第12話 胸に刺さる言葉のかけら
「第十五代、ジークリンデ・ベルンシュタイン……」
その肖像画は一頁全てを使っており、今までのどの国王よりも特別な存在であることを物語っていた。
肖像画の娘は癖の少ない髪を結え上げ、残りは後方へ緩やかに流している。意志の強そうな大きな瞳にちょこんと乗った丸い鼻と、楽しげに歪んだ挑戦的な唇。心に残るその面影。その顔は確かに、自分と幾らかの共通点がある。
いつも自分のそばにいてくれる優しい黒猫と、この肖像画の彼女が同一人物であることをチルはすぐに理解した。
「リン……」
彼女の側には、伴侶なのだろう男の姿があった。長い黒髪に、色素の薄い瞳。人形か彫刻のような顔に、まるで賢者のような長いローブ。男はまるで生命の温もりを感じさせない様だが、その両手はしっかりと妻の手を握っている。右手はジークリンデの背後に回し、左手は正面で。夫婦の親密さを表しているのだろうが、今にも飛び出していきそうな妻を、しっかり押さえているようにも見えなくはない。
「鴉さん……」
自然、笑みが溢れた。
「ああ、ジークリンデ大公ですね。彼女によってこの国は王国から大公国に生まれ変わりました。業績も数多く中興の祖とされていますね」
厚い本を数冊持ってきたエリアスが穏やかに語る。ほーと、意味もない言葉を漏らしながらチルは一生懸命文字を読んでいる。
なので、エリアスの後から入室した二人の人物に全く気がつかなかった。
「こんにちは」
突然声をかけられ、チルは驚いて顔を上げる。既にイーアは冷ややかな目で部屋の入り口に立つ二人の青年の姿を眺めていた。あれは歓迎していないという目だ。
「読書会と聞いて、よければ我々も一緒させてもらえないかな」
二人のうち、手前に立つ青年が言う。とても人当たりの良い話し方だが、なんだかチルはちょっとだけ不快感を覚えて眉を寄せた。
彼は貴族らしい短い金の髪に碧眼の青年、その背後に従者の様に立つ青年の方は、エリアスによく似た色彩だ。ただし髪が長めで、うなじのあたりで無造作にくくっている。
手前の金髪の青年からは不穏な気配しか感じないが、後ろの青年は逆に穏やかだった。その空気感も、エリアスによく似ている。
「おや? ルイスにクルト。こちらにきていたのかい?」
エリアスに尋ねられ、金髪の青年がにっこりと微笑んだ。
「はい、父上。お客様がいらっしゃると聞いたので……わたしのよく知っている方だと思いますが」
そう言いながら、金髪の青年の視線がすっと移動し、イーアに留まる。諦めた様にイーアはため息をひとつ吐いて、眼鏡を取った。鮮やかな紫の瞳が不快げに金髪の青年を見返す。
「ルイス・ヴィレ殿、今日の私は友人の付き添いとしてきている。どうか、遠慮していただきたい」
(ってことは、この金髪の方がルイスとか言うやつで、エリアスの息子? 全然似てないな)
本で半分顔を隠しながら、チルはしげしげと四人のやり取りを観察する。どちらかと言うと後方の青年が息子と言われた方が違和感はない。
イーアにきっぱりと否定されたルイスが、ちらりとチルに不躾な視線を投げてくる。
「友人……あなたに友人がいらしたとは。しかもノルデンに」
「ルイス」
流石の物言いに、エリアスが息子を嗜めた。
(なんか、おっかないなー)
出来るだけ関わりたくはないが興味がある。そうしているうち、ルイスの背後に立つ青年とばっちりと目が合った。
「や、びっくりさせてごめんね。こいつ、殿下のライバルのつもりなんだけど、なかなか敵わなくてさ。ちょっと負け惜しみってるんだよね」
「負け惜しみってる……?」
独特の言い回しに、思わず鸚鵡返しをしてしまった。とたん、ルイスにぎりっと睨まれて、チルはソファの上で震えながら縮こまる。
「あいつイイ奴なんだけど、殿下が絡むとね。初めて見る顔だね。俺の名前はクルト。クルト・ヴィレっていうんだ。よろしくな!」
そう言うと、クルトは物騒な雰囲気の二人からさっさと離れて、チルの隣に立つ。そしてチルの読んでいる本をひょいと覗き込んだ。
「あ、ベルンシュタインの歴史書だね。俺たちも飽きるほど読まさせられたよ」
「おう……」
チルはちょっと驚きながらクルトを見上げる。距離の詰め方が強引だが、上手い。そしてエリアスに似た穏やかな目元が、なんだかとても親しみやすい。
「名前教えて?」
「俺はチルだけど……」
「そっか、よろしく!」
クルトはそう言うと、にこにこと微笑みながらイーアを見る。
「殿下、お友達とお話しさせていただいてもよろしいですか?」
和やかに話しかけられたにも関わらず、イーアは眉間に深く皺を寄せてこちらを睨みつけている。その様子を全く気にした様子もないクルトが、にっこーと笑いながらチルを見た。
「許可得ちゃった」
今のイーアの顔のどこから許可を得たことになったのか分からず、チルはだらだらと変な汗をかきながら、クルトを見上げる。彼は一切気にしていない様子で、チルの読んでいた本を覗き込んだ。
「あー、ジークリンデ様かぁ。かっこいいよね。北の男の子はみんな、一度はジーク様に憧れるよね」
本物のリンを知っているチルとしては、リンに憧れると言われてもちょっとピンとこない。
「そうなのか?」
「まぁねー。なんといっても子供頃から肖像画を見させられてるからね。刷り込み? これがまたかっこよくて」
「肖像画があるのか? これ以外に?」
「うん、下の美術室だよ。見に行く?」
思わず立ち上がりそうになって、チルは慌ててイーアを見る。彼は厳しい目で二人を見ていた。
「えっと……」
「駄目だ」
にべもない。
「ちょっと見て、すぐ戻るから……」
「駄目だ。どうしても行きたいなら、これが終わるまで待っていて」
といっても、作業は膨大で、テーブルの上にはまだ何冊かの本が載っている。いつ終わるかなんて全く分からないのに、チルは今すぐにでもリンの肖像画が見たくてたまらない。
「イーア」
「へぇ」
チルが弱々しく彼の名を呼ぶと、真っ先にルイスが反応した。その口元は、なんだか見てはいけない様な歪み方をしている。
「お二人はとても親密な様ですね。まさか恋人でしたか?」
「ちがう」
即座にイーアが否定した。
(あ……)
チルは一瞬、本を落としそうになる。つきりと胸が傷んだ。それを誤魔化すように、勢いよく立ち上がる。
「俺は行くから、来るんだったらお前も来い!」
その場の空気がいたたまれなくてチルが立ち上がると、イーアが舌打ちをした。
ぎょっとしたようにルイスとクルトがイーアを凝視する。
「チル、護衛の兵士を連れて行くんだ」
「わかってるよ」
「何かあったら僕の名を呼んで。いいね」
しつこいくらいに言い募るイーアを振り切るように、チルは図書室を飛び出た。
慌ててクルトが追いかけて、チルの隣に並ぶ。
「びっくりした。殿下ってプライベートではあんな感じなんだね」
「……おう」
「美術室はこっちだよ」
なんだか心がトゲトゲするし、鼻の奥がつんと痛い。そんな自分の気持ちを無視するように、クルトの隣を歩いた。
「そっか、君がツェツィーリア姫なんだね?」
チルがぎょっとしてクルトを見上げると、彼は変わらず和やかな顔で微笑んでいる。
「ずっと女の子だと思ってたから、ちょっとびっくりしたけど。だったら、殿下が警戒するのは当然だよ? 今この屋敷にはディルク様がいるから」
「ディルク様?」
クルトは真剣な顔で頷く。
「ベール夫人の養子で、元はノーヴァの貴族じゃないかな? この前まではあの人が次の大公になると思っていた。みんなあんまり好きじゃなくて、嫌だなーって言っていたけど。
……ツェツィーリア姫がベルンシュタインの正統な後継者なんだろう?」
「それ、誰が言ってんだよ。俺は孤児だ」
まるで決定事項のように言われ、チルは納得のいかない顔でクルトを見る。チルよりちょっとだけ背の高い彼は少し悩むように首を傾げた。
「あの猜疑心の強いヴェルザー卿が動いているのだから、確かなんじゃないかな? うちの国もなんとなく浮かれてるし」
「国? クルトはベルンシュタインの人?」
「いや、僕はノルデンだよ。ヴィレはノルデンの貴族だから……エリアス叔父さんはちょっと特殊で、今別な国の統治をしている」
「へぇ……じゃクリス姐さんの国?」
「そうそう、だから君はうちの姫……王子か。
ちぃっと警備としては頼りないけど、この僕を護衛としてお使いください。
ディルク様のところには『オキャクサマ』がいるそうだから、多分こっちには来ないとは思う」
楽しそうにクルトが言う、その頬に笑窪が出来た。
ちなみに『オキャクサマ』は娼婦の隠語だ。ワルドではよく聞くが、こっちでも使うらしい。
「へぇ……」
「ここだね、美術室。結構古い年代のものもあるから、触っちゃ駄目だからね?」
なんだか小さい子供に注意する様な口調で言われ、チルは唇を尖らせる。だが室内に入ると、すぐにそんなことは忘れてしまった。
ホールのような広い室内には、絵画はもちろん、彫刻や骨董品のような壺やら、武器やドレスといった類のものまでたくさん置いてあった。展示してあるというよりただ置いているような場所もある。
チルは思わず息を呑んで室内を見渡した。
「ジークリンデ様の絵はこっち」
ゆっくり歩くクルトの後について行くと、壁一面にいろいろな絵画が飾られている区画に出た。その中央、いちばん目立つところに、本で見たリンとその伴侶の肖像画があった。
鮮やかな色彩で彩られたその絵を、チルは夢中になって見る。
本では真っ黒にしか見えなかったリンの瞳は濃い茶色で、伴侶の瞳は澄んだ水色。チルと同じ色だ。
「うわぁ……」
その絵の右隣には、男物の乗馬服のような服を着たリンの絵がある。髪を後ろに高く結び、得意げな顔でこちらを見ている。
(リンも乗馬が好きだったのかな……)
そしてその反対側には、もう少し幼いリンの肖像画があった。こちらは髪を結えておらず、代わりに花冠を被っている。その彼女を挟むように、銀の髪の娘が二人、描かれていた。
「ああ、妹の双子姫リアとラーヘル。すごく美人だったらしくて、時の皇帝の后になったそうだよ。つまりは殿下の遠い祖先だね」
「へぇ……」
絵の中のリンは自信に溢れた快活な表情でこちらを見ている。並ぶ二人の妹は、顔の作りは全く同じなのに、異なる印象の娘だった。
リンの右側の妹は、真っ青な瞳を大きく開いて、まっすぐに正面を見ている。柔らかそうな唇は弧を描き、今にも笑い声が聞こえてきそう。対して左側の妹は、幾らか灰色がかった青い瞳をそっと伏せて、控えめに微笑んでいる。
「どっちが皇帝に好かれたんだろ」
チルはふと、そう呟いた。
「どうかなぁ。どっちだと思う?」
隣に立つくクルトが楽しそうに言った、その時。
「ずいぶんと不愉快な話をしているわね」
聞き慣れない幼い女の声が聞こえた。
お読みいただきありがとうございます。
趣味でしかない作品なので、目を通していただけるとすごく嬉しいです。
この世界でも北の男は血の気が多いです。それと酒豪が多い。と言っても、ここ数代のノルデン民はちょっと穏やかな気質が増えました。昔に比べて今のノルデンは豊かな国なので、ゆとりが生まれたんだろうなぁと苛烈なクリスティーネは思っています。
次回、ちょっとしんどい回です。
よろしくお願い致します。




