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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【番外編】宵闇に蠢くもの
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【異想譚】アルトゥールの憂鬱

「ではアルトゥール、私は殿下にご挨拶に行ってくるので、その間ローゼを頼むよ?」


「はぁ……」


 半年ぶりに会った次兄レイナードは、挨拶もそこそこのまま、完璧な笑顔でそうアルトゥールに命令した。

 命じられた方は引き()った笑いを浮かべながら、その兄を見返すしかない。


 次兄レイナードは父親譲りの赤みがかった黒の髪に、母譲りだと言う柘榴石(ガーネット)の瞳を持つ青年だ。涼やかな顔は白々しいほど優しく微笑んでいるが、その目の光は冷たい。


 大公家主催の夜会会場に入った途端、兄が嫌に自分を見ていたと思ったが、どうやら『恋人』ローゼの付き添いをさせたかったらしい。

 うっかりほいほい捕まってしまった自分が情けない。

 かと言って、この兄の視界に入ってしまった以上、アルトゥールには逃げることなど不可能なのだが。



 昔からそうなのだ。


 アルトゥールにはよく出来た兄がふたりいる。大公家長男のオズワルドと次男のレイナードだ。

 おかげで末の弟のアルトゥールは、これまで気楽に生きてきた。よほどのことがなければ家を継ぐことはないし、結婚して子供を残す必要も特にない。

 学生時代は存分に遊び回り、派手な女遊びで痛い思いをしたのも一度や二度ではない。

 そんな、悪友曰く『ちゃらんぽらん野郎』だったので、将来も安定した適当な仕事につければいいか程度に考えていた。


 安定といえば、国で働くのが一番である。

 さらに魅力的なことに大抵の場合は終身雇用だ。これは受け継ぐ財産がほとんどない三男坊としてはありがたかった。


 そして、彼はさほど頭の出来が良くなかったので、政務部より軍部に進路を決めた。喧嘩も剣術も得意である。軽い気持ちでの決定だった。


 軍に入るには軍部試験で合格しなければならない。

 未試験や不合格でも軍に入れるが、その場合かなり低い階級からのスタートになる。地方軍で上官にどやされるなんて、まっぴらごめんだ。なるなら多少威張り散らせる立場の方がいい。

 だが実際そのための勉強を始めて、後悔した。軍における規範、法律の類は膨大で、その全てを頭に叩き込まなければいけない。即、音を上げそうになったのを救ってくれたのは、この四つ違いの次兄だったのだ。


 レイナードとついでに居た悪友のおかげで、アルトゥールは軍務の試験に合格した。結果的にはその成績がかなり良かったので、今は帝国騎士団、つまりこの大陸の軍部で一番の花形職についている。

 そして今年、若さと能力を見込まれて第一皇子の側近に選ばれ、この栄転でアルトゥールの未来も大きく変わった。


 あの地獄のような勉強詰の日々はトラウマものだったが、おかげで現在の安定がある。アルトゥールは多分一生、この兄には逆らうことができないだろう。


「承知しました、兄上」

 レイナードの笑顔に威圧され、アルトゥールは頷く。隣にいる黒髪の美女は、切なそうな瞳で兄を見つめていた。彼はそれに優しい微笑みを返して、足早にその場を去っていく。


 そんな小芝居も完璧にこなすが、この美女の正体は男である。

 繰り返すが男である。

 しっとりとした黒髪は艶やかで、全く癖がない。ぴたりと体を包む夜会用の真紅のドレスは、折れそうなほど細いウエストから下は柔らかいマーメイドライン。デコルテを惜しみなく晒し、そのしみひとつない肌は透けるように白い。

 この会場内でおそらく一番美しい女だが、化けの皮ひとつ剥がせば、蟒蛇(うわばみ)のように酒をかっ喰らう男である。


 ついでに言うとアルトゥールと、子供の頃から散々悪さをしていたのもコイツだ。いつの間にか自分より兄の侍従のような真似事をすようになったが、今でも悪友であることは変わりない。

 兄はコイツの事を大層大切にし、女装したコイツを女避けのために公の場で連れ歩いているが、とんでもない。中身はそこらへんのチンピラとそう変わらない。

 遠ざかっていく兄の後ろ姿を見ながら、アルトゥールは思わず乾いた笑いをこぼした。


 彼女をうまく誘導しながら会場の隅に移動し、給仕から受け取った酒を渡す。ローゼは満足そうに微笑んだ。そして周囲を警戒しながら、アルトゥールは密やかな声で話す。


「相変わらず、上手く化けてるな」


「褒めてくれてありがとう」

 しっかり気を保っていないと、魅了されてしまいそうな極上の笑顔で返された。アルトゥールは苦笑する。


 淑やかに立つローゼの首元には、見事な柘榴石のネックレスがあった。これほどの石は流石に皇都でも見かけることはないだろう。さらにそれより少し小ぶりな柘榴石の耳飾り、そして左手の薬指にも同じ巧技で作られた指輪が光る。いったいどれほどの金をかけたのか、アルトゥールは目眩を覚えた。


 この落ち着いた色合いは明らかに兄の瞳の色だ。そこに何やら得体の知れない執着のような物を感じて、アルトゥールは薄寒さを覚える。

 自分がそばにいなくても、これほどレイナードの存在が誇示されている女性に、声をかける猛者はいないんじゃないかと思う。


「思っていたより子供だわ」

 ローゼがそう呟やいたので、アルトゥールもその視線を追う。その向こうには、大人たちに囲まれた一人の少年がいた。緋色のマントは皇族の証、この場で一番尊い身分のものだ。

「まだ十二歳だからな。子供だ。その割には上手くやっているがな」


「ほったらかしにしていいの?」

 責めるような目線を浴びながら、アルトゥールは妙な居心地の悪さを覚える。

「父上がついているから大丈夫だ」


 もうそろそろ初老という年齢の父は、今も少年のそばから離れない。孫のようなものなのかもしれない。

「皇位継承権の放棄を宣言したと聞いたわ。あの歳で」

 ローゼの言葉に、アルトゥールは頷く。


 少年は帝国第一皇子エアハルト・ジル・ゴルドメア。アルトゥールの主君でもある。


 彼を取り囲んでいるのは、父である大公、そして長兄とその妻。次兄のレイナードも居るが、パートナーのローゼは庶民という設定なので、皇族への挨拶には伴えない。その彼らの前に、大公国の貴族が並んで挨拶をしている。


 少年はそんな大人達に、しっかりと受け答えをしている。微笑ましいが、どこか痛々しい光景に見えるのはアルトゥールだけだろうか。


「まぁここからは内密の話だが」

 アルトゥールの言葉に、そっとローゼがその体を寄せた。

「殿下は、シュヴァルツエーデを継ぐ」

 短いその言葉に、ローゼの眉根が少しだけ動く。その名を冠する土地は、この大陸で最も豊かで、最も因縁に塗れた地だ。


「あの蝮の巣窟に?」

 声質が変わった。

「ああ。おかげさまで俺も大出世だ」

 心の底から参ったと言わんばかりのアルトゥールの言葉に、ローゼは艶っぽく笑う。

「だが、手が足りない。殿下の守り手が欲しい。…流石の俺でも寝室に侍るわけにはいかないからな。なんとかならんかな」


 グラスの酒を一口舐めた後、ローゼは冷ややかな目でアルトゥールを見上げた。

「…わたしに子供の相手をしろと?」


「いやいや、今の話ではない。殿下が成人する頃の話だ」

 慌ててアルトゥールは宥めるような口調になる。だがローゼは俯いたまま、すこし唇を尖らせた。


「……ついこの間までどっかの馬鹿ボンボンの相手させられてたのよ。おかげで恋人に疑われて、いっぱい殴られちゃったし…。もうそういう仕事はしばらくしたくないわ」

 珍しく早口で愚痴る。


「いやお前、相変わらず男の趣味が悪いな…」

 この悪友は、実はすこぶる恋愛のセンスがない。たいていろくでもない男に引っかかって、文字通り痛い目に会い、そして独身の兄の部屋でめそめそと落ち込むのだ。

「どうりで今日の兄貴はえらい過保護なんだな」


 身動きできないほど落ち込むコイツを癒すのは、いつのまにか兄レイナードの役割になっている。あの他人に対して興味が薄い兄が、コイツの面倒はしっかり見ていた。それが不思議で仕方ない。


「どうしてこうなっちゃうのかしら。毎回、会った時はもうこの人しかいない、って思うのに。最後はいつもこう」

 あまりにも湿っぽい声なので、アルトゥールは思わずその横顔を凝視する。ローゼはうっすらと瞳を潤ませて、唇を尖らせている。強気そうな見た目と真逆な、庇護心をそそるような顔だった。

「レイにも仕事を選べって怒られるし。あの馬鹿ボンボンを呼び込んだのは大公家じゃない。…わたしだって、娼婦みたいな真似事、したくないわ」


 そう言いながら拗ねたように長い黒髪を指に絡ませる。その仕草はなんともいえない色香があり、アルトゥールは非常に居心地が悪い。この仕草でさえも演技なら、もうコイツには敵わない。


「すまない。いつもお前には無理をさせる」

 ローゼは艶っぽい視線をアルトゥールに投げかける。

「だが今回は頼まれてくれ。殿下と歳の近い、性格の合いそうな子供が欲しい。男でも女でも構わないし、公私共につるめそうであれば…」


 つまらなそうに視線を逸らすローゼに、しつこくアルトゥールは語りかける。

「なぁ頼む」

「団長に話を通して」

 彼女はにべもない。


「これ以上兄貴に弱味を握られたくないんだよ。いずれバレるかもしれんが」

 現在、コイツの属す組織『蒼眼の鷹』をし切っているのは北限の国シュテレ出身の軍人だ。レイナードと共に、数年前に問題の多かったワルドの軍部をひっくり返して組織改変を行った人物でもある。彼を動かすためにはまず、レイナードに話を通さなければならない。


 ちらりとアルトゥールを見上げて、それからローゼは大きくため息をついた。その艶やかな瞳がじっとアルトゥールを見つめる。射られたような気分になり、アルトゥールは唾を飲み込む。


 実のところ、このローゼはアルトゥールの好みそのもの女だ。色の孕んだ目で見られると、ぐっと来るものがある。

 兄の女避けのために作り上げた女が、なぜ自分の好みに沿っているのか。嗜好を熟知している筈のこの悪友の真意を測りかね、だがその蒼い瞳から目を逸らすことができない。


 その唇が不意に歪む。


 アルトゥールは一瞬奇妙な悪寒を感じて、一歩だけ後退る。追うように、ローゼが一歩踏み出した。


「…チルを覚えてる? あの子、使えると思う。ちゃんと色々仕込むけど、貴族嫌いだからあなたが何とかして」


「お、おう……」


「ねぇ、レイには嫌でも、わたしに貸しを作るのは構わないの?」

 ローゼの白い手袋に隠れた手が、そっとアルトゥールの胸に触れ、艶麗な唇がゆっくりと動く。

 アルはそれを見ないようにしながら、もう一歩下がろうとする。まるで食虫花の前に立つ虫けらの気分だ。何とかしてこの場を切り抜けたい。


「最近、ラウラを呼んでいないのでしょう? ねぇ、わたしで試してみない?」


 ラウラは昔アルが気に入りそばに置いていた娘だが、騎士団に入隊してからは女遊びは控えている。それを知っているローゼが、なぜこのタイミングで自分を誘惑しているのか。アルは引き攣った顔で笑う。


 艶やかな唇でにったりと笑う彼女の背後に、地獄が見えた。


「アル、ローゼ。何を楽しそうに話しているんだい?」


 いつもと変わらぬ微笑んだ次兄の姿を認めた途端、アルトゥールは心の中で『ひぃ』っと悲鳴を上げた。



 ✖︎ ✖︎ ✖︎



 まぁ、約束は取り付けた。


 後のことは何とかなるだろう。というか、なんとかしなければならない。あの幼い主君のために。


 だが。

「もうしばらくレイナード兄上の顔は見たくないな」

 アルトゥールは会場の隅で胃の辺りを押さえながら、独りごちた。



お読みいただきありがとうございます!


作中美男美女は多いですが、いちばんの美女はこのローゼかなぁと思っております。


次回から第二部です。

よろしくお願い致します!

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