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ファントム・ミラー  作者: ひかり
【第一部】幻視鏡をさがして
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第9話 お前、やっぱり性格悪いや

「しかし、災難だったな。あの執事」

 ビールが並々と注がれた大ジョッキを傾けながら、アルが言う。


 イーアはその向かいで焼いた豚肉に齧り付いていた。こちらはしっかり香辛料を効かせていて、おそらく酒に合うのだろう。残念ながらイーアはまだアルコールを飲める年齢ではないので、そばには果実水がある。

「災難は執事ではなく僕らだと思うけど」


 ささやかな反論はふんと笑い飛ばされた。

「肋数本やられてたらしいぞ。あのお嬢様は薬で眠っていただけらしいが」


 うげぇ……と唸ったのは、イーアの隣に座るチルだった。

「お前、すげぇ力あんのな」

 呆れたようにサラダをつついているチルは、相変わらずの少食だ。イーアは無言で自分の皿から切り分けた豚肉の香草焼きをチルのサラダに乗せた。


「う…………」

「チルはもう少し食べた方がいい。軽すぎる」


 チルは肉を忌々しそうに見下ろしながら唸った。

「いくらなんでも、俺を片手で持ち上げられるお前がおかしすぎるよ」


「まぁなぁ。本気で怒ったイーアに対峙したら、俺は負ける自信はある」

 アルが苦笑いした。

「変な自信持たないでよ、アル。それよりあの後どうなったの?」


「ああ」

 アルは手を上げて店のスタッフに合図し、空のジョッキを掲げた。いつもながらペースが早い。

「あの木の根元に埋まっていたのは、男爵の母親マルゴットだった。殺したのはあの執事、どうにもよろしくない経歴持ちだったようで、屋敷の財産に手を出していたらしい。それが当時家を取り仕切っていた彼女に露見して殺した、とのことだったな」


 それが約十年ほど前のことだという。

 殺された女性が、精霊の愛し子だったと言うことだろうか。イーアは咀嚼(そしゃく)しながら首を傾げる。


「痩せて消えて、ってもう死んでんじゃん」

 イーアの疑問を代弁するようにチルが言う。


「まぁ死んで十年も経てば、骨だけになってたからなぁ。一見やせっぽっちのがりがりだろうな」

 アルが苦笑いしながら骨つき肉を掲げ、チルは心底嫌そうな顔をした。


「精霊の認識は人間と違うから、愛し子……男爵家の血統の彼女しか見えていなかったのかもね。あまり強い精霊じゃなかったみたいだし、生きているか死んでいるかもわからなかったじゃないかな」

 イーアは話しながら、じゃがいもがいっぱい入ったキッシュに手を伸ばす。


「男爵家の祖先が、いつのことかわからないけど、あの精霊と契約を交わしていたのだと思う。それにあの鏡が関係してたのだろうね」

「……契約?」

 チルが首を傾げた。


「人間と精霊で特別な関係を結ぶこと。契約内容は色々だからわからないけど、あの精霊にはあまり力が無いから大したことでは無かったと思う。実際力が弱まっても、鏡を通してメッセージを送ることしかできなかったし」


 それも、あの精霊の力だけだったとは考えにくい。もしかしたら、アルゴットの遺骸がなんらかの力を及ぼしたのかもしれない。


 あの木の根元でイーアが最も精霊の存在を感じることができたのも、チルが見つけたアルゴットのそばだった。あの時、彼女は何かの気配を感じていたのではないだろうか。

 だが幽霊を感じられないイーアにとっては、全部憶測でしかない。


 アルが新しいビールに口をつけながら笑った。

「精霊の世界はよくわからん。イーアに関わるまで存在すら知らんかったしな」

「俺もだ。まだ信じられねぇ」

 チルも同意した。


 自分は幽霊を見ることができるくせに。

 ちょっとむっとして、イーアはチルの皿にキッシュを一切れ置く。

 これには文句がないようだ。もしかしたら好きなのかもしれない。


「マーナはどうなるの?」

「んー、どうにもあの執事が懐柔してたっぽいなぁ。今後は男爵家の立て直しも含めて、大公家が介入する。イーアは心配することはない」


 アルの言葉に、イーアとチルは顔を見合わせる。あの無邪気な少女の今後が気になっていたので、心底安心したイーアの顔を見てチルもにやりと笑った。

「良かったな、可愛い子に恩が売れたな」

「それの何がいいかわからないけど、とりあえず彼女の今後が平穏であればと思うよ」

 イーアもにっこりと笑う。


「お前、意外と性格悪いんじゃね?」

 揶揄うような面白そうなチルの言葉を、イーアはあえて無視する。


 その二人を見ていたアルが、にやにや笑いながら言う。

「おまえら、思ったよりうまくやれそうだな。チル、しばらくイーアの面倒見てやってくれ」


「はぁ!?」

 チルが顔いっぱい使って嫌そうな顔をしたが、アルはそれを見ないふりをする。

「どうせお前、やることないだろ?」

「それは……今の団長が仕事振ってくれねぇから……」


「今の?」

 拗ねたようなチルの言葉に、イーアは首を傾げる。


「ああ」

 アルは少しだけ目を窄めて、忌々しそうに言う。

「前の親方がなかなか碌でもない奴で。仕事はできるんだが、あまりにも素行が酷かったので次兄がクビにしちまった。新しい団長はチルには仕事振らないんだよな」


「それは今の俺が使えないからだからだろ」

 水色の瞳を伏せながら、むっと唇を尖らせて言うチルの顔を、イーアは思わず凝視した。なんだか幼い仕草がかわいい。


「そういうこっちゃないと思うが……まぁ、ここにいる間はイーアはお前に任せるよ、チル」

 アルはそう言うと、ひらひらと手を振って席を立つ。カウンターに座る顔見知りらしき人の方に行く。

「無責任だなぁ!」

 その後ろ姿にチルは抗議するが、返事はない。


「なぁ、お前いつまでここにいんの?」

「この夏いっぱいかな。鏡を探したり、ちょっとアルバイトっぽいこともしてみようと思っている」

 チルは顔を(しか)める。

「はあ!? …………だからルッソが来たのか」


 今日の午後、店に帰ると知らない男が一人、カウンターに座っていた。店長のアロイスだと思ったが、違うらしい。

 イーアに付いてチルが自由に動けるよう、夏の間は店番を彼がするそうだ。


「俺はこの夏子守かぁ」

 チルが悔しそうに言いながら、テーブルに突っ伏した。

 料理を少しずつ移動させながら、イーアは「子守言うな」と膨れる。


「まぁ頼りになるチルが一緒だったら安心だし、社会勉強に付き合ってくれ。」

 追加で頼んだ白身魚のフライに齧り付く。それを見たチルがうげぇと唸った。

「なんで頼む方がそんなに偉そうなんだよ」


「それに『今年は』ではないよ。来年の夏休みも来る。成人したら忙しくなるから、動ける間にしっかり世界を見ておきたい」


「へぇ……」

 チルが顔を上げ、頬杖をついてイーアを至近距離からまじまじと見る。ちょっとだけ居心地が悪くて、イーアはそっと目を逸らす。

 アルが移動した後でも、チルはイーアの隣から動かなかった。その距離の近さが、なんだかすごく気恥ずかしい。


「まぁ、お前が成人しちまったら、まるっきり違う世界の人間だもんな」

 チルはふっと鼻で笑う。

「……その前に、いっぱい遊んどかないとな」


「違う世界にはならないよ。ここはここ。同じ場所だしいつでも遊べる。だけどやっぱり、そんな事言われても信じられないよね」

 すでにイーアの心の中では、チルとは一生の友達でたい、そうなるように頑張ろうと心に決めている。

 だってこんなに表情がころころ変わって元気いっぱいで、一旦仲良くなってしまうととことん懐いてくれるなんて、楽しすぎやしないか。


 チルは何も言わずに、ちょっとだけ唇を尖らせている。

 その鼻先にイーアが無造作に手を突き出すと、チルは首を傾げたまま素直に掌を広げた。


「だから、えーっと。これ。預かってて」 


 転がり落ちた宝石を見て、驚いたようにチルが目を見開いた。続いて細かな銀の鎖が流れるように落ちる。


「約束の証、僕がチルとの約束を果たせる時まで、持っていて」


 それは、小ぶりだが見事な紫水晶(アメジスト)のネックレスだった。深い紫の輝きは、酒場の薄暗い灯の下でも息を呑むほど美しい。シンプルな菱形で、銀の鎖を繋ぐ冠以外なんの装飾もない。

 それが一層この宝石の美しさを際立たせていた。


「すげぇ……きれいだな……」

 宝石を見つめるチルからこぼれた感想は、心の底からのものだろう。彼女の藍玉(アクアマリン)の瞳がきらきらと輝いていて、この紫水晶(アメジスト)よりずっと綺麗だとイーアは思った。


「うん、『ジルの瞳』って言う宝石。すごく大切なもので、僕の母から受け継いだものなんだ」

「お前……そういうの普通自分の嫁さんにやるもんだろ」

 チルが慌てたように言うので、イーアはわざとらしく頷いた。


「だから、それまでに僕は約束を果たさないとね」

 呆れたようにチルがこちらを見ているが、イーアは素知らぬふりで笑う。

「子供は子供らしく成長できるような帝国にする。今より、もっともっと」

「大きく出たなぁ……」

「本当だ。どうしよう。僕は一生結婚できないかも」


 イーアのわざとらしい言い方に、チルはますます呆れたように半眼になった。だがすぐに、くすくすと楽しそうに笑う。その笑顔につられてイーアも少し笑う。


「お前、やっぱり性格悪いや」

「そうかな」


 楽しそうに笑っていたチルの瞳に、やがてうっすらと涙の膜がはる。瞬きひとつ、すっと一筋涙が溢れた。

 そして柔らかい笑顔のまま、その宝石をじっと見ている。そして拳を握ってそれを自分の額に当てた。


「イーア、ありがとう。俺も約束する。お前は俺の友達だから何があっても味方でいてやるよ」


 その言葉を聞いて、イーアは少し目を見開く。

 顔を合わせるとチルはにかっと笑った。その笑顔を見るだけで、イーアの胸がほこほこと温かくなる。


「ありがとう」


 ふんわりと微笑んだイーアの顔を見て、チルがはっとしたような顔をして、その後すぐ少し気まずそうに顔を逸らした。

 せっかく友達になれたのに、すぐにそれは寂しい。イーアがチルの名前を呼びながら顔を覗き込もうとすると、

「お前近い! 距離感おかしい!」

 とぎゃんぎゃんと怒り出すので、イーアは納得いかない。


 だけど、こんなふうに戯れあう時間が続くのは嬉しい。

 だってまだ夏は始まったばかりだ。

 これからいっぱい、喧嘩をしたり感謝したり、泣いたり怒ったりしたい。

 イーアはそれが楽しみで、声を出して笑った。



お読みいただき、ありがとうございました。

第一部はここまでです。

次から番外編の『宵闇に蠢くもの』が始まりますが、その前にちょっとだけ登場人物紹介を挟みます。


イーアはものすごーく食べるので、チルは見ているだけで胸焼けがしてしまいます…。

でも食べ終わるまで一緒にいてくれるので、イーアはいつもありがたいなぁと思っています。

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