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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第二部】緋虎の鏡
36/78

【異想譚】剣聖アレクシス

「すげぇ、熱気だな」


 チルは思わず、驚いて体を固くする。一昨日の豊穣祭の祭事で訪れた離宮前広場には多くの群衆が集まっていた。


 豊穣祭の三日目、帝国中で最も人気の高い娯楽行事(エンターテイメント)、所謂『武闘会』である。


「年に一度のお祭りだからな。毎年会場が狭いと皇都民からは苦情の嵐だそうだぞ」


 真紅の目を(すぼ)めながらそう言うのは、隣に座るノルデン国王クリスティーナだ。彼女は大きく波打つ漆黒の髪を高く結え上げ、騎士服のような男物の洋服を身に纏っている。ただし、その豊満なバストをしっかり包み込めているので、これは本物の騎士服ではなく、彼女のためにあつらえた服なのだろう。

 クリスティーナはウドの姉だが、痩せてひょろ長いウドに比べると、全身から生命力が(みなぎ)っているような女だ。とにかく、強そう。


「へぇ…すごいな」

 会場を見渡しながら、チルは心からの感嘆を漏らす。


 そんなチルは今日、従者のチルではなくノルデンの仮初の姫、ツェツィーリアとしての参加だ。そのため、ずらりと各国の王や代表者たちが並ぶ中、居心地悪くクリスティーナの隣に座っている。


 チルは女物の私物はほとんど無いので、洋服や装飾品はほとんどイーアが準備してくれている。豊穣祭と同じドレスでと思ったが、どうやら駄目だったようで、今日はややはっきりとしたクリーム色に、金の刺繍で彩られたドレスが用意されていた。ピアが顔を引き()らせて着替えさせてくれたのだが、動きやすくてチルはすぐに気に入ってしまった。もう二度と着ることはないだろうけど。


 一昨日には無駄に広い広場だなぁと思っていた場所だが、こうして群衆が詰め掛けると確かに狭い。

 周りをぐるりと取り囲む背の高い建物が何なのか、あの時にはわからなかったが、どうやら貴賓席らしい。普通王族や貴族はそこで試合を鑑賞するらしいのだが。


 宮殿の入り口、長い階段の上には皇族の席が用意され、その左右には帝国四公、三大公家の席が並ぶ。

 と言っても、四公のひとり、シュヴァルツエーデ公爵の席は空席だ。


 そしてなぜか、ノルデンの国主のために用意された席は、意外なことに宮殿入り口、東の大公家の隣だった。隣と言っても十分間隔が空いているので、いつもの口調で話せるので気が楽だ。


 ワルドから出席しているのは大公ではなく、アルの長兄オズワルドらしい。

 大公家に無断で出奔したチルは、会ったこともないオズワルドで良かったと安堵の息を吐く。


「しかし何でこんな目立つ席なんだよ、姐さん」

 チルは引き攣った顔で、背後に控える官吏姿のピアの顔を見上げる。ピアは少しだけ体を屈めて、チルの耳元で囁いた。


「毎年、優勝しているのがノルデンのひとなの。でも去年、負けちゃってぇ…今年は誰が優勝するか、みんな楽しみみたいねぇ」


「去年はアレクシスは油断したからな。今年は負けないぞ」

 ピアの言葉に、ふんと鼻息荒くクリスティーナが答えた。


「ほえー。毎年優勝ってすごいな!」


 チルが間抜けな感想を漏らすと、隣に座るクリスティーナの瞳が鋭くなった。

「悪いがチル、今年は勝たせてもらうぞ」


「へっ!? 何で俺に言うの!?」


 すでに午前のうちに予選は済んでいるらしく、広く整えられた競技場では前方に四人の男が、そこから数歩さがったところには四人の男女が立っている。どうやら前の四人が決勝戦の出場者、その後ろに居る四人が予選敗退者らしい。

 その後ろの四人の中に見知った顔を見つけて、チルは声を上げる。


「うお!? 団長じゃん!」

「そうなのぉ。バルドゥル兄様も出場したみたいなんだけど…負けちゃったみたい」


 団長とはピアの兄で、東のワルド大公国で働くチルの上司だ。大公国の兵士が束になって挑んでも全く敵わないほど強いのだが…。そんな団長を負かした相手がいることに、チルはぞっとする。


「おっかなぁ…」

「他人事みたいに言うんじゃない、チル。せっかくこんな近くに居るんだ。…手でも振ってやったらどうだ?」


 クリスティーナが含みを持たせた言い方をする。誰が振るか、と悪態をつきながら見ると、前方四人の一人、一番若い青年イーアがこちらを見てそっと笑った。

 チルはぐむっと変な声を出す。


「これはこれは…公の場で金の貴公子の笑顔なんて初めて見たぞ」

 クリスティーナが目を見開いて愉快そうに言うが、実際会場のあちこちでざわめきが起き、こちらをちらりと見る人も多い。思った以上に注目されているようで、チルは非常に居心地が悪い。


「あんの、ばかやろうっ」


 目立ちたくないチルにとっては冗談ではない。出来るだけ淑女らしい表情を作ろうとするが、妙に顔が引き攣ってしまった。

 隣でクリスティーナがくすくすと愉快そうに笑っているのが、腹立たしい。


 恐る恐る観察すれば、四人の中で一番イーアが小柄だ。他の三人は赤茶の髪の巌のような大男、ピアと同じ白茶の髪のこちらも堂々たる体格の男。もう一人は短い黒髪の男で、雰囲気がクリスティーナによく似ている。他の二人に比べると細いが、引き締まった雄偉な体格だ。おそらく彼がアレクシスという人物なのだろう。


「あのでかいイーアが小さく感じる…」


「右からティグノス諸島王国の国王、ランゲ伯爵…わたしの長兄ねぇ。そしてアレクシス・ゲルスター。あのアレクシス様が去年まで帝国最強だった男よぉ」

「今年から最強の男に復帰だ。ピア、わたしに喧嘩を売るとはいい度胸だな」


 ピアが説明してくれたが、即座にクリスティーナが口を挟んだので、チルは恐る恐る彼女を見つめる。

「えーと、去年の優勝者って、まさか…」


「まさか十四歳の小僧に本気を出せまい。去年のアレクシスは油断していたんだ」

 クリスティーナがしつこいくらいに言う。よほど悔しかったのだろう。


「あいつかー」


 通りで今日のクリスティーナは、やけにチルに突っかかるわけだ。


「まぁ、確かにアレクシス様は強いわねぇ。でもチル、あの四人の中で一番優位なのはイーアなのよぉ」

 ピアが目を輝かせて言う。ピアは元々軍部志望だったので、武術に関しては結構詳しい。興味が湧いたので、チルは彼女の顔を見上げる。

 今日のピアはあっさりとした化粧しかしていないので、凛々しい男性のような印象だ。


「わたしの兄とアレクシス様の得手は槍術、ティグノスのお方は確か斧の使い手だったから。使い慣れている武器で戦えるのはイーアだけなのぉ」

「へぇ…」


 そういえばイーアがいつも持っている剣も、確かすごい武器だった。だがチルは武器にも武術にも興味が薄いので、『すごい』以上の感想は持っていない。


 第一戦はイーアとティグノスの国王だった。

 国王は相当怪力なのだろう。イーアのものより大きめの剣を使っているが、それを軽々と振り回す。それをイーアが巧く躱し、反撃を打ち込む度に会場が沸いた。チルが思った以上に、イーアは皇都民に人気らしい。


「すごいな…」

「まぁ、庶民からしてみたら、皇族なんて今まで雲の上の存在だったからな。第一皇子が模擬剣を担いで武闘会に出てくるなど、ここ数百年遡ってもなかった事だ」

 クリスティーナが苦笑いする。


 しばらく激しい撃ち合いが続いたが、ティグノス国王が強く打ち込んだ剣を、イーアが軽々と撥ね上げ、そのまま巨漢の男の手に向かって剣を叩きつける。堪らず、ティグノス国王は剣を手から落とした。


 一瞬の沈黙の後、会場は大きな歓声に包まれた。負けたティグノス国王も嬉しそうにイーアの肩を叩いている。表情の薄い顔で何事か彼に言葉を返しているイーアは、すこし紅潮しているが大きく息が乱れた様子もない。


 息を飲んでその様子を見守っていたチルは、ほっとため息をつく。途中からはずっと、イーアが怪我をしたらどうしよう、としか考えられなかった。


「次はアレクシスとアーダムだな。ピア、どちらが勝つか賭けないか?」


「…長兄とアレクシス様でしたら、私はアレクシス様ですわねぇ。兄は大技ですから、技巧の剣聖には一生かないませんわぁ」

 ピアがにっこりと笑う。賭けにならないじゃないかとクリスティーナがつまらなそうに言った。


「剣聖?」

 チルは首を傾げる。


「アレクシス様はとても強くてらっしゃるので、剣聖と呼ばれているの。特に魔物相手では容赦ないので…すごいわよぉ」

 ピアがにんまりと笑う。

「魔物?」

 チルは驚いてそのピアの顔を見上げる。実のところ数ヶ月前、チルは魔物に遭遇した。あの時の恐怖を思い出すと、全身が粟立つ。


「そう、北は魔物が出るからぁ」

 ピアがため息をつきながら言う。

「北が武勇に優れているのも、結局実戦経験が他の地域と段違いにあるからなのよぉ。今のところ魔物が出る地域は北と、帝国の北限…シュヴァルツエーデの隅っことか、あとは海かしら。ティグノス国王や兄の隣にいるあの…メアリーツの王子が強いのも、そう言う理由ね」


 ピアに示されて見れば、観覧席でバルドゥルと楽しそうに会話している男がいた。アルのような褐色の肌に、癖の強い黒髪。服装も中央のものとは少し違うような気がするので、メアリーツ独自のものなのだろう。その隆々と筋肉のついた肩が露わになっており、そこにはびっしりと刺青が施されていた。


「あー…アルの同級生の」

 チルはちょっと古い記憶を掘り起こす。


 ふと褐色の肌の男がこちらをみて微笑み、優美に片目を瞑った。かなり離れているのに、チルの視線に気付いたらしい。なかなかの色男ぶりである。


「海の男は目がいいわねぇ。だめよチル、あの男は良くないわ」

 ピアがすっぱりと言うので、何がだよとチルはつい笑ってしまった。


「ちなみに他の二人は冒険者と傭兵稼業の人らしいわ。二人とも西部の方らしいから、あちらは国家よりギルドの方が力があるのよねぇ」


 どちらがどちらか分からないが、一人は程よく筋肉のついた若い女、もう一人は小麦色の肌の壮年の男だ。


「本当に場所によって違うんだなぁ」

「そうねぇ」

 しみじみと言うチルに、ピアが同意する。その二人を呆れたような目でクリスティーナが見た。


「そんなおしゃべりをしてる間に終わってしまったぞ。ピア、兄の応援くらいしてやれ」

「あらまぁ」


 舞台では、腕を組んでいるピアの兄が涼しい顔のアレクシスを睨みつけている。ピアの兄の方が負けたらしいが、先程と違い剣呑な雰囲気だ。


「…実兄ながら幼いわ…あの負け惜しみ感」

 ピアが呆れたように言う。


 それが聞こえているはずがないのに、ピアの兄がふいにこちらを向いた。

 確かに視線が合ったので、チルは少しだけ驚く。


「ついに次は決勝だな。やはりアレクシスとイーアか。どちらが勝つかな」

 クリスティーナが楽しげに言うが、またイーアが戦うのかと思うと、チルはきゅうっと胃が縮こまるような気がする。


「これって見守る方がつらいな…」

「あら、チルったら。まるでイーアの奥さんみたいなこと言うのねぇ」

 ピアがくすくすと揶揄(からか)うので、チルの顔が一気に赤くなる。それを楽しそうにクリスティーナが見ているのだから、チルは面白くない。


「クリスティーナ様くらい、どんと構えていればいいわよぉ。ほら、はじまるわ」


 ついさっき準決勝を終えたばかりのアレクシスの向かいにイーアが立つ。いくらか緊張したような顔のイーアに対して、アレクシスは変わらず涼しい顔だ。実際イーアとアレクシスは親子ほど年齢が違う。踏んだ場数の差が大きい。


 始まりの合図を告げる審判の合図とともに、チルの胃の痛みも最高潮に達したが、実際試合はあっさりと終わった。

 イーアの強い斬撃をアレクシスは難なくかわす。そして躱しながら、イーアのものより遥かに速い剣を打ち込んだ。最初の一撃は何とか剣で防いだイーアだったが、即座に繰り出された次の突きは防ぎきれなかった。硬質な音を立ててイーアの剣が地面に落ちる。


 アレクシスは武術を知らないチルでも息を呑む、見事な剣技だった。


 会場内が一瞬で湧き立つ。歓声の中、イーアとアレクシスは顔を合わせて何事かを話している。イーアは突かれた腕を押さえていたので、チルは心配で仕方ない。

 そんなチルの横で、クリスティーナとピアはつまらなそうに顔を見合わせる。


「あっさりだったな」

「そうですわねぇ…去年に比べると、何と言うか…味気がないですわねぇ」


 その二人を涙目で睨み上げながら、チルは呟く。


「もうやだ。来年からは絶対見にこない」


「えっ、こんなに楽しいのにぃ!」

 ピアが心底驚いた顔をするものだから、チルは何となく悔しくて洟を啜った。




 ✖︎ ✖︎ ✖︎



「…手、腫れちゃったな」


 チルはイーアの手元を見ながら、そう呟く。

 時刻はすでに夕刻、ノルデンの屋敷に帰ってきたチル達は夕食前の時間を客間で潰していた。明日の朝にはクリスティーナとアレクシスはノルデンに一旦帰国するので、イーアも招いて夕食を共にするのだという。

 先程までアレクシスと語り合っていたイーアだが、今は彼も部屋に帰り、客間にはイーアとチルしかいない。給仕の女中と護衛騎士はいるが、彼らは主人たちの会話には口を出さないものらしい。チルもようやくその状況になれてきた。


「大丈夫、だいぶ手加減されたと思うよ。しばらくは書き物には苦労するかもしれないけど」

 イーアは苦笑しながら、手当されている利き手を見ている。だが、自分のことより気にかかるのか、心配そうに隣の座るチルの顔を覗き込んだ。

「そんなに嫌だった? 武闘会」


 同じソファの上で、ドレス姿のまま膝を立てて座っているチルはふうと息を漏らす。


「嫌っていうか、今までお前が負けたの見たことなかったから。ちょっと驚いただけ」

 まさか胃が痛くなるほど不安だったといえるはずもなく、膝の上で組んだ両腕の上に顔をのせた。


「そうかもね。ゲルスター卿には、あと二十年は勝てない気がするよ」

 イーアは楽しそうに笑う。ひとかけらの悔しさもない様子なのが、不思議で仕方ない。


「でも、去年は勝ったんだろう?」


 チルの言葉に、イーアは困ったように笑う。


「去年はね。ご褒美が欲しくて」

「ご褒美?」


 何となく幼い言い方に、チルは首を傾げた。そんな彼女を目を細めて見ながら、イーアはゆったりと笑った。


「ちょうど西の公国(エルフェンバイン)の公女との婚約話が上がっていてね。それを何とか阻止したくて…父上と約束したんだ」


 少し気恥ずかしそうにイーアは言う。この話がご褒美とどう関係あるのかが分からなかったチルは首を傾げる。


「武闘会で優勝できたら、自分の結婚相手は好きに選んでいいって約束を貰った。だから去年は絶対に負けられなかった」


 ぱちぱちと瞬きしながら、チルはイーアの顔を見る。皇都に来てから度々見かけた、表情のない硬質な顔ではなく、十五歳らしいあどけなさの残る表情だった。

 やっぱりイーアはこう言う顔じゃないと、つまらない。


 ちょっと意地悪な気持ちが湧き起こり、チルはにんまり笑う。


「じゃあ、今年は手を抜いたってことか?」

「抜いたわけじゃない。必ず勝たなければならい理由が無かった、が正しい」

 何だそれはとチルは笑う。

 その顔をぐいっと身を乗り出してイーアが覗き込んだ。その目が少し据わっているような気がするのは、気のせいか。


「チルこそ、ブルーノ王子と微笑み合っていたけど? あの王子が気に入った?」

「はぁ!?」

「あの王子はダメだからね。すでに奥さんが数人いるって話だし」

「あほか、何の話だよ!」


 腹を抱えて笑い転げながら、チルはイーアを見上げる。その顔が拗ねたような、ちょっと怒っているような不思議な顔だったので、チルは面白くて仕方ない。笑いすぎてそのまま、ソファから転がり落ちてしまった。

 そのチルに呆れたようにイーアが手を伸ばす。



 収穫祭は残すとこちらあと三日。

 明日と明後日は学園での仕事があるらしく、イーアは今夜には帰るのだそう。だが、最終日の丸一日は空いているそうだ。


 せっかくなので、お祭りに行こう。さて、どうやって誘おうか。


 チルはイーアの手を掴みながら、立ち上がる。そして向かい合ったイーアが穏やかな微笑みを浮かべている事に心の底から安堵して、チルもにかっと笑う。そして心の底から思った。


(うん、慣れないことも多くて大変だけど、やっぱりこっちに来てよかった!)




お読みいただきありがとうございます!

チルの前なのに何がなんでも勝ってやろう、という意気込みがないのがイーアらしいですが…。


このあと、イーアの話を聞いて呆れかえったクリスティーナとピアに対して、アレクシスは『確かに理由がないとね』と同意していました。イーアとアレクシスは気が合うようです。


最強にも勝利にも、何の執着もないアレクシスが毎年頑張って武闘会に参加しているのは、負けず嫌いなクリスティーナの為です。



 この時点での皆様の年齢は

 イーア15歳

 アレクシス33歳

 アーダム・ランゲ(ピアの長兄)38歳

 バルドゥル・ランゲ(ピアの兄、蒼眼の鷹の団長)28歳

 ブルーノ・メアリーツ26歳

 アーベル・アインザーム(ティグノス国王)30歳


 準決勝に進めなかった4人の他に、何の賞もいただけない初戦敗退者が何人かいます。


次回から第三部に突入します。

第三部、もしかしたら手直ししつつなのですが、毎日更新を目指しておりますので、よろしくお願いいたします。


【序】より先に、イーアが見た夢のお話から始まります。先に【幻想譚】を持ってきました。はちゃめちゃなのはチルだけじゃなく、書いている人もそうみたいです。。。


次回もよろしくお願いいたします!

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