第19話 その色を持つもの
19、20話はルイス視点です。
「別邸に明日、エアハルト殿下が来るんだって。しかもお忍びで」
寮の居間、課題の本を読んでいたルイス・ヴィレは、幼馴染のクルトがそう話した時、まず第一に『なんだそれ』と思った。
エアハルト殿下はルイスの同級生だ。いつもすかした顔で、周りの同級生にはいっさい興味がない顔をしている。それなのに勉学も武術も学年では抜きん出て良い。数学と科学は苦手らしいが、それ以外はどれだけルイスが努力をしても敵わない。
それだけでも面白くないのに、学園の生徒会総会長を務め、さらにすでに公爵位を受け継ぎ、学業と並行して領地経営も行っている。
それほどのことを平然とこなすあの皇子は、皇家の長男であるにもかかわらず皇位継承権を放棄した。弟妹に押し付けて、自分は平然としている。
去年までは二つ年上の公爵令嬢を侍らせていたが、それ以外は異性にまるで興味がないという顔をした、とにかく気に食わない男だ。
そしてこの男の治めるのは帝国最北端のシュヴァルツエーデ、この地は北峰の宗主国ベルンシュタインとは因縁の仲だ。
どんなにプライベートだろうが、お忍びだろうが、おいそれとシュヴァルツエーデ公爵が北峰の領地である荘園に踏み込んで良いはずがない。
しかも、さらに不愉快なことに、この殿下の想い人と噂されている娘を保護しているのが自国ノルデンなのだ。
ルイスは自国の王家と関係が浅いため、ノルデン別邸は敷居が高い。滅多に足を運ぶことはないのだが、去年の秋以来、そこに殿下が度々訪れるのだという。
殿下は身分を明らかにしない、いわゆるお忍びである以上、ノルデンの宗主国ベルンシュタインも関与できない。だが、ベルンシュタインの別邸にも来ると言うのなら話は別だ。
ベルンシュタイン別邸に部屋を持つルイスにしてみれば、面白くないことこの上ない。
ルイスは奥歯を強く噛みしめる。
(胸糞悪い…!)
「ってことは、ツェツィーリア姫も来るのかな? おれ、一度会ってみたいんだよね」
そんなルイスの苦悩も知らず、クルトは平和にそんなことを言う。数日後の試験に向けて勉強中のルークも顔を上げて、
「あ、俺見たよ? 式典の時と違って、なんか男っぽかった。でも年上って感じしなかったなぁ」
などと言う。ルークはノルデン別邸にも度々遊びに行くのだ。
「なにお前ら、呑気なこと言ってんだよ。あの女が何者かもわからないのに」
ルイスが毒付くように言うと、二人はキョトンとした顔でルイスを見返す。
「だって、あの子ヴェルザー卿の孫でしょ?」
「だからなんでそんなこと言い切れんだよ」
イライラしながらルイスが言うと、二人は不思議そうに顔を見合わせた。
いや、クルトやルークだけではない。
なぜかルイスの周囲のものは皆、ツェツィーリア姫がベルンシュタインの人間だと信じて疑わないのだ。それをエアハルト殿下が保護し、きな臭いベルンシュタインではなくノルデンに保護を要請した、そういうことになっている。
「おかしいだろう。偽物かもって思わないのか?」
「うーん。だってあの卿が自分から声をかけたらしいよ? 新年の大夜会で」
「なんかこう…やっぱりそうなんだろうなーって」
なんて呑気なんだ、とルイスは二人を睨みつける。すると少し困ったように、穏やかな声でクレオが言った。
「だって、彼女は紛れもなくベルンシュタインの色を持っているだろう?」
その言葉を聞いた時、ルイスの心に浮かんだのは激しい嫌悪感だった。
色。また色。
これまでのルイスの人生はこの言葉に縛れていたと言っても良い。
『見て! この子の色を、どう見てもノーヴァ公の息子でしょう!?』
髪を振り乱しながら叫ぶ女の姿が、脳裏に甦る。
「まぁそんなに怒るなよ、ルイス。もう君がベルンシュタインの後継なのは決まったんだろ? 今更我が孫可愛さに、ヴェルザー卿も契約を反古することはないだろ」
ルークが取り繕うように言う。今更、と思いながらも、ルイスは乾いた笑いを浮かべる。
ルイスはこの国の生まれではない。
ノーヴァの貧民街で拾われて、ノルデン王国ヴィレ家の養子となった。母は元々神殿女で、父は母曰くノーヴァ公だと言う。元々貴族の娘だった母に同情したノーヴァ公が、自分を妻として迎え入れてくれる約束をしたのだとか。母は死ぬまでそれを信じていたが、ルイスは疑わしいと思う。
せいぜい世間知らずの小娘が、ノーヴァ公を名乗る男に騙され、弄ばれて捨てられたのだろう。
あの生きるだけで精一杯の場所から、ヴィレ伯爵家のエリアスの養子になり、去年、北の大公国ベルンシュタインの後継として義父に押された。
これほどの幸運に恵まれるとは、あの頃の自分には考えられないことだ。
だがそれも、実の孫だというツェツィーリア姫の存在で変わる。
金の色を持つルイスが後継となることを、ヴィレ家が擁するノルデン王家はまだしも、シュテレからは難色を示されていると聞く。血縁の存在があれば、あっさりルイス切り捨てるだろう。
今までの血が滲むような努力が踏み躙られたようで、腹立たしい。しかも、彼女を保護したのがあのいけすかない殿下だと言うのも。
(本当に、胸糞悪い…!)
つまるところ、何もかもが気に食わないのだ。
◾️ ◾️ ◾️
もしや、と思い裏庭に出た。
整えられた低木の間を抜けて、迷路のような小道をすすむ。小道の終わり、小さな溜池のそばに探していた人影を見つけ、ルイスは安堵のため息をついた。
その娘は、深緑の普段使いのドレスで身を飾り、濃い金髪を綺麗に編み上げて髪飾りも付けている。
この屋敷に来た時には男の姿をしていたが、今はベルンシュタインの侍女たちに磨き上げられた、ヴェルザー卿の孫娘。ただ、立ち膝に頬杖をついている様は、どう見ても淑女ではない。
「屋敷のものが総出で探しておりました。姫、こんな所で何をしていらっしゃったのですか」
どうしても口調が厳しくなる。木の陰に座っていた娘が一度だけこちらを見て、興味なさそうに水面に視線を移す。
人当たりの良いはずのルイスの笑顔にも全く反応しない。
(ああ、めんどくせぇ)
苛立ちながら近づいたルイスの足が止まる。娘のすぐそば、木の陰に男が一人立っていた。
「誰だ」
ルイスは剣の束を握る。抜こうとした瞬間、娘が手を上げてこちらを睨んだ。
「俺の仲間だ。手を出すな」
この娘は最初、男の姿で声はもっと低かった。今は女性らしい少し高い声で、男言葉を使う。違和感しかない。
「どうやってここに忍び込んだ」
ルイスが低い声で問うと、木陰から出た男が首を傾けた。細い目が印象的な、痩身な男だ。間違いなく、ワルドの間者だろう。
彼は笑顔でルイスに手を振る。
「それを教えちゃったら、俺たちのお仕事、なくなっちゃうからねー」
ふざけた喋り方だ。ルイスは眉間の皺を深くする。
怒りの矛先はそのまま、木に寄りかかって座る娘に行く。だが、ここで声を荒げるわけにはいかない。ルイスはひとつ息を吐いて、娘のそばに跪いた。
「姫、ヴェルザー卿がお呼びです。どうか、一緒に来ていただけませんか?」
そう言いながら、にっこりと微笑む。
学園ではこんなふうに微笑むだけで、女子生徒は黄色い声をあげて色めき立つ。だが娘はそのルイスの顔を一瞥すると、鼻に皺を寄せて汚物でも見るような目つきでルイスを見返す。
「姫なんて呼ぶんじゃねーよ」
「ではなんとお呼びすれば?」
ルイスは笑顔を崩さない。娘が心底嫌そうに、ルイスの差し出した手を払った。
「俺がここにいるのはイーアが…あいつが不利になる状況を避けるためだ。自分がここの人間だと認めたわけじゃない」
つまりは売られたんだろうが、とルイスは心の中で毒付く。
「…そうでしたか。ですが、ヴェルザー卿はとても喜んでいらしたのですよ? なのに、ここ数日全く口を聞いてくれないと、嘆いていらっしゃいます。どうかこの手をお取りください」
再度差し出した手を、娘は無視するように目を逸らした。
あまり気の長い方ではないルイスは、苛々としながらも笑顔を崩さない。内心では嵐の如く罵倒の文句が荒れ狂っているが。
だが、ルイスは何がなんでもこの娘が欲しい。
ベルンシュタインの後継者となる自分は 、金の色が濃い。それをよく思わないのがベルンシュタインの貴族、そしてシュテレの貴族たちだ。いずれはその中で最も発言力の強いシュテレのランゲ家の娘を娶るつもりだったが、この娘がいれば話は別だ。
連中もベルンシュタインの姫の伴侶であれば、大公位を継ぐことに文句はないはずだ。
神獣の末裔だという連中は、女神の子孫である『琥珀の君』へ絶対の忠誠心を持っている。それが自分に向けさせる方法はそれしかないだろう。
(どうやって口説くか…って、一筋縄じゃいかねぇよな)
内心舌打ちしたいのを堪えつつ、そういえば、と言う。
「エアハルト殿下とは今日お会いしました。姫のことを頼むと仰っていましたよ」
娘の藍玉のような瞳が、心許ない様子でこちらを向く。小さな顔に大きな瞳、再興の祖ジークリンデによく似た面差し。美人、と言うよりは可愛らしいという形容詞が似合うが、だが十分だと思う。何がなんでも、手に入れたい。
「あいつ、なんか言ってたか?」
「お忙しいようでしたので、特には。今は生徒会のお仕事が立て込んでいるようで、こちらの事はお任せすると」
「そうか…」
娘は素直に信じて、その瞳に落胆の色を滲ませる。ヴェルザー卿の言う通り、こちらを疑いもしない。
(時間さえあればなんとかなりそうだが)
ますかな手応えを感じたルイスの頭上から、んーと気の抜けた声が聞こえた。
「そうそう、イーアね。なんか病んでたから、チル後でお手紙でも書きなよ。あの貴族がやるような、仰々しい手紙」
「病んでた? 風邪でも引いたのか?」
娘が男を見上げる。男はにこにこ笑いながら、首を傾げている。
(余計なことを言いやがって!)
ああ、くそっと叫びたいのを堪えながら、ルイスは微笑んだ。
「…その時は私が学園で殿下に届けましょう。お約束しますので、今日のところは一緒に来ていただけませんか?」
再度の懇願に、娘はしぶしぶというふうに頷いた。ただし一人ですくりと立ち上がる。
「一人で歩く。じゃ、また後で」
娘は木陰の男にそう言いながら、すたすた一人で歩き出す。
「おーい、チル。ちゃんとエスコートさせなさいって。女の子は大股では歩かないんだよー。ちゃんと教えたでしょー」
呑気な声が追いかけてきて、娘はきっと振り返る。
「うっせー!」
そう言いながら、にーっと男に笑顔を見せる。
(お、かわいい)
そういえば、よくわからない世界から帰ってきた直後、一度だけルイスにも笑顔を見せた。だがあれっきり、ずっと難しい顔をしている。
「姫、どうぞ」
今度は素直にルイスに手を取った。身長はルイスの方がわずかに高い。伸び悩んでいた身長だが、とりあえず娘より高くて良かったと思う。低かったら格好がつかない。
隣に並んだ瞬間、ふわりと花の香りがした。緊張した面差しで歩く娘は、改めて見ればしっかりと教育を受けた、貴族の女性にしか見えない。
振り返ると、男が笑顔で手を振っていた。娘は前を向いて気が付かないようなので、ルイスは思いっきり彼を睨み返した。今後、娘と彼を絶対接触させないようにしなければ。
「チル、と呼んでも?」
「貴族さまはそんな愛称使わねぇだろ」
「じゃあなんと呼ぼう。ツェツィ?」
極上の笑顔を添えて言うが、娘は嫌そうな顔で見返しただけだった。しかも、屋敷の入り口に立つクルトの姿を認めるや否や、するりと手を離し駆け出してしまう。
「クルト! もう大丈夫なのか!?」
「やぁチル、この通りすっかり元通りだよ。すっかり女の子だね」
クルトはさらりとそう言うと、いつものようににっこりと微笑む。その笑顔につられるように、娘も笑顔になった。
「なんか、ドレスすごい嫌なんだけど! 服これしか用意してくれないし」
「そりゃそうだよ。チル可愛いから、みんな着飾らせたいんだよね。さ、もうみんな揃ってるから、僕らも行こう」
「みんな?」
首を傾げながら歩く娘を、さりげなくクルトがエスコートする。振り向きながら、
「ルイスも早く来なよ」
と言うものだから腹立たしい。
(クルト、いつか殺す…)
お付き合い頂きありがとうございます!
イーアは数学と化学が苦手です。
逆に歴史は得意で、満点を取るらしいです。
武術の成績も一位なのに、女の子にはモテません。イーアは女の子にきゃーきゃっ言われるルイスを『軽率なやつ』だと思っています。決して妬んでいるわけではありません。
次回もよろしくお願い致します!




