第4話 黄金の女神の代行者
「伝説の武器、もしや天剣についての記述はあったか?」
イーアの言葉にヒルデが首を傾げる。感情の読めない瞳が一つ瞬いた。
「天剣、地剣伝説ですわね。黄金の女神が降嫁した時に両手に抱えていた剣。この乾いた大地に突き刺して、そうして皇都三大湖ができたと」
「それは聞いたことがあるな」
「地剣の方は確か巨大な魔獣を倒す時に使い、そのまま大地に根付いて山脈になったと。それがどこかは書いていませんでしたわ」
「魔獣?」
魔物とは違う言葉の響きに、イーアは眉を顰めた。
「その昔は魔獣や魔物、魔竜に呪竜、海には恐竜もいたそうですわ。生まれたのが今の時代でよかったですわね」
涼しい顔でヒルデは続ける。
「天剣は歴史上は失われています。黄金の女神の来孫にあたる女性が、女神がお隠れになった百年後に具現化させたそうですが、それも一度だけ。確かその方はノーヴァに嫁がれてしまったので、皇帝家に残ったのは『運命の三剣』だけになってしまったとか」
運命の三剣はイーアも知っている。というか、使っている。
「わたくしが知っているのはその程度ですわ。……天剣がどうかしましたの?」
イーアは少し考え込んだ後、ゆるゆると首を振った。
「なんでもない。……今度その場所を教えてくれ。私も自分の目で確かめたい」
「勿論ですわ。お兄様が苦手な蜘蛛がたくさんおりますから、覚悟してくださいね」
そう言いながらヒルデの目が少し細くなる。この妹は怯える兄の姿が見たいらしい。悔しいので、ここ数年で蜘蛛嫌いは克服したことは黙っておく。
「それと、現在の軍務総監補佐のルスト伯はティグノス諸島王国の方ですわ。聞けば緋虎の事も教えてくださるやも」
「ああ……だがあまり面識がなくて。突然私が声をかけても、驚かせるだけだろう」
これにはヒルデは柔らかに笑った。
「お兄様ったら、そんなことを心配していらっしゃるの? ルスト伯はとても優しい方ですから大丈夫ですよ?」
それから恥ずかしそうに目を伏せる。
「実はわたくしの初恋の方でございます……年齢を理由に、お相手していただくことはできませんでしたが」
妹がまたもやとんでもない発言をした。イーアは額に手を当てながら、真剣に考え込む。
「……確かルスト伯はそろそろ五十路ごろだったと思うが……」
ヒルデは切なそうにため息をつく。
「真剣な告白でしたのに、子供の冗談と思われてしまいましたわ。当時の私はまだ八歳でしたので、仕方がなかったのですが」
あと二十年早く生まれていればと歯噛みする妹を、イーアは遠い目で見る。
「……辰砂の魔女のことは引き受けた。出来ることまでやってみる」
すっかり気力を使い果たしたイーアを漆黒の目で見つめながら、ヒルデはそっと笑う。
「お兄様ならそう仰ると思いましたの。資料をお渡ししますね」
そう言いながら、だいぶ厚みのある書類をテーブルの上に積み上げる。
イーアは呆然とそれを見た。繰り返すが、ヒルデはカバンや書類入れの類は持ち合わせていない。
イーアは片手で前髪をかきあげながら、ぼそりと言った。
「うちの妹が怖い……」
「さて、その怖い妹から、さらにお兄様にお話がありますの」
ヒルデは一息ついたように水筒の水を一口飲んだ。お茶菓子なのだろうか。軍務でよく見る焼き菓子をイーアに差し出す。次から次へと出てくる物を見て、イーアはただただ苦笑した。
「先程、ノーヴァ公爵閣下とお話をいたしました」
イーアは突然出てきた名前に驚き、思わず妹の顔をまじまじと見た。
ノーヴァはシュヴァルツエーデの南側、帝国内で三番目に広い公領だが、領内は貧しく帝国からの援助を受けている。
当のノーヴァ公は皇都に定住し、領地のことは文官に任せっきりだと言う。なので、イーアの中でノーヴァ公爵は無能だという評価だ。
さらにその公爵の妹が一月前に起こした凶事、ヴェルドフェス公爵夫人殺害未遂事件ーー。イーアが居合わせた、あの惨状。
「ヴェルドフェス公爵夫人の事件には、ノーヴァは一切関わっていないと。ノーヴァ公の調べは騎士団でなされましたので、信用して良いと思いますわ」
妹が視線を落としながら言う。
嫁いでいたとは言え、宮殿内での事件を起こした罪は実家であるノーヴァも罪に問われて当然だ。だが、関わりが無いと決まれば、これ以上皇帝側も追及はできないだろう。
さらに彼女が嫁いでいた西方側も、この件に関しては一切の関わりを否定した。つまりはこの傷害事件は、学生時代からヴェルドフェス公爵夫人に嫉妬していたヴィクトリーア・エルフェンバインが独断で起こしたものだと判断された、との事だ。
「そうか……」
瞳を閉じれば、まざまざとあの血の海を思い起こすことができる。
抑えた傷口から、溢れ出す熱い血液。先程までユーリアに微笑みかけていた慈愛に満ちた女性の顔が、一瞬で物言わぬ抜け殻になった。
「本当にそんな単純な事件だったのだろうか。ヴィクトリーアはヴェルドフェス卿の……ニコルの異母妹だ。……最近の西のきな臭さもある」
「それについても、ノーヴァ公も不思議に思われていました。あの場所に武器の持ち込みはできなかったはずです。調書では凶器は食器のナイフとありましたが、公爵夫人の傷口は体を貫通していました。ナイフでは到底無理ですが……お兄様は長剣を見た、と仰られましたね」
イーアは何も答えられない。
「先ほどの天剣の話です。ノーヴァ公がおっしゃることによりますと、正式な代行者がいない場合、天剣は黄金の女神に一番近い女性に顕現するそうですわ。おそらくヴィクトリーアの何らかの感情に呼応して、天剣が顕現してしまったのではないかと。そして、この世界に生まれるはずだった黄金の女神の命も絶ってしまった。黄金の女神は唯一、天剣でのみ斬る事が出来るそうですわ」
イーアは顔を上げる。
「黄金の女神?」
妹の幼い顔が真っ直ぐにこちらを向いていた。
「そうですの……どうやら神殿では神託があったそうなのです。数百年ぶりに女神が受肉し、生まれくるであろうと。しかしその女神が消えたと神殿では大混乱だとか」
「消えた?」
イーアは眉を顰める。
ふと脳裏に蘇るのは、金色の髪の幼女、そして金色の鷲だ。あれが黄金の女神の守護神獣、黄金の翼だとしたら?
考えこむイーアを首を傾げて見ながら、ヒルデは続ける。
「女神の消失を、ノーヴァ公は喜んでらっしゃいました。もし存在したままなら、お兄様の恋人……ノルデンの姫君の命も危うい事になる。お兄様の人生もこれで狂うこともないだろうと」
「気になることが幾つか出てきたね。
……ヒルデ、おそらく黄金の女神は消えていない。私はあの茶会の日、金の髪の幼子に会っている。おそらく、あれが受肉した女神ではないだろうか」
ヒルデは漆黒の目を見開いた。
「赤子は産月になっていた。赤子からどうやってあの幼子になったのかはわからないが……。ニコルは前ノーヴァ公の長子、女神の血が最も濃い一族、女神は何らかの形でこの世界にいる前提で話を進めよう」
「そうなのですね……」
ヒルデはほんの短い間、考え込むように目を瞑る。長いまつ毛が頰に影を落とした。
「そうなるとノーヴァ公によると現状、お兄様は『黄金の女神の代行者』だそうです。女神が誕生していたら、その権利か義務と引き換えに膨大な魔力と天剣を扱える力を得るはずだった、とか。誕生したとなると、まさにお兄様はそのお立場らしいですが」
「それは何を意味するのだろうか……」
イーアはあの日、叫んでいた幼子の言葉を思い起こす。
「そういえば妻だとか……『私を愛して、私以外誰も愛しちゃだめ』と言われた」
イーアの言葉に、ヒルデは納得したように頷いた。
「なるほど、お兄様は女神の伴侶なのですわ。初代皇帝と黄金の女神のように。それが義務か権利なら……確かにノルデンの姫の存在は女神にとって許し難いでしょうね」
あっさり納得した妹を、イーアは複雑な気持ちで見る。
「待ってくれ。私はそのようなものになった覚えはないが」
「義務なら、本人の意思に関わりなく課せられるものです。残念ですが」
けろりと妹は言う。
「……冗談じゃない。私の伴侶は自分で決める。」
「お兄様からそう言うお話が聞けるとは。ノルデンの姫のおかげかしら」
くすくすと笑いながらヒルデが言う。
「女神が顕現している旨を、ノーヴァ公に伝えますわ。彼なら何か、知っているかもしれません。お兄様もくれぐれも、ご自身とノルデンの姫の周囲には警戒してくださいまし」
「……そうだね。頭の痛いことばかりだ」
イーアがため息混じりにそう言うと、ヒルデも大きく頷いた。だがその顔は、嬉しそうに緩んでいる。それを不思議に思ってイーアが首を傾げると、ヒルデは楽しそうに笑った。
「私、お兄様が何にも執着しないのがとても嫌で。あの執着心の塊のようなお父様にさっぱり似ていらっしゃらないから」
「時に君は思いっきり失礼な事を言うね?」
あら、だって本当じゃない、とヒルデは首を傾げる。
「いつも何かを諦めて、自分の存在を責めるような……私から見たらお兄様はそんな感じです。ですから、ノルデンの姫君と一緒のお兄様を見て安心いたしました。彼女がお兄様を繋ぎ止める鎖になってくださるような気がして」
ヒルデの言葉に、イーアはまるで背中を強く押されたたような感覚を覚えた。鼓動が激しくなる。
「ヒルデ。私は……」
そんなつもりは無いと言おうとして、言葉に詰まらせた。
「皇位継承権はお兄様が持っていてよろしかったのに。……それ手放す事を贖罪だと思ってらっしゃるのね」
「違う。そうじゃないよ、ヒルデ」
嫌な予感に肌を粟立てながら、イーアは強く否定する。だがヒルデは無表情で続けた。
「ご自分さえいなければ、わたしとオスカーが生まれる事はなかったと思っていらっしゃるのでしょう?」
「違う!」
思いがけず荒い声が出てしまい、イーアは自分の口を右手で覆う。
イーアが二歳の時、母とイーアは当時住んでいた南の離宮から姿を消した。そしてその一年後の秋、東の大公国の城門前にふらりと二人が現れたという。当時の記憶は無いので、全て聞いた話だ。
その時、母は妊娠していた。その冬に生まれた双子の髪と目は漆黒、明らかに父の子供ではない。
父と母の間にどのような対話があったのか、イーアはわからない。
だが、双子は父の実子として育てられた。
イーアが長ずるにつれ思うのは、母が辱めを受けた時、自分はどこにいたのだろうか、と疑問だ。
もし自分を守るために母が犠牲になったのなら。
はっとしてイーアは顔を上げる。
妹相手に声をあげてしまった。
「……すまない」
イーアの謝罪に、ヒルデは何も答えなかった。長い睫毛を何度か瞬かせ、静かに兄を見ている。
「ヒルデもオスカーも、私の可愛い弟妹で、父上の子供だ。だからそんな事を言わないでくれ」
ヒルデがひとつ、息を吐く。
「……お疲れのところに長居をしてしまいましたわね。帰りますわ」
そして顔を上げたイーアに、ヒルデはゆったりと笑いかけた。
「わたくし、お兄様が思っていらっしゃる以上に、ちゃんとお兄様を好きですのよ? そのことはどうか、お忘れにならないでくださいね」
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「遅くまですまないね。今日はありがとう」
執務室の扉を開けると、外ではヒルデの護衛騎士が二人立っていた。彼らはイーアの姿を見て目礼をする。
「いいえ。お兄様とたくさん話せて良かったわ。……学園は明日からお休みだったかしら?」
部屋の外に出たヒルデがイーアと向かい合う。ヒルデは年齢の割には背が高い方だが、やはりイーアの方がずっと高い。
「ああ……だがしばらく王宮には帰れないから、家族のことは頼む」
王宮はここから歩いて二十分ほどの距離だ。帰ろうと思えばいつでも帰れるのだが、イーアの足はどうしてもそちらを向かない。何かを察したように、ヒルデはひとつ頷く。
「わかりましたわ。落ち着いたら帰っていらして。
ああ、そう言えば、もうひとつ大切なことを報告するのを忘れました」
イーアが首を傾げると、ヒルデは細く長い指を伸ばしイーアの唇の前に、触れるか触れないかの位置で止める。
「まだお父様には言っておりませんので、秘密でお願いしますわ。わたくし、ノーヴァ公に求婚しました。十五になりましたら、正式に婚約いたします」
「は?」
唖然とするイーアを楽しそうに見つめながら、ヒルデがくすくす笑う。
現在のノーヴァ公は確か二十七歳、確か奥方は数年前に亡くなったが、ユーリアと同い年の公子もいるはずだ。
「ひ・み・つですわよ? お兄様」
ヒルデはそう言いながら、イーアの唇に触れそうな人差し指を自分の口の前に移動する。そしてすいっと向きを変えて、さっさと歩き出してしまった。
戸惑ったような兵士たちがイーアに礼をして追いかけていく。
「本当、うちの弟妹、普通じゃなさすぎるだろ……」
深く息を吐きながら、イーアはぼんやりと窓から外を眺める。
(……チルに会いたいな)
あの笑顔が見たい。
そう思いながら、イーアはもう一度深いため息をついた。
お読みいただきありがとうございます。
イーアとヒルデの会話パートが長くなりました…。ヒルデはお兄様とおしゃべりできて楽しかったようです。
ヒルデの婚約者になったノーヴァ公は、今頃頭を抱えて寝込んでおります。まさか15歳以上も歳の離れた子供に押しかけられるとは。
次回もよろしくお願い致します!




