クラリス・リベルテの崩壊
実は本日お休みする予定だったのですが更新しました
感想もらえてはしゃいじゃったのでw
クラリスを、簡単に死なせてやるものか。
その言葉は、ミナーヴァの心でずっと湧き上がっているのを、親友である彼女は知らない……。
クラリスの時間が、しばし止まる。
それは三時間にも感じられたし、ほんの一秒だったのかもしれない。
洒落たカフェテリアの一席。
テーブルに置かれていたハーブティーはもうすっかり冷えていたけれど、たとえ熱を残していたとしても、クラリスの凍ったハートを溶かすことはできなかっただろう。
「ミーナが、死ぬ?」
それは肺に残っていた空気を全て絞って産み落とした言葉だった。
「ラフな表現で言い表すなら――そうなるだろうね」
金貨を山のように積んで買い取ったであろう糊のきいたスーツを着こなした少年が、柔和な笑みを浮かべる。だけどその笑みはどこか薄っぺらく、同時に底知れない。
彼の名はアクチェ・ヴァルカ。
親友であるミナーヴァと付き合っている――“今”の男だ。
「人は皆、名前のない闇を抱えているけれど、君とミナーヴァの闇には名前がある。君は“寄生樹”で、ミナーヴァは“魔法使い”だ」
クラリスの右肩にはちょっとした“同居者”がいる。
木の根のようなものが泣きわめく幼児のようにまとわりついていて、触れている肌が疲れたように歪んでいる。
寄生樹と呼ばれる植物が絡みついているのだ。まるでヤドリギのように。
そして、魔法使いとは――
「この世を創造したとされる妖精。細部に宿った妖精は気まぐれに人間と契約し、妖精が持つ奇跡を人に分け与える。超常的な力を手に入れる見返りに、永遠に解けない運命を受け入れることになる」
ミナーヴァが受け入れることになった運命。それは――
死ぬこと。
「正確には融合した妖精の細胞に蝕まれて死ぬんだ。風邪のウイルスが人間を苗床にして繁殖するようにね。そして最終的に苗床は萎びていく。干しブドウのように」
今はアクチェが“延命措置”を施して、ミナーヴァを生き永らえさせているらしい。クラリスはよく知らないけれど、アクチェにはそういう不思議な力が備わっているのだそうだ。
どうしてミナーヴァがそんなハプニングと出会うことになったのか。理由は簡単だ。
クラリスに科せられた呪いを解くために、親友は自分の青春のほとんどをなげうって世界樹を冒険していたからだ。
つまり、
「――私のせいなの?」
クラリスは泣かなかった。
喉が渇いている。
髪の毛の根元がひどくチリチリする。
涙が沸騰するくらいに目の奥が熱くなっていた。
「人生最高の悲劇は何だと思う?」
「……死ぬこと?」
「いいや。無駄になることさ」
天使のような顔に、悪魔のような微笑を讃えて、アクチェはハーブティーを一口すすった。
そして店員に追加のオーダーを入れていた。お兄さん。ステーキをレアで。肉は常温に。塩コショウは焼く直前に振って。強火で短く頼むよ。あと肉の銀皮は取り除いたものを使うように。僕はチューインガムを買いに来たわけじゃないんだ、などとうるさい注文をまくしたてている。
ここでアクチェは、クラリスの存在をようやく思い出したかのように振り向いた。
「彼女にはまだ呪いのことは話していない。だけどもし知ってしまったら――彼女はどうするだろうね」
――簡単に死なせてやるものか――
そんな言葉が浮かんで、思わずぞっとした。
きっとミナーヴァが真実を知ってしまったら、もう二度と同じ関係ではいられない。
「お願い……ミーナ……ミナーヴァには黙ってて……。何でもするから……」
アクチェはにっこりと笑う。だけどその瞳は一切の光を通していない。
「勿論。誰にも言わないさ」
□ ■ □ ■ □ ■
「……以上が、今の君だ」
「……あたし死ぬの?」
同じカフェテリアの、同じ席に、今はミナーヴァが座っていた。
そしてクラリスに話した内容と一言一句たがわぬ情報をすべてミナーヴァに伝え終わったところだった。
ミナーヴァは無言のまま、テーブルに置かれたブラックコーヒーを見つめていた。
アクチェが事前に注文したものであってミナーヴァの好みではない。煮詰めた豆の臭いがむせかえっていて気持ち悪い。
実際、気分は最悪だった。
死亡宣告を受けて軽快でいられるわけがない。
「クラリスはこのこと知らない?」
「そうだね。今ごろヘラヘラ笑ってるんじゃないのかな?」
心底興味なさげにアクチェは呟いた。
ひどく苛立った空気をまき散らしてミナーヴァは頭を抱える。
無理もない。
状況だけ見れば、クラリスに関わったせいで不幸になったといっても過言ではないのだから。
「……ミナーヴァ」
恋人が話しかけてくる。いつもの人を馬鹿にしたような口調ではない、低い男の声だった。
「君が望むなら、今、君を取り囲んでいる雲を取り払う手伝いをすると約束しよう。何をするにしても――僕は君の味方だ」
ミナーヴァは頭を抱え、黙考し、熟慮に熟慮を重ねる。
それは三時間かもしれなかったし、ほんの一秒だったのかもしれない。
「……クラリスは何も知らないんだよね?」
今一度、ミナーヴァは恋人に問う。
アクチェが答えるよりも早く、ミナーヴァは目の前に置かれたカップを無造作につかむと、中に入った苦い泥水を一息で腹の中に収めた。
彼女の瞳に熱が宿る。
憎悪の色ではない。
怒りの色でもない。
世界の何者にも屈しない覚悟を決めた戦士の目だった。
その刺すような視線を突き付けられて、アクチェは――悪魔のような少年は気圧される。
そしてサキュバスはこう告げた。
「いつまで隠せる?」