第6話 兄と妹
午後からアルヴェルトと過ごす予定だった、母親のクリスティーネはまだ姿を表さない。どうやら急な客人がやってきたらしい。チルは不思議そうなイーアの前に、侍女が用意してくれた紅茶を差し出す。ついでにイーアの好物のさっくりした食感のクッキーも準備してあるので、それも彼の前に置いた。
「ベール夫人ってのが、俺に会わせろと騒いでいたらしい。イーアには夕飯どきに説明するって言ってたぜ」
イーアがそっと眉を顰めた。
「ベール夫人が? 一体何故?」
「さあ?」
チルは興味がなかったので詳しい話は聞いていない。さっきチルにその話を説明してくれた執事長のリーベ夫人は、アルヴェルトを連れて図書室に行ってしまった。
残されたのはイーアとチル、再びお昼寝しているリンだけだ。温室の入り口ではイーアの護衛騎士のザイツが無言で控えている。
「気を遣われたかな」
背後でイーアはそう言うが、チルはなんとなく振り返れずにあらぬ方角を見つめる。
「チル、こっちを向いて」
そう命じられれば、拒否する理由がない。渋々チルがイーアの顔を見ると、なんだか悲痛な顔をしていた。
「チル、少し大切な話がある」
真剣な口調に、チルは首を傾げる。
だがイーアが話し始めるより早く、温室の入り口にいたザイツがイーアの元に駆け寄り、何事かを耳打ちした。とたん、イーアの表情が硬くなる。その背後には、先ほどまでいなかった兵士が少し不安げな顔をして立っていたので、その緊張を不思議に思い、チルはこてんと反対側に首を傾げた。
◾️ ◾️ ◾️
「お兄様!」
ノルデンの屋敷の馬車寄せに、高級そうな馬車が停まっていた。
そこから飛び出した少女は、美しい銀髪の上半分を綺麗に編み込み、残りは背中で揺らしている。大きく開かれた瞳の色はイーアと同じ紫色。真っ白な毛皮のケープを着た、一目で高貴な身分と分かる美少女だった。
速足でそちらに駆け寄るイーアの後ろ姿を追いかけて、チルも玄関から外に出た。冬らしい冷たい空気が心地よい。
(えっと、イーアの妹だ。二番目の妹)
この帝国の皇太子で、確か今年で十歳になるはずだ。
チルは新年の祭事で一度顔を合わせているが、最初に顔を合わせた時にきつく睨まれたので、それ以上は関わらなかった。
「エル、どうして来たんだ」
妹に駆け寄り、まずイーアがそう言う。叱責するような、きつい言い方だった。だが妹の方はまったく気にした様子もなく、満面の笑顔でイーアに飛びつく。
「お兄様、お会いしたかったですわ! 全然王宮に帰って来てくださらないんですもの。わたくし、会いに来ましたのよ!」
ぷうっと頬を膨らませた、幼い妹の顔はとても愛らしい。だが、迎えたイーアの顔は厳しいままだ。
二人が何事か言い合うのを、チルは玄関から見守る。なんとなく兄妹同士の、入ってはいけないような空気があった。
そのチルの隣に、すっとこの屋敷の主人クリスティーネが立つ。
クリスティーネは大きく波打つ黒髪に、垂れた真紅の瞳を持つ妖艶な美女だ。だが妖艶なのは見た目だけで、中身はだいぶ豪胆な女王というより男王のような性格だ。今も胸元が大きく開いたシャツに、乗馬服のようなスラックスとブーツいうカジュアルな服を着ていた。しっかり帯剣しているので、一見すると女騎士のようにも見える。
彼女は屋敷の正門前でやりとりしている兄妹を見て目を見開いた。
「おや、小さなお客様は皇太子殿下であったか」
「あれ? 姐さんお客様中じゃなかったのか?」
クリスティーネ王女はチルが化けているツェツィーリア姫の書類上の姉だ。なので公式の場では『姉上』と呼ぶように言われているが、普段は『姐さん』である。というか、チルにとって年上の女性は皆、姐さんなのだが。
「さすがにこんな立派な馬車は無視できんさ」
クリスティーネが苦笑する。
一方のイーアと妹はまだ推し問答を続けている。王宮に帰るように説得する妹と、何よりまずこちらに来たことを叱るイーア。
そのうち、妹の瞳が潤み出す。泣きそうな様を見てもなお、イーアは荒い語気で続けた。
「エルは今は皇太子なんだよ? それをこんな薄い警備で、しかも事前に連絡もなく北峰に来るのはとても危険で、失礼なことだ」
「だって……」
「だってじゃない。帰りなさい」
イーアはきっぱりと言う。流石に可哀想に思ったのか、クリスティーネが二人に歩み寄って行く。
「イーア、こんなところで立ち話もなんだし、中に入らないか? 応接室を用意させよう」
イーアが振り向く。チルがいつも見るイーアより、少しきつめの目つきになっていた。
(ほお、おっかない顔)
チルが何となく身を引き、イーアが何かを言おうとしたその時。
「ちょっと! 辺境の田舎国王がどうしてお兄様を呼び捨てにしているのよ!」
クリスティーネを指差しながら、イーアの妹が叫んだ。
先ほどまで潤んでいた瞳は射る様に厳しく、クリスティーネを睨みつけていた。今にも噛み付かんばかりの剣呑な雰囲気に、チルはぎょっとして二人を見る。
言われたクリスティーネはただ首を傾げただけだったが。
「エレオノーラ!!」
イーアが怒鳴った。呼ばれた方はびくりと肩を震わせて、兄の姿を凝視する。
「ノルデン国王に対してその態度はなんだ!」
びりびりと鼓膜を震わせる大きな声だった。叱りつけられたエレオノーラの瞳がみるみる潤み出す。
「だってお兄様、お兄様が……」
「いい加減に悟れ! 私と君では立場が違う、君の発言は帝国そのものの発言になるんだ!」
イーアがこんなに感情を表に出すのは珍しい。
思わず、チルは駆け出し、イーアの手を掴んだ。
「待てって、落ち着けイーア」
肩で息をしていたイーアが振り向き、チルを見る。少し目線を泳がせた後、空いている手で前髪をかき上げた。
「……すまない、エレオノーラ。今日はもう、帰ってくれないか」
先程とは全く違う、弱々しい声でイーアが言う。エレオノーラは両目からぼろぼろと涙をこぼしながらも、その場から一歩も動こうとはしなかった。
「まぁ、ついてばかりで蜻蛉返りもつまらないだろう。良ければ皇太子殿下、拙宅でお茶など如何ですか? 帰りにはノルデンの兵を警備にお貸しします。……その準備の間だけでも」
「いや、クリスティーネ殿。そこまでお世話になるわけには」
困った様に言うイーアに、クリスティーネはぱっちんとウインクをする。
「イーアは庭の散歩でもしておいで。チル、案内して差し上げな」
「……おう」
とりあえず、兄妹を離した方がいいということか。
何となくクリスティーネの意図を悟り、チルはイーアの手を引く。
「じゃあ、ランおっちゃんのとこ行ってくる」
「ああ、兵士は連れて行け。気をつけてな」
◾️ ◾️ ◾️
屋敷の使用人用の裏口から外に出て、チルはまっすぐ道を歩く。
ここは使用人や出入りの業者が使う裏道なのだが、馬車が通れるほど広く、しっかりと舗装されており歩きやすい。ノルデンの屋敷から北側に足取り軽く、チルはぐんぐん進んでいった。
「チル」
鼻歌混じりで歩くチルを、後ろをついてきたイーアが呼ぶ。振り向くと、何とも困った様な目でこちらを見ていた。
「チル、手」
「あ、ごめん!」
ノルデンの玄関から連れ出した時のまま、チルの手はイーアの袖を引っ張っていた。高そうな洋服の生地の形が少し変わってしまっている。
ぱっと手を離すと、イーアは居心地悪そうに袖を直した。
「いや、大丈夫だけど……」
そう言うイーアの顔が少し赤い。チルは首を傾げながら、だいぶ身長差ができてしまった彼の顔を見上げた。
あんなふうに叫ぶなんてイーアらしくない。なんと言おうか悩んでいたとき、ぶるっと体が震えた。
「くしゅっ」
お読みいただき、ありがとうございます。
イーアのもう一人の妹、エレオノーラ登場です。
この世界は男女の格差はほとんど無いので、男性でも女性でも皇太子です。
この世界に蜻蛉っているのかな…!?
次回もよろしくお願い致します!




