第16話 様子のおかしい魔女、メメ
「チルがあなたの孫だと?」
これには無言でランドルドは頷いた。
「孫娘……?」
控えめな声だが、ルイスが呟く。
「……貴公に公式な子息はいなかったと思うが」
「公式にはいないですな。だが、あの子はわたしの孫娘で間違いはない」
「ではその孫娘が何故ワルドに放置されていたんだ」
「それに関しては今議論するべき事ではないだろう」
ランドルドはふんと鼻を鳴らした。
「まぁ……わたしが弱っちいから、眷属の存在を認識できなかっただけなんだけどね……。なーんとなくいるような気はしていたんだけど、イーアに連れて行ってもらまでどこにいるかさっぱりだったんだもん……」
しおしおとリンが小さくなる。
慌ててイーアは弁明した。
「すまない、君を責めていたわけではないんだ。むしろ、無節操に種を蒔いた某人に関しては腹立たしいが……」
思わず本音が出てしまい、ランドルドが器用に片眉を上げた。背後から笑いを堪えるような、ルイスの声が聞こえる。
「殿下って、意外と……。いや、なんでもないです」
イーアが睨みつけると、気まずそうに視線を逸らした。
「何はともかく、これを機にツェツィーリアの身柄は我がベルンシュタインが保護する。殿下にはこの屋敷の脅威の件もお伝えしていたはずが……まさかこのような事態になるとは腹立たしい」
その驕った言い方にイーアは眉を顰めた。
「ではチルをベルンシュタインの後継者にすると? これまで庶民として生きてきた彼女に? その方がよっぽど無情だと思いますが」
あまりにも険悪な雰囲気に、リンはぴくりと震えてレヴィンの膝の上に飛び乗った。表情のない黒翼の魔女は、相変わらず嬉しそうな空気を漂わせながらそっと小さな体を撫でている。
「内々には後継者は決まっておる。その者を彼女の夫に据える。その方が大陸全体から見てより良い結果になるだろう」
背後のルイスが息を呑む気配がした。予想は確信に代わり、イーアはランドルドを睨んだ。
「チルは僕の親友だ。たとえ血縁でも、彼女の未来を勝手に決めて良いはずがない。チルは私のーー」
「ちょっと男ども」
イーアの言葉を遮るように、恐ろしく低い声が響く。振り返ると、黒翼の魔女の膝の上で、おおよそ猫ではあり得ないような表情を浮かべたリンがいた。
「なにをぐだぐだと、当の本人を抜きに話してるのよ。まずはあの子の救出が先でしょ? これ以上実の無い話をするようなら、全員まとめて焼きなますにするわよ?」
「や、焼きなます?」
ルイスが聞きなれない単語に目を丸くする。
唖然とする一同を見渡して、リンは深くため息をついた。
「とりあえず、まずはあの子を救出しましょう。そのためには晄界に行かなきゃいけないから……どうしましょ、レヴィ」
伴侶の視線を受けて、黒翼の魔女はそっと首を傾けた。そして低く呟く。
「メメの力を使う」
「は?」
「何?」
イーアとリンが同時に声を上げ、黒翼の魔女の白皙の顔に注目する。
「今回の事はメメが協力しているようだから、呼び出して今回の尻拭いをさせる。これで我が愛しの妻ジークリンデの魂を使わずに済む」
その言葉に、リンはうーんと唸る。
「あの子が大人しく言うこと聞くかしら……?」
「その場合は力尽くだな」
さらりと物騒なことを言いながら、黒翼の魔女は手を伸ばす。
その指先に淡く七色の光が灯った。
「えっと、リン」
イーアはリンに説明を求める。
「えーと、メメってのはレヴィンの妹かな? すごい昔からいるので……ちょっと変わってるけど……。でも安心して、イーア。多分メメは女神の味方とか、そう言うわけじゃないと思う。普通の感覚で動く子じゃないから」
光が一層強くなり、イーアには理解できない言葉の詠唱が始まる。だが、最後の詠唱は聞き取れた。
「出よ。白翼の魔女、メヒティルデ」
「白翼の魔女?」
「それって、あの?」
イーアとルイスは思わず顔を見合わせ、そしてすぐに気まずさから目を逸らした。
白翼の魔女は、レヴィンこと黒翼の魔女に並ぶ伝説の存在だ。その魔力は凄まじく、過去に流行した伝染病を一瞬で消し去ったと言われている。現在でも病院や診療所、薬局などのシンボルは一対の白い翼が使われているほど、民に馴染みのある魔女だ。
レヴィンの放つ光が一層強くなり、それが消えた後。
「あわわわ……なに、なになに……」
「ぐわっぐわぐわっ」
そこには様子のおかしい女が一人、立っていた。
その様子、というか全てがおかしい。
まず服装がおかしい。丸い突起が二つ付いた緑色の帽子を被り、ポンチョのような洋服を着ている。その両方ともが、鮮やかな緑色だ。だいぶ大きめの長靴を履いているが、それも緑色で、目のような飾りがついている。
斜めにかけているバッグのようなものは、なぜかとかげのぬいぐるみだった。
「あああああたし、今日はおやすみだけど……この気配は……レヴィ? あああ転移酔いだよぅ」
「ぐわぐわぐわっ」
落ち着きなく周りを見渡す目は、厚いメガネの向こう側でよく見えない。ボサボサの腰元まで伸びた髪は濃紺だ。そしてしっかり手に握っているのは、彼女の身長よりもはるかに大きいであろう木の杖だった。なんの装飾もない、木をそのまま切り出したような、シンプルな杖。ただかなり使い込まれているのだろう。表面は艶々とした飴色に光っている。
そしてその杖の先には、一匹の白い蛇が巻き付いている。白蛇は先端からわずかに頭を上げ、女が口を開くたびに同時に妙な鳴き声をあげている。
何もかもがおかしい。
さらにその女は腰を抜かしたのか、杖に寄りすがってなんとか立っているような状況だ。ガクガク全身を震わせながら、応接間にいる面子を見渡す。年齢的には二十歳になったかならないか、だが生まれたての子鹿だってもっとまともに立っている。
「あああ、あの、あたし、ななな何かしたかなぁ。へへ……」
舌を噛みそうなほど震えながら、女はにたぁ、と笑った。
相変わらず蛇はぐわぐわと鳴いているし、失礼を承知で言わせて貰えば、大変不気味な笑顔である。絶句するイーアの前に立つリンがリンが目をきゅっと絞って、
「メメ、あなた本当に変わらないわねぇ」
と呆れたように呟いた。
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転移酔いを起こしたその『白翼の魔女』メメは真っ青なまま床の上で蹲っている。
黒翼の魔女の妹だと言うが、レヴィンに全く似ていない。まるい顔はぺたんとして凹凸が少なく、肌の色も少し黄味ががっていて、それも少し珍しいとイーアは思った。
「やっと酔いおさまってきたよう……。ほんと突然転移とかやめてぇ……あ、ああぁジークリンデかぁ。なんか……黒くなってるねぇ。この前は緑色だったのに」
メメと呼ばれる彼女は、にへ、にへと笑う。
「ちょっと、それって百五十年くらい前よ? あなた引きこもりすぎて、時間感覚おかしくなってるわ。あとその蛇、煩いから黙らせて」
「ええぁえ……やっと白亜にカエルの声覚えさせたんだ……よう。……カエル可愛いいし……ひひ、ひ……」
「煩いから」
「うう……」
「あ、カエルか」
イーアの真後ろで声がした。振り向くと、ルイスはひどく驚いた様子で目を見開いている。イーアと目が合うと、メメを指差す。
「あの帽子、ブーツ、みんなカエルの顔だ」
そこか。
驚くところはそこなのか。
リンはすうっと息を吸って、それからゆっくりと吐き出す。
「紹介するわね。彼女は白翼の魔女メヒティルデ。私たちはメメって呼んでる。多分人の世界では、『真珠の塔の賢者』の方が有名だと思うけど……こんなんだから、賢者って感じしないのよね」
「ふふ……こんなにいっぱいの人とお話しするの久しぶり……嬉しい……」
いろいろな意味で衝撃を受けて、イーアは立ち尽くす。
真珠の塔とは医療技術の最先端の研究と学びの場だ。場所がイーアの領内にあるので、塔の主と何度か会談したことがある。だが彼女とは初めて会った。
しかも真珠の塔の賢者とは、塔の叡智そのものと言われている存在だ。現代では失われた医療技術の知識もあり、あまりにも難易度が高いため、幻になっている治療法などの知識があると言う。てっきり書物か何かの記録媒体だと思っていたので、まさか『白翼の魔女』本人だったとは。
落ち着きなく彷徨っていた女の目が、ふとテーブルの上の小瓶でとまった。よろよろと立ち上がり、その小瓶に近づく。
「ぁ……それ私が作った薬だぁ……。えへ、えへへ……良い薬でしょう……。『初夜の誓い』って名前も、ちょっとエロいしぃ……この瓶も可愛いし……うふふ」
「これは君が作ったのか……?」
イーアが問うと、女はにたにた笑いながら肯定した。
「……そうだよ……。新婚夫婦の気分を盛り上げるのと、浮気防止……。でもなんか……おかしい……。変な成分が入ってる……」
楽しそうにぐふぐふ笑っていた女の気配が、すうっと細く冷めたものに変わった。様子がおかしい女性だが、間違いなく人外なのだ。
「この薬が流通して苦しんでいる人がいる……なんとかならないだろうか?」
イーアが緊張しながら言うと、女はふんと鼻で笑った。
「ぅー……中和剤ならすぐ作れるけどぉ……誰だかわかんないけど、……あたしの作った薬改悪してるのかぁ。……横流ししてるのは塔の連中かなぁ……最低」
これ以上ないほどの嫌悪感を滲ませて、メメは薬瓶を睨んでいる。
「わかった。その件については、塔の内部調査も含めて、別に調べさせて頂こう」
イーアの真面目な答えに、メメは少し興味を惹かれたようで、くすんで汚れた眼鏡が真っ直ぐにイーアを見る。
「なんかお前、すごくいい体してるねぇ……ふふ、ちょっと中身見てみたい……ああ、でも女神の代行者かぁ……。だめ、切り刻んだら、あの人に怒られる……へへ」
メメはイーアを頭の先からつま先まで舐めまっしように観察した後、言いながら女はねちょっと笑う。なんとなく正視できない笑顔だ。
そのメメにリンが懇願する。
「メメ、お願いがあるの! 今からわたし晄界に行くから、あなたの力を貸して」
「え、嫌だ」
杖を抱きしめてメメはあっさりと拒否をする。
「あんなとこ、何しに行くの……魂を素手でべたべた触られる感じ……すごい嫌……気持ち悪い」
「でもどうしても行かなきゃいけないの。私の子供みたいに大切な子が、あっちに行っちゃったのよ」
「それってあの……ベルンシュタインの娘?」
顔中に皺を寄せて、メメは嫌そうに言う。
「そうよ。私の子孫だもの」
「じゃあ……やめた方がいいよ……。あの娘のせいで……今度こそあの人壊れちゃうから……晄界に置いておいた方がいいって……」
そう言うと、メメはどさりと床に座り込む。
あの人とは?
ここで自分が何か言ったら逆効果なのではと思い、イーアは口を噤む。リンがすたんとレヴィンの膝から飛び降りて、座るメメの前に立った。するとメメは鼻の下を伸ばして嬉しそうに笑う。唇からはぐふっぐふっと笑い声が漏れている。
「ジークリンデ……すごくきれいな魂の色……ビビと同じ……ぐふふ」
「ありがとう。でもね、この器ももうそろそろ限界なのよ」
リンはしおしおと髭を落とす。
「たぶん、もう長くないの。なのに可愛い娘に会えないの。寂しいと思わない?」
小さな黒猫の隣に、レヴィンが膝を立てて座る。メメはその二人を交互に見ながら、ぐぐぐ……と音を漏らした。
「でも……あの人ももう限界だよ……。もう既にいろいろ影響出てるし……このままじゃ疫神になる……」
メメがだらだらと汗を流しながら悩む。
(疫神……女神のことか)
イーアと対峙した時のことを考えれば、あの女神がすでに正常の思考回路を持っているとは思えない。
そんなことを思いながらメメを静かに注視していたイーアだが、そのメメが顔を上げてイーアを見た。分厚いメガネの向こう側、奇妙な色の瞳が真っ直ぐにイーアを見る。
右目の虹彩は真珠のような温かみのある白、だが左目は、上が深い緑、徐々に下にゆくにつれ赤い色に変化している。
その左目を、イーアは知っている。
(ニコラウスの……)
最愛の妻があんな事になって、彼は酷く憔悴していた。その彼の顔を思い浮かべたその時。
「いいよ……白亜の力を貸しても……。ただし条件がある……その女神の代行者が、二度とベルンシュタインの娘に関わらないと誓ってくれれば……」
いやらしい笑いも引っ込んだ、表情の抜け落ちたような顔でメメはイーアを見る。その顔を見て、イーアの背筋に冷たいものが走った。
「私が?」
お読みいただきありがとうございます。
かえる大好き娘メメ登場です。




