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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【一】
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第5話 うたたね三人衆+一匹

「ひまだね」

「暇だなー」

「……にゃーう」


 ノルデン別邸の温室にある大きいソファの上で、一人の青年と幼い子供、そして黒猫が一匹、仲良く転がっていた。


 季節は冬。

 ここ皇都では雪は降らないものの、外套なしでの外出は難しい。だが、この温室はとても暖かいので、お昼寝にはぴったりである。

 その上、テーブルにはお茶やお菓子もしっかりと用意してあるので、まるで天国のようだなと青年――チルは思う。


 襟足のあたりで一つに結えた髪はあまったるい蜂蜜に似た金の色、水色の瞳はぼんやりとガラス張りの天井を見上げていた。

 チルが鴉さんと呼ぶ『黒翼の魔女』の幻術で、青年の姿にしか見えないが、本当は現在十八歳の女だ。

 魔法なんておとぎ話の中のにしかないと思っていたので、チルはこれを授けてくれた『黒翼の魔女』と隣で眠るチルの家族、黒猫のリンにはとても感謝している。


 一方の幼い少年、アルヴェルトはこの屋敷の主人、ノルデン国王クリスティーナの一人息子だ。母親と同じ漆黒の髪を短く刈り込み、真紅の瞳は眠たそうにとろとろと瞬きをしている。とどうやらチルはこの子供に気に入ってもらえたらしく、空いた時間はアルヴェルトはチルから離れようとしない。

 入り口近くのドアには側仕えの侍女と護衛兵が、ほのぼのとごろ寝する二人と一匹を温かい目で見守っていた。


(なーんでこんなことになってるんだろーなー)


 チルはここからはるか東のバルド大公国の出身で、そこで小さな雑貨屋で住み込みで働いていた。当然のように平民である。


 状況が変わったのが数年前、夏休み中の子供の面倒を見る事になり、そいつに引き摺られるようにしてこの皇都にきたのが数ヶ月前。

 今のそいつは、もう子供とは言えないくらいデカくなってしまったが。

 去年の秋、チルはそいつに頼まれてとある式典に出る事になり、さらに新年の祝祭にまで連れ出された。チルはそれから一月ほど経った今も、このノルデンという北国の皇都別邸で世話になっている。


(なーんか変な事になってるしなぁ)


 ノルデンの屋敷の人たちは皆いい人で、ここは住み心地が良い。今までの人生の中で、一番穏やかな時間を過ごしていると言っても良い。

 だがチルは貴族ではないし、いつまでもここでお世話になっているわけにはいかない。


(あいつがさっさとパートナーを見つけてくれれば、後腐れなく出ていけるんだけどな……)


 あいつこと、チルがお世話する事になった坊ちゃんのイーアは、まだ婚約者を決めていない。学園を卒業するまでには決めないと、とぼやいていたものだ。正式な婚約者が決まるまで、チルは彼のパートナー役を務める約束をしている。


(帰れるんだけ……ど……なぁ……)


 温室内はほこほこと暖かい。

 アルヴェルトはすっかり熟睡してしまったようで、チルの脇腹のあたりからぷうぷうと可愛い寝息が聞こえる。顔の真横にはリンが伸びて寝ているので、こちらからもぴいぴいという寝息が聞こえた。


(あー。なんか幸せだな)


 そんなふうに感じている自分が、とても不思議だ。

 この屋敷に来たばかりの時は、あまりにも居心地が悪くてたまらなかったのに。


 ノルデンの屋敷の使用人たちは、チルを貴族の人間として扱った。最初は女性として甲斐甲斐しく世話をしてくれた女中たちも、最近はチルの男装にも慣れ、男性用の服もしっかり新調してくれる有様だ。いつもチルの側にいるリンにも親切で優しいし、時折現れる鴉にも驚きつつも追い出すようなことはしない。


 だが、丁寧に遇されているということは何か理由があるはずだ。

 チルに利用価値があるか、それとも例のお坊ちゃんに恩を売るためか。


(まぁ。いざとなったら逃げれば良いわけだけど)


 普段はアルヴェルトのお勉強に付き合ったりアルバイトしてのんびり過ごしたりしながら、チルはこの屋敷と屋敷を取り囲む敷地を調べている。『琥珀の荘園』と呼ばれるこの地域は、とても広い。警備も厳重だが、穴がないわけではない。なので、逃げようと思えばいつでもできるのだ。本気だったらリンも手を貸してくれるだろう。


 現状、チルはこの現状に甘えているのだ。


 ふと、日が(かげ)る。

 チルが目を開けると、呆れたような紫色の瞳がこちらを見下ろしていた。


「イーア、来てたのかよ」


 二人を起こさないよう、小声で言う。

 イーアの瞳がそっと(すぼ)む。最近めっきり表情が少なくなってきたこいつの、それは嬉しい時のサインだ。


「ただいま、チル」


 イーアの掌がそっと、チルの頭に触れた。くすぐったくて、チルはふっと笑う。


「おかえり、イーア」


(っていうか、こいつはほんとにでっかくなったよな)


 上背も伸びたし、剣の稽古を欠かしていないそうで、体も厚くなった。幼かった顔には精悍(せいかん)さが加わり、表情が少ないせいで黙っていれば威圧感も半端ない。ホンモノの、やんごとなきご身分であるイーアは、チルの親友だ。今は学生でありながら、北の広大な領土を持つ公爵らしい。


(だけど中身はまだガキだしなー)


 呑気にそう思っていると、イーアの掌が離れた。隣のリンを撫でている。


「リン、体調はどうだい?」

「やーだ。おばあちゃん扱いしないで」

 そう言いながら寝返りを打ち、チルの首筋に顔を近づける。リン曰く、チルの匂いを嗅いでいると落ち着くらしい。


 そんなリンも、ここ半年で眠っている時間がさらに増えた。今はいないが、相棒の鴉さんもいつもリンにぴったりと寄り添っている。


「もう少し寝させてぇ……」


 あまったるい声を出しながら、リンが再び眠りに落ちる。その黒猫を愛おしく見つめながら、チルも再び心地良い睡魔にゆるゆると飲み込まれていく。

 イーアの大きな手が再び頭に触れて、そこまでは記憶にあったのだが。



 はっと気がついた時には、太陽は既に中天に近い。温室の中は変わらず暖かいが、入り口に立つ騎士と侍女の顔ぶれが変わっていた。

 思ったより長く眠り込んでしまったことに気がついて、チルは体を起こす。


 テーブルの上にあったお菓子はいつの間にか昼用の軽食に変わっていた。ノルデンの侍女たち、気が効くにも程があるだろう。


「やっちまった」

 慌てて上体を起こそうと手を伸ばすと、指先が柔らかいものに触れた。

 見ると、イーアがチルの横腹のあたりに突っ伏して寝ている。短く切り上げている髪が、換気用の窓から吹き込む風でふわふわと揺れていた。


 茶会の事件以来、その後始末や調査のために寝食を削ってイーアが働いていることを、チルは知っている。


(……疲れてんのかな……)


 チルはそっとイーアの頭に触れて、柔らかな頭髪を撫でる。思ったより温かい。触れた指からじんわり熱が広がり、心まで温められるような気がする。


「お疲れさま、イーア」


 そっと囁くように言うと、イーアが小さく身じろぎした。驚いたように顔を上げると、未だ手を伸ばしたままのチルと目が合う。


 途端、イーアの顔が(とろ)けるような甘い笑顔になった。


(……しまった)


 チルは慌てて顔を逸らす。

「ほらー、アル。おきろ、昼飯」


 わざとらしかっただろうか。

 イーアの顔を振り向いて見ることができないまま、アルヴェルトの肩を優しく揺する。寝ぼけ眼のアルヴェルトが起き上がり、(つたな)い仕草で目を擦った。


「んー、かあさまは?」

「まだ来てねーな。ほら」

 体を起こしてやると、ぱちぱちと大きく瞬きしながら、正面のイーアを不思議そうに見た。


「こんにちは」

「やあ、こんにちは。イーアと呼んでくれ。初めましてかな?」

 アルヴェルトはこくりと頷く。

「アルヴェルト、ノルデン、です。てい……こくのわらき……ししにごあいさつ、もうしあげます」


 その幼い挨拶があまりに可愛らしく、チルは思わずアルヴェルトに抱きつく。

「アル、ちゃんと挨拶できてえらいな! おまえは本当に賢い子だな!」

 若きがわらきになっていようが、ちゃんと言ったことが偉い。いっぽうのアルヴェルトはチルにぎゅうぎゅうと抱きしめられて、びっくりした表情でイーアを見ている。


「ありがとう」

 イーアも苦笑しながら答えた。

「なんだかずいぶん仲が良いようだね?」


「おう、アルのかーちゃん忙しいからなー。こっちにいる間はいっぱい遊んでやるんだぜ」

「うん、チルといっぱいあそぶー!」


 二人が楽しそうに戯れ合うのを、イーアは何故かじっとりとした目で見ている。その頭にいつの間に起きたのか、リンがぴょんと飛び乗った。


「子供に嫉妬は見苦しいから、やめなさい!」

 小さな肉球でぺちぺちイーアの頭を叩くので、チルは楽しくなってつい声を上げて笑ってしまった。




お読みいただきありがとうございます!


第5話にしてようやくチルが出てきました。

すっかりノルデンに馴染んでいるチルですが、将来的には皇都内で自立しようと思っています。思ってはいるのですが。


次回もよろしくお願い致します!

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