第1話 なんで肝試し?
こちらは番外編、第一部の一年後の夏です。
「今夜は肝試しに行くぜ!」
突然、チルがそう宣言した。
ここはアロイス雑貨店の小さなキッチン。今イーアは蒸していたカボチャを鍋から取り出しているところだ。
「突然なに?」
今は手が離せないので、イーアは首だけで振り向く。
イーアは今年で十四歳になった。最近ますます上背も伸び、さらに整った顔もあいまって、少し年齢よりも大人びた雰囲気がある。
だが今は料理中なので、エプロンと片手にミトンを装着した、なかなか愉快な姿である。
イーアが持ち込んだ魔導具の焜炉は、昨日の夜から仕込んでいる豚の角煮と、もう一つでは玉ねぎを炒めている途中だ。突然キッチンに飛び込んだチルには、すぐには反応してあげられない。
「だから今夜、肝試しに行くって言ってんだよ」
相手にしないイーアに憤慨した様子で、チルがずかずかと大股でこちらにきた。相変わらず男らしい言動だ。
乱雑にひとつに結えた蜂蜜色の金髪に、得意げに大きく見開いた瞳は澄んだ藍玉のよう。一見するとやんちゃな、イーアより少し年下の少年のようだが、チルはイーアの二つ上の十六歳の少女だ。
イーアは目を細めてチルを見返す。
「チル、わかってると思うけど、僕は明日の朝には帰るんだよ」
「おう、知ってら」
「だから今夜はみんなでご飯を食べようって、話をしていたじゃないか」
みんなとは雑貨店の主人のアロイス、チルとイーア、そしてイーアの護衛騎士のアルの四人だ。最近、店に住みついているルッソも加わるかもしれない。
「おう、だから肝試しに行くってんだよ」
話がループした。
イーアは首を傾げながら、玉ねぎを炒めた鍋に牛乳を加える。小麦粉で絡めた玉ねぎはしんなりとしていて、これだけでも十分美味しそうだ。そこに先程のかぼちゃを投入する。あとは蓋をして、しばらく放置だ。
そこでようやく、イーアはチルに向き合った。
「だからが分からないけど。チルは肝試しがしたいのかな?」
正面から向かい合うと、チルが少し悔しそうな顔をする。
去年、二人は初めてこの店で会った。
その時は目線の高さは少ししか違わなかったが、今はイーアの方がだいぶ高い。一年でこんなにデカくなったのかと怒られたが、この夏の間にも少し伸びた気がするのは気のせい、と言うことにしておく。
「だって、お前が帰っちまうのに! 夏の思い出が全然ないじゃん!」
「思い出」
思わずイーアは鸚鵡返しをする。
「お前、今年はずっとヴェル爺さんトコで働いてたじゃん! なんで!? 貴族なのにアルバイトする必要あんの?」
チルはちょっとだけ涙目で、びっくりするくらい必死に訴える。
ヴェル爺さんとは、港で倉庫業を営んでいる老人だ。夏の間のイーアのアルバイト先でもある。確かに今年は荷物が多く、ほぼ毎日仕事をしていた。おかげでイーアはすっかり日焼けしてしまったが。
「社会勉強だって言ったよね。それにお爺さんは今年で廃業するから、最後だし」
「それは、わかってるけど!」
チルが拗ねたような顔をした。
今年になってつくづく思うのだが、意外とチルは幼い。こんな彼女が影の組織の人間としてやっていけるのか不安になるが、アル曰く優秀とのことなので、世の中はやっぱり分からないことだらけだ。
「確かに今年は、遊びには行けなかったけど」
フォローするように言うと、チルはイーアがぎょっとするほど大きく頷いた。
去年はだいぶ大人だと思ったチルが、今年は年下のようにも思える。
「……なんで肝試し?」
「だってお前、裏の墓場怖がってたじゃん。お前がひいひい言う顔見たいしな!」
にやにやと意地が悪い顔でチルが笑う。
「……なるほど」
そうなのだ。
このアロイス雑貨店は、実は墓場の隣にある。裏庭の奥にある裏門から向こうは、墓場なのだ。
(確かに去年、怯えていたけど)
去年最初にこの店に寝泊まりした時、窓がないことを不思議に思った。店には明りとりの窓が天井近くにあるが、視線の高さに窓はない。台所には換気のため小窓はあるが、寝室は気が滅入るような壁だけの部屋だ。
チル曰く、店の明りとり窓は、深夜覗く人影があるらしい。
誰が。
数百年前の服や髪型なので、歴史の勉強になるぜ! などとチルは嘯くが。
そんな死装束に興味はない。
今年はこの店の屋根裏に寝泊まりしているイーアだが、屋根にある出窓には厚手のカーテンをつけた。イーアは幽霊を見ることはできないが、保険は大切である。
「じゃあ、チルは僕を怖がらせたいだけなんだね」
イーアがちょっとだけ青筋を立てながら言うと、チルは勝ち誇ったような顔で笑う。
「おう! ぜってー泣かせてやるからな!」
イーアは持参したマッシャーを握りしめて、チルの前に突き出した。
「いいよ。その勝負、受けてやる」
✖︎ ✖︎ ✖︎
裏の墓場が使われていたのは旧体制時代、つまり四百年以上前だと言う。
元々貴族の墓場だったので、無駄に建物が多い。遺体を安置する廟から、副葬品を保管する建物、個人をかたどった像や女神の像などがごたごた並び、さらに手入れされていないため草は伸び放題、木は育ち放題、蔦は絡まり放題である。
裏門から覗き見るだけで不気味だ。
その墓場の一番奥には、旧体制時代の名門貴族の墓だという大きな廟がある。扉は壊れ、中に入ることは可能だ。
そこには祭壇と石棺があり、そこにアルが目印を置いてきたという。
「それを持ってきた方が勝者ってわけだ」
イーアに言われるまま、マッシャーで鍋の中のかぼちゃを潰しながら楽しそうにチルが言う。
いつの間にそんな準備をしていたのやら。椅子に座るアルを睨め付けるが、涼しい顔で芋の皮を剥いている。
ちょうど帰ってきたルッソが、手際良くテーブルの上に若鶏の串焼きを並べていた。イーアはその横に大皿に盛った豚肉の煮込みを置き、さらに炙ったベーコンやらチーズが並べる。これは酒飲みのアルとアロイスの好物だ。
さらにルッソが自慢げに紙包を掲げた。
「珍しいものがあったよー」
ルッソは20代後半の痩身で、びっくりするくらいの細目が特徴の青年だ。ちゃんとこちらが見えているのだろうか。
そしてこうして向き合って話しても、別れてしばらくすると顔を思い出すことができない。そんな不思議な男だった。
「砂魚の燻製? 高かったよね」
そう言いながらテーブルに酒瓶を置くのはこの店の主人、アロイスだ。アルと同じスーデン人で年齢は40代だと言う。いつも寝起きのような爆発した頭で、無精髭もそのまま。なので、未だにイーアは彼の素顔を知らない。
「すっかりおじさん達は酒盛りだね」
イーアは呆れて嫌味っぽく言いながら、チルが格闘している鍋に塩をふりかける。
「おう、先に食ってるぜ」
悪びれもなくアルが酒瓶を掲げた。
「しかしイーアの料理がこんなにうまいとは、意外だな」
アルが角煮を頬張りながら言った。
「本当だねー。大したものだねー」
ルッソが特有の間伸びする喋り方で、同意している。彼は食事よりも延々と酒を飲むタイプなので、この二人がいると空き瓶がどんどん増えていく。
アル達にはこのメニューで十分だが、もう一品。イーアは野菜とベーコンを炒める。アルが切ってくれたじゃがいもを千切りにして入れた。
「チルに食べさせるために始めたんだけどね。最近では家でも作るんだ。おかげようやく一番下の妹にも懐いてもらえた」
「妹を飯で釣るとか、とんでもねぇ兄貴だな」
チルが呆れたように言う。
「本当にびっくりするくらい人見知りが激しいんだ。母が不在なのもあるけど」
イーアが炒めた野菜に下味をつけ、溶いた卵を流し込む。これでチルの好物のオムレツもどきが出来上がり、料理は終了だ。
「よし食べよう!」
チルは既に椅子に座り、かぼちゃのスープを啜っている。その緩んだだらしのない笑顔を見て、イーアは笑った。
「チルは黄色いものが好きだよね」
「そうそう、蜂蜜も好きだよねー。子供の頃よく舐めて、セリ婆さんに叱られてたー」
ルッソが楽しそうに言う。
どうやらルッソは、チルが子供の頃からの知り合いらしい。
「うるさいなー。あの頃はろくな飯食ってなかったんだよ」
チルはルッソを睨んでいるが、スープカップは手放さない。
そのやりとりに妙な苛立ちを感じながら、イーアは串焼きを頬張った。
「で、本当に行くの? 肝試し」
「おう、行くぜ!」
当然のようにチルが言う。
イーアは呆れた気持ちでその顔を見る。
「十一時(午後8時)になんねぇと面白くないからな。もう少し待機だ」
オムレツをつつきながらチルが言う。
それはちょうど、死者が活発になる時間だ。
「まぁいいけど。僕は幽霊見えないし」
イーアが言うと、わかりやすくチルが固まった。
自分が幽霊を見ることができる体質なのを忘れていたのか、とイーアは思う。
「どういうルール?」
「ああ、それぞれ目印を持ち帰れば良し。ビビって途中で帰ってきた方が負けになるかな」
アルが説明する。
「目印はわかりやすい?」
「ああ、ランタン持っていけばすぐわかる」
どうやら灯りの持ち込みは許可されるらしい。
「ま、まて! 別々に行ったらイーアの怯えた顔が見れねぇじゃん!」
「行く前と帰ってきた後に見ればいいだろう」
チルが慌てて言うが、イーアは肉を齧りながら淡々と答えた。
「それじゃぁ面白くないじゃんかよ!」
イーアはなぜかムキになるその顔を冷ややかに見返す。
「じゃあ、一緒に行く? 勝負の意味がないと思うけど」
チルは一瞬迷ったような顔をしたが、すぐに不敵な笑いを浮かべて了承した。
こうして二人で夜中の墓場見学に行くことになった。これに一体なんの意味があるのか、イーアは首をかしげるしかない。
お読みいただきありがとうございます!
楽しいお食事の話です!
イーアとアルはいっぱい食べます。アロイスは中年なので年相当に。チルは少食、ルッソは酒ばかり飲んでいます。
一番下の妹は、兄のお手製菓子をおっかなびっくり食べ、イーア含め上三人の兄妹はそれを見てほっこりしました。