表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【一】
46/78

第8話 鏡の中の幽霊

「なぁ、イーア」

 チルが名前を呼ぶと、ようやく彼がこちらに顔を向けた。

「大丈夫か? 無理してないか?」


 イーアは黙ってチルを見ている。チルはちょっと気まずくなり、視線を落とした。


「なんか、新年からいろいろあったろ? 疲れてんのかなーって」

「ああ……平気だ。心配かけてすまない」

「そんなことない。って言うか、役に立たなくてごめん」


 何が出来るかわからないけど、チルが出来ることががあるなら手伝いたい。でもイーアはもうチルを頼ったりしない。それがちょっとだけ、寂しい。

 だがイーアはふんわりと笑う。


「じゅうぶん助かってるよ。そんなこと言わなくていい」

「でも……」

「チルはここに居てくれたほうがいい。……ここは女神の力が及ばない場所だから」


 ふと、イーアの口調が硬くなり、チルは顔を上げる。イーアの紫色の瞳はチルをまっすぐに見ていた。

「……女神?」


 思わずチルが鸚鵡(おうむ)返しした時。


「いいですね〜。今の若者は、幸せそうで〜」

 今にも掠れて消えてしまいそうな、震える男の声だった。それが突然、二人の会話に混ざりこむ。

「私が生きてた頃は、男同士でいちゃつくなど出来なかったのに〜ああ、うらやましい〜」


 ぎょっとしてチルが鏡を見ると、鏡の前に男がいる。男は向こう側が見えるほど透けているし、服装もひどく時代遅れだ。今の時代では滅多に見ないような、引き摺るほど長いローブの上にナイトガウンを羽織っている。


 淡いクリームイエローの髪は恐ろしく長く、緩やかに波打ちながら足もとまで伸びている。面長な顔に鷲鼻(わしはな)、長い髪に隠れて目はよく見えない。だが、その特徴がランから聞いた幽霊そのものだったので、チルは思わず叫んだ。


「今昼だし! いちゃついてないし! なんで幽霊が昼間に出てるんだよ!」

 ほぼ混乱状態のチルの前にイーアが立ち、自然、彼に庇われる様になった。


「おやぁ〜強い思慕を感じたのですが〜、気のせいでしょうか〜」

 幽霊がそう言いながら、二人を見る。光のない漆黒の瞳がこちらに向いて、チルは身震いした。まるで枯れた深い井戸のよう、何の生気もない暗闇のような瞳だった。


「思慕? あなたは人の心が読めるのか? カーナリーエの鏡の幽霊よ」


 警戒心を強く滲ませるイーアの声を聞いているうちに、チルの気持ちも少し落ち着いてきた。


「読めるわけではありません〜。強いて言うなら、あまりの強い思慕と魔力に引き寄せられてしまったというだけで〜……」


 幽霊の男は病人のような()けた顔で二人をまじまじと見る。


「はて、気のせいでしたでしょうか〜」


(思慕って……!)

 チルは必死に堪えながらも、叫び出したい気持ちでいっぱいだ。

(まさか、俺の……!?)


 先程の幽霊との遭遇より、一気に心臓の鼓動が速くなり、ばくばくとうるさい。痛いくらいの胸を抑えながら、チルはイーアの後ろ姿を見る。彼がこっちを向いていなくてよかった。絶対に今の自分の顔は真っ赤になっている。


「それについては、うん。もういい。

 それより、幽霊のあなたがこの……まだ太陽の高い時間に姿を現したのは? 幽霊って昼夜関係ないのか?」


(あ、よかった)

 イーアはそれ以上追求しないらしい。チルは正直、ほっとした。


「あ〜、そうなのです。珍しく出れるなぁと思ったのですがぁ」

 幽霊がキョロキョロと周りを見渡した。

「何か〜、大切な事を聞いて、そうそう、わたし、捨てられるんですね〜」

 幽霊が掠れた声で言った。


「あっ、さっきの話、聞いてたのか?」

「聞いていたと言うか、聞こえたと言うか〜。そうですか、だいぶ長い時間ここにいましたが、ついに終わりの時ですかぁ〜」


「まだ確定ではない。決めるのはカーナリーエの新しい国主だ」

 イーアが言うと、幽霊は撫で肩をさらにしおしおと落とす。


「よいのです〜。私のような、もう〜、いつから居たのかわからないような(くら)き物は確かに生者の世界には不要でしょう……ですが、消え去るとなればやはり寂しさが勝るもの〜」


 幽霊はそう言いながら窓の外を見る。


「昼の世界は、もうどれくらいぶりか……自分でもわかりませんが〜。そうですねぇ、愛おしい()の方に、最後はお会いしたかった〜……」


 幽霊の目線の先、それほど高くない木立の向こう側、だいぶ離れた場所にある白い壁の城のような建物が見える。多分どこかの屋敷なのだろうが、そこを幽霊は何かとても深い感情にこもった、真っ暗な瞳で見つめていた。


「え、なに? 恋人でもいんの?」

「チル」

 思わず身を乗り出すチルを、イーアが腕で止める。幽霊がチルを見て照れくさそうに笑った。


「こ、恋人というか〜。彼の方とは想いは交わし合いましたが、将来の誓いをしたわけではないので〜」


 幽霊の何か意味がありそうな言葉の意味がわからず、チルは首を傾げる。イーアを見上げると、彼も困ったように笑う。


「相手は男性かい?」

「そうなんです〜。あのお屋敷に住む高貴な方で……お名前は……、いけませんねぇ忘れてしまいました〜」


 幽霊になっても思い続けた、愛しい人の名前を忘れるなんて。幽霊の声は悲しそうだ。


 だがチルは知っている。幽霊というのはとても不安定な存在なのだ。メアーレで遭遇した幽霊達も、ほとんどが生前の記憶を失っていた。覚えているのは、死の間際の強い感情。痛いとか苦しいとか、憎いとか悲しいとか。そういうネガティヴなものだ。多分この幽霊も、自分の名前すら覚えていないのだろうと思う。それでも愛おしい人の存在は忘れていないのだ。


「あちらの屋敷はベルンシュタイン大公家のものだが」


 イーアの言葉に、幽霊はパッと顔を上げた。


「そうそう、琥珀(こはく)の君です〜。愛おしき我が主人〜」

琥珀(こはく)の君って……」

「当代のベルンシュタイン大公だね。という事は……ヴェルザー卿かな?」


 確か帝国では、三公爵と北のベルンシュタイン大公のみ、当主を宝石で呼ぶ習慣があるのだ。イーアも『黒曜石の君』と呼ばれている。


「いえいえ、あんな若造ではありませぬ〜。わたくしの愛おしい人は、もっと、ぐっと引き締まっていて……抱きしめていただくとすっぽり包み込まれるようで〜」

 幽霊がくねくねと身悶えている。チルは唖然としてその姿を見た。


 イーアと言葉のやり取りをしているうち、幽霊の姿が幾分かはっきりと見えるようになった。真っ黒な瞳も暗い眼窩(がんか)もそれほど怖い印象ではなくなり、三白眼の瞳にも少し光が見えるようになった。どうやら元々、瞳の色は黒らしい。


「それはずいぶん……親密だったのだね」

 イーアが気まずそうに言う。

「当代の琥珀(こはく)の君は確か六十ほどだったと思うけど……つまり君は、もっと古い時代の幽霊なんだね」


「おそらくは〜。と言っても何ひとつ、覚えておりません〜」

 幽霊はそう言いながら、再び窓の外に視線を投げる。その瞳はとても切なそうで、それでいてどこか満たされたようで。

「最後に……彼の方の墓に行きたいと思っていたのですが〜。それも叶わないようですね〜」


 幽霊を見ているうち、チルも少しずつ悲しくなってきた。この人は、生きている間に愛していた人がいたのに、生前は結ばれず、そして死後は名前すら思い出すことができないでいるのだ。

 何だかすごい悲しいことじゃないか。

 イーアの袖を掴む手に力が籠る。


「その墓に行けばいいんじゃね? どうせこの屋敷はこれから変わるんだから、あんたがここに居続ける必要もないんじゃねーの?」

「おや〜、藍玉(らんぎょく)の君。何と甘い誘惑でしょう。ですが私は鏡に宿った幽なる物。ここを動くことはできません〜」

 幽霊はきっぱりとそう言う。


藍玉(らんぎょく)の君って……」

 何やらたいそうな呼び名を使われたが、それよりも幽霊の言葉に頷きたくないチルは唇を噛む。だが、どうすればいいのかなんてわからない。ただ思いが叶わないまま消えるのは、あまりに切ないような気がした。せめて最後は、好きな人のそばに居たいのではないだろうか。


(ぁ。でもこれも俺のわがままかなぁ)

 チルはまだ、自分のイーアに対する気持ちが何なのか、まだよくわかっていない。それなのに、この幽霊の気持ちに自分の感情を重ね合わせるなんて、身勝手なのではないか。


「チル?」

 ふと顔を上げると、心配そうな顔でイーアがこちらを見ていた。その一見無表情に見える、だが優しく(いつく)しみに(あふ)れた紫の目に捉えられれば、どうしても思ってしまう。


(叶わない恋なら、やっぱり最後くらいは、って思ってもいいんじゃね?)


「なぁ、なんとかこいつをさ、その琥珀(こはく)の君の墓に連れて行ってやることって、できないかな?」

 自分を見下ろすイーアの目が見開く。

「だって……昼間にも出てくるような幽霊だぜ? 未練残したままだったら、悪霊とかになっちゃうかも?」


 実際墓場の近くで生活していたチルは、以前何度か悪霊と遭遇した経験がある。連中はたいてい、望みが叶えられないまま死亡時の負の感情を抱え込んでいる。いつか、この幽霊がそうならないとも限らないのだ。


「うーん……それは、多分……」

 イーアが言い淀んだ瞬間、音もなく幽霊がチルの眼前に詰め寄る。ぎょっとし身を引くチルだったが、次の瞬間にはイーアの腕の中にいた。


「ありがとうございます〜! 藍玉(らんぎょく)の君! 嬉しいです〜! ですが私はここを離れる手段がないので……そうですね〜、何か鏡に乗り移りましょう〜」


 さっきまでの儚い雰囲気はどこへやら、幽霊は嬉しそうに早口で喋り出す。イーアの腕の中でチルは目を丸くした。


「なに、お前そんなこともできんの!?」

「ええ〜、これまで移動する必要性を感じなかったので〜。どうしましょう、この鏡を破りますかぁ〜?」

 幽霊はうきうきと言いながら、いつの間にか右手にステッキのようなものを握っている。


「いやちょっと、待て待て! って、イーアはなせっ」

 相変わらずこの相棒は過保護である。

 しぶしぶ手を離す彼を睨め付けて、それから幽霊の顔を見た。さらにはっきりとした輪郭を持った彼は、もはや生きている人間とそう大差ないように見える。


「あんたはその鏡に今宿ってるんだろうから、それを壊すのは良くないと思う。何か、別の物に……」 

「それならこれはあるが」

 イーアが懐から小さな古い鏡を取り出す。今年の夏、チルが見つけてイーアに渡した、緋虎の鏡だ。

「絶対に壊さないと言うなら、貸せる」

「おお、いいじゃん。てかお前、ずっと持ち歩いてたのかよ」


 イーアは黙って頷きながら、鏡を椅子の上におく。幽霊も目をきらきらと輝かせて鏡を見ていた。


「だがその前に、まず君がどの時代に生きていて、君に言う琥珀(こはく)の君が誰かを特定する必要があると思うのだが、異論はあるだろうか」

 イーアがはっきりと言う。ちょっと苛々(いらいら)している時の口調だ。

「おっ、そうだな」

「異論はございません〜」

 なぜか幽霊とチルが同時に答えた。


「では、さっさと、君が覚えていることを私に言いなさい。年代を特定できるようなことだ。火急速(かきゅうすみ)やかに、迅速(じんそく)に」


 普段表情の薄いイーアがにっこりと微笑んでいる。これは大抵不機嫌のサインなのだが、その理由がわからず、チルはただ「あわー」と呟いた。




お読みいただきありがとうございます!


帝国は同性婚は事実婚という形で行われ、イーアの時代では異性婚と変わらず一般的ですが、そうでない時代もあったようです。


イーアは久々にチルをぎゅっと出来たのでテンション上がりました。すぐに逃げられてしまいましたが。


宝石の呼称は、

【黒曜石の君】シュヴァルツエーデ公爵

【蒼石の君(元々は瑠璃の君)】ノーヴァ公爵

【翠玉の君】サヴァーランド公爵

この三家と皇帝家は黄金の女神の実子の子孫です。

それに琥珀の女神の子孫を加え、

【琥珀の君】ベルンシュタイン大公

の四家が宝石の名称を持ちます。


皇帝家もその昔は【紫水晶の君】と呼ばれていました。


次回もよろしくお願い致します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ