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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第三部】鏡の狭間【一】
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第2話 朱色の華、ひらく

 そういえば、と不意にニコラウスが振り向いた。


「リステアード殿下がご婚約されたそうで…おめでとうございます」

 無表情で平坦な声色だが、心の底からの祝福の言葉だ。だがイーアは思わずぎゅっと顔が力んでしまう。突然のイーアの顰めっ面に、ニコラウスが驚いたように目を見開いた。


「あー、それ今のイーアには禁句」

 後ろを歩くアルがからからと笑う。

「こいつ、弟に婚約先越されてめちゃくちゃショック受けてるから」


『先越された』の言葉が容赦なくイーアの胸を穿(うが)つ。


「殿下は、ノルデンの姫がいらっしゃるのでは?」

「イーアはまだ口説けてもいない」

 言外に『ヘタレだから』と言われたようで、その言葉もさっくりとイーアの胸に突き刺さる。


「私だって! まさか七歳の弟に先を越されるとは思わなかったよ!」


 二人以外には聴かれないように声は低めにしているが、それはイーアの心からの叫びだった。

 ニコラウスは驚いたように目を見開いて、アルは『あ〜あ』と言う顔でイーアを見ている。


「というか七歳が五歳にプロポーズってどうなんだ! おかしいはずだ。七歳ってもっとこう…子供のはず…私の頃はもっとこう…」


 必死になって大人の二人に同意を求めるイーアだが、アルは困ったように視線を彷徨(さまよ)わせ、ニコラウスはそっと首を傾げた。


「殿下が七歳の時は…確か皇太子への即位を辞退された歳でしたね」

 当時教育係だったニコラウスが冷静に言う。

「陛下やサヴァーラント卿、私の父相手に堂々とその必要性を説かれいましたが」


「あ」


「その後、殿下を皇太子に推していたイングリート皇女様とも舌戦をされて…確かあれがきっかけで皇女様は西の離宮に蟄居(ちっきょ)されたのではなかったかな、と記憶しております」


「うわぁ。子供ってなに」

 アルがドン引きしたように言う。


「その殿下に比べれば、リステアード殿下など可愛いものですよ? さあ、行きましょう」


 さっさと歩き出したニコラウスの後ろ姿を虚な目で見ながら、イーアは首をかくりと傾ける。


「おかしい、そんなの、絶対におかしい…」

「まぁ落ち着けイーア。お前の家系がおかしいのは真実だから、諦めろ」

「なんだそれは…」

 イーアは額に手を当てて大きくため息をつく。


 そしてふと、小さな違和感を感じた。


 耳元でぱちり、と何かが弾けた音がする。反射的に走り出したイーアを、驚いた顔でニコラウスが見た。


「殿下?」


 全速で駆けながら、宮殿に呼び込む。

 外套代わりに羽織っていたマントはとっくに投げ捨てた。驚いたように道を開く人々の真ん中を駆けながら、離宮の端、休憩のための小さな部屋が用意しされた区画に飛び込む。角を曲がってそう進まない場所、僅か数歩の距離に数人の人影が見えた。


 まず目に入るのは、日差しを受けて輝く真紅の髪だった。ゆるく波打つ髪を高く結び、風に揺らせているのは確か、ニコラウスの妻君。

 その肩の向こうには銀色の小さな頭も見える。妹のユーリアだ。


 その背後に立つ、文官のような服を纏い、金の髪を結え上げている女。

 その手に持つ、白銀に輝く剣。


 ーー天剣、なぜあの女が。


 その疑問が浮かんだのは一瞬、速やかにイーアは思考を切り替える。


「やめろ!!」


 かつてないほどの大声で叫びながら、イーアはその女の背に手を伸ばす。だが、イーアの手が到達するより、女が剣を振り下ろす方が僅かに速かった。


 声に驚いたのか、中途半端に振り向いた真紅の髪の女性の背中に、深々と剣が突き刺さった。一瞬驚いたように金色の目を見開いて、それから彼女が(くずお)れる。

 腕に抱いたユーリアを護るように、臨月の腹部を守る様に、不自然に横向きに倒れた彼女に、イーアは駆け寄った。


「くそ!!」


 普段、決して使わない言葉を叫びながら、イーアは剣を持っていた金髪の女を蹴り飛ばす。女はなんの抵抗もなく転がった。その先には、妻君を守っていたはずの護衛騎士も倒れている。


「夫人!」


 倒れた彼女の周りに、恐ろしいほどの勢いで血溜まりができていく。

 彼女に庇われたユーリアは、体を床に打ち付けずに済んだのだろう。声を出すこともできないまま、夫人にしがみついている。顔には飛び散った血が点々とつき、そのドレスも赤く染まっていた。


 血が溢れる傷口を抑えながら、イーアはただ叫んだ。


「夫人!! しっかり!!」


 彼女の驚愕のあまり見開いた瞳が、徐々に輝きを失っていく。


「誰か!」

 イーアが顔を上げ、そう叫んだ時だった。


「どうして…どうして」

 突然、目の前に一人の子供が立っていた。


 歳の頃はユーリアと同じくらいだろうか。夫人によく似た緩いくせのある、地面につくほどの長い髪。ただし、その色は太陽の光のような金で、そして泣きじゃくるその顔は、ニコラウスによく似ていた。ひときわ目を引くのはその瞳で、まるで蛋白石(オパール)のように幾つもの色が踊る虹彩。


「なっ」

 状況が飲み込めず、イーアは視線を巡らす。ユーリアも驚いたように、その子供を見つめていた。


「どうしてうまくいかないの! 緋虎の力まで使ったのに、どうしてまた失敗しちゃうの!」


 金髪の子供はそう叫びながら、癇癪(かんしゃく)を起こしたように地団駄を踏んだ。そして顔を上げて、イーアをまっすぐに見る。

「お兄様、お兄様、愛してる、愛してるわ! 今度こそは一緒に生きられると思ったのに! 今度こそは、あなたの妻になれると思ったのに!」


「何の…話だ…」


「なんとかするから、だからどうかお兄様、私のことを愛して。私以外、だれも愛しちゃダメだから!」


 子供はそう言うと、右手を大きく払う。そこに突如、巨大な鷲が姿を現した。頭部と尾は白いが、その他の羽は全て金色の鷲。イーアは息を呑む。


 なにも声を出すこともできないイーアの目の前で、黄金の鷲が大きく羽ばたいた。そして次の瞬間には、子供も鷲もその場にはいなかった。


 一瞬呆然としたイーアだが、すぐに夫人の顔を確かめる。出血が止まらない。既に彼女の魂はこの体から離れてしまったのだろうか。まるで無機質なガラス玉のような瞳が焦点が合わないまま虚空を見つめている。


 そして彼女を傷付けたはずの凶器もどこにも見当たらない。まるでその代わりのように、銀のカトラリーが一つ、落ちていた。


 その時になってようやく、背後から駆け寄ってくる数人の足音が聞こえた。


「カタリーナ!?」

 叫んだのはニコラウスか。

 イーアは苦々しい気持ちでそれを聞く。


「カタリーナ!!」

 ニコラウスが血溜まりに駆け寄ったその時、


「いや!!」

 無言で夫人にしがみついていたユーリアが叫んだ。その瞳は虚で、ぼろぼろと大粒の涙が溢れている。その目を見たイーアは思わず息を呑んだ。

 その朱紅の瞳が、内側から燃えるように光を放つ。赤く光る瞳は魔物の証、だが、今のユーリアには禍々しさなど微塵もない。


「だめ! もう、はなれないって、いったのに!」

 風に煽られたように、銀の髪が浮き上がった。その色がまるで血に染まったかのように、徐々に赤色を帯びていく。そして炎のような輝きを放ちながら、銀に赤を加えたような髪に変わった。


「ユーリア…?」


 言葉を失うイーアの前で、ユーリアが手を伸ばす。

 その小さな掌が夫人の顔に触れた。


「なんだ、これは…!」


 遅れて駆けつけてきたアルの声が聞こえた瞬間、視界いっぱいに白銀の光が音もなく広がった。




お読みいただきありがとうございます!


弟に婚約を先越されて落ち込むイーアですが、

弟(7歳)の婚約相手(5歳)はオティーリアの妹です。

この直前に妹を紹介されたイーアは、あまりのぽてっとした可愛らしさに『なんだか長毛種の仔猫みたいだ』と失言をしております。

とうとうイーアとオティーリアも本当?の義姉弟になってしまうようです。


次回もよろしくお願い致します!

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