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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【一】
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第3話 漆黒の娘ヒルデ(鞄は持ち歩かない主義です)

「エアハルト兄様」


 名前を呼ばれて、イーアははっと顔を上げた。


 既に執務室は薄暗い。時間を忘れるほど考え込んでいたのだと、イーアは少し驚きながら灯りに手を伸ばす。


 ぱっと明るくなった室内、扉の前に上の妹が立っていた。


 イーアの三つ下の妹は名前をヒルデと言う。

 皇族には珍しい漆黒の髪は、絹糸のように艶やかで癖がない。こちらを見つめる目も漆黒で、瞳はとても大きいが、その割に目元がすっきりしている十三歳とは思えないほど大人びた印象の妹だ。


 彼女は将来は軍の仕事につきたいと、日中の勉強が終わった午後からこの軍務部に顔を出している。

 イーアはまだ正式に任命されてはいないものの、将来軍部の長になることが決まっているので、この執務室を使用していた。時々顔を合わせるが、普段は妹から話しかけることはない。

 なのでとても不思議な気持ちで、可愛いと言うより秀麗な顔を見つめる。



「何度もお名前を呼んだわ」

 その口調は反応のなかった兄を責めるわけではなく、ただ淡々と事実を説明しているものだ。イーアは苦く笑う。


「すまない。考え事をしていた」

「エレオノーラが、お兄様が王宮に戻ってこないと嘆いていたわ。こちらで寝泊まりしていらっしゃるの?」

「ああ、ちょっと忙しくて」


 学園のある日は学園の寮で寝泊まりするが、女神の祝日はここかノルデンの屋敷に行くことが多い。そう言われれば確かに、今年に入ってからろくに王宮に帰っていなかった。


「みんなはどうだい? ユーリアは落ち着いた?」

「ええ、だいぶ。新しい女官にはまだ慣れないけど」

「そうか…よかった」


 重苦しく肺の中に溜まっていた空気を吐き出すように、ため息をつく。こつこつと足音を立てながら、そのイーアの前にヒルデが立った。


「すこし…たくさん? お話があるの。お時間いただけます?」

「ああ、構わない。座ってくれ。今お茶を淹れよう」

「けっこうよ。…お茶なら持参しているわ」


 そう言いながら、すっとヒルデは軍備品の金属の水筒を取り出す。鞄など何も持っていないはずなのに、その水筒はどこから取り出したのだろう。

 苦笑いしつつ、イーアもすっかり冷えたお茶が入っているカップを持ちながら、ソファに移動した。


「で、どうしたんだい? ヒルデが私に話しとは、珍しいね」

 優雅な仕草でソファに腰掛けながら、ヒルデはこくりと頷く。

「だって普段お兄様には用がないんですもの」

「そう…」


 相変わらず妹が冷淡だ。

 兄の落胆に一切興味を持たないヒルデは、またもやどこから取り出したのか、小瓶を二つテーブルに置く。

 小瓶は小さく、両方とも親指ほどのサイズだ。一本には緑色の液体が、もう一本には無色透明の液体が入っていた。


「…これは?」


「魔女の秘薬、と言うらしいの。最近、これをめぐる事件が多いと報告が上がってきたわ」


 ヒルデが普段手伝いをしているのは、軍務の中でも地衛部(ちえいぶ)。いわゆる警察で、市井の治安維持が主な役目だ。軽微な犯罪の取り調べなども行う。基本的にどの町にもある、軍の中で最も民の生活に近い部隊だ。

 最近起きた何件かの婦女暴行や酒場での強盗などに、この薬が関わっていたらしい。調べてみると、貴族たちの警備などが主な仕事の天衛部でも同様の事件を調べていた。情報をすり合わせたところ、かなりの事件の背後にこの薬の存在が見えてきたと言う。


 ヒルデは無表情で緑色の液体が入っている瓶を指さす。

「こちらの方は媚薬。効果はそれほど強くないけど、安価でかなり平民たちに出まわっていたわ。こちらは眠り薬。効果は結構強くて朝まで全く目が覚めなかったわ」

「ちょっと待ってくれヒルデ、もしかして使ったのか?」


 冷や汗をかくイーアにヒルデはこくりと頷く。


「だって使ってみないとわからないじゃない。媚薬の方は…何も起きなかったわ。飲む量が少なかったのかしら?」

「頼むからやめてくれ。どんな効果があるかわからないのに、自分で試すなんて」


 深々とため息をつくイーアを無視して、ヒルデはもう一本小瓶を取り出す。こちらはかなり派手な装飾の陶器の瓶だった。


「そしてこちらが…『人形薬』というものらしいのだけど」

 イーアはそれを手に取り、蓋を開ける。ふわりと何かの花の芳香が漂ったが、中は空だった。


「名前のまま、飲ませた相手を人形のように操れるらしいの。特にこの花の匂いのするものは、効果がとても強いらしくて…使用してから性行為をすれば、どれだけ自分を嫌っている相手でも相思相愛になれるとか…。しかも一度使うと二度と元に戻らないそう。残念ながら、もう使用済みなので試せないけれど」


「ヒルデ、意味がわかっているのだよね?」

「もちろんですわ」

 ヒルデはふっと笑う。

「まだ私の体は成熟していないので…使用済みで良かったですわ。もしまだ残っていたら、試さずにはいられませんもの…」


 言葉とは裏腹に、ヒルデは酷く残念そうに言う。誰と何を試すつもりだったのか問い詰めたいが、話が進まないのでその疑問を無視することにした。


「使用済みか…と言うことは、被害者は?」

「西方諸国の貴族の娘だそうです。新年の大夜会でのことだから、半月(30日)は経つのよね」

「まだ戻っていないと。それはもう薬じゃなく魔法…呪いだな」

「そうね。おそらくは」


 魔法など伝説のものに過ぎない、とこの時代では思われている。竜がいて魔物がいて、魔法があり精霊と共存していた…それは今や、古代の物語の中だけだ。


 だが実際、イーアは魔物にも精霊にも遭遇(そうぐう)した経験がある。さらに言えば魔法も。


「それで、ヒルデは僕に何をして欲しいんだ?」


「簡単よ。秘薬の出どころを突き止めて欲しいの。と言っても、これを使用した貴族に(ごう)も…取り調べは済んでいて、それによると『辰砂(しんしゃ)の魔女』から買ったと言う話だったわ」


「今、聞いてはいけないような単語が聞こえた気がするよ?」


 地衛部のトップはシュタルツ子爵だったはず。ヒルデは彼の秘書の見習いをしているはずだ。

「子爵に余計な事を教えないように注意しておかないと…」

「何をぶつぶつ言ってらっしゃるの? なにはともかく、辰砂(しんしゃ)の魔女であることは確定したのだけど…それ以上は尻尾が掴めなくて」


 市井で薬を売り捌いていたのは、店舗を持たぬ行商人だったらしい。貴族の性犯罪者は夜会で話しかけられ、買ったそうだ。


「どれくらいこの薬が流通しているのかもわからないわ。だから、お兄様。さっさと辰砂(しんしゃ)の魔女を捕まえて、こちらに引き渡して欲しいの。もしくは薬の製造元の特定か…なんにせよ、流通を止めることが第一ね」


「要求が大きいね」


 はぁと、何度目かわからないため息をイーアは吐く。

辰砂(しんしゃ)の魔女か…最近も聞いたな」

 忘れもしない、半月(30日)前の宮庭茶会(ガーデンパーティー)の時だ。


 あの日、イーアが求めていた緋虎(ひこ)に関する情報を得る手段は閉ざされた。あんな事になってしまい、ティグノス国王に直接聞くことも(はばか)られる。


 辰砂(しんしゃ)の魔女が何者なのか、イーアの周りの人外たちも知らなかった。

 てっきり魔女を名乗るただの人間だと思っていたのだが、犯罪に魔法薬が使われたと言うなら放ってはいけない。


 といっても、手がかりも何もないのだが。


 ふとイーアは窓の外を見る。雲一つ無い空は、下弦の月が鮮やかに空に浮かび上がっている。

 そしてふと唐突に、一人寂しく、窓の外の星を見ていた母の姿が脳裏に甦った。


「ヒルデ、お母様のこと、覚えているか?」

「…お兄様、わたくしがそんなに簡単に物事を忘れる人間だと?」

「思ってはいないけど…」


 妹の言葉に棘を感じつつ、イーアは続ける。


「私は母上の出自を調べたいんだ」


 ヒルデが無言になった。


「母上は父上と出会う前、『奴隷』だった。奴隷制なんてもう百年以上前に廃止されているのに。母上が覚えていたのは、ナディという自分の名前と(おぼろ)げな『ギル』という父親の名前だけ。

 教育も福祉も充実しているこの帝国で、誰かが意図して母上を奴隷にしていた」


 文字を読めない事を気にして、イーアの絵本を一生懸命読んでいた母。簡単な計算ができないことが発覚して、侍女にすら(さげす)まれ悲しい顔で俯いていた母。


 身分が低すぎる事を理由に、公の場に立つことは許されなかったイーアの母親。彼女を攻撃する者に父は苛烈な制裁を加えていたが、それはさらに母の立場を孤独に追いやっていた。


「ヒルデ、君が生まれる前、母上は唯一親から受け継いでいたものを無くした。今年の夏、友人の協力でそれを見つけたけど、それには『緋虎(ひこ)』という神獣の力が宿っていたんだ」


緋虎(ひこ)、神獣?」

 ヒルデが繰り返すように呟いた。


「そう、だから私は神獣について調べている。魔法薬の件は引き受けたが、ヒルデも神獣について調べて欲しい。何かわかったことがあったら、私に教えて欲しいんだ」


 ヒルデは才媛(さいえん)だ。すでに官吏登用試験には合格している。この試験にはいくつかの種類があり、そのうち最も難しい試験にも合格済みだ。

 その妹が協力してくれれば、イーアにとってこれ以上心強いことはない。


 イーアの言葉が聞こえているのか居ないのか、ヒルデは難しい顔で黙り込んでいる。何か考えているのか、細く長い指を顎に当てて。そうしてしばらくしてから、その薄くて小さな唇が動いた。


「神々の時代から伝わっている神獣は五匹。緋色の虎、白銀の鱗、双頭の涅獅子(くろしし)、黄金の翼に、灰月狼(かいげつおおかみ)


 呆然とするイーアの前でつらつらとヒルデは語る。


「五つの神獣は女神の守護神獣で、黄金の女神には黄金の翼…これはどんな生き物かは書いていなかったわ。

 琥珀の女神には双頭の獅子、涅色(くりいろ)と黄色のふたつ頭のライオンだとか…。女神が降嫁してベルンシュタインが建国された時に、双頭の獅子も人になり、シュテレとノルデンの王家になった。神気から作り上げた武器は今も二王家に伝わっている。

 白銀の鱗と灰月狼の資料はどこにもなかったわ。

 緋色の虎は確かティグノス三家の祖先になったと書いてあったと思うけど」


「どこに…」


 イーアはこの数か月、皇城やあちこちの国の図書館、学園の図書館の本はもちろん、地方にある個人所蔵の古書などを必死になって調べていた。だがどこにも、神獣の記録などなかったのだ。

 それを三つ下の妹が知っていることが信じられない。


「本よ」


「それはわかった。だがその本はどこにあったんだ?」


 ヒルデは不思議そうに首を傾げた。


「皇城の図書室よ」

「いや、あそこは僕も全て見ている。そんな記述があった本はないはずだ」


 真顔で詰め寄る兄を、ヒルデは涼しい顔で見返す。


「お兄様、皇城の見取り図ってご覧になったことございます?」

「…それは、あるが」


 皇城の見取り図は、扱いとしては帝国の重大機密の一つだ。イーアは皇太子になることが見込まれていたこともあり、父に一度見せてもらった。しかもその存在があると言う程度の紹介で、まじまじと見たわけではない。

 あの警戒心の強い父が、娘とはいえヒルデに地図を見せるはずがない。謎がまた一つ増えた。


「所々、とても不自然な空間があるんです。壁と壁の間に人が一人歩ける場所とか、部屋一つあってもおかしくない空間とかですわ」


 もうなんと突っ込んでいいかわからず、イーアは妹の顔を見る。


「それを調べていた時に、そう、いろいろな隠し通路もあったのですが…かなり古い年代の本が仕舞われている場所がありましたの。しかも魔導具でしっかり保全されていて、かなり年代物でしたのにしっかり読めました」


「まさか一人で城の深部に潜り込んだのか」


「もちろん。オスカーなんか連れて行ったら、うるさくて仕方ないですもの」


 オスカーはヒルデの双子の弟だ。だが帝国の第二皇女ともあろうものが、まさかそんな事をしていたなんて。イーアは思わず頭を抱える。


「おそらく、何代か前の皇帝が隠したのだと思います。本は神獣の事や、伝説の武器のことなどありましたわ」


 はっとしてイーアは顔を上げる。


「伝説の武器、もしや天剣についての記述はあったか?」




お読みいただき、ありがとうございます!

静かなようにして騒がしいイーアの二番目の妹、登場です。


この世界では男女問わず生まれた順番が重要なので、長男のエアハルトが第一皇子、長女のブリュンヒルデが第二皇女です。そして女性でも【皇太子】という呼称を使います。


ヒルデの双子の弟オスカーは基本的に無口ですが、動きが『煩い』のでヒルデは嫌がっております。この二人は双子で顔はそっくりですが、性格は似ていません。


この世界は60日で1ヶ月です。ややこしいですね。

文字ばっかりで申し訳ないですが、明日は兄妹会議後半です。よろしくお願い致します!

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