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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第二部】緋虎の鏡
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第8話 それはまるで魂のない人形のよう

「グラーツ、…久しぶりだね」


 軍服のルッソの姿を見た途端、イーアと対峙していた男が一瞬で相好を崩した。

 グシフォーン子爵のルッソを見る目は蕩けるような甘さがあるので、イーアは酷く戸惑う。


「ええ、マスター。お会いできて嬉しく思います。この数年、お顔を合わせる機会もありませんでしたからね」


 グラーツと名乗るルッソの表情も甘い。まるで想い合っている恋人同士のような空気に、イーアも子爵が連れていた娘も、取り残されたように唖然とするしかない。


 ルッソはその二人を艶然と見てから、ゆったりと笑う。


「しかし、これ以上公爵閣下への不敬行為はよろしくない。思わずしゃしゃり出て来てしまいました。…お相手が私ではご不満かもしれませんが」


 まるで男女の誘い文句のような事を言いながら、ルッソが微笑む。その蒼玉(サファイア)の瞳の奥にはありありと嫌悪があるのに、男は全くそれに気が付かないようだ。まるで熱に浮かされたかのように、ルッソの顔を注視している。


「グラーツ大尉」

 思わずイーアが名前を呼ぶ。この男とルッソを引き離さねばならないと感じた。


 だがルッソはイーアの顔を見て、いつもの人懐っこい笑顔でにっこりと笑う。しっかりと見開かれた目が、大丈夫だと語りかけていた。


「この者が閣下に大変失礼をいたしました。ワルド軍を代表してお詫び申し上げます。大変遅くなりましたが、帝国の若き獅子にご挨拶申しあげます」


 イーアは何も言えない。するとルッソは身を乗り出し、イーアのすぐそばで囁くように言う。


「さらに無礼を重ねるようで申し訳ないのですが、どうにも妹が人に酔ってしまったようです。よければ閣下、一休みできる場所まで連れて行っていただけないでしょうか?」


(妹……?)


 ルッソの隣の娘は確かに彼と同じ髪色、同じく整った顔立ちも、少しきつめな目元もよく似ている。だが、ルッソのことだ。こんな化粧など朝飯前だろう。


「…わかった」


 ルッソをこの男と二人にするのも不安だが、今はリアのことが心配だ。

 ルッソのことだ。何か考えがあるのだろう。


 イーアは纏っていたマントを外し、後ろに控えていたザイツに投げる。


「ザイツ、君はここにいろ」

「しかし」

「命令だ」


 戸惑ったようなザイツに構わず、イーアはルッソの隣に立つ娘に手を差しのべる。彼女は静かにその腕に自分の細い指を添えた。

 見慣れたその手も、その細い首筋も、間違いなくチルのものだ。


 チルはいつもびっくりするくらい、必死にイーアの腕にしがみついてくるのに、今はまるで人形のような生命力を感じさせない動きだった。


(まさか)


 イーアはまるで鮮血のような色合いの柘榴石を観察する。


 かつて人が行使していた『魔法』という技術は、今は失われて久しい。

 その魔法の代わりに、数百年前に黒翼の魔女が人に(もたら)し、現在使われているのが『魔導具』と呼ばれる魔石の付いた道具だ。

 魔石に特別な力を込め、魔法のような奇跡の技を可能にさせる。それを作る技術が魔導で、ある程度の魔力のあるものしか就けない職業が『魔導具士』だ。


 その魔導具士の一人、高名な『紅焔の魔女』が生み出した魔導具の一つに『血誓(けっせい)』と呼ばれる他人を支配下に置く物がある。


 手に負えない重大な犯罪人や、心の制御が難しい者を抑制するために使われる物で、紅焔の魔女が好んで使っていた柘榴石の魔導具だ。

 使用者に強い負担を与える物なので、最近では負担の少ない魔法薬などに取って代わり、今はほとんど使われていない。


 この石を使うと、使用者は自分の意思を失い、契約者の命令に従うようになる。まさか、これはその『血誓』だろうか。


 イーアは結論を出すことは出来ないまま、とても奇妙で不安な気持ちのまま歩き出した。

 並ぶ娘はその後に従うようにしながら、イーアを誘導する。その瞳は何の感情もなく、まるで静かな湖の水面のよう。それがあまりにも落ち着かない。


 そうして大広間を出ると、彼女が手を離し真っ直ぐに歩くので、イーアは慌ててその背を追った。足が速い。ほとんど駆けるように歩きながら、宮殿の廊下を進む。

 やがて宮殿の奥、使用人たちの使う区画に入り、そして一つのドアの前で足を止めた。


 イーアが追いつくのを待たずに、彼女はドアをノックする。すぐにドアが開いて一人の男が顔を出した。

 男は不審そうな顔で娘を見る。


「なんだ? お前」


 娘はその男ににっこりと微笑む。その次の瞬間には、男の目が空になり、その場に倒れた。一瞬で男を気絶させたらしい。


 ようやく追いついたイーアの耳にも、室内から争う声が聞こえる。その一方は間違いなくリアの声だと確信し、イーアは迷わずその扉を蹴り開けた。


「リア!」


 室内には顔を覆われて縛り上げられたリアと、男が二人。貴族のような男たちはリアを何か木箱のような物に押し込めようとしていたが、驚いてイーアの顔を見た。

 イーアは無言でその二人に殴りかかる。あっさりと床に転がった男たちは、それほど荒事に慣れていなさそうな様子だった。


 イーアはすぐにリアの頭に被せられた布を取った。リアの緑柱石(エメラルド)の瞳が驚いたようにイーアを見上げて、真っ青な顔のまま叫んだ。

「殿下、後ろ!」


 リアの声を受けて振り向くと、男が数人部屋に雪崩れ込んでくる所だった。服装から察するにこの貴族の護衛といったところか。こちらは武器を持たぬというのに、男たちはすでに抜刀している。

 だが、動きから察するにそれほど脅威ではなさそうだ。


(なんとかなるか)


 だがイーアが動くより先に、桃色の影が踊り出た。抜刀した男の一人に、娘は無音のまま躊躇(ちゅうちょ)なく細いダガーを突き出す。

 いつものチルと比べると、数段確かな動きだったので、イーアは信じられない気持ちでそれを見た。そして娘が持つあの武器は知っている。暗殺用の暗器だ。


「殺すな!」


 イーアの命令に、娘の陶器のような眉が少し動き、すぐに逆手に切り替える。イーアが手前の男を制圧している間に、後ろの二人は娘に殴られて床に転がっていた。


「あらら、もしかして突入したの? 無謀だねー」


 まとめて男たちを縛り上げていると、ルッソが呆れたように言いながら、部屋に駆け込んできた。

 数人の大公国兵がルッソの指示を受けながら、男たちを連行して行く。


「この子に任せとけばよかったのにー。流石に公爵閣下自ら乗り込むとか、だめでしょー」

 黒髪の娘の頭にぽんぽんと触れながら、ルッソが笑う。イーアを公爵と呼びながら、口調はいつもと変わらない。


「ルッソ…!」

 そのへらへらとした顔を見れば、聞きたいことがたくさんある。だがまずイーアはリアに駆け寄った。そっと肩に手を置くと、痙攣するように震えている。


「リア、大丈夫か?」

「…はい」


 すまない、と呟くように言いながらイーアは肩を落とす。


「イーア、これはどういうことだ!」


 怒りを含んだ声に振り向くと、アルが駆け込んでくる所だった。いつもの飄々とした雰囲気はなく、激しい怒りのオーラが全身から出ている。男たちを連行する兵士たちがすれ違いざま、ひぃっと悲鳴を上げた。


 その後から入室したのは、赤みがかった黒髪の涼やかな男性、この国の第二公子であり、軍の長でありワルド軍将軍のレイナード・ワルドだ。彼も眉を寄せて、室内を見回す。


「アルトゥール様…申し訳ありません、わたくしが」


「君には聞いていない。イーア、どうしてここにオティーリア嬢がいる!」


「すまない…彼女に調べて欲しかったことがあって連れてきた」

 イーアの答えに、さらにアルは眉間の皺を深める。


「オティーリア嬢はお前の秘書だが文官だ。その彼女に内偵の真似事をさせようとしたということか」


 アルの激しく怒気を孕んだ声に、リアがさらに震える。思わずイーアがリアの肩に手を回すと、何故かアルの怒気が増した。もはや視線だけで殺されそうな勢いだ。


「アルトゥール、話したい事はあるだろうが、後にしなさい」

 背後からレイナードの水音のような静かな、それでいて凜とした声が響く。

「閣下、あなたは今夜の夜会の主賓です。会場にお戻りを。話は終わってから伺ってもよろしいでしょうか?」


 問う形だが、これは命令に近い。

 イーアは黙って頷いた。


「ザヴアーランド公爵令嬢は、お休みいただける部屋に案内させます。アルトゥール、お連れしなさい」


「…俺はイーアにつく。これ以上、離れるわけには」

 アルが言うと、レイナードはにっこりと笑った。その笑顔が、激怒しているアルより怖いのは何故だろう。


「却下だ。彼女の婚約者はお前だろう」

 そう言いながらレイナードは、アルとは似ていないすっきりした一重の目でアルを睨む。

「自分の婚約者をエスコートもできないのか。馬鹿者」


 容赦がない。


 ついでドアの前に立つルッソと少女の方を向いた。

「お前たちはここの後始末を。夜会の後には殿下を客室にご案内するので、ルッソは来るように」


 さっさと指示してしまうと、あらためてレイナードはイーアに向き合った。

「というわけで陛下、お供が私でもお許し下さい」


 さわやかな微笑みでそう言われると、もはや抵抗は無理だ。仕方ないので、イーアはリアの目を見る。いつのまにか震えの収まった彼女がしっかりと頷いたので、イーアは立ち上がり、ルッソと娘を見た。


 ルッソは相変わらず考えの読めない顔だし、その隣の娘も感情の無い人形のような顔のまま。

 やはり彼女の首元の柘榴石が気になる。イーアが娘に話しかけようとすると、ルッソがそっと手を伸ばし遮った。


「イーアは会場に戻らねばだろ?」

 そう言われたら、何も言えない。

 ルッソは困ったような、それでいてイーアを安心させようとするような笑顔を見せた。

「大丈夫だから。そんな悲しそうな顔しなさんな。さ、行っといで」




お読みいただきありがとうございます。

第二部の前半ここまででございます…。猫の仔のように攫われそうになってリアさんでした…。


ルッソと子爵が話していた現場にすごい形相のレイナードが近づいてきていたのですが、幸いイーアは気が付きませんでした。静かな口調のお怒りレイナードですが、この後の後始末はしっかりしてくれました。頼れるお兄さんです。

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