第22話 黄昏の王の末裔
「女神と話を付けてくる」
決意を滲ませた声でイーアがそう言ったのは、次の日の朝だった。
どうやらここは『紫苑宮』と呼ばれる皇家の離宮で、その昔は本宮殿だった歴史のある場所だ。イーアが自由に使える場所がそうなく、ここにチルは運び込まれたらしい。
昨晩、チルとイーアは結局あのまま寝てしまい、朝に呆れた顔をしたピアに起こされた。ベルンシュタインの屋敷で緊張続きだったせいか、珍しくチルもすっかり寝込んでしまった。
のんびりと朝風呂に入った後、合流したリンを膝の上に乗せて一緒に朝ごはんを齧っていた時に、神妙な顔でイーアが言ったのだ。
ふにゅう、と声を出して、リンは耳を伏せる。
「女神と会話が成立するとは思えないけど……」
「だが、ここで止まっていては先はない。メメとあの誓いをした以上、僕にはもう他の選択肢がないんだ」
「女神かぁ」
チルは呟く。
どうやらあの男に襲われた時にいた存在が、黄金の女神らしい。半分鳥だったと惚けた感想をチルが言うと、リンが神妙な顔で考え込んでいた。
「たぶん、女神はヴェルドフェスさんの娘として生まれるはずだった……だけど、襲撃で失敗した。だから守護神獣の力を使っているのでしょうけど……。
でも、もうすぐ生まれるはずだった赤ちゃんはどうなったのかしら?」
リンが首を傾げると、イーアはうーん……と唸った。
「医者によると、消えた。そして今、夫人は『時が止まっている』状態らしい。心臓も動いていないが、肉体は温かく生きている」
「それはユーリアの魔法でしょう。あの子、すごい魔力あるから……たぶん、無意識にやっちゃったのね。生まれた時に、ナディアの魂をすっ飛ばしちゃったのと同じ」
ほえー、とチルは呟く。魔力なんてものを持ってる人間がそんなにいるとは。
「たぶん、あの女神の肉体はヴェルドフェス夫婦の子供の体で間違いないだろう。ニコラウスはノーヴァの長子、女神の器としてはこれ以上のものはない」
イーアは苦い顔で言う。
「……しかも、その奥方は緋虎、でしょう? 緋虎は蘇りの神獣……女神が力を取り戻すにはぴったりじゃないの……」
ねっとりと粘るっこい声がした。
イーアとリンが勢いよく振り向く。
先程まで誰もいなかったはずの場所に、青白い顔の女と晄界で一度見た全身真っ白な男がいて、チルは目を丸くする。リンに教わった、鴉さんこと黒翼の魔女の妹とかいう、白翼の魔女とその守護神獣の白亜という存在らしい。
白亜はすでに人型になっており、膝を立てた状態で座っている。その足の間に、ぐったりとした青い顔の白翼の魔女メメがいた。白亜にもたれかかるその様は、まるで恋人同士の睦ましい時間に見えなくもないが、何せメメの顔が蒼白である。
「メメ……あなたなんでここにいるの」
「そこな女神の代行者が、まぁ誓約を守る気がないみたいで……ふへへ、さいあく。本当に最悪……」
メメはそう言いながら、イーアを見る。だが、目に入れる価値もないと言わんばかりにわざとらしく目を逸らした。
「何も言い返すことができないな」
「メメ、それについては私の話を聞いて」
リンが身を乗り出すと、メメは嬉しそうに表情を崩した。
「……うん、リンの魂の色、きれい……って。ベルンシュタインの娘、あなたもなかなかきれい……」
ぐふふ、ぐふふと笑うメメを、チルは目を見開いて見つめた。
話では聞いていたが、チルは白翼の魔女とかいう彼女と会うのは初めてだ。やけに顔色が悪いが、大丈夫なのだろうか。イーアもリンもそのことに全く触れないので、チルはだいぶ心配になってきた。
「魂の色って、見れるのか」
「見れる……よ。あなた、銀の祝福を、得てるね……」
チルは頷く。
とりあえずコップを片手に、彼女に近付いてその顔を覗き込む。メメは驚いたように体を引いて、白亜の体にぴったりとくっついた。
「顔色悪いよ? 大丈夫?」
「……ええ、……ええ?」
戸惑いつつもメメがカップを受け取ったのを確認すると、チルはすぐにソファに戻った。怯えられてしまったようなので、あまり近くにいない方が良いかもしれない。リンはその間、大人しくチルにくっついていた。
メメのカップを持つ手はかたかたと震えている。それを隠すように、にたぁと笑った。
「……ねぇ、ベルンシュタインの娘……。あなた、女神はあなたの存在を許さない、よ……。あなたは何度でも死を見るよ……だから、さっさとその男から離れたほうがいい……あなたなら、どんな生き方でも……できるはず……」
それを言われると、流石にしんどい。
チルはううっと眉間に皺を寄せた。
「俺も、できればそうしたいんだけど……こいつの母ちゃんに頼まれたからなぁ。投げ出しちまったら、合わせる顔が無い。かと言って俺ができることなんて、なにも無いんだけどさー」
「チル……」
リンが琥珀色の目をまんまるに見開いて、自分を見つめている。それにゆっくりと微笑み、チルはそっと呟いた。
「わかってる。逃げてないで、ちゃんとこの感情に向き合うよ。だからリンにも心配かけるね……ごめん」
リンはふるふると首を振った。
「だからイーアはちゃんと女神と話して来い!」
チルはびしっとイーアを指差して命令した。
イーアは目を大きく見開いて、チルを見返す。
「どうせお前のことだから、話しする前に斬りつけたんだろう?」
何も言えなくなっているイーアに、チルはふんっとさらに鼻息を荒くする。
「へぇ……面白い……面白いねぇ……白亜。ねぇ、女神に話するなら、手を貸してもいいよぅ……」
メメがにやにやと笑いながら言う。
「あんたには……借りができたしねぇ……。魔法薬の横流し、やっぱり神殿に流れていたねぇ……」
「魔法薬?」
首を傾げるチルに構わず、メメは話す。イーアの眉間の皺が深くなった。
「神殿から先が追えていない。おそらくそこから改悪されて売られていたのだとは思うが」
「……神殿が関わっているなら、それは間違いなく黄泉だろうねぇ……。あんたも会っただろう……黄金の、翼。女神の忠実な僕で、守護神獣だ。あんたごとき若造では……どうあっても敵わないだろうよ」
メメはぶふぐと口の中で笑う。
「……神獣如きが、あたしを利用するなんて、許せないから。こっちもなんか、やり返す方法、考えなきゃ……ぐふ、ふ」
「メメ、あなためちゃくちゃ悪い顔しているわよ」
チルの腕の中で呆れたように言ったリンの言葉に、メメの目が一瞬丸くなる。真っ直ぐにこちらをみているその顔は、意外と幼い。外見年齢は十代半ば程度にしか見えない。
「そうだった……鏡の空間の狭間で……女神は今すごく堕ちてる……。だってあんたが斬りつけたんだもん……かわいそうに、愛しい男に捨てられて……だから、あんたは今の女神を知らなきゃ、いけない……」
イーアの顔が険しくなった。
「大前提として、僕はその『愛しい男』ではない」
「……そんなことは、女神も知ってる……」
メメはにへぇと笑った。
「……庇護の代償として、女神が求めたものは愛されること……だから、その愛を与えるのはあんたたちの使命だ……この大陸を守るために……」
「大陸を、守る?」
イーアが怪訝そうに呟く。
「これまた壮大な話に……」
「そうねぇ」
呑気な感想を言うチルとリンをちらりと睨め付けてから、イーアは頷く。
「わかった。白翼の魔女よ、どうか女神の元に案内してくれないだろうか」
メメはこれ以上ないほど凶悪で、不気味な笑顔で応えた。
「……喜んで……黄昏の王の末裔よ……」
◾️ ◾️ ◾️
皇城の廊下をまっすぐに歩くイーアの後ろを早足で近付く足音がして、イーアはゆっくりと振り向いた。
「ルイス・ヴィレ殿」
わざとらしく名前を呼ぶと、ルイスは心底嫌そうに顔を歪めた。この男はいかにも洗練された貴族という見た目そのまま、いつも笑顔を崩さない。だがここ最近の一件で、イーアに露骨に表情を出すようになった。それは親しみからではなく、むしろ『本気で嫌いになった』からなのだろうとイーアは察している。
「わざわざ足を止めていただいて感謝しますよ。殿下」
「同級生の君がわざわざ皇城にまで来てくれたんだ。会わないわけにいかないだろう?」
イーアは今日の午前、学園に行った。しばらく留守にするかもしれないので、その間の事を片付けただけで、すぐに皇城へと戻ってきた。
どうやらルイスは学園からイーアを追いかけてきたらしい。ご苦労な事である。
「貴方に話がある。飾り立てて話すほどのことでもないのでそのまま言うが、私はツェツィーリア姫に求婚する。……貴方にも言っておくべきだと思ってな」
そう堂々と宣言するルイスは、小賢しく立ち回るのが上手いくせに、妙な所で愚直だ。
「好きにすればいい」
イーアの返答が気に食わなかったようで、ルイスは盛大に眉をしかめた。
「自分の女に手を出されて平気なのか」
「あの子はわたしの所有物ではない。自分のことは自分で決める」
イーアが言い切ると、ルイスはますます顔に嫌悪感を滲ませた。ルイスはもしかしたら、このイーアの返答が自信から来るものだと勘違いしているかもしれない。
だが違う。
女神と対峙することになった今、イーアの今後がどうなるのか、それはイーア自身にも全くわからないのだ。
むしろ、女神の前に膝を折る未来の方が現実的だ。そうなれば、イーアはもう二度とチルに触れることはできないだろう。
そうなれば、彼女の温もりを感じながら眠った夜が、チルと過ごした最後になるのだ。
何やら力無い諦観のようなものの中、それでもいいかなとイーアは思う。自分たちが背負い込むにはあまりに面倒な未来しかないのだから。
「相変わらず、あんたは胸糞悪いな」
ルイスはそう言いながら、イーアを睨みつける。視線だけで人を殺せそうな、凶悪な感情をぶつけられて、イーアはふと笑う。
「そういえば、君は貧民街で保護されたんだったね」
「ああ?」
「きっと私より上手く立ち回れるだろうと、そう思っただけだよ。話がそれだけなら、私はここで失礼するが」
ルイスは黙ってイーアを睨みつけているだけだ。イーアは少し目を窄めて、踵を返す。
「あんたはそうやって、いつも簡単に投げ出すんだな」
執務室の扉に手をかけた時、背後でルイスはそういいながら笑う。
「本当に、気楽な身分だな。皇族ってもんは」
嘲笑するようなその声を聞きながら、イーアは執務室の扉を開けた。
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