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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【ニ】
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【夢想譚】灰と荒野の王

 視界いっぱいに広がる平原を眺めながら、彼はひとつ、ため息をついた。


 小高い丘の上、多少高い位置ならもう少し違う景色が見えるのではないかと、愛馬を駆って乗った。しかし霞むほど遠くまで広がる土地には、見渡す限り何もない。


 地面は陰鬱に黒く、緑の影はほとんどない。枯れた灌木、意味もなく転がる巨石、だいぶ先の方では川のような亀裂が走っているが、そこに水は見えない。どこまでも乾燥した何もない荒野が広がっているだけだ。


 そこをまるで蟻の行列のように、人々が歩いていく。殆どのものが徒歩で、もう何ヶ月も続いた行進に疲れ切っており、足取りも重い。歩けないもの、老人や子供は荷車や家畜の背中に乗ってはいるが、その家畜を持たないものは、どんなに小さい子供でも歩くしかない。


 行進の列は長く、先頭がこの荒野のだいぶ先なのに対して、最後のものの姿はそれ以上に遠い。道が悪いため細く長くなっていく人々の列の中には、所々に剣を持った男たちの姿もある。ただその兵士たちを除けば、ほとんどが女子供、そして老人たちだった。


 家畜は出立から数ヶ月、だいぶ数を減らした。これ以上減らせば、たとえこの先定住出来る土地があったとしても、しばらくは困難な生活が続くだろう。


 そもそも定住できる場所があるのかないのか、それすらも今は雲を掴むような話なのだ。


 岩の上に胡座(あぐら)で座る青年は眉をしかめ、鼻梁に皺を寄せた。一見すると女性のような優美な顔面いっぱいに不快の表情を表しながら、唇を噛む。


 無造作に流す髪は金、不機嫌そうに窄められた瞳は深い青色だ。彼を初めて見た者は間違いなく、女性だと間違えるだろう。

 だが、紡がれる声は男性らしい、低いものだった。


「ちくしょう」

 胸にあるのは、まだ生々しい怒りの感情。こんな場所に自分たちを追いやった物たちへの、激しい憎しみの気持ちだ。


「いつか絶対、帰る。帰って、あの男を探して(くび)り殺してやる」

 手に持つ長い杖をぎりぎりと握りしめ、瞳に暗い光を宿しながら言う彼の名前は、ノーヴァ。都にいた頃は『高貴なノーヴァ』と呼ばれていたが、その都も彼の背中のはるか彼方。もはや自分は荒野のノーヴァになったのだと思うと、悔しさと怒りで腑が煮え繰り返りそうだった。


「……我が弟が、また物騒なことを言っているなぁ」


 のんびりとした声が聞こえ、彼は振り返る。なだらかな丘陵を供を従えず、たった一人で登ってきた男の姿が見えた。

 振り返りその姿を目に留めると、ノーヴァは大きく目を見開いた。今朝まで馬に乗っていた兄が、今はなぜか驢馬(ろば)に乗っている。体の大きい兄が縮こまるようにしている様は、なかなか滑稽だった。



「エーヴィヒ兄さん、馬は?」

 嫌な予感を覚えながらノーヴァが聞くと、エーヴィヒは困ったように笑う。


「歩けなくなった母子がいたので……リゼは誰でものせてくれるから、本当にいい馬だな」

 そうして自分は歩いていたのか。

 大方、隊列から離れた弟のことが気になって、誰かが荷物持ちに使っていた驢馬を借りて追いかけて来たのだろう。


「兄貴……王が驢馬とか、格好つかないよ」

 ノーヴァが下唇を突き出しながら言うと、エーヴィヒは困ったように笑った。

「格好つけても誰も見ておらんだろう」

 第一、と人の良い笑顔を浮かべる。

「王と言っても名ばかり。今はまだ安住の地も見つかっておらぬからなぁ」


 あまりにも呑気な兄の口調に、思わずノーヴァは苦虫を噛み潰したような顔をした。それを見て、兄はふふっと笑う。


「せっかくの母上似の顔が台無しだぞ」


「兄貴が怒らないから俺が怒るんだよ。あいつ、河なかの国を兄貴から奪って、こんな荒野に追放するなんて」

「兄上の事を悪く言うのはやめなさい。あの方にはあの方の考えがあるのだから」


 そういうと、兄はゆったりとした仕草でノーヴァの隣に座った。長いローブを身に纏うノーヴァと違い、兄は帯剣し動きやすい服を着ている。一見するとただの兵士のようだが、彼は紛れもなく、天より降りし我らが女神の血を引く高貴なものなのだ。


「兄貴よりたった数時間先に生まれてきただけで、偉そうに」

「だからノーヴァ……」

「あー! うるさい! おれはすごーく怒ってるの! 母上が亡くなられた途端、父上も兄上も兄貴を邪険にして!」


 叫ぶノーヴァの頭に、大きな手のひらが乗る。そして乱暴にその頭を撫でながら、手のひらの持ち主は軽やかに笑った。


「お前はいつも短気だな。だが、木石のような俺みたいな人間には、お前のような苛烈な存在はありがたい。……お前は俺を人間でいさせてくれる」


 その言葉にひやりとしたものを感じて、ノーヴァはエーヴィヒの顔を見つめる。いつも笑顔の兄は、時に恐ろしく遠い目をする。今がそうだった。


「私は父上にも兄上にも、伯父貴たちの誰にも似ておらん。そのくせ母上が私ばかり取り上げるものだから、昔からお二人は私の事が気に食わなかったのだ」


 エーヴィヒは、新王になった兄に剣を突きつけられた。宴の場の酔った勢いでの出来事だった。だが、あの時の新王のぎらついた目を、ノーヴァは忘れることができない。身内から明確な敵意……憎悪と言ってもいいそれを突きつけられ、それでいて笑顔でそれをいなす兄は、心の底では何を思ったのだろう。



「みろ、ノーヴァ。この大地は真っ黒だ。かつてここには巨大な都があり、この黒い大地はその都の燃え尽きた灰なのだとか。

 ……本当なら、私は灰と荒野の王だな」


「灰と、荒野の王……」


「そうだ、ノーヴァ。私はこの大地を大陸で一番の黄金京とする。……母上の望みの通りに」


 はっきりと宣言した兄の姿を、ノーヴァはまじまじと見つめる。いつもの兄とは違う、もっと大きく、強大な何かがそこにいた。

 だが、くるりとノーヴァの顔を見て兄はにっこりと笑う。いつもの気さくな彼の姿に戻っていた。


「なぁに、俺には幸運の女神がついているからな。その『世界樹の杖』で我らを導いてくれる」


「はぁ!? あんなのが幸福の女神なわけがないだろう!?」


 この旅には、母の妹である『蒼の女神』が同行している。姉のいない国はもはや興味はないと、なぜかエーヴィヒについてきた。曰く、『あんたたち兄弟は、魂の色が綺麗だから』。

 だが、女神のくせに三半規管が弱く、旅立ってから毎日馬車の中で青ざめた顔で転がっている。かと言って歩くほどの体力があるはずもなく、おえおえと嘔吐を繰り返しながら、今も隊列のどこかで馬車に運ばれているであろう。


 あんなのを女神とは認めたくないノーヴァであるが、女神は彼が生まれた時からその姿を全く変えていない。『癒し』や調薬の能力は比類ないものである。さらに今はこの世界樹の杖をノーヴァに預けていた。

 この杖のおかげで、ノーヴァは道を示すことができている。この先の地によりよい場所があるという『予言』だ。

 確かに、幸運の女神と言えないこともないのだが。


 エーヴィヒはノーヴァの叫びに、意味深な笑顔で返す。そして立ち上がると、再び騾馬に跨った。


「さぁ、今夜も女神様に美味い飯を食わせてやらんとならんからな。うさぎでも狩ってくるか」

 たっこたっことのんびりした足音を響かせ去っていく兄の後ろ姿を見ながら、ノーヴァはようやく理解した。ちなみにうさぎ肉はノーヴァの大好物である。

 黄金の女神によく似た美しい顔を真っ赤にして、彼は叫ぶ。


「幸運の女神って、俺のことかーー!!」




お読みいただきありがとうございます。

シュタルツエーデとノーヴァの最初の二人、全く似ていない兄弟のお話です。


ノーヴァはニコラウスと同じ顔ですが、負けん気の強い顔をしています。身長は160中程なので、たいてい初見は女性扱いされてブチギレます。四人兄弟の末っ子で、すぐ上の姉と十五以上離れています。


エーヴィヒはイーアをちょっと四角くした顔で、身長は190くらい。とても大きくて、がっしりした体型の男性。


次回から第三部です。

早速チルがぎゃあぎゃあ騒ぎますので、よろしくお願い致します。

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