あなたの一番になりたくて
高校受験を控えた中学三年の夏。部活も引退して、多くの生徒が受験一色だった。
もうじきやってくる期末試験に教室の中からいつもの気楽な空気が追いやられている。いつもだったら漫画を読んでいるものも、その手に開いているのは参考書だったり。
「壱川は今度のテストもまた一位とるのか? 一年生のときからずっとだもんな」
「ずりーよなぁ。成績でもトップ、サッカー部でもエース、おまけにイケメン。おまえはなんでも一番だな」
「まあな」
「くっそ、まったく謙遜しないな。でもまあ身長は……、ある意味一番か」
そういって友人たちがオレを見下ろしてくる。
「身長はしょうがねーだろ。がんばってもどうにもならないんだから」
「怒るなって、もしかしたら高校にいったら伸びるかもだろ」
「……それじゃ、遅いんだよ」
きこえるともなしにつぶやく。もう時間が残されていなかった。思い浮かべたのは二人の幼馴染の顔だった。
沈み込みそうになる思考をぶった切ったのは一人の女子の声。
「あんた今度の期末テストで勝負よ!」
クラスメイトの二宮がこちらに人差し指をつきつけている。
「勝負って、勝ち負けを競ってどうするんだよ」
「わたしが勝ったらいい加減にあんたの志望校を教えなさいよ」
「なんで?」
「いいから、約束だからね!」
一方的にそう言い放つと立ち去る。こんなやりとりもこのクラスでは恒例行事になっていた。何かと理由をつけては勝負を挑んできている。
「二宮は相変わらずだなぁ。でも、卒業までには勝って欲しい」
「なんでだよ、そこはオレを応援しろよ」
「だってあいつが勝つのに賭けてるし」
「ひでえ」
そういって顔をしかめると、けらけらと軽い笑い声がかえってくる。
日曜日。テストに備えて勉強しているとメッセージが届く。幼馴染の沢村からだった。
『今マックにいるんだけど、友達より早くきちゃったから来て~』
どういう理由だと思った。この日は部活の友達と遊ぶ予定だった。それなのにこいつの暇つぶしにつきあえとか―――
「お、来た来た。こっちだよ~」
―――来てしまった。
「朝早くからごめんね~」
「ほんとだよ。いきなり呼び出すとか」
時刻は9時半、沢村の座るテーブルにはハンバーガーの包み紙と空になったドリンクの容器が置かれていた。スカートから伸びた足をぷらぷらと動かしている。
「どうせ暇だったんでしょ」
「決め付けるなよ。このあとデートだ」
「え、うそっ! 誰と!?」
「嘘だよ」
「だと思った」
待ち合わせがあるのは本当で昼から部活の友達と遊ぶ予定だった。
とりあえず自分も何か買おうとレジに向かう。こんな用事で呼びつけたんだからおごらせようとしたが、オレがおごらされていた。
「もう食べちゃったからあんたに合わせて食べてあげるわよ。あー、またダイエットしなくちゃなー」
昔からこうだった。ここで何かを言い返そうものなら10倍になって返ってくる。もう一人の幼馴染もしょうがないなといった感じでこいつに振り回されていた。
その後は適当にだべって、沢村は時間だといって別れた。なにやってんだろうなと思いながら、今度はオレが時間を潰すあてを探さないといけなかった。
今の時刻は11時前。あと一時間で約束の時間だ。友人達との集合場所は駅前だったので適当にぶらつく。
「お?」
気づいたのはお互いに同時。もう一人の幼馴染の花井だった。特にこれといったあいさつもなく話し始める。
「オレはこれから部活の連中と遊ぶ予定。花井は?」
「ボクも友達と」
会話の内容はお互いのクラスのこと。昔はオレと花井、沢村でどこに行くにも三人一緒だった。
「そういえば、朝に急に沢村のやつに呼び出されてさ」
「あ、それボクにもかかってきた」
「なんだよ。おまえも来ればよかったのに」
喋ってる間に時間が経っていく。別れ際、花井はにこにこと笑いながら手を振っていた。その笑顔は昔と変わらなかった。
集合場所に向かうとみんなは既に集まっていた。おーいと手をふると向こうも振り返してくる。
バスに乗って向かった先はラウワンで、スポッチャとかカラオケをしてみんなではしゃいで帰りはくたくたになった。楽しかった時間は終わり、帰りのバスで明日からのことに意識が向く。
「なー、今度のテストだけどさ」
「おい、やめろ」
今回の集まりはテスト前の気晴らしという名目だった。
「オレは全然いいぞ」
「おまえはいいよな学年一位」
「おまえだって、もう少し上をねらえるだろ」
こいつには部活中もその機転によって助けられた。頭はいいはずなのだが。
「いいんだよ。オレが一番になるよりもがんばってるやつを見ていられる場所にいるのが好きなんだよ」
変なヤツだった。
「それよりも、おまえら好きな女子はいるのか?」
急にふられた恋バナに他の連中も乗っかる。うちのクラスで一番かわいい女子とか、別クラスの女子の話がでる。
「おまえ、B組の沢村とはどうなんよ?」
「え? なんでだよ」
急にあいつの名前がでてどきりとする。
「だって別クラスだっていうのにすげー仲よさそうにしてるじゃん」
「あれはそういうのじゃないから。ただの小学校からのつきあい」
「ふーん、まあ沢村はないか。生徒会長やってたし、真面目そうだもんな」
何気ないその一言が胸に残った。
「いやあいつは全然真面目じゃないし。小学校が同じやつなら知ってるはずだ」
「うわでたよ。幼馴染アピール」
そんな感じで遊び終えたあとはテストに向かって一直線だった。
テスト当日は教室もぴりぴりしていた。眠そうにしているやつ、教科書を開いて確認しているやつ。こっちをにらむ二宮。
三日後の昼休み。テスト結果が発表されるとすぐに見に行った。
渡り廊下には多くの生徒の姿があった。立ち並ぶ頭の隙間からのぞこうとするが中々見ることができない。
こういうときほど自分の低身長がうらめしい。仕方がなく前が空くのを待つことにした。
すぐ近くには二宮の姿もある。こいつもオレに負けず劣らずの低身長だった。初めて彼女を見たときその背丈に共感して思わず「小っさ」と言ってしまった。それ以来、目の敵にされている。
前が空くとすぐさま順位表を左から見ていく。
「おっしゃ」
「なんか今回はやけにうれしそうだな。見慣れてるせいでオレは何も感じないんだけど」
友人の順位は50位。視線を左にずらすとオレの名前の隣に二宮の名前があった。視線をさらにずらすと悔しそうにこっちをにらみつけてくる二宮の顔が見えた。きっとこのあとお決まりのセリフが出るんだろうな。
「次こそ勝つからみてなさいよ!」
それだけ言うと大またで立ち去っていく姿を見送った。
「がんばるねぇ、でも、あとチャンスは夏休み明けの実力テストぐらいだよな。そしたらもう卒業もすぐかぁ」
「そうだな、チャンスはもうないよな」
そう、今年の夏休みが最後だ。
夏祭り。久しぶりに幼馴染三人で集まる予定だった。チャイムが鳴らされ玄関を開けると、そこには見慣れた二人がいた。
昔と同じ光景。家が隣同士の花井と沢村が一緒にオレを迎えに来る。
「沢村は浴衣か。見慣れない格好してるから誰かと思った」
「なによ、着付けだってがんばって自分で覚えたんだから」
「昔は暴れて気崩したもんなぁ。これで安心だ」
少し前は明るい色の着物だったはずなのに、今日は落ち着いた色の着物だった。隣を歩く横顔を見ると大人びて見えた。
祭りの会場につくと、どれにしようかと沢村がはしゃぎだす。とりあえず一旦落ち着けと頭を冷やさせることにした。
「二人ともお疲れ様。壱川くんはサッカー部、沢村さんは生徒会」
カキ氷が盛られたカップを乾杯とぶつける。赤と黄と青の色違い。食べ終わるとそれぞれ舌を見せ合って笑いあった。これもいつものやりとり。
「あとは卒業するだけか」
「なに全部終わったみたいな顔してるのよ。まだ高校入試があるでしょ」
「そういうおまえは大丈夫なのか?」
「いや、まあ、うん、ギリギリオッケーって担任の先生にもいってもらえたし。とにかく今日はめんどうなことは忘れて楽しむわよ」
三人で夏祭りの会場を歩いていると、沢村が痛そうに顔をしかめていた。見ると下駄を引っ掛けている指の間が赤くなっていた。
「はきなれない下駄なんて履くから」
「だって浴衣にスニーカーなんておかしいじゃない」
「しかたねえな、オレがおぶってやろうか? もうすぐ花火の時間だろ」
「いやよ恥ずかしい。それにあんたの背の高さじゃおぶっても足が地面にこすれちゃうじゃない」
こいつには小学校で差をつけられたきり、背の高さで追い越すことができなかった。
「大丈夫だよ。ほら、これ」
片足で立っている沢村に花井が絆創膏を差し出す。
「よく絆創膏なんて持ってたな」
「昔から二人ともよくケガしてたからね」
「小さい頃の話だろ」
「花井は昔から優しかったよね。壱川とケンカしたときとかも仲直りの手伝いしてくれたり」
「あれはオレは悪くなかっただろ」
「蒸し返さないでよ。まったくもう、いつまでたっても子供なんだから」
絆創膏を受け取ると沢村はありがとうと笑顔を返す。花井は気にしないでと手を振っていた。昔からこうだった。花井はオレが気がつけないことをできていた。
沢村の足の具合を確かめるとまた三人で歩き出す。
「でも、三人でこうして遊べるのも最後なんだろうね。寂しいね」
「そんなことないだろ。遠くに引っ越すわけじゃないし。高校だって近場なんだろ」
クラスは三人とも見事に別のクラスにばらけていた。中学に入ってからは三人だけで会うことは少なくなっていた。疎遠になったというわけではなかったけれど距離はできていた。オレはサッカー部の連中、沢村は生徒会、花井はクラスの友達。お互いに知らないことが増えていく。
「それよそれ。あんた、志望校まだ決めてないらしいじゃない。先生がぼやいていたわよ。学年でまだ志望校決めてないのはあんたと二宮さんだけだって。学年一位と二位の志望校が決まってないとか、あたしにまでなんとかしてくれって頼んでくるんだから、元生徒会長だからっていってもさぁ」
「いいだろ、ちゃんと勉強はしてるんだから」
「悩むことなんてないじゃない。あんたの成績なら推薦だってもらえるんだから」
「まあまあ、壱川くんに決めさせようよ。大事なことなんだから」
「そう? 花井がそういうなら」
さっきまで怒っていたのに花井がとりなすと、途端に矛をおさめる。いつからか三人の間でこの関係ができていた。
「沢村さんも生徒会長してたし、推薦の話はこなかったの?」
「あたしはいいの。無理にレベルの高いとこにいっても合わないだろうし、家からも近くて通いやすいし」
「そうだよな、オレもそっちにするかな~。また三人一緒になれるし」
おどけたようにいうと、沢村が真面目な顔をする。
「そんな理由で決めないでよ。あれだけ勉強も部活もがんばってたのは何のためだったのよ」
「それは……」
いいかけたまま、ちらりと沢村の方をみる。奇妙な沈黙が続くと、唐突に花井が声をあげる。視線の先には花井のクラスの人間がいた。
「ごめん、ちょっと話してくるから。先いってて」
手で謝ると離れていった。
「どうしよっか、このまま待っとく?」
「もどってくるまでその辺ぶらついていようぜ。待ち合わせならスマホでできるだろ」
「そうだね。ちゃんと花火の時間までには戻ってくるよね」
二人きりで祭りの会場を歩く。沢村はここにはいない花井のことを話題に出してくる。
「そういえばさ、よかったの? あたしら二人と一緒に来て」
「なんだよ、急に」
「いやさ、あんた彼女とかいないのかってこと。この前も告白されたんでしょ」
「いねーよ。断ってる」
「そうなの? もったいないな~。せっかくのモテ期だっていうのに。わたしのクラスの女子の間でもあんたのことがよく話に出てくるよ」
からかうようにいってくる。いつもどおりのやりとり。
「だって、オレ好きなやついるし」
「え!? ほんと? 教えなさいよ。協力するからさ」
そこに花火の時間をつげるアナウンスが流れる。
「そろそろか、花井は間に合うかな」
返事をするようにメッセージの通知音が沢村のスマホから鳴り、少し遅れてオレのポケットからも聞こえた。
「あ、花井からだ。遅れるから先に向かっててだってさ」
残念そうに画面を見ている。
「そっか、じゃあ行くか」
向かうのはいつもの場所。祭りの会場の近くにある低い丘に上ると花火がよく見える。三人だけが知っているとっておきの花火ポイントだった。
祭りの喧騒を遠くに聞きながら、二人分の足音だけが目立つ。きっと話すならここだと思った。
「さっきのオレの恋愛に協力するって話だけどさ、本当か?」
「え、うん。これでも生徒会に顔はきくんだから色々伝手はあるのよ。もしも、後輩が相手でもまかせなさい」
さっき送られてきたメッセージの内容は、オレと沢村では違っていた。三人のメッセージグループとは違うオレと花井だけのやりとり。
『がんばりなよ。二人はお似合いだから』
オレの気持ちはとっくにばれていたらしい。
『いいのか?』
それならオレだった知っている。花井の気持ちを。
『うん』
返事はそれだけだった。
立ち止まると沢村も足を止める。
「じゃあ、いうからな」
「う、うん」
体を正面から向け、緊張した顔の沢村の前で一呼吸おいてからはっきり口にした。
「おまえだよ」
「へ……、あ、あたし?」
驚いたあと目を白黒させる。
「ちょっと、変なこといわないでよ」
「からかってなんかいない。ずっと前から、小学生の頃から好き、だったんだ」
最初に自覚したときのことを覚えている。小学4年生のときのこと。きっかけはなんてことのないもの。そこから始めた。
こいつが振り向いてオレを意識するように。こいつのまわりにいる誰よりもすごいやつになろうとした。一番を目指し続けた。
「今日の着物似合ってるし、すげーかわいいと思った」
「え、え……」
「オレと付き合ってくれ」
真正面から沢村の顔を見上げた。今度こそ届かせたい。
「でも、でも……」
「オレなんかじゃダメなのか?」
「そんなわけない。壱川はすごくがんばってた。勉強嫌いだったはずなのにいきなりテストでいい点とりだして、中学校からは部活でも活躍してて。だから、わたしもがんばろうと思ったんだ」
知っている。本当は人前に立つのが苦手だったはずなのに生徒会に立候補した。
立候補演説の練習に何度も付き合わされた。
こいつもがんばっていた。
だけど、それは誰のために?
「壱川のことは尊敬してるし、一番の友達だと思ってる。でも―――」
もうとっくに知っていた。同じだったから。その人の一番になりたい気持ちに気づいていた。
「なーんてな」
「え……?」
「冗談だよ。そんなんで恋バナでからかってくるとか十年早いんだよ」
「な、なによ……。変な風に驚かせないでよ」
スマホを取り出して素早く打ち込む。
『次はおまえの番だ。沢村は待っている』
返事は見ない。
「花井はもうすぐ来るってさ。オレは買い忘れたものがあるから、遅れていくよ」
「え、いまから? もうすぐ始まるから後にしなさいよ」
「だめだ。花火にたこ焼きははずせないだろ。んじゃ!」
あーあ、結局あいつには勝てなかったらしい。
言い訳のためだったけれどたこ焼きの屋台に向かった。店のおっちゃんが変な顔でこちらを見ている。
「どうした、坊主?」
「……ソースの匂いが目に染みちゃったみたいでさ」
たこ焼きを持ってうろつきながら戻る頃合を見計らっていた。今ごろあの二人はどうしてるだろうと想像してしまうと、その足はどうしても祭りの場所を離れて人のいないほうに向いた。
喧騒から離れた暗い場所でひとり空を見上げる。花火の一発目があがる。それを一人きりでぼんやり眺めた。
「あーあ、だめだったなぁ……」
ため息をついていると、不意に後ろから足音が聞こえた。
「なにやってんの、こんなとこで?」
振り向くと、そこにいたのはクラスメイトの二宮だった。塾の帰りらしく参考書でふくれたリュックを背負っている。
「いや、まあ、祭りで買ったたこ焼きくおうかと思ってさ」
「祭りに参加なんて余裕ね。わたしは夏期講習でかなりレベルアップしたわ。この前の全国模試もいい点とれたし」
なんでこいつはこんなにがんばれるのだろうか。
「そんなに張り詰めてると、一番になれなかった時がつらいぞ」
「なれないときのことなんて知らないわ。わたしがやると決めたからやる! なれたらうれしい、なれなかったら悔しい、それだけよ!」
「……そうかい。じゃあ、がんばるおまえにご褒美だ。たこ焼き、食うか?」
「え? あ、うん、いいの?」
「冷めてるけど、口はつけてないからな」
それから、集合場所に向かって一人で暗い道を進んでいく。花火がぽん、ぽん、と散発的に上っていく。やがて二人の影が見えた。花火に照らされた幼馴染の頬は赤らんでいて、その口元はうれしそうにほころんでいた。
「よっ、またせたな」
「お、おそいわよ。というか、結局手ぶらじゃないの」
「たこ焼き屋が混んでてさ。間に合いそうもないから急いで戻ってきたんだよ」
幼馴染から親友に視線を移すと、親友は少し気まずそうにこちらを視線を返してきた。
「がんばったな、花井」
そういって精一杯笑ってみせる。親指をたててサムズアップした。花井もうなずいてから同じようにサムズアップしてきた。オレと花井のやりとりを沢村は不思議そうに見ていた。
それから三人で並んで花火をみた。ポンと最後の花火が打ちあがった。
夏休み明けの実力テスト。順位表がはりだされたらしいが見に行く気がしない。
「どうしたんだ、いつもなら一番に見に行くのに」
「じゃあ、代わりに見てきてくれよ」
気のない返事をするがこういうのは自分で見てくるものだと友人に連れて行かれる。
順位表の前には驚いた顔の二宮がいた。
「やった……とうとう一位になったわ!」
「おめでとう。夏休みもがんばってたからね」
「そうよ、あいつは夏祭りになんかいって気を抜いてるからこうなるのよ」
「え、何で知ってるの?」
「そ、それは……なんでもいいでしょ。それよりもあいつの順位はどこ?」
二宮はとなりの女子と一緒に探し始める。
もちろん二位にもオレの名前はなくて、ずっと見ていっても100位まで見てもなかった。
「おかしいわね。まさかテストを受けなかったとか? わたしに負けるのが怖くて逃げ出した?」
「ちげーよ」
声をかけると、途端に二宮が詰め寄ってくる。
「順位なら130番だ」
「なんでそんなに低いのよ? さては名前を書き忘れたわね」
「いや……、まあそんなところだ。夏休みで気が抜けてたみたいだな」
それからというものオレはあまりぱっとしなくなった。何事にもやる気が出ない。部活も引退してなかったらさぼっていただろう。
このまま卒業するのかと思っていたら、二宮がまた勝負をしかけてきた。
「なんだよ? もう勝負ならついたからいいだろ。せっかくならもっと楽にやろうぜ。もうすぐ中学も卒業なんだし」
「……そんなんじゃ、やだ」
顔をふせながら彼女は拳をぎゅっとにぎる。
「そんなこといわれてもな。これがオレの本当の実力だったんだよ」
「そんなわけない!」
急にだした大声に教室がざわめく。
「あんたはいつも自信満々でなんでもないって感じで一位をとってて、ほんと気に食わないやつだった」
「いきなりそれは傷つくな……」
「でも、そういうあんただから楽しかった。あんたがそんなんじゃやる気が出ないのよ! わたしはあんたからもらったやる気じゃないとだめなのよ。だから、元のあんたに戻りなさいよ!」
そういって指をつきつけた二宮は目を真っ赤にして泣いていた。返答に困っていると、だっと教室を飛び出していった。教室には奇妙な沈黙が残された。
「あー、その、なんだろうな。オレってあいつに嫌われてたみたい」
なるべく気楽に聞こえる声を出して空気を変えようした。
「アホ」
ポコンと頭をはたかれた。振り向くと友人が呆れた顔をしていた。
「割とみんなおまえのこと心配してるんだからな。二宮も同じはずだ」
それから、二宮に心配かけたことを謝ると。また次のテストで勝負しろといわれた。周りにも心配をかけていたようだし「今度は本気でやる」と言うとうれしそうに笑っていた。
それから一ヵ月後。職員室で担任に進路調査票を提出した。
「やっと、志望校決めてくれたか! よかったよかった。おまえなら間違いなく合格だ! あとは二宮かぁ……」
まゆにしわをよせてつぶやく担任に会釈をして外に出る。
教室に戻ってクラスメイトと談笑していると、二宮が声を大きくしながら宣言してきた。
「壱川、今度の小テストで勝負よ!」
もはや恒例行事としてクラスの人間には見られているのだろう。
「塾の特別講習でばっちり詰め込んできたんだから。絶対に負けないわ! だから、勝ったら志望校教えなさい」
「オレの志望校なら中央高だ。さっき先生にも言ってきた」
「へ……? なんでいきなり教えるのよ」
「いや、約束だろ。負けたら教えるって。この前のテスト負けてたし」
「む、まあいいわ。偶然ね、わたしもそこに行くつもりよ。高校でもアンタに勝って一位になってみせるから!」
「高校いってもオレが一位とは限らないだろ」
「絶対そうよ。あんただったら間違いないから」
二宮は頭がいいはずなのに、あまり深く考えずにぽんぽん思ったことを口にする。それにしても、いつでも元気だな。
「なあ、おまえはなんでそんなに一位にこだわるんだ?」
「それは……あんたの悔しがる顔が見たいからよ。それだけだから」
そういうとさっと自分の席に戻って参考書を開き始める。
「なあ、オレはなんであんなに目の敵にされてるんだ。やっぱ嫌われてるんじゃないのか?」
「いや、わかんないのか?」
「う~ん、あれだけ負けず嫌いなら、しょうがないか」
「おまえさあ……」
友人が呆れたようにため息をついていた。
「二宮が勝てるのに賭けてるんだけどなぁ。でも、手を貸したらやっぱルール違反だろうし、うーん」
「学年二位のあいつに勉強おしえることなんてあるのか?」
「だから、ちがうっていうのに……まったく」
そういってまたため息をはいた。
中学を卒業してからも沢村や花井とのつながりは続いていた。二人の恋人関係は続いているようだがときどきケンカもするようで、沢村からは恋愛相談を受けたりもした。
なんとなくこのまま結婚するような気がした。結婚式では二人の恥ずかしいエピソードを暴露してやろうと思った。
オレの方はというと問題なく志望校に合格した。二宮も宣言どおりに同じ高校に通っている。
あんなことを言われた手前、一位をとらないとダサいと思って頑張っている。
「壱川、今度も勝負よ!」
はいはいと頷いていると、隣で友人が楽しそうにオレたちのやりとりを眺めている。なんでおまえまで同じ高校にいるんだよ?