【異想譚】金の瞳 紅の記憶(ニ)
重い足取りで焚き火のそばに戻ると、あるじとエドの他にもう一人黒髪の男がいた。あるじがモーリッツと呼んでいた男で、ディは今朝この男にナイフを突きつけられ、先ほどはあるじのことを名前で呼んでいた事を怒られた。なので、すこし怖い。
三人は何か話し込んでいたが、あるじがディの方を見たので会話が止まった。三人に注目され、ディは緊張で体が硬くなる。思わず一番近かったエドの背中に隠れた。
「ディ」
あるじに呼ばれるが、モーリッツが睨みつけるので動くことが出来ない。
そもそも自分はなぜここにいるのだろう。あるじがいなくなったから、自分は兵士たちに酷い折檻を受けただろう。連れ出してくれたのはありがたいが、完全に場違いである。
冷や汗をかくディに、エドが木でできた器を差し出す。中には穀物の入ったスープのようなものがあった。
「まずは食いな。朝から何も食っていないだろう?」
そう優しく言われ、ディは頷く。
乾燥した野菜や肉が入っているらしく、スープは美味しい。夢中になって食べているうち、男たちはまた話し始めた。
「陛下には『魔法薬』が使われたようです。だが、解除薬は使われた形跡はない。どうやって回復されたか、ヴァンダが不思議がっておりました」
モーリッツが『陛下』と主人を呼んだ。ディの肩が震える。
「追加の薬を飲まなかったからではないか。ディによると、二年ほど前から薬は飲んでないらしい」
あるじが穏やかに答える。
「つまりは二年前まではこの娘は陛下に毒を持っていたことになりますね」
こちらを睨みながら言うモーリッツの言葉に、ディの体が大きく震える。手から滑って、器が落ちた。
「こらリッツ、こんな子供を怯えさせるんじゃない。現にこの子のおかげで、陛下は我々の元にお戻りになられたのだぞ」
エドがそう言いながら、器を拾ってくれた。中はほとんど入っていなかったが、もう食欲などどこかに行ってしまった。かたかた震えるディの頭にエドがそっと手を置く。
「大丈夫だ、怖がらなくていい」
「ディ」
もう一度、あるじがディの名前を呼んだ。
あの地下室ではディは名前を呼ばれたらすぐにあるじのそばに駆け寄り、その体にくっついた。そんなふうに互いを温め合ったり、言葉の勉強をしていたのだ。
でも今はあるじが『陛下』だと知ってしまった。もう、そんな恐ろしいことはできない。
「魔法薬に詳しいヴァンダによると」
面白くなさそうにモーリッツは続けた。
「いくら追加で摂取していなくても、一度体に入ったものを抜くのは難しいとか。更に強い魔法薬で『上書き』するしかないそうです」
「……魔法薬を生み出せるのは真珠の塔の賢者くらいだろう。しかも今回の反乱に加担している。打ち消しの魔法薬なんて作るかね?」
エドが不思議そうに言う。
「ディ、お前は私に毎日食事をくれたね。あれはどうやって準備していたんだい?」
あるじが優しく問う。
ディは恐る恐る顔を上げた。無表情なあるじがこちらをしっかり見ている。
「えっと……ごはんは王宮の使用人食堂から貰ってました。水は、井戸の水を」
「井戸の水? 煮沸や浄化もせずに陛下に差し上げていたのか!?」
モーリッツがまたもや怒気を露わにする。さすがにエドも驚いたような顔をしていた。
王宮のある皇都では生水は体に悪いと言われている。だが自分も井戸水を飲み、水浴びに使っていたディはそんな事全く知らなかった。
今度こそ、『ひぃっ』と声を上げてディは体を小さくする。両手で頭を守る仕草を見て、エドが眉を顰めた。
「まて、そう怒鳴るな」
エドは強くモーリッツを制すると、ディの体に手を回す。
「大丈夫だ、怯えなくていい」
「わたしもディの運ぶ水を三年飲み続けたが、体に異常はない。モーリッツ、私のしもべを怖がらせないでくれ」
「そうですね。……嬢ちゃん、何か特別なことはしていなかったか? なにか魔導具を使うとか……」
エドの優しい声に、ディは恐る恐る顔を上げる。そしてぶんぶんと首を振った。
「なにも……おまじないだけ」
「おまじない?」
エドが首を傾げる。
ディは頷いた。いろいろなことがあって恐慌状態だが、エドの声はこわくない。
「昔、教わった。……『暁の朱星、明けの明星。ひこの民をお守りください』って、水とか、果物とか、食べるときのおまじない」
「緋虎の従言か!?」
エドが驚いたように声を上げ、まじまじとディを見る。
「ひこ? ティグノス三家の祖か」
あるじの声に、神妙な顔でエドは頷く。
「この呪いは……紅焔の魔女が好んで使っていたものです。我々も身内で集まる時は時々使いますが……、なぜ嬢ちゃんがそれを?」
問われても、ディはただ首を振るしかない。
「昔教わった。もしかしたらギルからかも」
「ギル?」
ディは頷く。
「たぶん、父親……」
戸惑った顔をする大人たちに囲まれて、ディはひどく居心地が悪い。もう、ここから逃げ出してしまいたかった。
「そうか……緋虎の従言とは、我々が仕える女神に捧げるものだ。まさか、金と銀の女神の加護をお持ちの陛下をお守りくださるとは……」
エドの手が伸びてディの頭に触れる。
「嬢ちゃんは小さいのに、よく頑張ってくれたな」
エドに褒められて、ディの心がほこほこと温かくなる。金色の瞳から目が離せなくなった、そのとき。
ぐいっとディの右手が強く引っ張られた。
「いっ」
その力の強さに、声が上がる。驚いて見ると、あるじが冷ややかな目でディを見ていた。
(呼ばれたのに行かなかったから、あるじ、怒ってる!?)
あるじの美しい紫色の瞳に射抜かれ、ディは体が竦む。初めてあるじを怖いと思った。
「あるじ、あの……」
「私のことはユーリと呼べと言っただろう」
ディの言葉を遮り、あるじが言う。
「でも……」
ちらりと見ると、大人二人はそれぞれ難しい顔をしていた。モーリッツは眉間を厳しくして、エドは気遣わしげに。
「……陛下、この娘は我ら、ティグノスに繋がる者のようです」
「だからどうした」
エドの言葉を、あるじはすっぱりとはねのける。だがエドも食い下がる。
「……この娘には、時間が必要かと思われます……。おそばに置きたいなら、尚更。一旦、我々ティグノスに預けていただけないでしょうか」
「エド、お前の忠信は疑わない。だが、これは私の従者だ。お前は私の私物に口出すほど偉くなったのか? 第一、これの髪と目を見ろ。ティグノスに連なるものではないだろう」
あるじが手を伸ばしディの顎を掴んで顔を上げ、ディの朱紅の瞳と鳶色の髪をエドに見せつけた。
その乱暴な手の動きに、酷薄な言葉に、エドの眉間の皺が深くなった。ディもあるじの気配が怖くてがくがくと震える。
何か言いあぐねているエドは、本心から心配そうにこちらを見ていた。その金の瞳が、硬く閉ざされていたディの記憶の蓋をこじ開ける。
(あ……)
『いいかい、ナディ。これは【呪い】だ。だが生涯をかけてお前を守るだろう』
気遣わしげな金の瞳。頭に触れる、硬くて大きな掌。優しく響く、老成した声。
『父上』
もう一人の声は若い、ギルの声だ。あまりの懐かしさと慕わしさに、ディは思わず叫びそうになる。
『ギル、すまない……あの方がまさかお前に気がつくなど……』
『いえいえ、俺はあなぐらに篭って研究三昧ができるので、ありがたいですよ? むしろ父上の方こそ』
『私のことは心配するな。これでも一応武人だ。だが、おまえたちを守ることが出来ず、本当にすまない……』
若い声がからからと笑う。
『大丈夫ですよ。まぁなんとかなるでしょう。俺はこそこそ逃げるしか脳がないですが、逃げるが勝ちとも言いますしね』
「とにもかくにも、いったんワルドまで引きましょう。陛下にはまず、休息が必要かと思われます」
記憶の中の楽観的で無責任な懐かしい声を、現実のエドの声が打ち消した。まだ記憶と現実の間で混乱していたディは、驚いてぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「そうですな……陛下、それでよろしいでしょうか」
エドの言葉にモーリッツも同意する。
いまだ剣呑な雰囲気を発していていたあるじが、硬い顔で頷く。
旅の準備を始める男二人の背中を見ながら、ディは気まずい気持ちであるじを見上げる。彼は未だに、ディの腕を離してくれない。
「ユーリ……?」
険しい表情は緩まない。二人きりの時はあるじはいつも穏やかだった。こんなに怖い気配は知らない。
「ディ、お前は生涯俺に仕えろ」
唐突に頭上から落ちてきた声は、有無を言わさない命令だった。だが、先ほどの声に比べれば少し柔らかい。
嬉しくなって、ディは大きく頷く。
「うん、ユーリはずっとディのあるじだよ」
今はちょっと怖いが、言葉を教えてくれた。あそこから出るきっかけをくれた。ディにとってあるじは特別な人だ。
あるじの目元が少しだけ優しくなる。
「でも、ディは何も出来ないから……。あ、下働きみたいなことなら、出来るよ! でも、あるじには必要ないかな……」
あるじが『陛下』ならば、ディが暮らしていた王宮の、というかこの国の皇なのだから。
早口で話すディの唇に、主君の指が触れる。痩せすぎてほっそりとしたその指は、びっくりするほど冷たい。喋るなと言われた気がして、ディは口を噤む。
「おまえはわたしをあの地獄から救いあげてくれた恩人だ。だからおまえはわたしの従者ではなく……そうだな、家族のようなものだな」
「家族?」
ディは目をぱちぱちと瞬かせる。
「ディはとても身分が低いから、ユーリの家族になれないよ?」
「そんなことはどうでもいい」
モーリッツが聞いたら、目を三角にして怒りそうなことをあっさりと言う。
「私の家族はもういない。父のように慕っていた者も、この動乱の始まりに暗殺された。……もはや私には、お前しかいないのだ」
あるじの声が本当に悲しそうで、ディの胸がきゅうっと締め付けられるようだ。ここでもう一度否定してしまったら、あるじはどれほど悲しむだろう。
それにディの家族は、もういなくなってしまったギルだけだ。もしあるじが、あるじ兼家族になってくれるなら、それはとても楽しいかもしれない。
「うん。ディはユーリの家族になるね」
よくよく考えてみたら、ディは家族を知らない。幼い頃の記憶はどこかに行ってしまったし、物心ついた時には王宮の裏庭で、ほったらかされて見捨てられた子供だったから。
だからあるじの言葉の意味もわかっていなかった。
太陽の光を受けて、紫の瞳があやしく煌めく。少しだけ湧き上がった怯えを『気のせい』だと思い込むことにしながら、ディは主君の瞳を見つめていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
このお話に出てきたエドはエドヴィン・ルスト、本編でルスト伯として名前だけ出ております。
ニコラウスがルスト伯を『初恋泥棒』と呼んだ時、ユーリは激しく同意しました。
ちなみにイーアの妹ブリュンヒルデの初恋もエドです。
次回より本編再開いたします。
次回もよろしくお願い致します!




