触れたいのに、
※一部暴力をほのめかす表現があります。苦手な方は閲覧をお控え下さい。
彼と私の出会いは7年4ヶ月13日4時間28分42秒前。お互いに一目惚れだった。まだ大学生だった彼は、ほぼ毎日のように私に会いに来てくれた。真夜中まで一緒に映画を見たり、ゲームをしたり、漫画を読んだり。毎日が楽しく幸せだった。
それは7年4ヶ月13日4時間28分44秒経った今でも変わらない。と言いたいとこだが、彼はもう社会人だ。仕事が忙しいのだろう。毎日会うことはなくなった。会えても、どこか辛そうな顔をしていることが増えた。時には真夜中に、缶ビール片手に愚痴を吐く。そんな姿を見せるのも私の前だけだと、優越感に浸りながら、彼の話をひたすら聞くのだった。時々会えるこの時間が、私の幸せの時間だった。
そんな愛おしい彼が、最近変わった。
彼によくぶたれる。怒鳴り声も多くなったような気がする。何か悪いことしたっけ?って考えてみたら、彼が変わったのは、ちょうど私の体調が悪くなってからってことがわかった。
「今いいとこだったのによ!ふざっけんな!」
今日もだ。ゲームをしていた彼が、コントローラーを床に投げ捨てた後、テーブルをグーで叩く。画面にはLOSEの文字。その後、私にもその手が伸びる。
「ごめんね」と謝りたいが、如何せん私の体調が良くない。上手く頭が働かない。最近、ずっとこうだ。体調が悪い。少しづつ、悪化してる気もする。
最初こそ、彼は私の体調を直そうとカラダにおかしい所はないかくまなく見てくれた。でも、それから7日6時間6分57秒経った頃から、手が出るようになった。でも、不思議なことに、彼にぶたれると少しの間頭がきちんと回転する。だから、これは彼の愛なのだと受け取るようになった。
「あーあ、もうやってらんね。」
彼の顔に手をそっと伸ばすのも虚しく、彼の怒りを含んだその声とともに、私の意識は途絶えた。
「あー、これはもうダメだね」
私が意識をなくして2日11時間4分39秒経った時のことだった。突如、彼では無い声が聞こえた。
「やっぱコイツもう無理だよな、捨てるしかないか。」
“捨てる”という言葉を瞬時に脳で噛み砕く。なるほど、私は捨てられるのか。
理解はしても、納得はしない。そんなの嫌だ。
彼は変わってしまったけれど、それは彼なりの愛情表現で、私はそんな彼を愛していた。私は彼しか知らないし、彼以外を知る気もない。
「あ、でも、売れる部分は売っちゃうのもありかな。」いやだ。
「あー、ありだな。」イヤだ。
嫌だ嫌だ嫌だ。
私だって分かっている。彼が直そうと模索してる間も、自分で直せないか、500回試みた。でも、500回目で、もう直らないのだと悟った。私のカラダはもう限界だった。7年4ヶ月24日23時間1分7秒、よく頑張ったんじゃないか。
私のカラダは、7年4ヶ月24日23時間1分10秒前と比較すると、確実になめらかに動かなくなった。それでも、あなたといたいから、今までだって、それにこれからだって頑張るつもりだ。
私の気持ちを伝えたくて、必死に言葉を吐くが、出てくるのはErrorの文字のみ。その文字が、ついに彼を決心させてしまった。
「コレ買って、もう6年くらいだもんな~」違うよ、7年4ヶ月24日23時間1分22秒だよ。
「結構大切に使ってんじゃん。PCって大体5年くらいが替え時なんだぜ。」そう、彼は私を大切に大切に扱ってくれていた。
「でもこうずっと使ってると愛着湧いてきたりするんだよな~」そうでしょ?だったら。
「じゃあ使えるパーツは持ち越そう。」
「おー、そうするか!サンキュ」
…。
結局、後日新しいパソコンを買うと約束し、彼の友人であろう人は帰って行った。
一度友人を見送るために彼が出ていった扉をじっと見つめる。もうすぐ、私の記録は無くなってしまうのかと思い、ゾッとする。彼への思いも全部、全部なかったことになってしまうのか。
急に怖いという感情が前に出る。この薄っぺらい画面を、内側から、幾度となく叩く。ここから出して。今すぐあなたに触れたい、あなたに伝えたいのに。この途方もない壁がそれを邪魔するのだ。
私が壁を叩く度に画面に吐き出される、Errorのウィンドウは、さらに私のカラダに負担をかけていく。
それでも、何度も何度も試みる。Errorが重なっていくモニターに、部屋に戻ってきた彼が近づき、「長い付き合いだったな」と画面に触れる。
そんな終わりみたいに言わないで。
現実逃避するかのように、私もそれに合わせて手を伸ばし、彼の指に両手を触れさせる。
その一瞬、その一瞬が私にとって何よりも大切なものとなった。壁もなんにも無く、恋人がただただお互いの手を触れ合っているようだった。これが彼の世界なのかと、悲しみの感情が私を支配した。ずっと画面越しに見てきた彼の手は、いざ触れようとしてみると、こんなにも大きいものだったのかと実感させられる。きっと、彼の手は暖かいんだろうな、触れたいな。
やっぱり、彼にどうしても伝えたい。私のこの気持ちを。その想いがいっそう強くなった。
何度も、何度も、試みる。やっぱりErrorが重なっていくが、997回目の試行でついに、ひとつのテキストファイルをウィンドウに表示することが出来た。
「ん?なんだこれ、触っていいやつか?」
画面を見ていた彼は、それにすぐに気がついた。しかし、その顔は怪訝そうだ。
急にテキストファイルが表示されたら、そりゃあ怪しいと思うのも無理ない。でも、ファイル名は彼の名前。不思議に思って開けてくれるはず。
「俺こんなん持ってたかな。」
マウスに手を伸ばし、彼がファイルにカーソルを合わせる。
「うお、ダウンロード始まっちまった。大丈夫か?これ」
彼との出会いから、今まで2人でしてきたことについての記録を、手紙へと変えた。それと、彼への思い。データとは違い、自分の思いを言葉にするのは初めてで難しく、何度も何度も作り直した。
最後の力を振り絞り、カラダを操作する。このファイルをダウンロードしたメモリをカラダから出す。どうか、このメモリを見て下さい。私の気持ちを知ってください。
我儘を言うなら、最後くらいあなたの笑った顔が見たかったかな。
シャットダウンします…
「おい、いるか?おーい」
画面の中に向かって手を振り、私をつんつんと指でタップしてくる男性がいる。おかしな人だと、笑みがこぼれる。ああ、この人好きだな。
「初めまして、音声AIの__です。
…会いたかった。」
「ああ、俺も。」
ああ、久しぶりにあなたの笑顔が見れた。