第21話 夜のしじまに声をひそめ
微睡の中、誰かが頬に触れる感触がして、チルは目を開ける。
薄暗い室内、微かな月の光を受けて光る金の髪。心配げに見下ろす紫水晶の瞳。
ぼんやりとそれを見上げながら、チルはぼんやりと思う。
(……夢かな?)
あの日、晄界から帰った日の夜に、ヴェルザー卿から話を聞いた。殿下は今後チルに関わることはないと誓いを立てた、と。
勝手にそんなことしたイーアにすごい腹が立ったけど、まぁいつかはそうなるし……などと、もやもや考えて、ちょっと泣いた。そうしているうちに、周囲はめんどくさい事になり、もういい、逃げるかー! 実の祖父だというランの事は気になるが、イーアのことなんか、知ったこっやねー! とルッソと逃亡の算段を立てていたところだったのだが。
夢か現実か、イーアは相変わらず難しい顔をしている。それがなんだか面白くて、ついチルはへへっと笑ってしまう。
「チル? ごめん、起こした?」
「あれ? ホンモノ?」
「……チル、寝ぼけてる?」
慌てて起き上がり、チルはその場で胡座をかいた。飛び跳ねそうな心臓を抑えながら、室内を見回す。
見たことない部屋だった。かなり豪奢な調度品に、天蓋付きのベッド。灯りはなく、室内は暗い。寒くはないので、どこかかから暖かい風が流れ込んでいるらしい。
服装は昼間に着ていた深緑のドレスのままだ。
そのベッドに腰掛けて、イーアは心配そうに首を傾げている。その顔は、少し疲れているようにも見えた。
イーアは周りがびっくりするくらい健康優良児なので、こんな顔をしていることはとても珍しい。
「いや……お前こそ……」
「うん、ちょっと最近寝れてないんだ」
困ったように笑う。
「俺を心配してる場合かよ」
「……じゃあそれはお互い様ということで」
老成した大人のようなことを言う。そのくせ、気遣わしげな視線を送ってくるので、妙にくすぐったい。
「お前、俺に会っちゃっていいの?」
「ああ……困ったね。誰かとの約束を故意に破るなんて初めてだよ」
そう言うイーアは自嘲気味に笑うが、晴れやかな顔だった。
「……聞いたよ。大変だったんだって?」
「おう。うっかりおっさんたちの前で吐きそうになっちまったぜ」
昼間の出来事を思い出すだけで、胃の辺りがもやもやする。げんなりしたチルの顔をじっと見て、イーアは微かに微笑む。
「でも、俺の親父なのかな? どっかの国の王子だったらしいよ? すげぇ驚いた」
イーアは静かに頷く。
「……でも本当なのかな?」
チルは首を傾げる。
実のところ、チルには幼い頃の記憶がない。最初の記憶が親方の屋敷で、ルッソに抱きしめられて寝ていた頃のものだから、おそらく五歳くらいのものだろうと思われる。それ以前の物はすとんと抜け落ちてしまっていた。
「……実は、僕もチルの過去について調べた。ルッソも協力してくれたしね。僕から話してもいい?」
イーアの声に、チルは勢いよく顔を上げた。胡座のままイーアに詰め寄る。そして神妙な顔で頷いた。
「じゃあ、話すね。いろんな疑問の答えにはなると思う……長い話になるけど」
今から三十数年前、シュテレ王国の王女が未婚のまま男児を産み、死亡した。その王女は体が弱く学園卒業後は殆ど表舞台に出ることもなかったため、特に大きな話題になることはなかったという。
生まれた王子はフェリックスと名付けられ、姫の兄王が養子として引き取り育てた。
「この子の父親がヴェルザー卿らしいんだけど……その少し前にベルンシュタインではベール夫人が男児を出産している。
二人は元々不仲で有名だったらしいが、ある日突然様子が変わった。結婚の数ヶ月前から、ヴェルザー卿とベール夫人……帝国のベール伯爵令嬢がとても仲睦まじくしていたところを目撃されている。ベール伯爵令嬢も、『人が変わったように』ヴェルザー卿を敬愛していたようだった。それまで、田舎貴族と馬鹿にしていたのが嘘のように。
出産直後に彼女と離縁を申請したって話は前にしたよね。それに周囲は驚いたそうだよ。あれほど愛し合っていたのに、と」
チルは頷く。
そのチルに、イーアは懐からハンカチを取り出して広げて見せる。月の光を反射して光るそれは、黒曜石の小さなピアスだった。
「おそらく僕は、なんらかの幻術が使われたのではないかと思っている。シュテレ王妹とベール伯爵令嬢は似てはいないが……従姉妹で、髪の色と瞳の色が同じだ」
シュテレ王女はなんらかの方法で顔を変えて、ベール伯爵令嬢としてヴェルザー卿に接触した。そうして関係を持った後に本物のベール伯爵令嬢とすり替わったのだろう。
おそらく本来の婚約者の伯爵令嬢がどこかの誰かの子供を妊娠し、それをなんとか隠匿するためにシュテレ王女を利用したのだろうが。
実際、学園時代のシュテレ王女は気が弱く、帝国の貴族の間でひどく軽んられていたという。
しかもベール伯爵令嬢は、当時貴族社会の女王だったイングリート皇女、イーアの祖母の取り巻きだった。立場の弱いシュテレ王女が言いくるめられたか脅されたか、どちらにしろ彼女らに利用されたのだ。
ヴェルザー卿からしてみれば、愛していたはずの娘が別人になり、自分とは全く違う色の子供を産んだことになる。
「……チルの祖父だから、こんなことは言いたくないけど……僕はあまりあの人は好きじゃない。でもまぁ、そんなふうに騙された経験があるなら、懐疑的にもなっちゃうかなぁと、思う」
「大丈夫、俺も今はあんまし好きじゃない!」
チルが堂々と宣言すると、イーアは声を出して笑った。
「話は戻るけど、その生まれた王子がフェリクス王子だったんだよね」
この王子の記録は帝国側には殆どなかった。
帝国は各国の子供達に交流の機会を多く与えている。新年のお茶会のように、子供の頃から絆を深くすることが貴族、王族同士の結束に繋がると考えているからだ。
だが、フェリックスはその場に参加した記録がほとんどない。
ようやく公の場に出たのは、十三歳の夏。ヴェルザー卿が学園入学前の北峰の子供を集め、教育の場を設けた時だった。
おそらく当時から養子のロルフではなく、実子と思われるフェリックスを後継にするために、なんらかの手を打っていたのだろう。
そのカモフラージュのために集められた子供の中には、ノルデンのクリスティーナ、エリアスやアレクシスもいた。
「すごく仲が良かったみたいだよ。フェリックス王子は自分の国の従者……今日もいたらしいけど、ランゲ家とフェラー家の息子達より、エリアスやクリスティーナと仲が良かったらしい」
「だから姐さん、あんなにむきになってたもかな?」
イーアが頷く。
「ところが、学園入学を目前にした冬の初め、ヴェルザー卿は病弱を理由にフェリックス王子をシュテレに返している……が、これに記録がほとんど残っていない。
そして同時期に、ヴェルザー卿は帝国に養女を迎え入れたと報告をしていた。この養女の姿を見たものもいたらしいが、公城の奥から殆ど出されないままだったらしい」
同時期にシュテレ国王が自ら命を絶った。本来行われるはずの国葬も行われず、ヴェルザー卿は代理国王としてランゲ当主を指名した後、王城に蟄居していたフェリクス王子を連れ去ったと言われている。そして数ヶ月後にはフェリクスの病死が公表された。
「え?」
なんだか混乱してきたぞ、とチルが首を傾げる。
「……おそらく、その時点で蟄居していた王子など存在していなかった。公城にいた養女こそがフェリクス王子だった。
つまり……フェリックス王子は女子だった。チルと同じ、男と偽っていたのではないだろうか」
「はぁ……」
平民と違い、王族の性別詐称は帝国に対しての反意と見做される。その場合、どのような罰が下されるか……とにかく、国家を揺るがす大きな欺きに違いない。
ヴェルザー卿が行ったのは、確かに保護だった。学園に入学すれば、この詐称は間違いなく発覚する。そうなってからでは、どうあっても当人を救い出すことはできないだろう。
「じゃあ、とうちゃんじゃなくて、母ちゃんってことか……。っていうか、なんで、王子になってたんだろう?」
「どうしてだろうね」
前シュテレ国王の考えはわからない。
それほどの重大になると思わなかったのか、だが姪を王子として育てた事になんらかの意味があったとは思えない。実際、男児として育てられたフェリクスは何度も命を狙われている。おそらく、真実を知るベール夫人の手のものによって。
「……意趣返し、だったのかな」
イーアの言葉にチルは首を傾げる。
「だが、ヴェルザー卿に保護されたフェリクス王子……、王女か。彼女はその数年後に失踪している。ヴェルザー卿は手を尽くして探したようだが、発見できなかった……それがチルが生まれる約半年前かな」
チルはふと、クリスティーナの言葉を思い出した。
『想い人と引き離し、結果虎の前にあの子を放り投げた。あの子はベルンシュタインから逃げ出すしか選択肢がなかった。』
「想い人がいたって言ってた。……でも引き離されて、虎の前に……」
チルの背中を悪寒が走った。つい数日前、自分が経験したことを思い出す。
「きっと、俺ができたから逃げたんだ」
イーアが驚いたように顔を上げる。チルを見る目はとても心配げだ。
「父親が誰かわかんねぇけど、たぶんろくでもないやつで……そして、逃げ出した」
感情の抜け落ちた声でそう言うチルを、イーアが心配そうに覗き込んでいる。
「ノルデン国王が言ったのか? クリス、激情家だね……」
イーアが酷く辛そうに目を伏せた。
「……学園の長期休暇で帰城していたヴェルザー卿の養子、ロルフがこの頃死亡している。……ベルンシュタイン城の中では、ヴェルザー卿が殺害したと噂されたらしい。
ヴェルザー卿が怒りに任せて養子を殺害する、それほどの事件が公城の奥底であったのだろう」
「俺とおんなじじゃん。親子揃って、何やってんだような。……俺たち。そいつが親父だったのかな……」
チルはからからと笑うように言おうとして、喉が詰まった。代わりに、意図していないのに涙が溢れる。
「ごめん」
イーアの手が伸びた。
次の瞬間には、チルはすっぽりとイーアの腕の中に収まっていた。
「いや、聞けて良かったよ? なんで俺みたいな孤児が姫扱いされてんのかわからなかったし。ちゃんと両親がいたこともわかったし」
その後、フェリクスがフェリアと名乗り、シュテレの北限の地で生活していた事もわかった。
だがその足取りは、十四年前の災禍を機に途絶えている。ヴェルザー卿も災禍の数年後に彼女の足取りを捉え、そして残された娘の存在を知り血眼になって探していたようだ。
まさか、はるか東の地、ワルドにいるなどと、思ってもいなかったのだろう。
「どうしよう、俺、本当にあの人の孫なんだ」
ゆるゆると実感が湧いてきて、チルはぎゅうっと目を瞑る。
「大丈夫、チルはあの人に似てないよ」
見当違いの慰めが飛んできた。
「なんだそれ。……おわっ」
イーアがチルを抱きしめたまま、ベッドに横たわった。
なんとなく居心地が悪くて身じろぐが、思いのほかイーアの腕に力が籠っていて動けない。鼻腔いっぱいにイーアの匂いが広がって、チルはなんだかひどく落ち着かない気分になる。涙もあっという間に引っ込んでしまった。
(イーアに顔を見られませんように……)
こんなに赤くなっていたら、隠していた感情もすぐに知られてしまう。だが今イーアの顔が、チルの頭にぴったりとくっついていやしないか。
(近い、近すぎる……!)
髪の毛の間を走るイーアの呼気が温かく、くすぐったい。
「チル……」
あまったるい声で、イーアがチルの名を呼ぶ。間近から聞こえる低音の声に、体のどこかがぞくぞくと震えた。
「僕は君と離れたくない」
(……何言ってんだこいつ!)
こんなにがっちりと拘束しながら言うことか。
「本当は、君を手放した方が、チルが幸せになれることはわかってるんだ。でも、それができない」
ごめん、ごめんと譫言のようにイーアは繰り返す。
「俺の幸せを勝手に決めるな」
チルがぴしゃりと言うと、抱擁する力がさらに強くなった。
「チルは強いね。僕にとって……まるで太陽みたいだ。だから、……僕のそばにいて」
それだけ言うと、イーアの呼吸が徐々に規則正しいものになっていく。どうやら、本当に寝てしまったらしい。
「相変わらず、お子様じゃねーか」
少しだけ傷んでいた心が、イーアの寝息の安らかさに癒されていく。いろいろな思いが心の中に浮かんだり沈んだりしたが、イーアの胸に顔を埋めてしまうと、もう全てがどうでも良くなってしまった。
(……うん、もう、いっか)
意地を張るのも、もうここまでだろう。イーアの顔を見ただけで、ここに今いるだけで、こんなにも嬉しい自分がいるのだから。
確固とした何かが、初めてチルの中に生まれた。イーアの背中に手を回し、しっかりと彼を抱きしめる。
(俺、こいつのために生きよう……)
そうしているの間にか、チルもすとんと眠りに落ちていた。
お読みいただきありがとうございます。
長い話が続いてしまい、すいません…!
どうにも説明くさい話になってしまい……物語を書くの、もっとうまくなりたいなぁとつくづく思います。
ヴェルザー卿の恋の話、どこかでかけたらいいなぁと思っています。
次回もよろしくお願いいたします!




