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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【一】
50/78

【異想譚】ブリュンヒルデの独り言

第4話のすぐ後、

イーアとお喋りをした後の、上機嫌なヒルデのお話になります。

  見上げると、既にだいぶ高いところに月がある。どうやら、すっかり兄と話し込んでいたようだ。


 王宮は無駄に広く、ヒルデの部屋に行くにはだいぶ歩かねばならない。

 ヒルデが住む白蓮宮(びゃくれんきゅう)の住人は、父と末娘を出産してからずっと眠ったままの母、そして四人の弟妹だけだ。二百年ほど前に建てられた建物で、その昔は後宮だったとか。無駄に広く部屋数も多い。最近は弟妹達の侍従も住み込みで働いたりしていたが、それでもほとんどの部屋が閉ざされたままだ。


 やがてヒルデの進む回廊が十字路になった。ここをまっすぐ行けば良い白蓮宮(びゃくれんきゅう)、右に曲がれば紫蘭宮(しらんきゅう)がある。そちらは兄が七歳頃から使っていた宮殿で、今は無人だ。現在の皇妃の息子ではないのに、一緒に暮らすのはおかしいと主張していた兄の姿を、ヒルデはしっかり覚えている。


 さらに左に曲がればもうひとつの宮殿があるが、そちらはこの百年以上誰も使用していないと言う。維持清掃や警備に手間がかかるし、実際、使用人含めて居住している人間より、警備している兵の方がずっと多い。


(もう取り壊したらいいのに)


 内心ぶつくさ言いながら歩くヒルデだが、実はかなり機嫌は良い。三年かけて猛攻撃した甲斐(かい)もあり、ノーヴァ公との婚約を確定させたし、今日はゆっくり兄と話ができた。


 ヒルデは兄が好きだ。

 どちらかというと馬鹿正直で、小賢しく立ち回る事が苦手な兄は、一緒にいてとても心地よい。多少ひやりとする危うさを持っているが、昔に比べたらだいぶ良くなった。


(あの頃はどうすれば良いか、わからなかったけれど……)


 早くに皇族として独立した兄は、下の弟妹の面倒を見るのに一生懸命で、それでいて負目を抱えているためか両親に甘えることもできない。父はともかく母は兄を可愛がっていたのだが、兄は甘えるよりも支える事を選んでいた。


 あのまま大人になったら、多分ちょっと大変な事になってしまう。子供は子供らしく大人に甘えなければいけないのだ。当時のヒルデはそう思っていた。


 とりあえず妹のヒルデだけでも兄の助けになろうと……あの頃は何をして良いかわからなかったので、とりあえず会話の糸口を見つけようとした。だが兄はヒルデが兄に甘えたいのだと勘違いしたのだろう。頭を撫で始めたのでちょっと怒った。


(あの頃のわたくし、ちょっと大人気なかったわ)


 大人げも何も、その時のヒルデは七歳である。子供でしかなかったのだが、ヒルデは自分では絶対にそれを認めたくない。


(お兄様の心の内も知れたし)


 長年抱いていた、そうじゃないかという懸念(けねん)が確信に変わった。

 後は時間のある時に、そうではないと兄に知って貰えば良い。


 ヒルデは自分が好きだ。

 両親の色と全く違う髪と目の色。面差しは父方の曽祖母に似ているとは言われるが、その淡白な顔立ちも、細身ではあるが滅多に体調を崩すことはない丈夫な体も。

 なので両親の要素をひとかけらも抱いていなくても、自分は大丈夫なのだと伝えたい。


(お兄様も良い方向に変わってるし……)


 常に張り詰めていたような兄が柔らかくなったのは、たしか数年前。

 父の名代(みょうだい)としての仕事が増えた頃、そのついでに夏は東の大公国で過ごすようになった。兄が柔らかい雰囲気を(まと)うようになったのは、その頃からだろうか。


 おそらく、あの姫と出会ったのだろう。

 少し余計なおせっかいだが、ヒルデとしても将来の義姉の存在は気になる。使える諜報員を使って調べてみるものの、普段はノルデンの別邸に篭って出てこないという。だがその代わり、兄がある青年と仲が良いという情報を仕入れた。


 どういうことだろうか。


(あのお姫さまは女性にしか見えなかったけど……まぁ、あまり考えないことにしましょう)


 別に義姉だろうが義兄だろうが、どちらでも構わないが、もし兄の恋人が二人いたらどうしよう。いや、どう考えてもあの不器用な兄が二股なんて器用な事ができるはずが……。


「いけない。考えはいけないわ。ヒルデ」


 思わず独り言を呟いてしまった。警備の兵士たちを驚かせてしまったかも知れない。


 素知らぬふりをして、早足で歩く。


(ノーヴァ公、本心から嫌そうな顔をしていたわね)

 実兄のヴェルドフェス公程ではないものの、見た目だけは好青年のヴェルナー・ノーヴァが本心から嫌そうに顔を歪めているのを思い出し、ヒルデは心の中でくすくすと笑う。


 歳の差は十五歳ほど。既に後継(息子)もおり、再婚など本気で考えていない彼に、ヒルデは三年前から婚約の申し込をしている。

 最初は鼻で笑われ、次第に本気で断られ、最近では勘弁(かんべん)してくれと懇願(こんがん)されていた。だがついに、かなりの額の資金援助と共に婚約を承知させた。我ながら、よくやったと褒めても良いと思う。


 この婚約で、ヒルデはノーヴァの内政に干渉する権利を得た。ノーヴァは帝国の一番の弱みとなっている。かつてはシュヴァルツエーデに並ぶほどの繁栄していた公領だったが、今は見る影もない。大陸北部で貧民街があるのも、あそこだけだ。


 父や兄がノーヴァの件では頭を抱えている事を知っている。特にシュヴァルツエーデでは年間かなりの金額を支援に回しているのだから、この件でヒルデが兄の力になれればと思う。


(資金援助に差し出した私財は少し痛いけど……まぁ、二年もあれば再び貯めれるし……そういえば投資の方も最近調子がいいわね)


 ヒルデは涼やかな容姿のためか、よく大人しく口数の少ない娘だと勘違いされるが、脳内はいつも騒がしい。くるくる回る思考を御しながら、上機嫌で歩いていた足がふと止まった。


 回廊の先、ちょうど家族の居住区の白蓮宮(びゃくれんきゅう)に入るあたりの扉の前、見慣れた警備兵の他にもう一人、立つ人影がある。その高い背に、長く伸ばした銀の髪。


 その姿を認識した瞬間、ヒルデの背中に緊張が走った。背筋をしっかりと伸ばして、淑女らしくしとやかに歩きながら、その人物に微笑みかける。


「こんばんは、お父様。こんな時間に、どこかにお出かけですの?」


 ヒルデの声に彼がゆっくりとこちらを向く。


 ユリウス・ジル・ゴルドメア。

 ヒルデ達の父にして、この帝国の皇帝。

 常に仮面をつけているため、その素顔をヒルデたちは見たことがない。


 父は紫水晶(アメジスト)のような瞳で真っ直ぐにこちらを見る。

「君の帰りが遅いから、何かあったのかと思ってね」

 低く響く、静かな声。だが少し、掠れたような音が混じる。

「まだ帰っていないと聞いて、驚いていたところだよ」


 ヒルデは先程兄にこの父を執着心の塊と言った。それは間違いないと思う。ただその執着心が向くのはただ一人、自分達の母だけなのだ。


「まぁ、ご心配をおかけしました。お兄様と話し込んでしまいまして」

 ヒルデがにっこり微笑むと、父は少し驚いたように声を上げた。


「エアハルトとかい? ……しばらく顔を見ていないね」

「お忙しいようです。こちらにはしばらく来れないそうですわ」

「そうか……」


 父は気落ちしたように肩を落とす。彼はそうして、子供達を愛しているように上手く装おうのだ。


 ヒルデは笑顔のまま、首を傾げる。

 だって、本当は知っている。

 父が自分たち子供のことを、ひとかけらも愛していないことを。


 エアハルトお兄様は特別。お母様が最初に産んで、お母様を縛り付ける(くさび)となった存在だから。

 ヒルデとオスカーも大切。二人の存在を否定すれば、お母様の不貞を認めることになるから。認めてしまったら、きっと誰かが母を糾弾して父の元から引き離すことになる。

 その下の弟妹には興味がない。自分にそっくりだから。

 さらに下の末娘は関心がある。なぜなら、お母様に良く似ているから。目覚めない母の代わりにそばに置く。


 そんな歪んだ感覚の父を、多分誰も知らない。


「最近エアハルトもブリュンヒルデも、とても忙しそうだね。私は皆に会えなくて寂しいよ」

 優しい言葉で囁きながら、そこにいかにも真意があるように振る舞う。


 良き父であり、良き施政者であろうとする。……そうすれば、母が喜ぶから。


「お父様、大人になっているのですわ。私たち」

 だからそれに合わせて、ヒルデも良き娘を演じる。血の繋がりのない彼を父と呼ぶ。


「……まだもう少し、子供でいて欲しいけどね。ナディアが目覚めるまでは」

 切なそうに言う彼を、冷めた心で見つめながら、ヒルデは微笑む。


 そうして哀然(あいぜん)としていれば、お母様はあなたを見捨てることなどできないと、知っているのでしょう?


 母が、父を愛していたのは事実だ。あの人は演技などできない。ただ、そうするしかないように、他の道を選べないようにしていたのは、間違いなくこの父だ。

 悪意の巣窟のような帝国の中心で、こんな王宮に閉じ込められ、教育の機会も与えられず、ただ夫に縛られる人生が、幸福なものであったとは思えない。


(きっとお兄様はそんなこと、思いもしないでしょうね。弟妹達(あのこたち)にも、絶対に気が付かれないようにしなくては)


 心の中で強く決意して、ヒルデはもう一度微笑む。そのためには自分も正しく演じなければならない。


「お母様はお喜びになると思うわ。だってその分、お父様との時間が増えるのですもの」


 父の感情はわからない。冷たい仮面の隙間から覗く紫水晶(アメジスト)の瞳は、無機質な光しか持たないから。ただ、こちらを静かに見下ろす瞳に、ヒルデは心の中で戦慄する。


「……そうだね。さあ、もう君は部屋にお帰り。私は少し、庭を歩くとするよ」


 そう言いながら去る父の後ろ姿を見つめながら、ヒルデは心の中で大きくため息をつく。


(やっぱりお父様は苦手だわ)


 むしろ嫌いという感情の方が強い。


 それからふと、ヒルデは首を傾げた。


(……お兄様の性格、お父様には似ていらっしゃらないわよね)


 だとしたら容姿がよく似ている祖父に似ているかもしれないが、記録を見る限り、この祖父はなかなか腹黒い人物であったように思う。


(最近、『この人お兄様に似ているわ』って思った人がいたんだけど……あれはどうしてだったのかしらね?)


 似てるというか、兄が何の屈折もなく成長したらこうなるのだろうなぁと思う人物だ。

 うーんと悩みながら、ヒルデは自分の部屋へと歩き始めた。




お読みいただきありがとうございます!


 ヒルデはこう思っていますが、父ユリウスはヒルデとオスカーが自分の実子だと疑っていません。

 なぜなら色は違えど、ヒルデは自分の祖母と全く同じ容姿だから。ただ、彼女(ヒルデ)が自分のことを好いてないのは分かっているので、あまり近づこうとはしません。興味が無いだけかもしれませんが。


次回は愚痴るお兄ちゃんとレイナード&ルッソのお話です。あまり本編には関係ないのですが、どうしてもお兄ちゃんが書きたかったのです…! どうかお付き合いくださいませ。


次回もよろしくお願い致します!

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