【プロローグ】
初夏らしい爽やかな風が、彼の頬を静かに撫で、長く伸ばしている銀の髪を揺らした。
彼はふと顔を上げ、窓の外を見る。
開け放した窓からは、ちょうど見頃を迎えた芍薬の庭が見える。色とりどりの大ぶりの花が風に揺れて、まるで波打つようにざわめいていた。
彼は大きなベッドに腰掛けて、少しの間それを眺め、そしてそっと囁く。
「……君の好きな季節になったよ」
寝台では彼の妻が、硬く瞼を閉ざして眠り続けている。彼女の明るい鳶色の髪がふわりと揺れた。
彼はそっと手を伸ばし、彼女の頬に触れる。
赤みがかかった頬は柔らかく、あたたかい。今にも目を開いて、満面の笑顔を彼に向けてくれそうなのに。
控えめなノックの音がして、彼は顔を上げる。
部屋の入り口に驚いた顔の少年が一人、立っていた。
「父上、こちらにいらしたのですね」
少年は彼の顔を見ると嬉しそうに目を見開き、彼のそばに駆け寄る。
「やぁ」
彼がそっと笑いかけると、僅かに頬を緩ませるこの少年は彼の息子。確か今年で十三歳になるはず。
少年はしっかりと彼を見上げながら、きらきらとした目で宣言した。
「明日の朝、出発します。今年も未熟ですが、父上の名代、努めてまいります」
「挨拶は昨日しただろう? ここでは私たちはただの父と息子なのだから……。行ってきます、だけでいいのだよ」
彼が穏やかに言うと、少年はますます嬉しそうに顔を緩める。
「はい。母上にもご挨拶しますね!」
少年は照れくさそうにそう言い、母の枕元で何かを話す。しばらくそうした後、ぱっとこちらをみた。
「母上、今日はご機嫌ですね。父上がいるからかな?」
無邪気なその言葉に、彼は心臓を鷲掴みされたような気がした。
そんなはずはない。
妻は今時が止まったような状態だ。感情の機微などあるはずない。
だが。
「行ってきます。父上」
少年は晴れやかな顔でそう言う。
ああ、まるで太陽のようだと彼は思う。
憧れてやまないのに、身を焦がす凶暴さを秘めている光。
規律正しく礼をし、去っていく後ろ姿を見送りながら、彼はそっと息を吐いた。
◾️ ◾️ ◾️
その昔、人の世はこの地上から消えつつあったという。
滅びゆく人々は天上の楽園にいる、女神たちに祈りを捧げた。
どうか、お救いください。
どうか、我らをお導きください。
人を哀れに思った金の女神が答えた。
『かわいそうな人の子よ。どうか顔を上げて』
黄金の女神は五人の姉妹と共に、地上に降り立つ。
『あなたたちに手を貸しましょう。あなたたちを導きましょう。
わたくしたちがあなたたち人の子に求めるのは、愛だけ。愛だけをわたくしたちに捧げなさい』
わたくしたちを、愛しなさい。
それ以外はなにも見返りを求めないから。
それだけで、千年万年、星がひとめぐりするまでも、あなたたちを守ると約束するから。
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらで初投稿!
どうなるのだろうと緊張しております。
これから、よろしくお願い致します!