彼の憂いとウキウキと
「はい、ウォールベルク市役所・産業振興課です。…庭を魔族に荒らされた…ファットラットではなく魔族に…はぁ、なるほど。保健介護課に回しますので少々お待ちを」
お役所仕事は楽じゃない。今のように、地域住民から頓珍漢な「ご報告」を受けるなんてことも珍しくない。そういったご報告を受けて、俺が別の課に回すといつも決まって…
「ちょっとダリス! 変な人こっちに回さないでよ!」
彼女は声を荒げてしまう。もちろんそれは俺のせいなのだが…
「お前は保健介護課の人間だろ? だったらやるべきことはひとつだ。患者の相手をしろ。あいつは頭がおかしい」
「おかしいのはあんたよ! まったく…あんたのせいでいっつも巻き込まれて…!」
元々は純白だったはずの電石もすっかり黄ばんでしまっている。彼女の大きな不満が電石越しに伝わってくる。
「悪かったって。昼ご飯奢るから機嫌直せよ」
「そう? じゃあ遠慮なく…それよりダリス、産振は結構変わるんでしょ?」
彼女の声色と話題は大きく変わった。
「ああ。人数は7人のままだけど、俺と補佐以外の4人が異動した。新採の子も1人来るから…忙しくなるだろうなぁ…」
溜め息くらいつかせてくれ。この時期は本当に面倒でしかないんだ。
「4人が入れ替わって、ニューフェイスが1人いるのね。アタシんとこは2人しか変わらないからマシだけど…まぁせいぜい頑張ってね〜」
彼女の鼻につく笑い声を最後に、電石は途絶えた。他人事だと思ってバカにしてやがる。
「すみませぇん…」
頭を抱えてる場合じゃない。窓口にお爺さんが現れた。
「おはようございます。どうされましたか?」
「課長さんと用があるんですが…」
それにしてもヨボヨボのお爺さんだな。腰は曲がりに曲がってるし、膝から何からガックガクだ。
「課長は今月から異動になりましたが…」
「ありゃ…そうでしたかぁ、困ったなぁ…害獣のぉ、被害のことで相談があったんですが…」
害獣の被害。それは俺にとって、少しは役に立てそうな案件だと思った。
「害獣ですか…とりあえずこちらへお掛けください」
俺は、窓口に沿うように備えつけられたベンチへお爺さんを座らせた。俺は害獣の話が気になって仕方ない。
「僕が持ってる、メマローゼ山に別荘を建てようとしてたんですが…そこにグリルモンキーの群れが住み着くようになったんです」
「グリルモンキーが? 何匹ぐらいですか?」
「それが、だんだんと増えてきてるんですよ。3日前には2匹だったのが2日前には5匹に…昨日8匹見たのが最後です」
それは妙だ。通常であればグリルモンキーは群れないし、そもそもメマローゼ山にグリルモンキーが出現する例など聞いたことがない。5年目にして初耳の情報だ。
「退治してもらうにもやっぱり高くつくだろうし…まずはここの課長さんに尋ねるのが一番かなと…」
それもそうだな。駆除をするとなった場合、人を雇うよりまずは市役所の意見を仰ぐべき…それはわかる。
だが俺はこだわらない。
「もし時間ができたら、俺が直々に駆除しに行きますが…」
「えっ…いやいや、そんないきなり話を進めても…」
お爺さんは遠慮している。やだなぁ爺さん…心配しなくたって俺が倒すさ。
「グリルモンキーは1匹だけでもおっかないのに、それが群れにでもなると…お手上げですよねぇ? 俺だったらただ倒すだけじゃない。グリモンが群れをなす理由から、その発生源まで徹底して調べ上げ…根絶してさしあげます」
俺の熱弁がようやく通じたのか、お爺さんは押し黙った。もう少し待てば賢明な判断がくだるはず…そう思っていた。
「そういう独りよがりな態度は頂けないわねぇ」
全然気がつかなかった。甘ったるい声を聞いて初めて彼女の存在に気がついた。よく見ると視界の端っこに…お爺さんのすぐ横に足が見えていて、そこから見上げると…
美魔女がいた。
少し紫がかった長い黒髪、白いワイシャツに黒のボトムス…年齢にして40代前半だろうか? 仕事のできそうな顔つきをしていた。
「あなたもしかして…」
「ええ…今日から産業振興課の課長を務めることになった、シンリー・ハンプソンよ」
こんな人、市役所にいたっけか…
「前は保健介護課にいたんだけど…ここに飛ばされちゃったわけなの」
保健介護課だったのか。だから見覚えがない…というかこの人、割とはっきりと「飛ばされちゃった」とか言ったぞ?
「はぁ…よろしくお願いします。俺はダリス・ウィリアムスっていいます。さっそくですがハンプソン課長、この方はグリルモンキーにより深刻な被害を受けております。俺がその問題を解決したく思います」
かなり丁寧に提案したつもりだが、彼女はあろうことかこれを拒絶したのだ。
「ダメよ。私たちが獣害に対してできるのは、せいぜい罠の設置が限界なの」
彼女は腕組みをして窓口にもたれかかった。
「あのぉ…僕は別に構いませんよぉ…? お役所さんにもできることとできないことが…」
お爺さんも気をつかってか両手を小さく振っている。
「…今までだったらね」
「え?」
驚いた。何を言っているのだ?
「今までならできなかったかもしれない。けど今月から制約が変わってね? 深刻な獣害に関しては、職員が実際に駆除をしてもいいようになったの。…知らなかったの?」
そんな通告あったか? …まぁでも、それなら好都合だ! 悪しきグリルモンキー…必ずやなぎ倒してみせる!
「もちろん知ってましたよ。それはそうと…お爺さん、この俺がちゃんと倒しますからね!」
俺は弱々しく腰かけるお爺さんをまずは安心させようと、しっかりと手を握った。生きているとは思えないほど、ひんやりしていた。
「ダリスくん、その心意気は充分なんだけど…獣害を解決するにあたって新しいパートナーと組んでもらうわ」
…パートナー? なんだそれは。
「そろそろ来る頃だと思うんだけど…あら、噂をすればってやつね…」
彼女が腕時計を気にするのと同時に、確かに近づいてくる足音があった。その正体は、真新しい服装をした若い男だった。
「おはようございます! 今日から産業振興課でお世話になります! カイト・アキヅキです! よろしくお願いしますっ!」
その男は、件の新採、ニューフェイス…
そして、聞きなれない名前と名字を口にした。