第10話 琥珀の色と血を持つもの
「なんだか小難しい話だったけど……とりあえず俺が馬をもらえる話は理解した!」
先程大人たちが、難しい顔を突き合わせて話していた内容を思い出しチルが言うと、イーアは楽しそうに笑う。
「馬の印象が強かったんだね。ベルンシュタイン大公も今頃、サプライズ失敗で悔しがっているだろうさ」
イーアはそう言いながら、お茶を一口飲む。当然ながら、洗練された見事な所作だ。
一方のチルはソファの膝置きに頬杖をつき、ソファの上であぐらをかいている。いつものことながら、食事中の作法以外はイーアは文句を言わない。飯を食っている時に間違えると、しっかり怒るけど。
「チルはベルンシュタイン大公に馬が好きな話はした?」
イーアに問われ、即チルは首を振る。そもそもベルンシュタイン大公と話したのはたった一度だけだ。
北の大公国を治める王で、琥珀の君と称されるベルンシュタイン大公。王と呼ぶべきなのか大公なのか、実はチルはまだよくわかっていないが、イーアの口調から察するに『大公』らしい。
新年の祭事で近くにいたのは知っていた。だがボロが出るのが怖かったチルはとても大人しく、普段では考えられない事にイーアのそばから離れなかったので、その顔を覚えていない。正直に言えば、周りの顔を見る余裕は全く無かった。
その後の大夜会では逆に、イーアがチルを離さなかった。
大夜会は帝国内最大規模を誇る舞踏会で、本来なら皇帝は后を伴いファーストダンスをするのだが、現在皇帝后は不在だ。
どうやらイーアの母ちゃんは少し位の低い妃らしい。と言っても、彼女は今、昏睡状態らしいので、どちらにしろ大夜会には参加できないのだが。
そのため、ものすごい数の人々の真ん中でイーアとチルがファーストダンスを務めた。
皇帝に次いで身分が高いのが皇太子の妹だが、彼女はまだ成人前、なので次ぐ立場のシュヴァルツエーデ公爵のイーアがその役割を負うらしい。
チルはルッソから基礎のダンスは教わっていたが、あれほど緊張したのは生涯では初めてだ。
それが終わった後、何人かの男性にダンスを誘われたが、チルはそれを全て断って会場を後にした。その中の一人に、ベルンシュタイン大公がいたらしい。
「じゃあ誰が漏らしたんだろうね。チルの馬好き。大公が自ら北限産の馬をプレゼントするなんて、関わりを持ちたいって意思表示だ。ベルンシュタイン大公からツェツィーリア姫に面会の申し込みもあったみたいだし……」
「クリス姐さんとか」
「彼女はそんなことはしないはず。しかもその話を聞きつけて、ベール夫人がノルデンの屋敷に乗り込んでくるとは」
面倒な人間関係は極力覚えたくないのだが、どうやらその『ベール夫人』と言う人が、ツェツィーリア姫に敵意を抱いているらしい。例の大公が姫に贈る馬を用意していることを聞きつけて、なぜか本人に抗議しに来たとの事だ。
ツェツィーリア姫にはいまだに謎の存在だ。突然貴族社会に現れて、最高位貴族シュヴァルツエーデ大公のパートナーを務めた女性。ノルデン王国の養女だが、そこに至るまでの経緯が一切謎のままだ。
それも当然、チルが貴族令嬢に化けている姿で、イーアがちゃんとしたパートナーなり婚約者を見つけたら消える存在だ。だからできるだけ人々の印象に残らないように、チルは細心の注意を払ってきた。
今まで好奇心を持って近付くものも多かったが、普段は男装しているのでうまく誤魔化せている。
だがさすがに明確な敵意を持って探ろうとして、すでに何度かこの屋敷に潜入している者がいたと話を聞いて、チルは流石に少し怖くなった。酒瓶を抱えてイーアの部屋に来るほどには。
それをイーアに悟られたくないので、おちゃらけたりしてみるけれど。
(絶対わかってるよな。こいつ)
でなければチルを部屋に入れることはないだろう。お互いを異性として意識していないふうで保っている関係なのだ。変に距離ができるのは避けたい。そしてこれ以上親しくなることも。
「チル、馬の話、ランおじさんにはした?」
何か考え込んでいたイーアに聞かれ、チルは頷く。
「した。馬が好きなのかと聞かれて」
イーアがこれ以上ないほど深くため息をついた。
「それかな」
「え、何?」
戸惑うチルを困ったように見ながら、イーアは意味深に笑った。
「他にどんな話を?」
「いろいろした。アロイス雑貨店で働いてた事も」
「そう……何か言っていた?」
チルはふるふると首を振る。
「知らなかったからしょうがない。さっき話した限りでは、クリス王も知らなかったようだからね。チル、君が懐いているおっちゃんこと、ランさん。あの人が現在のベルンシュタイン大公本人だ」
「え」
チルの手からぽたりとクッションが落ちる。
「ランベルト・ベルンシュタイン。元々ヴェルザーという伯爵位を持っていたが、血統が絶えたベルンシュタイン大公家に入った。今では二つの領地を統治している。ヴェルザー卿と呼ばれるほうが多いね」
イーアが動揺するチルを見て視線を泳がせるが、続けた。
「……ちょっと長い話をするね。このヴェルザー卿は大変恋多き男性で、三十年以上前にレーニャ・ベール伯爵令嬢と結婚をした。ベール伯爵家はベルンシュタインと対立する派閥の娘で……これは政略結婚だったんだけど」
(あのランおっちゃんが、恋多き……!?)
チルは変なところが気になって仕方ない。確かに話は上手いし、一緒に働くととても楽しい人だが……。むしろ彼に対して女性嫌いのイメージを持っていたので、過去の話に驚くしかない。
「ところが生まれた息子はベルンシュタインの色をいっさい受け継いでいなかった。ヴェルザー卿はこの子供は自分の子ではないと主張して、夫人との離婚を申し出た。
もちろん貴族の離婚は珍しく……当時の皇帝陛下も神殿もその離婚を許可しなかった」
「庶民ではよくあるけど」
「うん、そうだね。結果としてヴェルザー卿とベール夫人は離婚する事ができず、ヴェルザー卿は生まれた息子を後継として育てていた。最後まで実子だと認めていなかったみたいだけど。
二十年ほど前にその後継も亡くなり、今は継承者がいない状態だ」
「はぁ」
何だか相変わらず自分には縁遠い世界だなぁと思いながら、チルは首を傾げる。
それを見てイーアの顔が少しだけ緩んだ。
「チルもアルヴェルト王子と一緒に勉強してくれているからわかると思うけど、帝国の貴族制は血統の上に成り立っている。もし直系が絶えた場合は、何代か前に遡って後継者を決める。ヴェルザー卿は数代前のベルンシュタイン大公の子で、同じ色を受け継いだので現在のベルンシュタイン卿になった。
僕の場合も、祖父の色を受け継いだので、皇家出身でもシュヴァルツエーデの当主になれた。つまりね、血統を証しするのに最も有用なものが、その血筋特有の色なんだよ」
「えっと、色……」
「そう、瞳の色とか、髪の色とか。ノルデン国王は代々黒髪に紅眼で、シュテレ国家は白茶色の髪に焦茶の瞳。王家は絶えているけど、ランゲ伯家はこの色を継いでいる。ピアーナ嬢がまさにそうだよね。
そしてベルンシュタイン大公家は濃い金髪に水色の瞳。つまり、チルの色なんだよ……」
「んあ?」
なんとも情けない声が出た。
自分とは無縁だと思っていた話が、突然自分の真上に降ってきた、という感じだ。
「俺の色?」
「チルがベルンシュタインの系統の子供であるのは間違いない。なんと言ってもリンが懐いているから、もうこれは決定だ。確実に自分の血統のチルをヴェルザー卿は手に入れたがるだろうと思っていたけど、まさか庭師として近付いていただなんて……」
「ちょ、ちょっと待ってよイーア! つまり俺はランおっちゃんの子供ってことか!?」
チルは勢いよく身を乗り出して、イーアに迫る。驚いたイーアが身を引き、持っていたカップのお茶が揺れた。チルの顔をじっと見て、それからイーアは深くため息をつく。
「それはどうかわからないけど……」
「あ、そうなんだ」
一瞬の興奮が冷め、物寂しさが胸に走る。
(とーちゃん、かと……)
あれ。
なんだかすごくがっかりしたのは何故だろうか?
チルは首を傾げる。
「ベルンシュタインも直系がとても少なくなっている貴族だから、関係者であることは間違いないと思うけど……で、この面倒臭い話はまだ続くよ。チル」
「もう勘弁してくれよー」
イーアの冷ややかな面差しをげんなりと見ながら、チルは泣き言を言う。
「現在、ベール夫人は自分の実家方から次期大公候補として養子を引き取っている上に、ヴェルザー卿は近々後継を決めると宣言をした。それが誰かはまだ不明だけど、ベール夫人の実家としては、ようやくベルンシュタインの乗っ取り計画が完遂するって大喜びだったろうね。そこにチルが現れた」
「な、なんでそこで俺が出てきんだよ! 関係ねぇよー!」
チルはソファのクッションを頭に被ってぎゃあぎゃあと騒ぐ。
だいぶ昔、ほとんどその頃の記憶はないが、自分も暗殺業に携わっていた事がある。だからこの話は理解できたし、イーアの言いたいこともわかる。だけど自分が命を狙われる立場になったなんて、想像したこともなかった。
第一、自分がその大公とやらの血統だという実感もないのに。
「だから護衛を付けろって、一人でふらふらで歩かないでって言っていたんだよ。
ヴェルザー卿がチルに興味を持ってしまった以上、ベール夫人は確実にチルを狙うだろう。もしかしたらそれより最低な方法を使うかも……チルを自分の養子の妻にしようとするかもね。この養子は素行の悪さで有名だから。
本当に気をつけなくてはいけないよ? チル、聞いてる?」
「何も聞こえない」
「現実逃避しない。明日はベルンシュタインの屋敷に行くからね。ちゃんとしっかり敵城視察もしてこよう」
イーアがのんびり言った時、チルの座るソファが大きく軋んだ。
「チル、顔を見せて」
やけにイーアの声が近い。チルは恐る恐る、クッションの間から顔を出した。
「近っ」
いつのまにか隣に座ったイーアがチルの頭の上のクッションに手をかけていた。
「チルは僕が守るから。だから、心配しないで……何かあったら、ちゃんと僕に言うんだ。隠してアルバイトなんてしないで。わかった?」
そう言うと、イーアはくしゃくしゃとチルの頭を撫でる。
「子供扱いすんな!」
「年下の僕に甘えてくる時点で、だいぶ子供だと思うけど? あ、僕は甘えてくれて嬉しいよ」
はっとチルは息を飲む。
そうだ。忘れがちだが、こいつは自分より二つの年下だ。
「ちくっしょーー!!」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられながら、チルは情けなさと悔しさと、そしてほっとした安心感から泣きそうになった。
「チルは今夜、そこのベッドで寝るといい。僕はこのソファで寝るから」
「え、いいのか?」
チルがイーアの部屋に来た一番の理由は、一人で寝るのが怖かったからだ。絶対嫌がって拒否されると思っていたので、拍子抜けしてしまう。
「うん。さっき余分に寝具を借りたから大丈夫。明日は午前中から動くから、落ち着いたらチルももう寝たほうがいい」
イーアはそう言いながら、チルから奪ったクッションを自分の座っていたソファのほうに置き、さらに毛布やら羽毛布団やらキルトを重ねる。
「ありがと! さすがイーア、話のわかるやつだ」
年下だろうか途方もなく身分の違う人間だろうが、イーアはやっぱりチルの親友だ。ちゃんとチルのことをわかってくれる。
「だけどお前の方が体でかいから、ソファでは俺が寝るよ!」
「だめ」
嬉しくて思わず大声になってしまったチルを冷ややかな目で見下ろしながら、イーアはいつもの整った顔で言い放った。
「ベッドで僕が寝たら、君が入り込んでくるから。絶対だめだ」
その顔にしっかり怯えながら、チルはきゅっと顔を顰める。何故なら全くその通り、イーアの布団に忍び込む気満々だったからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
長くなって申し訳ございません。
ここまでで第三部の【一】です。
本当にお付き合いくださりありがとうございます。
ランベルトは恋多き男とされていますが、実際これまでの人生で愛した女性はたった一人でした。そして今は女嫌いです。チルの違和感は当たっています。
チルに淑女としての振る舞いを教えたルッソは、女装して貴族令嬢のふりをすると、違和感が全くありません。あまりにも完璧なので、アルは『こいつに騙される男は可哀想だなぁ』と思って見ています。
次回、ここまでの人物紹介と国家紹介SS、
【異想譚】が2話入ります!
よろしくお願い致します!




