第3話 おしゃべりな黒猫リン
その直後、アロイス雑貨店の扉が大きく開いた。
その向こう側にいる人物の姿を見て、チルは一瞬、心臓が跳ね上がるような錯覚を覚える。
この一年で、また少し雰囲気が変わった。去年会った時もびっくりするほど背が伸びていたが、既にチルと頭一つ分は差ができたのではないだろうか。
身長だけではなく体つきも、ひと回り大きくなった気がする。
そういえば騎士団に紛れて訓練をしていると言っていたが。顔つきも少年というより青年という呼称がふさわしい、そんな様子に、一瞬だけチルは落ち着かないような気分になる。
シンプルで質素に見える飾り気のない服装、白いシャツに黒いウエストコートとパンツは、いかにも上流階級らしい。耳には見慣れない黒のピアスもある。その全てが、彼を実年齢より大人びて見せていた。
変わらないのは、短くとも光を弾く見事な金髪と、穏やかな紫の瞳。それを見たとたんに、妙な安心感を覚えてチルはふんわりと笑った。
「おかえり、イーア」
「チル、ただいま」
対するイーアも穏やかな笑顔をこちらに返す。
だがその声は、去年の掠れたような声と比べると、すっかり大人のものになっていた。
その瞬間、泣きたいような叫びたいような、そんな感情が湧きたつ。
また会えた。
会えて嬉しい。
(俺は本当に、こいつと会いたかったんだ)
それをしっかり自覚しただけで、なんだか心の中が少しあたたかくなったような気した。
◾️ ◾️ ◾️
―――と、ついさっき会いたかったという気持ちを自覚したばかりなのに…とチルは面白くない気持ちのまま、手元のコーヒーカップを意味もなく回す。
今、食堂に居るチルとイーアの間には、微妙な空気が流れていた。
「いい加減に機嫌直せ」
キッチンのテーブルの上で突っ伏すイーアの頭に軽く拳を当ててチルが言うが、イーアは返事をしない。
「悪いって、ちょっと揶揄っちゃっただけだって。な。ほらコーヒー冷めるぞ」
イーアは先程入れたコーヒーにも、好物のクッキーにも口をつけていない。
つまらないなと思いながら、チルはその頭を軽く叩いてみる。ふわりと柔らかい金髪が指に絡んでくすぐったいが、イーアは一向に反応しなかった。
(そもそも、何でこんなに拗ねるかなぁ)
チルは自分のカップを覗き込んで、息を吐く。
一年ぶりに会ったイーアは、去年よりずっと大人になっていた。そんなイーアが、ピアの胸に興味を示すのも、仕方ないといえば仕方ない。
それを揶揄った自分も悪いとは思うが、だがあからさまにじろじろ見るのはどうなんだろう。
ーーー実はそこまで見ていないが、チルの中では食い付かんばかりに凝視したことになっている。
(胸がデカけりゃそれでいいのか)
確かに、それは見事な胸だったけども。考えれば考えるほど、チルはむかむかしてくる。
第一、こっちだって文句を言いたいのを我慢しているのだ。
イーアは本来なら、金月の一週目にはこちらに着く予定だった。それが伸びて、遅くなるという詫び状が届いたのが一週間前、今日は金月の十五日だ。せっかく買ったイーアの好物のクッキーも、もうだいぶ日が経ってしまった。
(まずは遅くなって、すまないとかさ)
ますます腹が立って、チルはイーアの頭を激しくかき混ぜる。
だがやはりイーアは微動だにしない。
(って、なんで俺は腹が立ってるんだ?)
口元にカップを持って行ったまま、チルはぴたりと動きを止めた。
そもそも、イーアがどんな物に興味を持とうが、チルに関係のないことだ。
まぁチルは『蒼眼の鷹』の中で、イーアのお守りを任されている立場だが、彼のプライベートにまで口を出す必要はないはずだ。
(なんか、俺、姐さんに嫉妬してるみたいじゃね!?)
チルの思考が停止し、手の動きも止まった、その時。
「やーね。墓場の真ん中でじめじめして!」
突然、歌うように楽しげで澄んだ声がした。
驚いてチルが顔を上げると、いつの間にキッチンに入り込んだのか、テーブルのはしに一匹の黒猫がちょこんと座っている。
「は?」
チルは一瞬猫に気を取られたものの、すぐに室内を見渡す。先程の声の主を探すが、この場所にいるのはイーアと自分、そしてこの猫の気配だけしかない。
チルは目の前の黒猫をまじまじと見た。漆黒の毛並みはところどころ光を弾いて白く光っている。琥珀色の虹彩と、キュッと絞られた瞳孔がいかにも猫らしいが、その目はキラキラ輝いていた。
(普通の猫じゃないな)
まぁ、イーアと知り合ってから、それまで知識でしか知らなかった精霊や魔法を体感した。予想外のことがあっても驚かないが、それでもここにはイーアがいる。
何かあってからではまずい。
チルが少し身構えた時、猫はいかにも物知り顔で喋り出した。
「まあ、しょうがないわよね。イーアはまだお子様だし、いろいろ未経験だものね!」
「うるさい」
死んだように脱力していたイーアが、黒猫の頭を押さえて黙らせた。
一瞬呆然としたが、猫の言いたいことを分かってしまったチルは苦笑するしかない。
だが猫の方は、大きなイーアの手に押さえつけられては堪らないだろう。
「お前、乱暴だぞ」
とりあえず救出しようとチルが手を伸ばすより早く、ふるんと猫が体を振って、その手から抜け出した。そして器用にぺーっと舌を出す。
イーアは少し顔を上げて、その猫を悔しそうに見返していた。
「そうよー乱暴な男は嫌われるんだから!
ね、あなたがチルよね。チルさんよね!」
とん、と猫がテーブルを蹴り、飛ぶ。
すたっとチルの目の前に降りたち、じっとその顔を覗き込んだ。嬉しそうに髭がひくひくと動いている。
「お、おう。さん付けなんていらねーよ。猫さん」
幽霊が見れ、子供の頃からそれなりに普通じゃない経験をしてきたチルでも、流石に喋る猫は初めてだ。
それでも、どうやらイーアと顔見知りらしいと分かったので、幾分か警戒は解いた。その猫が嬉しそうに自分の名前を呼ぶので、チルは首を傾げる。
「じゃあ、チルね! 私の名前はリンよ! よろしくねチル!」
そう言いながら、嬉しそうにチルの頬に額を寄せる。
チルは今まで猫を飼った事がない。動物に触れることも滅多にない。猫に擦り寄られる、という初めての経験に、さすがに緊張する。
「お、おう。って君はどこの子?」
流石にイーアの飼い猫ってわけではなさそうだが。嬉しそうな猫におそるおそる触れながら、チルは助けを求めるようにイーアを見る。
だがイーアは拗ねたようにそっぽを向いていた。どうやらまだご機嫌斜めなようだ。
「えーと、あたしはね。チルのお話を聞いて、どうしても会いたくなって、イーアにここまで運んでもらったのよ!」
説明になっていない。
「そうしたらやっぱりこの魂の色! 間違いないわ!」
チルは苦笑いした。初めて触る猫は可愛いが、流石にいろいろ不明すぎる。
「リンは俺のお師匠のパートナーだ」
困るチルを見かねたのか、イーアがこぼすように話した。
「パートナー?」
イーアの師匠とは『黒翼の魔女』と呼ばれる伝説級の人物だ。チルはイーアから教わるまで、実在していることも知らなかったが、はたしてそのパートナーとは。
「使い魔みたいなものよ!」
それに答えたのはリンだった。琥珀色の瞳を大きく開いて、真っ直ぐにチルを見ている。
そしてそっと、首を傾げた。
「ね、チル。驚かないで聞いてほしいのだけど……わたしね、昔人間だったの」
猫の口から出ているとは思えないほど、明瞭な話し方でリンがそう言った。
「はぁ」
「でね、人間の頃のわたしには子供がいてね。あなたはその子の遠い子孫なの!」
「はぁ」
驚く以前に、あまりにも突飛すぎて理解できない。そのチルの態度がご不満だったのか、リンがふぎゃっと叫んだ。
「遠い遠いおばあにゃんと孫むにゅめの再会にゃのよ! もうにょっと喜んで!」
あまりの衝撃だったのか、途中からニャーニャーと猫の鳴き声になった。器用に前足を上げてチルの胸元に手をかけて、そのままにゃあにゃあ言っている。
「孫娘…」
ということは、女だとバレているのか。
先程魂の色とか言っていたが、こういう人外のものにはやはり変装は意味がないらしい。
「俺、そもそも家族とかいないからさ」
柔らかいその背中に触れてみると、嬉しそうに毛並みがぴぴぴと波打つ。
リンは鳴くのをやめ、そっとチルの胸元に擦り寄った。びっくりするくらい温かい体に、チルは言葉を失う。
「…ごめんなさい。わたしたちも、あなたの存在に気がついていなかったのよ」
そのままぺったりとくっつくリンを、引き離すことも出来ずチルは不器用な手つきでそっと撫でる。リンの体から猫独特の何かを転がすような音がした。
「でも、あなたの魂はとってもあったかい。きっと、わたしの旦那様のチカラが宿っているわ」
そう言われてもどうしていいかわからず、チルは困ってイーアを見る。
まだ拗ねているのかと思ったが、イーアは頬杖をついてこちらを見ていた。しかも何故か、蕩けるような笑顔でいるのはなぜなのか。
「何だよ」
「なんでも」
その言い方が、なんだか一歩先に進まれたような気がして悔しい。
だがやっと、イーアが帰ってきてくれたような気がして、チルはちょっと嬉しかった。
お読みいただきありがとうございます…!
おしゃべりで元気いっぱいなリンの登場です。
「お喋りじゃないのよ! ただ単にいっぱい話したいことがあるだけなのよ!」
リンは興奮するとにゃーにゃー大変騒がしいです。
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