第1話 「おかえり」と「ただいま」
大通りからアロイス雑貨店へと向かう小道は、今年も変わらず、静かで不気味なままだ。
そこに感慨深い気持ちで立ちながら、イーアは息を吐く。
最初に来た時にはこの小道のあまりの不気味さに怯えたイーアだったが、流石に三年目の今年は慣れてしまった。路地を滑る風が、イーアの短い金の髪を撫でるように吹いていく。
この不気味だが懐かしい道の向こうには、イーアの親友チルがいる。
チルはなぜか男装をして、この国の暗部組織『蒼眼の鷹』で働く女の子だ。その友人の顔を思い浮かべるだけで、イーアはなんだかふわふわとした気持ちになる。
毎年、彼女と過ごす夏が楽しみで仕方ない。
そしてイーアにとってチルは、実のところ親友以上の存在だ。
これが恋なのか、まだよくわからない。だけどイーアはチルとずっと一緒に居たい。
強い決意を込めて、イーアは心の中で呟く。
(今年こそは、チルにちゃんと言おう)
この感情の吐露と、そして一緒に皇都に行こうと誘うのだ。そうすれば夏だけでなく、年中チルに会えるようになる。
アルに相談したら、『ちゃんと本人の同意を得るんだぞ?』と言われたが。無理矢理連れて帰ると思われているのだろうか。心外である。
そんなことを考えているうちに、アロイス雑貨店が見えてきた。
路地の突き当たりに突然現れた青い屋根の小さな建物に、イーアはふと笑みをこぼす。
逸る気持ちを抑えながら、イーアはドアノブに手をかける。軋んだ音をたてる古びたドアの向こう側では、チルがカウンターに立っていた。
暗い室内でも光を弾く、蜂蜜色の金髪。澄んだ湖のような藍玉の瞳を驚いたように大きく開いて、そしてすぐに満面の笑顔を浮かべた。
その笑顔が見れただけで、イーアの胸は暖かい気持ちでいっぱいになる。
今日も少年のような姿だが、チルだ。暗い部屋の中でも、眩しく温かい気配を感じる。
「おかえり、イーア」
最初に会った時とはすごい違いだ、とイーアは心の中で苦笑する。今はその違いが、とても心地よくて、嬉しい。
「チル、ただいま。変わりなかったかい? みんな元気かな?」
言いながら店に入ろうとして、イーアは硬直した。
カウンターのそばに立つ、もう一人の人物の姿にその時ようやく気がついたのだ。
女性だった。
肌の露出こそ少ないものの、豊満な胸を強調するようなドレスを身にまとい、漆黒の髪はまるで別の生き物のように艶やかに波打っている。濃い茶色の瞳と、その下にある泣きぼくろが異様に色っぽい、妖艶な美女がひとり。
そんな彼女がカウンターにしなだれかかっている様子は、この雑然とした店の中ではあまりにも不似合いだった。
「あらぁ、もう来ちゃったのぉ?」
その女性は手に持つ煙管をくるりとひとまわしして、カウンターに置く。そしてしっかりとこちらを見た。
どうやら、チルと彼女は何か相談でもしていたらしく、手元に書類のようなものが置いてあった。
「やだぁ、聞いてたよりずっと良い男じゃないのぉ!」
彼女はそう言いながら、ぱあっと顔を輝かせて、イーアをまじまじと見る。
「は?」
硬直したまま、イーアは目の前の女性から目が逸らせなかった。その艶っぽい唇と、何より主張の激しい胸を。
その胸がぐいっと迫り、イーアは思わず一歩退がる。
「姐さん、いつからがきんちょ相手にするようになったの?」
チルは興味なさそうに手元の紙束を弄っている。
「がきんちょって失礼よぉ、チル。素敵な殿方じゃない。素敵な筋肉だし…ねえ、お名前はなんておっしゃったかしら?」
女性はますますイーアに迫る。さらに一歩引いたイーアの背中に、扉が当たった。
「ねーさん、怯えられてるじゃん」
「あらぁ、そんなことないわよねぇ? わたくしの名前はピアと申します。チルやルッソのお仲間、といえばわかるかしらぁ?」
「…とりあえず、少し離れてくれないか?」
イーアがようやく言うと、彼女は少し唇を尖らせて数歩下がる。服装に似合わない、少し幼い仕草だ。
名前が出たルッソも『蒼眼の鷹』の一人なので、きっとおそらくこの女性もそうなのだろう。
ルッソの名前を聞いただけで、イーアは眉間に皺を寄せた。通常は男性のルッソが、昨年突然女装しイーアを仰天させた事件は、一年たった今でも忘れられないほどの衝撃だった。
「イーアと呼んでくれ。チルの友人だ。今年も世話になる」
前半は目の前のピアに、後半はチルに言ったつもりだったが、カウンターの彼女は呆れたような目でこちらを見て返事もない。
さっきまで笑顔だったのにと、チルの名前を呼ぼうとしたとたん、ぐいっとピアが再びイーアに迫る。
「まぁ! わたくしもこの夏、この店におりますので、たびたびお会いすることになると思いますわぁ!」
「…店?」
「今ルッソ忙しいからなー。お前がいる間、姐さんが店番やってくれるんだよ」
イーアの疑問には、チルが答えた。
「アロイスは?」
「アロイスはねぇ、西方に行ってるの。あちらは今ちょっとアレでしょう? なので、偵察を兼ねて買い付けですってぇ」
「…偵察、買い付け」
それは部外者に言っていいものなのだろうか。
だが、実のところイーアも西方に関わる問題を抱えている。もしアロイスと顔を合わせることができれば、何か情報を得られるだろうか。
「そうなのか」
「ええ、ですからお会いする機会もあると思いますわぁ! どうぞよろしくお願いいたしますねぇ」
ピアはそう言うと、にっこりと笑う。その笑顔はやはり、この服装に合わない人懐っこいものだ。
「姐さん、そんな愛想振り撒いてたらウドに叱られっぞ?」
「はぁ!? なんでアイツの名前が出るのよぅ!」
よほど親しい間柄なのか、二人はぽんぽんと言い合う。
「とりあえずわたくしは帰るわぁ。明後日は朝から来るから、よろしくねぇ」
少し間伸びする口調で、ピアは言う。おう帰れ帰れとチルは追い払うように手を払い、それにべぇっと真っ赤な舌を出してピアが応える。
そしてイーアにはにっこりと微笑み、手を振りながら軽い足取りで店を出て行った。
「…なんだかすごい人だな」
思わず、ぽつりと感想が溢れると、ぶふぉっとカウンターの方から変な音がした。見るとチルがにやにやと笑っている。
「チル?」
「あー…お前が健全なオトコノコに育ってて、よかったわー」
チルがひひっと笑いながら言うので、イーアはさあっと全身の血が引くのを感じた。
どうやら、先程ピアの胸をしっかり見てしまった事に、チルは気がついていたらしい。
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第二章開始です!
書いている人の趣味全開の第ニ部です!