第41話 神楽坂先生の彼は、想像上の彼じゃない! その2【第二部 最終話】
「そうそう、来週中には彼が来るって連絡がとれたから準備しててね」
神楽坂先生の突然のカミングアウトに車内の空気が一瞬止まる。
「えええ~!! 夏美先生の彼って、そんなの聞いてませんよ! っていうか彼氏がいたんですか!?」
「神楽坂先生、その彼氏っていうのは想像上の生き物じゃないですよね?」
「先生……、彼氏いたんですね……、ビックリ……」
僕たち三人は本日最終にして最大の衝撃を受けた。神楽坂先生に彼氏がいるならどうしてゴールデンウィークに生徒と一緒にレジャーに行くのか?
「はあ? 何言ってるのアンタたち。誰も彼氏って言ってないでしょ、彼って言ったら男を指す三人称の意味!」
このアロハ風ワンピースを着ている先生は、彼と彼氏を使い分けているらしい。何ともややこしいことを言う人だけれど、彼氏じゃない『彼』が来ると言われても意味が分からない。
「夏美先生の彼氏じゃない彼って誰が来るんですか? そんなこと言われてもわからないよ~」
「那智の言うとおり誰が来るんです? 想像上の男の人じゃないですよね?」
要領を得ない僕たちに神楽坂先生は説明を加える。
「ほら、この前に言ったじゃない、『パンゲア』の出版社にいるっていう知り合い。その彼と連絡取ったら、今度こっちに来るって!」
「ああ……、そういえば先生そんなことを言っていた気がしますね」
僕は連休前の部室で先生が言っていたことを思い出した。大学時代の知り合いが『パンゲア』でどうのこうのと言っていた気がする。隣の那智もそれを思い出したようで、ああ、あれね……と言って頷いている。
「誰ですか? その『パンゲア』の人が来るって?」
車内で一人だけ分かっていない瑞希。そう言えば神楽坂先生が話した時に、瑞希はまだ部室に来ていなかった気がする。
そこでひとまず『パンゲア』の出版社に勤める神楽坂先生の知り合いが、瑞希の超能力の相談に乗ってくれるらしいところから説明した。
「先生……、そのひと大丈夫なんでしょうか?」
急に不安そうになった瑞希が小さい声を出した。
「そうですよ先生、僕も確かその時大丈夫かって聞いた覚えがありますよ!」
「大丈夫だいじょうぶ! 記事にはしないって約束だし、そこまで堅苦しく考えること無いって。超能力には詳しいヤツだったから、三枝が自分で能力をコントロール出来るように相談に乗ってくれるって」
お気軽にハンドルを叩きながら神楽坂先生はそういうけれど、実際に会ってみないと本当のところは分からない。
「本当に瑞希を見せ物とかにしないんでしょうかねえ、その人……」
「夏美先生の知り合いって言ってもねえ、ねえ瑞希ちゃん?」
「先輩方に言われると、わたしも不安に……」
「大丈夫だって! 生徒を守るために顧問として私がいるんだから! 私に任せてドーン構えてたらいいって!」
僕たち三人が同じように不安を口にするなか、神楽坂先生だけは楽天的だった。
♡ ♡ ♡
いつの間にか陽も落ちて周囲は暗くなっていた。高速は軽く渋滞しながらもゆっくりと流れていて、あと一時間もすると各自の家に着くだろう。カーステレオから流れるラジオを聴いているうちに会話も少なくなり、歩き疲れたのか那智も瑞希も眠ってしまった。
「先生、二人とも寝ちゃいました。神楽坂先生は居眠り運転したらダメですよ」
「見てみろ岸本、バックミラーで見たら宮前も可愛い寝顔してるじゃん。ホントにお前どっちにするんだ? アタシにしてもいいんだゾ!」
――ですから「アタシ」は絶対にありませんって。でも先生にそう言われ、改めて隣を見ると那智が薄く唇を開け可愛い顔をして寝ている。
「そんなんじゃないですよ、僕は奴隷扱いですから……」
ため息混じりに僕が言うと先生も笑う。
「フフフ、岸本は優しいからな……」
こうしてゴールデンウィークの長い長い一日は終わっていった。
――――――――――――――――――――――――
同日、都内某所
今にも止まりそうなエレベーターが一つだけある雑居ビル、男はいつも通りエレベーター前を通り過ぎ階段で二階へ上がった。
『オフィス大石』とだけ書かれたドアの前に立ち、男が軽く二回ノックをすると中から「開いてるよ」との返事が響く。
きしむドアを開けると、部屋の中には中年の男が一人いるだけだった。
「大石さん、相変わらずタバコは止められないんですね」
事務机や応接セット、パソコンやキャビネなどビジネスに必要なもの全てが揃っている一室は、大石と呼ばれた男の吸うタバコの煙が充満している。
「ああ……、こんな健康に悪いものにすっかり毒されてしまったよ。こんなモノはもっと早く禁止にすべきだったんだ。ところで松浦君、キミが直接来るということは何か進展があったのか?」
大石は吸っていたタバコを灰皿でもみ消して、男に向かって尋ねる。松浦は勝手に応接セットに座り一呼吸置いて話しだした。
「あまりいい報告でもないのですが、どうやら五十鈴川教授の母親はもう長くないようです」
報告を聞いた大石の顔に落胆の影は見えない、想像の範囲内といったところだろうか。
「やはりそうか、そうなると手掛かりは五十鈴川教授の娘だけということになるな……」
「ええ、教授の娘、五十鈴川瑞希。我々にも時間が少ないですからしょうがないですね」
苦々しげに笑った松浦は、持ってきた缶コーヒーのプルタブを起こし一気に飲み干した。
――ここにいる彼女は、あの時の彼女だったのかもしれない――
<第二部 終わり>