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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第二部】緋虎の鏡
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第13話 変わりたくない、変わりたい

 結局、あの夜会の次の日、チルは熱を出して寝込んでしまった。


 午前中は熱にうなされ朦朧(もうろう)と過ごし、午後には熱は引いたものの、ぐるぐる回る天井を見上げて鬱々(うつうつ)と過ごした。

 気がつけば隣にリンがいて、さらにリンのお友達という喋る鴉もいたので、寂しくはなかったが。


 さらに次の日、まだまだ気怠いものの、なんとか体を起こし食堂に行くと、ピアと彼女の夫ウドが居たので、チルは思わず目を丸くする。


 何の変装もしていないピアは、襟足あたりで切り揃えたとミルクティー色の髪に、焦茶の瞳の中性的な女性だ。通常は体の線が出ない服を好むので、今日もシックなブラウスとスカートという、まるで文官のような服装だった。


「ごめんなさいねぇ。本当に反省しているわぁ」

 チルを椅子に座らせると、ピアは深く深く頭を下げる。

「余計なおしゃべりに夢中で、肝心のことを忘れるなんて、だめな大人だわぁ」


 ピアはしゅんと項垂れて言う。その背後に立つ彼女の夫のウドが、にっこりと微笑んだ。


 アロイスなどはウドの事を『アイツ、うさんくさいよね。ボク苦手』と言うが、チルは何かと世話を焼いてくれるいい奴、という認識しかない。


「私からも謝罪をさせてください。ピアが君や『高貴な君』にも多大なご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした」

 ウドはぴったりと折り目でもついているのかと思うほど、綺麗に体を折って頭を下げる。


「いや、俺は大丈夫だったけど…『高貴な方』って」

 チルは苦く笑う。イーアが聞いたらめちゃくちゃ嫌がりそうだ。


 するとウドはにっこりと微笑んだ。

「家でピアが『高貴な方』がどれほど自分好みだったか滔々(とうとう)と語るので、多少の嫉妬を覚えたのです。どうかお気になさらず」


 ウドは長身だが筋肉はほとんどない。ひょろっとした痩身で、肉もないので不健康感が漂う青年だ。出身は大陸北部らしいので、この辺りの人々より肌が白いのもその要因の一つかもしれない。

 細く結えた黒髪も色素の薄い灰色の瞳も、チルは嫌いではない。


「本当に困った人ねぇ」


 のんびりと頬に手を当てて言うピアは、重度の筋肉好きだ。むっちり鍛え上げた筋肉より無駄なく美しく整っている筋肉が好みらしいので、確かにイーアはぴったりだったのだろう。


 そんな彼女がなぜウドと結婚しているのか、チルはわからないままだ。少しだけウドに同情してしまう。


「うわぁ。それはねえんじゃね?」


「だってぇ」

 子供のように駄々をこねているが、ピアは今二十五歳だ。ウドはその二つほど上だったはず。


「ほら、毎日食べるご飯は質素なものでいいけどぉ、たまにはお肉とか食べたいじゃなぁい?」


「姐さん、それ最低」


 質素な飯と例えられた、ひょろひょろなウドはそれでも全く笑顔を崩していない。慣れたものである。


「ピアはこういう人なのでお気になさらず」

 そう言うと、ウドは居住まいを正すように真っ直ぐに立って言う。

「さて、今日ここに伺った件ですが…高貴な方とは何か、お話はされましたか?」


 ウドの問いかけにチルは首を振って答えた。

 イーアはこの二日間、午前中は公城に行っているらしい。昨日の午後には帰ったが、その頃まだチルは起き上がれなかったので少し顔を合わせた程度だ。気まずくて、チルは布団の中に潜り込んでしまったけれど。


 ウドはひとつ頷くと真っ直ぐにチルを見る。


「ではチル、我々と共にシュヴァルツエーデに行く気はありませんか?」


「は?」

 あまりに突飛な話にチルの顔が引き攣った。


「突然の話で驚かれるのも当然と思います。実は、私は急遽、高貴な方の補佐文官になることが決まりまして…ええ、全く急な話でして。

 今日から仕事を引き継ぎ始め、今年の秋には皇都に行き、来年の年明けには高貴な方の所領に出向することになりました。この歳で領政官です。いえ、もしかしたら領政長官かもしれません。大出世になります」


 チルは盛大に眉を顰め、それから頬杖をついたまま二人から視線を逸らした。

 ウドはその様子を少し目を細めて見ている。この反応も予想していたのだろう。


「それに伴い、もちろんピアも同行しますが……出来るだけ信頼できるもので周囲を固めようと思います。だがそれでも人手が足りないのが現状でして、そこで君を勧誘できないものかと思い至ったのです。

 君は潜入に関してはトップクラスの才能があり、何より高貴な方の信頼を勝ち得ています。思い切って、お願いに伺ったと言うわけです」


 あまりにも澱みなく、つらつらと話すものだから、つい不貞腐れた顔をしたことも忘れて聞き入ってしまう。だが、顔はそっぽを向いたままだ。


 確かにアロイスの言う通り、ウドは胡散臭いかもしれないなとチルは思う。


「残念だけど俺もう役に立たないぜ」

 チルはため息混じりに言った。


「なぜそう思うのでしょうか?」


「潜入の天才って言われてたのだって、ガキの頃だ。しかも魔導具を使ってな。もう変装も出来ないし、魔導具も没収された」


「変装も出来ないとは? 君の姿は最近の夜会で数回目撃しました。貴族の令嬢にしか見えませんでしたが」

 ウドにまで見られていたなんて。


 チルは頬杖のまま、大きくため息をつく。大袈裟に手を振ってみせた。


「だから、どこの誰かわからない、誰の記憶にも残らないようなガキの姿で潜入して任務をこなす、が俺の存在価値だったんだ。ガキの変装はもう難しいし女の姿は目立つ。だからもう俺は利用価値がないんだよ」


「やぁだチル、そういう言い方はだめよぅ」

 ピアがぷうっと頬を膨らませる。

「確かにあの胸じゃ、男装はきつそぅむぐ」

 言いかけたピアの口を素早くウドが塞ぐ。

 さすが夫婦と言うべき早業だ。


「ならば、従者としてあの方をお支えしてみるのはどうでしょう?」

 ウドはにっこり笑う。

「女性でも男性でも、従者としてお仕えする事は可能です」


 チルは答えない。


「ゆっくり考えていただいて構いません。…私は城に戻りますが、チル、この勧誘はくれぐれも『高貴な方』には秘密に願います」


 思わず、そんな子供のような事を言うウドの顔を見上げてしまいチルは直ぐに後悔する。


 ウドはまるでいたずらっ子のような顔で、薄い唇のすぐ前に人差し指を立てていたからだ。


「彼の方をびっくりさせた方が、面白いでしょう?」


 やっぱりこいつは胡散臭いやつだ。とチルは確信した。



 ウドが帰った後、慣れた様子でピアがお茶をいれてくれた。食欲はあまりないので何も食べていなかったが、温かい湯気を感じると気持ちが落ち着く。


「チル、あのね、聞きたいんだけどぉ」

 ピアはちょっとだけ言い辛そうに、カップの中を覗き込む。

「チルはやっぱり従者になるのも嫌なほど、あの坊やが嫌いなのぉ?」


 チルもコップの中、紅い色の中にぼんやり映る自分を見ていた。


「…まだこの話、続くのかよ」


「うん、ごめんねぇ」

 ピアは困ったように笑う。


「…俺はただの殺し屋家業の『チル』で、あいつはどっかのいいとこの坊ちゃん『イーア』だ」


 吐き捨てるように言うと、なんだかどこか苦しい。いつも突然やってくる、息ができなくなる夜みたいに。


「そこから変わりたくないのねぇ?」


 チルは躊躇(ためら)いながら、頷く。


「そっかぁ。そうよねぇ」

 ピアはそっとお茶を口に含む。

「実はね…あなたを連れていきたいって言い出したのは、ウドなのよぅ」


 チルはふと顔を上げる。

 どちらかと言うと中性的なピアの顔が、困ったように眉を落としている。


「ウドは皇都の宮殿にも知り合いがいるんだけど…。最初、わたしが見た坊やと例の高貴な方が、別人じゃないかって思ったらしいのぉ」


 チルは首を傾げた。

 ピアは言いにくそうに続ける。


「つまり…例の高貴な方はね、いつも怒ってる顔した、こわーい人だって噂されてるらしいのよぉ。

 お店で会った坊やは、あなたを見てニコニコしていたでしょう?」


 チルは思わず目を丸くした。

 自分の知っているイーアと、その噂の人物は結びつかない。

 確かにイーアは基本無表情だが、意外とあの紫色の瞳は感情豊かだ。


「だからチルがいたら、もっと彼の方が楽になるのではないかって。だからチルをお誘いしたのよぉ」


 チルはぱちぱちと瞬く。

 そこでどうして自分が勧誘されるのか、理由がわからなかった。


「辛くて大変な時、本当の意味で自分を理解してくれている人がそばにいたら、それだけで人生って豊かになるじゃなぁい?」


 はっとチルは息を飲む。


「多分、そういう相手って、なかなか出会えないのよぉ。一緒にいて、心から笑い合える人って。

 …特にあの方は、皇族でありながら皇族として生きることを許されず、早くに皇室を出る事で、ご両親を守ろうとされた」


「あっ」

 チルは思わず、真剣な口調になったピアの言葉を遮る。

 この期に及んでと笑われるかもしれないが、やはりイーアの身分の話はしたくなかった。


 だがそんなチルを優しい瞳で見守りながら、ピアは続ける。


「そんなあの方が、多忙の時間の合間を縫って、あなたに会いに来てるのぉ。それがあの方にとって、どれほどの癒しになっているか、二人を見ればわかるわ。だから、あとはチルの気持ち次第なんじゃないかしら。従者として生きるのも、このまま親友でい続けるにしても、あの方は喜んでくださると思うのよ?」


 チルは何も言えない。


「もし、チルが今のまま、親友でいたいなら、しっかりその事を話さなきゃ。まずは目を瞑らないで、しっかりお互いを知らなきゃね」


「それは…」

 まだチルにはその勇気がない。


「怖いかもしれないけど…関係なんて、どんどん変わるものよぉ。私とウドだって、最初は顔を合わせれば喧嘩ばかりしてたのに、いつのまにか毎日話す関係になって、親友になって、夫婦になったわぁ。

 でもぜんぶ繋がってるのよぉ。だから私たちの関係は何も変わっていない。ライバルであり親友であり、そして夫婦」


 ピアは一呼吸置いてから、はっきりと話す。


「私はこの前ちょっと会っただけだから、言い切ることはできないけどぉ。 

 たぶんあなたと坊やの望む関係は、おんなじだと思うの。だから、チルはそんなに怖がらなくていいんじゃないかしらぁ」


 開け放した裏口から、夏らしいぬるい風が吹き込む。ふと先日この店にようやく到着したイーアが見せた、あの笑顔を思い出す。


 ベッドから出れなかったチルの頭にそっと触れた手。自分を見下ろす、優しい紫の瞳。

 会えない時間、何度も読み返した手紙の筆跡。


 まだはっきりと言葉にならない感情を抱えたまま、チルはそっと微笑む。


「…うん。ありがと、姐さん」


 ちょっと湿っぽいチルの声に、ピアはどう致しましてぇ!と笑顔で答えた。

お読みいただき、ありがとうございます。

最終見返しができない日々が続いており、誤字あったら申し訳ありません…。


今回二組の夫婦が出てきております。双方仲良し夫婦ですが、

黒翼の魔女と猫の夫婦はいつもぴったりくっついている(自由に跳ね回るリンをレヴィンが常に追いかけるという方が正しいかも!)のに対して、

ピアとウドはお互い別々に生きていても平気なタイプです。でも、ちゃんとお互いを想い合っています。


ピアは時々男装してウドと並ぶので、ウドの同輩にはピアの事を男だと思っている人も多いです。『ウド様の護衛の方、とても素敵…紹介して!』と女性に言われることも度々。ウドは笑顔で誤魔化します。


明日もよろしくお願い致します!

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