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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【一】
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第7話 もっといろいろな顔が見たいから

「くしゅっ……さむっ」

「そんな薄着で外に出るからだよ」


 イーアが苦笑いしながら、抱えていたコートをチルの肩にかけた。嗅ぎ慣れたイーアの匂いがふわりと香る。すんと(はな)(すす)りながら、チルはなんとなくその香りを確かめた。


「……お前が寒いだろ」

「僕は鍛えているから大丈夫。この服も、結構厚いし。チルの方が薄着だ」

 確かに。温室でのんびりしていたチルは、ノルデンの屋敷で用意されていたシャツとウエストコートしか着ていない。そういえば寒かったなと、コートを襟元に寄せた。


 二人からだいぶ離れたところを、ザイツの部下だという騎士団か兵士か、チルには見分けもつかない人がついてきている。メアーレにいた時にイーアは自由に行動していたが、こちらでは必ず護衛がつく。


 ザイツはイーアの護衛のためにいつも一生懸命なので、正直チルはすごいなーと思っている。


(あの人、苦労人っぽいなー)


 イーアの護衛騎士はアルといいザイツといい、なんだかんだと主人に振り回されて大変そうだ。


 イーアが歩きだし、チルの隣に並んだ。

「で、どこに行くんだい?」

「えっと、隣の屋敷なんだけど、そこにランおっちゃんっていう庭師がいてね」

「隣? カーナリーエかな」


 チルは頷く。ここには五つの国の屋敷があって、その国をまとめて北峰五国という。そのうちの一つが、チルが居候しているノルデンで、その隣はカーナリーエという国なのだとチルは最近知った。アルヴェルトのお勉強を隣で聞いているだけなのだが、実は平民が通う学校もちゃんと行っていなかったチルには、新しく学べることがいっぱいあって楽しい。


「なんか、そこ、ノルデンに比べると屋敷がすげぇぼろっちくって。しかも管理人はその庭師のおっちゃんだけなんだって。だから、俺は時々掃除とか庭の手入れとか、手伝ってるんだ。まぁ簡単なアルバイトだな」


 体を動かすのが大好きなチルは、働くのが好きだ。しかも庭師のランは話が楽しい。ここ最近のチルは、ノルデンの屋敷でアルヴェルトと一緒に勉強をしているか、カーナリーエの屋敷で働いていることが多かった。


「え? 聞いてないけど」

「だから今話してるじゃん」


 イーアが背後に控えていた兵士の方を向き、兵士たちがぎょっとした様に肩を震わせた。チルはその後頭部を小突く。この悪友は、いつの間にか他人を怯えさせる技術も身につけたらしい。


「で、その屋敷にはさ、なんと因縁のものがあるんだぜ」

 ちょっとだけ不貞腐れた様な顔をしているイーアに、チルはにやっと笑ってみせる。彼の紫色の瞳が大きく見開いた。

「因縁?」


「そう、幽霊が出る鏡だよ」



 チルとイーアの関係は、不思議な鏡から始まっている。


 イーアがチルに、母の鏡を探す依頼をしたのが最初の夏。

 その年は何も見つけられなかったが、幽霊が出る鏡の調査で一緒に行動した。実際は幽霊ではなく消えかかっていた精霊だったが。


 あの時、頼りない貴族の坊ちゃんだと思ったイーアが、チルを助けてくれてそこから友人になった。あの時から何となくチルはイーアから離れ難くなおり、今では親友だ。


(あれが二年とちょっと前だもんなー)


 そんな事をつらつらか考えながら、古びた使用人専用の扉を潜る。


 手入れの行き届いていない庭を横切り、チルはその隅にある小屋の扉を叩く。程なくして、一人の男が中から出てきた。顔馴染みの男はチルを見て目を丸くする。


「ランおっちゃん!」


 ランは自分の事を爺さんだというが、毎日畑仕事をしているせいか、年齢の割に筋肉がついてがっしりしている。白髪まじりの金の髭がボサボサと伸び、いつも日除の帽子を深く被っていた。


「おや、チルじゃないか。今日は来れないって言ってなかったかい?」

「うん、ちょっと今日はトモダチ連れてきた。屋敷の鏡、見に行ってもいい?」

「構わんが……友達かい?」


 ランがひょいとチルの肩越しにイーアを見た。ついでに振り返ると、イーアは少し難しい顔をしてそこに立っている。


「……こんにちは」

「やぁ。これはこれは。こんな陋屋(ろうおく)にようこそ」

 ランは丁寧に帽子を脱いで挨拶する。イーアの服装が明らかに貴族なので、気を使ったのかもしれない。


「仕事の邪魔してごめん」

「構わんが……今日は新月だから、あまりおすすめしないなぁ」

 そう言いながら、腰に引っ掛けていた鍵束をチルに渡す。

「大丈夫、ちょっと見たらすぐ帰るから。ありがと、おっちゃん!」


 鍵を振り回しながら、チルが踵を返す。イーアがひとつ庭師に目礼し、チルの隣に並んだ。

「新月?」

「うん、幽霊は月の光に弱いんだ。だから満月には出てこないけど、新月には活発になる」


 イーアは目を丸くした。


「だから夜は鏡に近付かない方がいい。今は日中だから大丈夫だと思う。別に幽霊に興味はないだろ?」


 鍵束を振り回しながら、チルが笑う。


「まぁ、誰もいない屋敷だから、ちょっと気楽に過ごせるんじゃね?」

 まじまじと自分を見るイーアににやりと笑いかけて、チルは古ぼけた屋敷の鍵を開ける。護衛兵士たちにはここで待っていてもらい、二人は使用人入り口から中に入った。


「だーいぶ古いけど、ちゃんと掃除はしてるんだぜ。俺も手伝ってる」


 すたすたと中に踏み込むチルの後を、恐る恐るイーアが歩く。落ち着きなく周りを見渡していた。


「裏口から入るのは初めてだ……」

 ちょっと感動したように言うので、チルは首を傾げる。

「いや……使用人の空間に入ったことがないから。へぇ……おもしろいね。なんだかメアーレのお店みたいだ」


 イーアの目が少し細くなって、表情が柔らかになる。それを見るだけで、チルは何だか口元がむずむずする。


(やっぱり、ここに来てよかった)


 なにせイーアは本当はまだまだガキなのに、『ちゃんとしなくちゃいけない』ので、弱音を言わず毎日頑張っているのだ。


 メアーレのあの雑貨屋にいた時には、笑ったり怒ったり、もっといっぱいいろいろな顔を見せてくれたけど、ここしばらくはいつも眉間に皺を寄せて、考え込んだり、悩んだりしている。

 実際新年の事件以来、気が休まる余裕がないのか、と思うほど顔が険しい。


 だからチルはイーアと二人になりたかった。


 ノルデンの屋敷にいても、どこにいても、周りには護衛の兵士たちがいる。仕方ない、イーアはとても尊い身分の人間だから。


 だが、やはり誰も見ていない場所で、チルにしか見せない表情を見せてほしい。


(あー、でもそれはこいつを危険に晒しているわけか……)

 重厚な扉を押しながらチルはふと気がつく。やはり戻って、兵士たちを呼ぶべきだろうか。そんな迷いでわずかな時間手が止まる。

 すると後ろから伸びてきた手が、何の迷いもなくドアを押し開けた。


 見上げると、不思議そうな顔でイーアがチルを見下ろしている。


(あ、やば)

 今日何度目かの危機を感じて、チルはホールに飛び出す。そしてイーアに見えないように背を向けたまま、両手でぱんと頬を叩く。


「チル?」


「なんでもねーよ。鏡は二階、階段登るぞー」

 扉の向こうは表側だ。来客を迎えるホールが広がり、右手には大きな玄関扉。左側には二階に登る階段がある。


「だいぶ古いけど、ちゃんと手入れされているね」

「俺も掃除してるんだぜ。今年中には改装するって言ってたな」


 階段を登りながら、チルは手すりを見る。この屋敷は黄系の色の装飾が多く、手すりもくすんだ鬱金色(うこんいろ)だった。


「ああ、新王が立つのだよね。国名も変わって、生まれ変わる」

「そうなのか?」

「国王不在が長く続いたし、前に王家が絶えたのも訳ありだったみたいだから……名前を変えて再起を図るみたいだね」

 イーアは興味深そうにホールを眺めている。

「へぇ……そしたら庭の手伝い要らないかなー」


 おっちゃんはそんな話ひとつもしていなかったのにな、とチルは唇を尖らせた。


「というか、チルが手伝う必要あるの?」

 イーアが面白くなさそうに言いながら、階段を登ってくる。

「だって俺、やることねーし」

「乗馬は?」

「週に一回、アル坊と一緒にやってるよ? すげえ上手いって褒められた」


 むう、とイーアが唸る。


「それにおっちゃん楽しいし」

「……あの人を信用してるんだね?」


 変な言い方だな、と思いチルが首を傾げる。


「信用?」

 聞き返したチルを追い越して、イーアはどんどん階段を登る。

「こっちかな?」


 イーアがすたすたと歩き出したので、チルは慌ててその後を追う。彼は迷いなく二階に登ってすぐそばの部屋の扉を開いた。何の案内もなしにイーアが動く時は、何かを感じ取っていることが多い。なので、そういう時は黙ってチルはその後を追いかける。


(こいつ、実はすげーやつなんじゃないかな)


「ああ、あれか」

 広い室内には調度品が乱雑に放置されていた。イーアはまっすぐに、白い布の掛けられた鏡の前に立つ。そっと布を避けると、それは扉と同じほどの大きさの巨大な姿見だった。


「すごいね。かなりの年代物のようだけど……」

 イーアは感心したようにしげしげとその鏡を見る。チルがその隣に立つと、うっすら(ほこり)を被っている鏡の向こう側に、精悍(せいかん)な貴族の青年と、その従者にしか見えない自分が並ぶ。

 ちくりと痛む心を無視して、チルは笑う。


「だろ? この屋敷が改装するなら、どうなっちゃうんだろう」

「大きな傷みはないし、新しい屋敷でも使えると思う。ただ、幽霊が出るって?」


 イーアが首を傾ける。鏡はシンプルな木枠に収まっており、その木枠は古いものの、しっかりとした作りだ。裏側をじっと観察しながら、イーアはその木枠に触れたりしている。


「月の光のない夜に鏡の前に、幽霊が立ってる。実は俺もまだ見たことがないんだよね。ランのおっちゃんが見たんだって」


 乱雑に置かれている調度品の中から、小ぶりな椅子を取り出してイーアの前に置いた。背もたれのない椅子だが、ないよりはマシだろう。チルはすぐそばの窓枠に腰掛ける。


「……ふうん。そうなると、処分されてしまうかもしれないね。流石に曰くのある物は新しい国では忌避(きひ)されるだろう」

「そっかぁ……なんかそれも寂しいな」


 硬い表情のイーアはまだその鏡から視線を逸さずにいる。そんな横顔を見ると、なんだかチルは少しだけ寂しい気がしてしまう。




お読みいただきありがとうございます!


自分のコートを着て、すんすん匂いを嗅いでいるチルを、後ろを歩くイーアはかわいいなぁと思って見ています。

チルの着ている服は侍従のお仕着せです。


次回もよろしくお願い致します!

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