死後百年以上も我を通すほどの頑固者ですゆえ〜……そうそう、わたくしが真っ昼間から現れたのはですね〜、これをお渡ししたかったのですよ」


 オイゲンはそう言いながら、手のひらを広げた。そして握りしめていた指輪をそっとイーアの前に差し出す。イーアは思わず目を見開いてそれを見つめた。


 見事な桃金剛石(ピンクダイヤモンド)の輝き。  

 イーアにとっては見慣れたその指輪は、間違いなく眠り続ける母の指にあったものだ。警備の厳重な母の寝室から、どうやって持ち出してきたのだろうか。


 驚いて顔を上げると、オイゲンは困惑するように首を傾げる。

「こちらは狭間の世界のお母上から預かってきたものなのですが……現存していた指輪の方はどうなっているのでしょうね〜? おそらく同じものは二つ存在しないので……おそらくこちらが存在物になった、と言うことだと思うのですが〜……」


 どう言うことだろう。何はともかく、今頃母の眠る宮殿では大騒ぎになっていやしないだろうか。そして父はイーアがこの指輪を持っていると知ったら、どんな顔をするか。イーアはちょっとだけ頭が痛くなった。


「伝言でございます〜……『幸せになれ』との事で……正しくはしあませになれ、と仰いまして〜なんのことかわからず、このオイゲン、混乱しました〜」

「それは、すまない」

 言いながら、イーアは口元が緩んできた。母はよく変なスペルミスをする。書き文字が時々暗号みたいになることも度々だった。あちらの世界で筆談で話をするとは聞いたが、まさかスペルミスの癖まで変わらないとは。


「そうか、母上が」


「『貴方のせいじゃない』とも、おしゃっていましたよ〜。無事にお伝えできて、安心しました〜……」

 オイゲンはひとつ大きく息をする。

 だがイーアは、おまけのように言われたその一言に殴られたように衝撃を受けていた。


「黒曜石の君、わたくしまた鏡の中に戻ります〜。どうか、どうか無事に帰ってきてくださいませ〜」

 何も説明していないはずなのに、オイゲンはすでに理解しているらしい。

「ああ、ありがとう」


 言いながら、イーアはそっと指輪を握る。


 この指輪が贈られたのは、黒髪の双子が生まれて、母の立場が危うくなった頃だ。


 その指輪をつけてにっこりと微笑む母は、いつ見ても幸せそうだった。本当はどんなに辛かったろうと思うが、その顔を決してイーアには見せなかった。

 だから、守りたかった。


 自分の存在が母を、そして父の立場を危うくするのではと思ったのは幾つの時だったか。銀の髪と紫水晶の瞳を持つ妹が生まれたあの日、心の底から安心した。皇位を継ぐ者の母であれば、母はおそらく皇后として認められる。


「そうだな……簡単に手放したわけじゃ、ない」


 皇太子としての立場を放棄したのも、両親と離れて暮らすことを決めたのも、自分だ。しっかり鍵を閉めた寝室で、声を押し殺しながら泣いて、泣いて決めた。たった一人で暮らす広く寂しい宮殿、耳をすませば両親の声が聞こえるのではないかと、両親の住む宮殿に近い窓枠に張り付いていた夜。


 自分の家族が欲しいと願った。

 そして、今のイーアにはチルが居る。


 チルが幸せでいてくれればいいと思う。だが、その隣に居たい。彼女がこれからの人生で負うであろう、苦しみも悲しみも、そして幸せも一緒に味わいたい。


「絶対に、諦めない」


 あの太陽みたいなチルと一緒に生きる未来を、どうやって諦める事ができると言うのか。




お読みいただきありがとうございます。


ナディは必死にオイゲンの手に文字を書いていました。必死になるとナディは唇を尖らせる癖があるので、オイゲンはその様を見て『似てない親子だなぁ』と思ってしまいました。

次回もよろしくお願い致します。

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