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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【一】
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第9話 同じ色の瞳

 カーナリーエの屋敷を出ると、少しだけ太陽が傾き始めていた。冬至から四十日ほど。まだ太陽の力が弱く、油断しているとあっという間に夜になってしまう。


「チル、早めにノルデンのお屋敷に帰ろう」

 イーアの言葉に、チルが頷く。だがその前に、ランに会って鍵束の返却と頼み事をしなければならない。


 例の幽霊は、今はチルが持っている鏡の中でおとなしくしている。尋問のようにイーアにいろいろ聞かれ、すっかり疲れ果ててしまっていた。

『そもそも会話をしたのがだいぶ久しぶりなのですよ〜。ランは私を見てはいますが、話しはしないから〜』


 なんだかんだと試行錯誤しながら緋虎の鏡に映った幽霊、名前がないと面倒なので、とりあえず本人の同意を得て幽さんと呼ぶことにした。

 彼が落ち着いている鏡は今チルの胸ポケットの中におさまっている。イーアの大切な物だらかと渋るチルに、イーアは穏やかな顔で言った。


『僕が持っていてもいいけど、この人のために動くと決めたのはチルだろ? だから、チルが持っているといいよ』


 ただし部屋に置く時は必ず虎の木彫りの方を上にするようにと言われた。謎の制約である。


 急いで庭を横切り、管理小屋の扉を叩く。すぐにランが出てきた。もう彼の仕事は終わったのか、ほっかむりも麦わら帽子も被っていない。白髪混じりな金髪は、前髪もすべて後ろに流し高い位置でひとつに括っている。いつも顔が見えないほどぼさぼさな髪型なので、チルはランの素顔を初めて見た。

 老人と呼ぶにはまだまだ早い、まるで戦士のような精悍(せいかん)なその顔にチルはちょっと驚く。


「遅かったじゃないか」


 どうやら待ちぼうけていたらしい。自分たちのせいで家に帰れなかったのだろうか。申し訳ないことをしたかもと、チルは鍵束を差し出す。


「ごめん……ちょっといろいろあったんだ。鍵、ありがと。すげぇ助かった」


 ランが無言で鍵束を受け取る。その視線が気遣わしげにチルを見ていたので、チルは首を傾げた。


「大丈夫、本当にちょっと……幽霊と話してたらこんな時間に」


「幽霊と? あの幽霊が出たのかい?」


 チルは頷く。

「でさ俺たち、あの幽霊の身元と、同時期のベルンシュタインの王様っていうのかな? 琥珀(こはく)の君ってのを調べたいんだ。ベルンシュタインの図書室を借りたいんだけど、おっちゃん、何かツテがない?」


 これはイーアの提案だ。

 記憶を失っている幽さんから聞き取った情報はどれも断片的なもので、決定打に欠けた。歴史書と照らし合わせて調べてみたいと思ったのだが、それにはノルデンの屋敷にあるものより、当のベルンシュタインの屋敷の図書室の方が良いのではないか。

 だがもちろんチルはベルンシュタインとは交流がないし、イーアが表立って動くと後々に響く。


 ならば、ランさんに聞いてみればいい、彼ならなんとかしてくれるとイーアが言うので、正直チルは首を傾げた。庭師が他国の図書館に伝手などあるのだろうか。


 チルより頭ひとつ大きいランを見上げながら、恐る恐る言うと、意外にも彼の皺深い瞳が優しく細まった。後ろに無言で立つイーアを見て、そっと笑う。


「構わんよ? いつがいいかな?」

 そしてあっさり返事をくれた。チルは思わず『やった!』と拳を握る。

「じゃ、明日。明日でもいいかな?」

「では明日の十時頃にベルンシュタインの屋敷においで。誰か案内を頼んでおくから」


 チルは大きく頷く。

「ありがと、おっちゃん!」

 イーアもしっかりと目礼をした。


「ただし……屋敷にはあまりチルに関わってほしくない人もいるから、十分に気をつけること。これは約束しておくれ」


 ランの言葉に、チルは首を傾げた。初老の男は、チルの後ろにいるイーアをしっかりと見ている。イーアは無言で頷いた。

 二人の間に何やら不穏な空気を感じ、チルは眉を寄せる。


 そしてここではじめて、イーアがしっかりと見据えているランの瞳の色が、自分と同じ澄んだ水色なのに気がついて、そっと息を呑んだ。



 ◾️ ◾️ ◾️



 こんこんと扉を叩くと、意外にもすぐにドアが開いた。寝巻きに着替えたイーアが顔を出し、驚いたように目を見開く。

「チル」


 それを少しだけ、気まずさを感じながらチルは見返す。イーアの部屋の前には警備の兵が立っているが、その二人が顔を逸らしているのが面白くない。


(そんなんじゃねぇのに)


 夜更けにチルがイーアの部屋を訪れる事が、誤解を招く行為なのだという事はわかっている。イーアが軽率な男だと誤解されるのは嫌だ。やっぱり帰ろうかなと思い直したところで、ぞくりと背中に恐怖が走る。


(でも一人でいるは嫌だし……)

 今日は鴉さんがいるので、なんとなくリンを抱いて寝るのは気が引ける。鴉がこんこんと眠るリンのそばに寄り添うのを、邪魔したくはなかった。


 だが、最近のイーアはチルを寝室に入れてくれない。今日も追い返されるかなと思いつつ、恐る恐る見上げると、困ったように笑ったイーアがいた。


「入って。今何か飲むものを準備させよう」

「大丈夫、酒持ってきた!」

 チルがにかっと笑いながら酒瓶を掲げると、呆れたようにイーアの眉が少し垂れた。


 兵士たちに何事か命じてから、イーアはドアを閉める。すでにソファの上でくつろいでいるチルを見て、一瞬なんとも言えないような複雑な表情をした。


「簡単に男の寝室に入るのはどうかと思うよ?」

「いーじゃん別に。ベッドに女がいたって俺は気にしないぜ」

 そう言うことじゃない、とイーアがぶつくさ言うが、チルは無視した。


 勢いよく酒瓶の蓋を開ける。蒸留酒らしい芳香な香りが漂い、チルは満足してにんまり笑う。だが次の瞬間にはイーアに没収されてしまった。

「男の部屋でお酒を飲むな」


「なんだよそれ、横暴だ」

「僕に襲われる可能性は考えないの?」


 イーアが心底呆れたように言う。


「何おまえ、また女に飢えてんの?」

「またってなんだよ。そうじゃなくて、チルの警戒心の話をしている。僕だって自分の意思とは別に、如何ともし難い状況になる事だってあるんだから」


「なんだそれ! お子様がなーに言ってんだよ!」

 チルがけらけらと笑うと、嫌そうな顔でイーアがチルを見返した。ますます楽しくなって、なにか揶揄(からか)ってやろうと顔を上げたところで、しまったと思う。

 イーアの目が完全に据わっている。


「チル、もしかしたら一度痛い目に合わないと自覚しない?」


「……嫌なこと言うなよ」


 確かに、男として育てられたチルは警戒心が薄い。だがそういう暴力や犯罪と無縁の生活を送ってきたわけではないのだ。


 チルはむすっと唇を尖らせた。


「だったら自覚して。自分がちゃんと価値のある一人の女性だってこと」


 イーアの言葉に、チルは意味がわからず目をぱちくりさせる。そんなチルを見るイーアの顔は、いつものような年齢以上に大人びた顔で、穏やかなものに戻っていた。


 ちょうどその時、侍女たちがお茶と軽くつまめる物を二人の前に並べてくれた。ノルデンの使用人たち、相変わらずすごい。


「夕ご飯、全然食べてなかったかっただろう?」

 そう言いながら用意されたのは温かいスープだった。確かに、酒より体に良さそうだ。


「なんか話がめんどくさくて、ついていけなかった」

「ははっ」


 イーアが声を出して笑った。

 それだけの事が、とても嬉しい。




お読みいただきありがとうございました!


イーアはたとえ男性の恋人がいる幽霊でも、

チルのプライベートな姿は見られたくないようです。



ここから2話はすごく悩みながら書いた回です。

次回分で第三部の【一】は終了します。

読んでくださりありがとうございます。次回もよろしくお願い致します。

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