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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第二部】緋虎の鏡
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第6話 夜会のさなかに

 大公家主催の夜会は公城の離宮で開かれる。正装したイーアはその離宮の大広間で静かに息を吐いた。


 この大広間はワルド大公国の繁栄をまざまざと見せつける、豪華なものだ。出席している人間も大公国や東方周辺国の貴族だけだと言うのに、皆着飾って堅苦しい。薄っぺらな笑顔で彼らに笑顔を返すたび、なにかが静かに消耗していく。


「お疲れですか?」

 感情の感じない無機質な声につられ、イーアは顔を上げる。


 鉄仮面に例えてもいいほど表情のない顔が、こちらを見下ろしていた。


 この夜会の帝国からの正式な出席者の一人、宰相補佐のニコラウス・ヴァイツ子爵だ。金の髪に眉目秀麗、すらりと伸びた手足は見事で、貴族の中では大陸一の美丈夫と謳われている。


 だが、彼と向かい合うとその外見より、その瞳に見入ってしまう。今も金緑石(アレキサンドライト)の瞳が静かに、少し気遣うな色を滲ませてイーアを見つめていた。


 この美貌のために幼い頃から苦労していたと言う彼は、驚くほど感情を表に出さない。だが付き合いの長いイーアは、微かな感情の機微を見分けることができた。


 どうやら心配してくれているらしい。

 ニコラウスはイーアの幼い頃の家庭教師でもあり、歳の離れた兄のような存在だ。


「いや、ヴァイツ卿の隣に立つと、この黒も霞んでしまうなと思ってね」


 イーアは纏っている漆黒のマントをちょいと摘んで言う。

 余裕のあるところを見せようと、ほんの少しの嫌味を加えた。イーアにとってはそんな軽口を叩ける相手がいるのはありがたい。


 だがニコラウスはふっと鼻で笑う。

「それは殿下の威厳が足りないからでしょう」

 あっさりと辛辣に切り捨てられてしまった。


 イーアはそんな彼をちょっと睨み、それも効果が無いので諦めて、目を逸らした。きっと彼にとっては、自分はいつまでも子供なのだろう。


(この色が馴染めないのは本当なんだけど)


 今日のイーアの正装は、慣れない公爵としてのものだ。馴染みのある緋色のマントではなく、その色は漆黒。ビロードの生地は光沢があるが、やはり黒は陰鬱(いんうつ)な印象だ。


 その下の夏物の上着、トラウザーにブーツに至るまで、殆どが黒。袖や襟などには金糸で縁どりの刺繍がされていているが、上着の生地に施されている刺繍も黒い糸。

 イーアの継ぐ公爵家の歴史を象徴するような、驚くほど豪華な装飾が施されているが、なんだかしっくりこない。


(なんだかおとぎ話に出てくる、魔王にでもなった気分だ)


 そんなことを考えていたイーアの背に、そっとニコラウスが手を掛ける。そのまま誘導されるように歩くと、会場の隅に豪奢なソファがあった。彼はそこにイーアを座らせる。


「今回は公爵閣下にとってのはじめての戦場です。決して、気を抜かれることにないようにしてください」


 いつもの呼び方ではなく、公爵と呼ばれイーアは背筋を伸ばす。見上げたニコラウスの顔はぎこちないが、微笑んでいた。


 彼は結婚してから、こんなふうに表情を出す事が増えた。今までの氷のような美貌に、更に男性の色気のようなものまで加わってしまい、同性同士だと言うのに思わず見入ってしまう。


 これは熱烈なファンが増えるはずだ。

 そんなイーアに構わず、ニコラウスはつらつらと喋り続ける。


「そもそもスケジュールが急なのです。学園の休みの間に自領とこちらを回るなど。若いとはいえ、もう少し余裕を持った予定を組まないと…」

 いつもと違う緊張の中にいるのに、降ってくるのはいつものお説教だ。ふっとイーアの表情が緩む。


「私は大丈夫だよ。ニコルは自分の仕事をしておいで」


 思わず呼び慣れている愛称を呼んでしまった。ニコラウスは一瞬息を呑んで、それからふっと息を吐く。

 イーアの背後に控える侍従に扮したリアと護衛騎士の顔をしっかりと確認した後、何か見極めるようにじっとイーアを見た。

 それからニコラウスは一礼し、素早く踵を返してイーアから離れて行く。


 その後ろ姿を見送ってから、イーアは少し息を吐き、目線で促してリアも座らせた。彼女も緊張していたらしく、ぎこちなく座ると、ほっとしたように微笑んだ。


 その二人を隠すように、正面に守護騎士のザイルが立つ。こうしていれば、大抵の貴族はイーアへの挨拶を遠慮するだろう。


「アルトゥール様、いらっしゃいませんね。やはり噂は作り話なのでしょうか」

 彼女は不安げに会場内を見ている。


「だといいな…本当に件の男爵と関わりがあるとしたら、私は絶対に許さないが」

 その声が、自分が思っていたより冷たいものだったので、イーアは乾いた笑いをこぼす。


 チルには言わなかったことが一つある。


 この春、イーアは昔祖父が治めていた帝国の北、シュヴァルツエーデ公爵位を継いだ。


 公爵領といっても、大きさは帝国直轄地に並ぶ広大さを誇り、国民の数もほとんど同じだ。しかも、気候の厳しい北の地でありながら、帝国内で最も豊かな土地で、発展している産業も多く税収も多い。


 イーアは領地を継ぐことになった数年前から自領について調べ始めた。


 やはり十年以上もの間、公爵不在だった国は多くの問題を抱えていた。イーアの存在を良く思わない地元貴族の横行、隠す気のない不正。

 祖父の代から支えていた一部の貴族たちは忠臣と呼んでも良い。だが上層部の貴族たちは管理者不在の公国を食い荒らす害虫のような存在だった。


 多くの問題が見つかり、その一つ一つをあるべき姿に戻さねばならない。まだイーアの体は帝国にあるので、地元に派遣している文官たちだけでできる事は限られている。

 必死に状況を把握しようとしている中、不正な穀物の流れを見つけた。


 どうやら、公爵領地から西側諸国に穀物が横流しされている。その流れを掴もうとした矢先、イーアの側近のアルがその容疑者と何度も会談しているという報告が届いた。しかもその男、バルド大公国の男爵だったが、その娘とアルが懇意になっているという。


 イーアとリアの前で、言いづらそうに報告した気の弱そうな文官の顔を思い出す。イーアは激怒していたし、リアは今にも倒れそうなほど青褪めていた。きっとあの文官は生きた心地はしなかっただろう。


 その時のことを思い出すだけで、イーアの眉間は厳しくなる。

 それを心配そうにリアが見ていたので、イーアはそっと微笑んでみせた。


「それにしても見事な変装だ」


 イーアが改めてリアを観察しながら言うと、彼女は少し目を細めて笑う


 リアは元々背も高く細身な体格だったこともあり、しっかり成人済みの男性に見える。チルが選んだ襟の高い服のおかげで、喉仏の有無も誤魔化せそうだ。

 疑っていたわけではないが、チルの変装能力には舌を巻く。もちろんリアの演技力も大したもので、普段は楚々とした令嬢だが、今日は堂々とした貴族の好青年だ。


「チル様がお上手でした。それにわたくしのことも気遣ってくださり、お優しい方ですね」

 イーアが驚いてリアを見返すと、彼女はそっと体を寄せる。

「『男のなりしてるやつに体触られるのいやだろうから』って、女性の姿で宿にいらっしゃいました。変装中も痛くないか苦しくないか心配してくださって」


 それは意外だ。

 今朝、アロイス雑貨店を出て行った時には男装のままだったのに、一体どこで着替えたのか。


「とても愛らしい方でしたね。殿下もチル様と一緒の時は、とても優しく微笑まれるんですもの。わたくし、びっくりしてしまいましたわ」


 こっそりと言うリアの瞳には、隠しきれない好奇心の色がある。口調はいつものイーアを揶揄うものだ。


 イーアにとって二つ年上の彼女は、子供の頃からそばに居る姉の存在に近い。実際、子育てに奮闘していた母を助けるため、彼女とその母親がイーアたち親子と一緒に暮らしていた時期もあったくらいだ。


「そうかな」

 照れ隠しのように視線を逸らす。

「というか、普段の私の顔が怖いと言うことかい?」


「そうですね。今年に入ってからは、いつも思い悩んでいらっしゃるようでしたので」

 リアは目を伏せる。


「まぁ…あまりにも色々ありすぎたからね」

 ここ数ヶ月の混迷ぶりを思い出し、イーアは苦々しい表情を浮かべる。


「情けないけど、チルの顔を見た途端泣きそうになってしまった。私もまだまだ子供だ」


 苦笑しながら小さな声で言うと、リアが嬉しそうに笑う。それはいつもの微笑みで、すっかり男装していることを忘れている。

「リア、悪いね付き合わせて」

「いいえ。…殿下」


 リアが素早く、目配せする。そこでイーアは気がついた。


 会場のあまり目立たない入り口に、男が立っている。歳の頃は四十くらいか。隣には美しく着飾った、男と同じ焦茶色の髪の娘が楽しそうに微笑んでいた。事前に確認している例の黒い噂のある男爵と、その娘だ。


 隣でリアがひゅっと息を呑んだ。

 その二人の後からアルが姿を見せる。三人は談笑しながら、会場を見回していた。

 弾かれたように、リアは立ち上がる。


「待て、リア」

 イーアは彼女の手を掴んだ。確かにここからは何を話しているか分からないが、アルは軍人だ。普通以上に感が鋭い。


「殿下…」

 振り向いたリアの瞳が揺れる。その中に強い意志を感じて、イーアは手を離してしまった。リアは意外と意志が強く、頑固だ。今回の内偵もイーアが反対し、さんざん説得したものの、彼女自らやると言って譲らなかった。

 今もリアは確固とした意志で一人で進んでしまっている。


「リア!」


 呼び止めようとその背中に手を伸ばした時、イーアの視線を遮るように数人の人間が近付いてきた。

 内心ひどく焦りながらも、イーアは表情を取り繕う。今自分は公人なのだから。


 近づいて来た集団はワルドの貴族のようだ。先頭に立つ壮年の男の顔に見覚えがある。確か、現在のグシフォーン伯爵の当主の弟、同じ家名で子爵を名乗る男だ。


 グシフォーン伯爵家はワルドの三つの伯爵家の中で最も力が強い。決して蔑ろにして良い相手ではない。


 先頭の黒髪の男が口を開く。


「帝国の若き獅子にご挨拶申し上げます」


 その声がざらりと、イーアの記憶の深く暗い場所を刺激した。



お読みいただきありがとうございます。


ニコラウス・ヴァイス子爵はいくつかの爵位を持っています。来年の新年には正式に公爵位を継ぎ、ヴェルドフェス公爵になる予定です。


次回もよろしくお願い致します!

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